28.妖精祭

 早朝はまだ暗く、お屋敷の中は燭台の蝋燭に明々と火が灯っていて、夜のような景色です。

 廊下を歩く使用人の皆さんが光に照らされると個性的な影たちがビロードの絨毯の上を歩いて行きます。

 みんな張り切って妖精さんに変装したので、お屋敷の中は妖精さんたちでいっぱいなんです。


「ほい、できたよ」

「ありがとうございます! 妖精さんがしてそうな髪型で可愛いですっ!」


 先輩から手鏡を受け取って見てみると、私の髪はゆるりとした三つ編みにしてもらって肩に流しています。所どころにピンクや紫や白の花が添えられていてすごくメルヘンなんです。


「我ながらいい出来だわ。そのドレスにもよく似合ってるわよ」


 私もデボラさんと先輩に手伝ってもらってお花の妖精さんっぽくしてもらいました。

 淡い空色のドレスはデボラさんの娘さんのお下がりですが、デボラさんが手直ししてくれたので新品のようなもんです。

 胸元はお花のレースがあしらわれていて、袖は薄布のパフスリーブになっています。全体的にふんわりとしたシルエットで、なんだか妖精さんよりもお姫さまになったような気分です。


 変装した私もふわふわとした気分で執務室に行くと今日は旦那さまが居て、窓辺に立つ姿には絵になるほど美しくて見惚れてしまいました。もはや絵から出てきたんじゃないでしょうか。

 そんな旦那さまと目が合うと、ちょっとの間だけ沈黙がありました。


「ユーリィ、とてもよく似合っているよ」

「ありがとうございます。旦那さまはいっそう素敵です」


 率直な感想を伝えると旦那さまがはにかんだ微笑みになったので、心臓が変な音を立てそうになったのは内緒です。思いがけず貴重な顔を拝んでしまいました。


 旦那さまは白を基調としたローブを身に纏っています。ローブに銀糸で施された装飾はスーレイロル家のレース編みの図案に似ているような気がします。

 腰には緑色の生地で作られた帯が巻かれていて、星を模した刺繍があります。前の方で垂らしたその帯の先には透明な水晶がついていて、よく見ると中にはお花が入っています。

 魔力が強くなりそうな装備ですね。


 着こなしている旦那さまは、まさにファンタジーの世界の住人って感じで神々しいです。


「魔法、使えるようになったんだね」

「はいっ! ようやく私も誰かのお役に立てるようになれて嬉しいです!」

「……ユーリィ」


 旦那さまはちょっと困った顔をしていて、なんだかそれ以上このお話するのが躊躇われました。

 ウィルの時みたいに一緒に喜んでくれるかなと、心のどこかで期待していた自分がいて、ちょっと残念に思ってしまいました。子どもじゃないんだから、そんなこと願っちゃダメですよね……。


「君に話しておきたいことがあるんだ。今日の昼、少しだけ時間をくれないか? 森の奥にある石碑の前で待ってる」

「かしこまりました。デボラさんとスケジュールを調節しますね」


 旦那さまと見回りは回避できたんですが、またブランシュ嬢に襲撃されるのを心配した旦那さまの命によって私はデボラさんと一緒にいることになったんです。


 ウィルたちとのお茶会は夕方ごろですし、予定が被らなくて良かったです。

 それにしても、今日は過密スケジュールですねぇ。



 ◇



 朝の賑わいがひと段落した頃、デボラさんと一緒に旦那さまが待つヴィオニフの森に向けて出発しました。


 妖精祭の一番の見所はヴィオニフの森で行われる儀式”共生の誓い”。

 妖精王さまとスーレイロル領主さまによる結界の張り直しです。


 そのためか、ヴィオニフの森に向かう馬車の中から外を見ていると、森までの道はいつもより賑わっています。


「旦那さまはもう着いているでしょうし、何かお手伝いできることがあるか聞いてみるといいわ」

「はい、それでは行ってきます」


 森には早めに着ました。

 デボラさんが森の儀式を観にくるお客さまをおもてなしする準備をするためにも早めに出たんです。


 ヴィオニフの森に入るのは初めてですが、旦那さまがいる石碑までの道のりはけもの道ができているので迷わなくて済みそうです。

 旦那さまとのお話が終わったらすぐにウィルの元に迎えるように、おもてなしの準備に必要なものを詰めたバスケットを持って森に入りました。

 バスケットを持って森に入るだなんてピクニックみたいでワクワクしちゃいますね。実際に旦那さまの身体を返してもらえるか否かって命運がかかっているピクニックのようなもんですけど。


 しばらく歩いていると、見慣れた赤い髪の男性が木にもたれかかってこちらを向いて手を振っているのが見えました。

 遠目でもわかるあのキラッキラなオーラって、団長さんですよね。


「お久しぶりです。ポネラにようこそ」

「妖精のお姫さまに歓迎してもらえるなんて嬉しいな」


 今日も相変わらず爽やかな笑顔ですし、ナチュラルにナンパしてきます。


「エルに呼ばれてここに来たんだね?」

「はい、お話があるそうでして」

「うん。そうやって呼び出すと思って君を攫いに来た。エルの元には行かせないよ」

「……へ?」


 旦那さまは私に用があって、それをなぜ団長さんが邪魔をするんでしょうか。

 それに攫いに来たって何ですか。


 団長さんはさらっと私の手を取ると、もう片方の手でバスケットを取り上げてきて、けもの道を逸れた先を目指して歩き始めます。

 あまりにも一瞬のことで、流されるように歩いちゃってるんですけど、引き返した方が良いと思って足を踏ん張ってみました。

 すると団長さんは振り返って、予想だにしないことを口にしました。


「エルは君の魔法を封印するつもりだ」

「ど、どうしてですか?」

「君のことを心配しているからだよ」


 旦那さまが私を心配して魔法を封印する?

 魔法が使えるのが悪いことだなんて聞いたことありませんよ。

 頭の中が混乱してしまいます。


「団長さんはどうしてそれを知っているんですか? そろそろ教えてください。あなたは私とどんな関係だったんですか?」

「同僚さ」


 んん?

 同僚ってことは、記憶を失う前の私は騎士だったんですか?

 旦那さまは花売りって言ってましたよ?

 剣を持っていたら剣だことかできているはずです。明らかに適当なことを言ってますよね。


「旦那さまは花を売っていたと言っていましたけど……?」

「へぇ? 随分と面白いお話を考えたんだね」


 団長さんはいきなり立ち止まって、森の奥を見て微笑みました。

 つられて見てみるとこちらに向かってくる人影があって、目を凝らしてみると、人影の正体は旦那さまでした。

 石碑の前にいるとばかり思っていましたのに、こんなところに現れるなんて……。


「レイ、彼女を離せ」


 旦那さまの声は苛立ちを滲ませたもので、もしかして、団長さんにナンパされているとわかって助けに来てくれたんでしょうか。

 その通りです。助けてください。


「それはこっちの台詞だよ。いつまでポネラに閉じ込めておくつもりなんだい?」


 団長さんは涼しい顔で私から手を離すと、今度は剣を鞘から引き抜いて。


「さあ、ユーリィは妖精王のもとに行け! ここは俺に任せたらいい」


 と、まあ敵を前にした勇者みたいなことを言ってくるんですけど。


「ユーリィ、待ってくれ!」

「はいはい、エルはうるさいよ」


 引き留めようとする旦那さまを剣と魔法で牽制するその姿はどちらかというと敵に見えます。


 私はどちらの言葉を信じるのかと問われれば間違いなく旦那さまの方なんですけど。


『ユーリィ、王さまのところに行くよ~』

『王さま待ってるよ~』

『荷物持ってあげる~』


 それなのにどうしてか妖精さんたちまで現れてぐいぐいと背中を押して団長さんの代わりに私を森の奥に連れて行こうとするんです。

 この子たち、また団長さんにメレンゲのお菓子で釣られているような気がしてなりません。


「み、皆さん。私は旦那さまとお話があるんです。それに、ウィルとの約束までまだ時間がありますよ」


『でも、連れて来いって王さま言ってた~』

『エルヴェが邪魔する前に連れてきた方がいいって~』


 旦那さまが邪魔をする……?

 耳を疑うような言葉なんですけど。

 それでも旦那さまの顔を見ると、なぜかバツの悪そうな顔をしていて、本当にそうなのかと変に疑ってしまう自分がいます。


 何が本当なのか、ますますわからなくなってきました。


「旦那さま、皆さんの勘違いですよね……?」

「……いや、違わない。私は君に魔法を使って欲しくないんだ」


 苦しそうに答える旦那さまは目を合わせてくれなくて、裏切られたような、見捨てられたような、そんな気持ちになって、胸にズキンとした痛みが襲ってきます。


「エル、約束が違うじゃないか。それに、やり方は他にもあるだろう?」

「いいや、これが最善だと思っている」


 そう言うと旦那さまの目がほんのりと光を帯びて、それを見た瞬間、旦那さまの動きがゆっくりになりました。


「えっ……旦那さま?」


 ガシャンッと固いものが割れる音がしたかと思うと、団長さんにの周りが一気に氷漬けになっていました。

 さっきの音は団長さんが氷を斬りつけた音のようで、剣を振った場所だけ氷が砕かれています。


 リアル魔法バトル始まっちゃいましたよ。

 これ、相手が団長さんだから防げたでしょうけど、他の人なら凍ってますよ?!


『ユーリィ、今のうちに行くよ~』

『2人とも強いからきっと死なない~』


「死んだらシャレになりませんよ?」


 妖精さんたちは次々と集まってきて、中には知らない子もいて、そんな妖精さんたちの大群に押されて私はヴィオニフの森の奥深くに連れていかれてしまいました。

 森の奥は踏み込むほど雰囲気が変わってきて、見慣れない植物たちが迎えてくれました。

 可愛らしいキノコや繊細な形のお花は光を帯びていて、この世の植物には見えません。


 やがて空を覆うほどの大きな樹の元にたどり着くと、妖精の姿をしたウィルが立っているのが見えました。

 ウィルは私を見ると、いつも旦那さまの姿で見せてきたような笑顔を向けてくれたので、なんだかホッとしました。予期せぬことばかり立て続けに起こっていたせいで不安になっていたんだと気づかされました。


「ウィル、旦那さまが邪魔をするってどういうことなんですか?」


 きっといつもの悪ふざけなんじゃないかと、そんな返事を期待していましたのに。


「率直に言おう。エルヴェはユーリィをここに閉じ込めておきたいんだ。だけどお前の魔法のことが知られたら都合が悪いから魔法を使えなくしようとしている。1年前と同じように」


 ウィルからの返事はさらに想像を絶するものでした。

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