08.旦那様の扱いがメレンゲくらい軽い

 朝、デボラさんに呼び出されて旦那さまの執務室に行くと、なんと髪を結わえている旦那さまが座っていました。その隣ではナタンさんが喜びのあまり涙を流しているのです。


 旦那さまが戻られていたのです!

 

 拍手したいところだったのですが、どうやら一時的らしいです。妖精王さまが疲れると眠ってしまうと交代で旦那さまが出てこられるようです。


 それではやはり、私は記憶を思い出さないといけなさそうですね。懐柔作戦も並行しつつ。


「短い間かもしれませんが、旦那さまがお戻りになって嬉しいです」

「……心配、かけたな」


 は、初めて旦那さまと言葉を交わしてしまいました。言い終えたらそのまま手に持っている資料に視線を戻されたので、ほんの一瞬ですけど。初日より柔らかな空気を感じました。


 急に身体を乗っ取られた旦那さま。今日はそのせいで溜まっているお仕事を片付けるそうです。忙しいため、今朝は寝室で朝食をとっていました。


 今度はいつ交代できるかわからないから大変ですよね……。


 旦那さまの負担が増やさないためにも早く記憶を取り戻したいのですが、欠片も思い出せません。何か1つでも思い出せば連鎖的に思い出せそうなんですけどねぇ。


 タイムリミットがあるので余計に焦ってしまいます。妖精祭はまだまだ先のようであっという間に当日を迎えそうですもの。


「妖精さんたち、私を崖から突き落としてもらえませんか?!」


『やだぁ』

『ユーリィ死んじゃう』

『断固拒否~』


 ブーイングのオンパレードです。


「お願いです協力してください! なにか大きなショックを与えれば記憶が戻ってくる気がするんです!」


『エルヴェのためにそこまでしなくていいよ』

『そうそう』

『ユーリィの方が大事なの』


 皆さん……大事と言ってくれるのは嬉しいのですが旦那さまへの対応はいかがなものでしょうか。前々からうっすら気づいていたのですが、妖精さんたちの旦那さまに対する風当たりが強い気がします。


 初日こそ歓迎ムードでしたが、日に日に扱いが軽くなってきている気がするのです。

 記憶を思い出すのを応援してくれていたのですがだんだん飽きてきたようで、そんなことより遊んで~、と言ってくるようになりました。


 旦那さま、そんなことって言われています。


 皆さんが大好きなメレンゲのお菓子で釣るとようやく一緒になって考えてくれるのですが、お菓子が無くなるとすぐに居なくなってしまいます。


 旦那さま、メレンゲのお菓子に負けてしまってます。


 身体を取り戻した暁にはぜひとも妖精さんたちとの交流を増やして欲しいものです。


「旦那さまがこのままだとスーレイロル家がなくなっちゃうかもしれないです。皆さんの遊び場所がなくなってもいいんですか?」


 いつもお屋敷にいる妖精さんたちにとって、ここがなくなったら面白くないはずです。しかし妖精さんたちは納得いかない様子。小さな唇を尖らせています。可愛い。


『エルヴェずっと僕たちのことほったらかしてた~』

『退屈だったの』

『エルヴェはこのままでいいよ~』

『そしたらずっとここにいるもんねぇ』


 確かに旦那さまはあまりポネルに来られないのだとナタンさんは言っていましたね。歴代の領主さまたちはよく妖精さんたちとお話していたようです。どんなことを話していたのか気になりますねぇ。


 まだまだ妖精さんたちを説得したいところですが、お屋敷の掃除を始めないといけないのでひとまず仕事に戻ることにしました。


 お屋敷はこの風光明媚な土地の領主邸にふさわしい、とても素敵な建物です。


 悠然と佇む白亜の城。


 内装はグリーンの壁紙で統一されており、橙色の夕日が出窓から差し込む景色は絵画のようです。

 屋敷の中には様々な本や絵画に美術品があり、まるで図書館や美術館のようなのです。先代の旦那さまが美術に造詣が深く、蒐集されていたのだとか。ポネルの風景を描きに来た画家から作品を買い上げることもあったそうです。


 各寝室や客間に使われるファブリックは領地内で作られたものを使用しており、生産地にゆかりのある図案が凝らされているので見るのが楽しいです。


 本館と別館の間には温室があり、珍しい植物や色とりどりの小鳥たちがいます。中に足を踏み入れれば小鳥たちの美しい歌声が聞けるんですよ。


 ここは宝箱のようなお屋敷です。王都ではポネルやこのスーレイロル邸の風景画が売れているそうですよ。


 午後には離れの温室の手入れです。ガラス張りの温室に入ると、暖かい空気や甘い花の香りに胸が満たされます。


 天井から吊り下げられている魔鉱石のおかげで一定の室温と湿度に保たれているのです。魔鉱石はいろんな色の物があるので、陽の光に当たり輝いているとステンドグラスのようで綺麗です。


 温室の中にある鳥かごの中にはシャーベットカラーの小鳥たちが住んでおり、私を見つけると嬉しそうに歌い始めるので思わず立ち止まってしまいます。

 鳥かごを1つ1つ掃除していると、誰かが温室に入ってくる音が聞こえました。

 振り向いた先に居るのは、旦那さまです。顔色がよろしくないような気がします。


 目が合うと引きつった表情をされてしまいました。あからさまにたじろがれてしまった今ならアレルゲン物質の気持ちも代弁できそうです。


 旦那さま、私は無害ですよ(裏声)!

 

 その声は届いてくれず、旦那さまはここから出て行こうと足を一歩引きました。女性が苦手なのですから仕方がありませんのよね。


 それとなく私の方が出て行く旨を伝えました。雇い主を追い出すわけにはいきません。


「デボラさんに言ってお茶をお持ちしますね」

「いや、少し陽に当たりに来たんだ。遠慮せず続けてくれたらいい」

「かしこまりました」


 なんということでしょう。かえって雇い主に気を遣わせてしまいました。旦那さまはガーデンチェアに腰かけています。拒絶反応はまだ出ていないようですが、一緒の空間に居て大丈夫でしょうか?


 あと、緊張します。いつも同僚や妖精さんたちとお話しながら作業しているので、しんとした中で仕事するのもなかなか辛いものです。

 

 沈黙と緊張感に耐え切れずいつもよりも巻で植物たちに霧吹きで水をかけてしまいました。ごめんなさい。明日はゆっくりと味わえるよう霧吹きしますのでご容赦を……。

 シュシュシュっと水をかけられた植物たち。露に濡れた葉の色が一段と青くみずみずしくなって生命力を感じます。陽の光に当たりきらきらと反射していて綺麗です。


 ひと仕事終えてホッとしていると、かすかに寝息が聞こえてきました。まさかと思って振り返ってみれば、旦那さまがガーデンチェアに深く身を預けてお昼寝されているのです。


 温室は暖かいものの風邪を召してはいけないので声をかけてみたのですが、ぐっすりと眠っています。触れるわけにもいかないのでブランケットを持って来てかけました。


 毎日を休暇のように過ごしている私とは違い、旦那さまは激動の日々を送っていらっしゃいましたもんね。

 このお方がしっかりお休みできるよう、精一杯お努めしなくてはなりませんね。


 旦那さまが起きてしまわないように、そっと温室を後にしました。お次は庭掃除があるのです。


「――ねぇ、君ここのメイド?」

「はいっ……?」


 小径を掃いていると柵越しに話しかけられ、飛び上がってしまいました。


 声をかけてきた方は燃えるような赤い髪の男性です。風に遊ばれながら輝くその髪がなんとも華やかで……キラッキラしています。こちらを見つめる菫色の瞳は涼やかですが、少し垂れ目なので優しい印象があります。


 なんとも色彩鮮やかで、イケメンさんです。眩いです。


 仕立ての良い服を着ているので貴族のようです。今日は来客があるとは聞いていないのですが、急ぎの要件で来たのかもしれません。ひとまず伺ってみましょう。


「旦那さまに何か御用でしょうか?」

「いや、可愛らしい人がいるから呼び止めただけだよ。仕事を中断させて悪かったね」

「さ、左様ですか」


 お客さまではなかったようです。

 呼び止めただけって……この世界流のナンパなのでしょうか?


 またね、と言って光球のようなお方は去っていきました。見ない顔ですし、やたらオーラを放っていました。ポネラの住民ではなさそうです。


 なんだか不思議な方ですね。




 

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