06.レアチーズケーキと丁寧な暮らし
スーレイロル伯爵家で働くメイドの朝は早いです。
まだ暗いうちに起きて身支度をします。幸いにも私はここの住み込みメイドですので職場が近いです。……こんなことを言っているとまた妖精さんたちに社畜ダメ絶対、と言われそうです。
ちなみにほとんどの使用人は家庭を持っていてお屋敷の外に家があるんですよね。その場合は週替わりで寮に寝泊まりしています。
寮は本館と別館からは少し離れたところにあります。一介の使用人であるのにも関わらず素敵な個室をいただいています。
ベッドと机とクローゼットと姿見、そして洗面台がついている部屋なのです。壁紙はお屋敷よりも淡い緑色地に白いオーナメント柄になっていて高級感があります。
部屋の中ではベッド周りが一番お気に入りの場所です。
ベッドシーツと枕カバーはデボラさんがパッチワークで作ってくださったのです。それに、ナタンさんが快気祝いにと魔法が付与されたカンテラをくださったので眠る前に小さな灯りで読書ができるんです。お2人の優しさがつまった場所です。
良い部屋に住まわせてもらっているうえに朝昼晩のご飯のほかにおやつ付きで、週に1日はお休みをいただけます。仕事はゆったりとしていて、基本的にはお屋敷の維持です。たまにいらっしゃる旦那さまや大奥さまの身の回りを整えたりしますね。
あまりにも好待遇な職場。前世の忙しく荒んだ生活と比べたら休暇のような人生です。なので時々、このままではいけない、と社畜が疼いてなりません。その度にあくせくと動いてしまい、心に余裕を持つようにとデボラさんから注意されてしまいます。
いつかは私もポネルの人たちのように丁寧な暮らしを楽しむ心を持ちたいので目下デボラ先生に教えを請いているところです。
――さて、身支度も終えたので出勤としましょう。
出勤するとまずは使用人ホールで朝の軽いミーティングです。その日の大まかなスケジュールや連絡事項を共有します。それからは旦那さまの朝食の準備から始まります。
私たちメイドの仕事はテーブルセットやシェフのお手伝いですね。
旦那さまもとい妖精王さまは怪我で片腕が使えない状態ですのね、食べやすいように切り分けたりするのも私たちの仕事です。
「おっはよ~!」
デボラさんが諫めるようにガン飛ばしてますが気に留めていません。むしろ妖精王さまの傍で控えているナタンさんがその視線に肩を震わせてしまってます。完全なる流れ弾です。デボラさんがまた甲冑の剣や暖炉の上の槍を取り出して天誅を下そうとするのではないかと心配されているようです。
旦那さまが食事を終えると私たちの朝食です。私たちは使用人ホールにある長テーブルで並んで食べます。
今日のメニューは豆類や柑橘類とレタスを混ぜて甘辛いドレッシングをかけたフェリエール風サラダにオニオンスープ、こんがりと焼いた分厚いベーコンとバターロールパンです。
王都のレストランで働いていたこともあるシェフの料理はどれを食べてもほっぺたが落ちそうです。味わって食べていると、料理と幸せを噛みしめている顔が面白い、と言って先輩たちに観察されてしまいます。
みなさんは当たり前のように食べていますが、職場で高級レストランの味を食べられるなんて贅沢、もっと感謝するべきですよ!
食べ終わればそれぞれの持ち場に就きます。私はこの後、お菓子作りという使命がありますのでシェフと一緒にお片づけすることになりました。
朝食の後片づけが終えたところで、いよいよおやつ作りの開始です。
デボラさんとナタンさんに作るお菓子を相談したところ、このところ甘い物が続いていたので、さっぱりと爽やかな味のレアチーズケーキにしようということになりました。
しかもなんと、デボラさんが直々に教えてくださるのです。家庭の味だと私も作りやすいからと配慮してくれたようで……忙しいのに時間を割いてくれるデボラさんには頭が上がりません。
「妖精王さまの悪戯で最初は気を揉んだけど、……まあある意味で良かったのかもしれないわねぇ」
デボラさんはそう言いながら私の手元をチェックします。どういうことなのか聞こうとすると、手が止まっていると注意されました。厳しいです。
ビスケットを叩いて潰し、バターと混ぜて型に敷き詰める。デボラさんはチラっと見てから次の指示を口にしました。どうやら問題ないようです。叩いて並べるだけですものね。
気を揉んでたのは、旦那さまはこちらに滞在している間も仕事をしてしまって休めないんじゃないか、ということらしいのです。
「旦那さまは小さいときから何かに追われるようにお勉強に励まれていたから心配だったのよ。宮廷魔導士団に入ってからも休みなく働いていらっしゃるようだし……亡くなられた先代が厳しかったのがそうさせてしまった気がしちゃってねぇ」
先代の領主さまは私がここに来る前に亡くなっているそうです。
自分にも他人にも厳しいお方だったのだとか。そんな先代は旦那さまと彼の従弟をよく比べていたそうです。どんなに努力しても、良い成績をおさめても、褒められるのは従弟。旦那さまに対しては結果を出すことは当たり前、として一度も褒められなかったのだとか。
旦那さまを愛していないというわけではなかったようです。むしろ、彼の将来を想ってのことのようで。
見かねたデボラさんが注意したところ、領民を抱える跡取りとしてそれくらいの厳しさを知っておくべきだと考えての言動だと主張されたようです。
領民の期待を背負うということは私たちが想像する以上に重いんでしょう。それでも……少しでも労いの言葉をかけてくれた方がもっと頑張ろうと思える気がするのは私が凡人だからでしょうかねぇ。
「身体を乗っ取られて仕事に手をつけられなくなった分、ゆっくり休んでくださるならその方が良いと思ってしまったのよ」
「そうだったんですね……」
クリームチーズや砂糖、生クリームをボウルに入れて混ぜ合わせる。仄かに甘い香りがすると妖精さんたちが現れました。甘い物には目がない妖精さんたち。さすがです。
『なに作るの?』
『手疲れた? マッチョになる魔法いる?』
『ファイト~!』
「お気持ちは嬉しいのですが、マッチョは遠慮します。ムッキムキになったらお仕着せがはちきれそうです」
ちっちゃ可愛い観客に見守られながら混ぜ合わせた材料を型に流し込み、冷蔵庫の中に入れます。この世界では上級貴族の家にのみある冷蔵庫。魔道具のおかげで冷たい空気を閉じ込められるのだそうです。
続いてトッピングのはちみつレモン作り。
レモンを輪切りにしてはちみつと一緒に容器に入れます。こちらも冷蔵庫で寝かせるのです。あとはおやつの時間に盛りつけるだけです。
ケーキを作るのって気合と根気がいるものとばかり思ってましたが、意外と簡単でびっくりしました。
「ユーリィ、あなたも旦那さまと同じですよ。もっと自分を大切になさい。最近はだいぶ落ち着いたけど、前は危なっかしいくらいたくさんの仕事を抱え込もうとしていたんですもの。――まるで、休んでいたら誰かに咎められるようだったわ」
そう言って、デボラさんは私の目の前にグラスを置きました。中に入っているのは、爽やかな黄色のグラデーションが美しいレモネードです。デボラさんが余ったレモンで作ってくれたのです。
しかも魔法で氷を作ってくれています。氷魔法って手間がかかるのに、私のために使ってくれたんですね。感激です。
レモネードはひんやりして、甘酸っぱくて、とっても味しいです。甘さも酸っぱさも優しい口当たりでなので飲みやすいです。一息に飲んでしまいました。
ぷはーっといわせて顔を上げると、デボラさんが優しく目を細めてこちらを見ていました。なんだかこそばゆい気持ちになります。
デボラさんはいつも私を見てくれています。
看病してもらっていた時も、落ち込んでいる時は好きな料理を作ってくれたり、ちょっとでも体調が悪いときはすぐに寝かしつけられました。
気づけばいつも優しい眼差しを向けてくれていて、何度も胸がいっぱいになって、泣いてしまったことがありました。
この世界では優しい人たちと巡り会って幸せな日々を送っています。その幸せを分けてくださった皆さんにお返ししていきたいのです。
恩返し作戦第一弾、デボラさん直伝のレアチーズケーキで妖精王さまを唸らせて旦那さまの身体を返していただけますように!
今日のおやつ時間が楽しみです!
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