26.おとぎの街に訪れる影

「そっちの飾りは足りてる~?」

「ええ、十分です!」


 私は先輩たちとお屋敷のお庭を妖精祭仕様に飾りつけしている最中です。

 妖精祭はもう明日に控えています。準備は大詰めでお屋敷中が慌ただしくしている中、馬の嘶く声が遠くから聞こえてきて、門を見ると栗毛の立派な馬が止まりました。

 その背には傭兵と思しき男性が乗っています。


「領主さまを読んでください! 街に魔物が現れたんです!」


 男性は門番さんに話すよりも先に門に縋りついて大声を張り上げて、彼の口から出てきた魔物という単語を聞いて使用人の皆さんは顔を見合わせています。

 魔物はポネラにだけは出てこなかったですのに。

 住んでいる場所の近くに出てくるとやはり怖いと思ってしまって、どくどくと心臓が脈打ってうるさいです。



「魔物がいる場所に案内してくれ。迎え討とう」 



 ナタンさんに連れられて現れたウィルは珍しく苦虫を嚙み潰したような顔をしています。

 妖精さんたちにとっても魔物は忌むべき存在ですものね。


「エルヴェ、このままでは良くないだろ? さっさと折れろ?」


 ウィルはそう呟くと、魔術師のローブを持ってくるようにナタンさんに言いつけました。


「魔物は片付けてくるから引き続き明日の準備をしておいてくれ」


 ローブを羽織ったウィルは馬に乗ると、報せに来た傭兵さんと一緒に街の方へと行ってしまいました。



 ◇



「街の方は大丈夫なのかしら……?」

「もしかしたらこの後手伝いに行くことになるかもしれないわね」


 メイドのお姉さま方は手を止めて話し込んでいます。

 確かに街も明日に向けて準備をしていたでしょうに、魔物が暴れてしまっていたらやり直ししないといけないかもしれません。


 それよりもウィルのことが心配です。

 彼が入っている旦那さまはローシェルト王国では3本の指に入る魔導士と言われていますが、今は療養中の身体です。何かあったら、と考えると不安でなりません。


「ユーリィ、テーブルクロスを取りに行ってくれる?」

「わかりました」


 先輩に頼まれてお屋敷の中に戻ると、デボラさんが執事に指示を出してポーションを玄関ホールに運ばせていました。

 普段は全く使うことのない回復薬ですが、街で戦っている人たちにこれから配るそうです。


 つい先日、薬師さんがお屋敷にこのポーションを納品してくださった時には「これを使わないことが一番ですね」とお話ししていたばかりですのに。


「あら、ユーリィ。どうしたの?」

「あ……テーブルクロスを取りに来たんです」


 ポーションたちをじっと見てしまっていたようで、デボラさんが心配して声を掛けてくれました。


「ウィルは大丈夫でしょうか?」

「妖精王さまだってこれまでに何度か魔物を相手にしたことがありますもの。きっと大丈夫よ」


 デボラさんが背中を撫でてくれるては温かくて、優しくて、ホッとします。

 そうですよね。ウィルも旦那さまも強い力を持っていますもの、その力を信じなければなりませんよね。


「お屋敷の準備を早く終わらせて街の手伝いに行きましょうね」

「はいっ!」


 領民のみなさんをサポートするのもスーレイロル家の使用人たちの務め。

 ウィルが帰ってきたら、きっと街に行くことになるでしょう。


 ウィル、早く帰ってきてくださいね。



 ◇



 テーブルクロスを先輩と一緒に広げてかけると、庭の雰囲気が一気に変わりました。

 妖精祭の時はお屋敷の壁紙と同じ緑色のテーブルクロスを敷くのがスーレイロル家のならわしだそうです。


 このテーブルの上にちょっとした料理やお菓子を並べてお客さんたちに振舞ったり、デボラさんたちが作ったレースを置いて販売したりします。


 当日に並べる食器たちに合わせて花瓶を選んでいると、メイドのお姉さま方の悲鳴が聞こえてきました。みんなすっかり血の気が引いてしまっていて、視線は門の外にくぎづけになっています。


 私も先輩も何が起こったのかわからなくて門の外を見ると、大きな蜘蛛が門の外に居ました。

本 当に大きな蜘蛛で、大人が4人並んだくらいの幅があります。


「魔物だ! お屋敷の中に逃げろっ!」


 門番さんが魔法で門に雷を走らせましたが、魔物は背の高い門を難なく飛び越えて、目の前に着地してきました。

 うなり声を上げる口からは鋭い牙が向き出ていて、あんなのに噛まれたらひとたまりもないです。


「非番の騎士も呼んで!」

「旦那さまに連絡を!」

「後方支援できる人は残って!」


 準備のために外に出ていた使用人が多く、庭は大混乱です。飛び交う声がまだ現実のものと受け入れられなくて、足が動かなくて、ただ目の前の魔物をじっと見つめてしまいました。


「ユーリィ、下がってなさい」


 ぐいっと腕を引かれて、振り返るとナタンさんが私の腕を引いていて、妖精さんたちも小さな手で私の背中を押してきます。


『そうだよ~』

『安全第一だよ~』


 そのままナタンさんと妖精さんたちにお屋敷の中に押し込められてしまいました。中にはデボラさんもいて、後方支援の交代できる人を集めています。

 こんな時に改めて思い知らされます。

 私は何も力になれないんだって。


 女神さま、どうしてでしょうか。

 魔法も使えないし記憶もないだなんて、あんまりじゃないですか。

 今この時だけでもいいので、大切な人たちを守る力を私にください。


「ダメだ! こっちに来る!」


 執事の声が聞こえてきたかと思うと、外を確認する間もなく扉がメリメリと破壊される音がして、目の前にあの蜘蛛の魔物が現れました。


「デボラさん!」


 先輩の叫び声に気づいて魔物の脚を見ると、デボラさんが下敷きになっていて。

 魔物が動くと苦しそうな声が聞こえてきます。


「……いやだ。なんで魔法が使えないの?」


 何もできないのは嫌だ。

 何も守れないのは嫌だ。

 だからと言って私には何の力もないけれど、ずっと心を支えてくれていた大切な人を見殺しにしたくない。


『また魔法が使えるようになっても無理をしないって、誓えるかしら?』

「だ、誰ですか?」

『私のことも忘れちゃったなんて寂しいわね』


 鈴を転がすような声が降ってきました。見上げても誰もいなくて、ただお屋敷の天井が見えるだけです。

 不思議と声の主がわからないのにどこか懐かしくて、安心します。

 この声の主とお話をしたことがあるような気がするんです。


『そうね、みんなからは女神さまと呼ばれているわ。無理をしないと誓えるなら魔法の使い方を教えてあげる』

「誓いますので魔法を使わせてください!」


 辺りを見回しても声の主らしき人は見当たらなくて、視界に入ってくるのは青ざめた使用人仲間の皆さんやデボラさんや魔物。

 本当に、女神さまが話しかけてくださっているんでしょうか。


『それなら目を閉じて深呼吸してみて。記憶はなくても心は呪文を覚えているはずよ』


 言われた通りに目を閉じると、先輩たちの声や魔物の鳴き声が混ざり合って頭の中でざわざわと波を立てているような感覚がします。

 こんな状況は今までになかったはずなのに、なぜかこの感覚が懐かしくて。


「――光よ、闇を焼き払え」


 そう思ったとたん、この言葉が口をついて出てきました。

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