25.溜息とシロップジュース

「エルヴェは犯人も知ってて放置してたんだって~」

「えっ?! 知っていたんですか?!」


 王都から帰ってきた旦那さまにウィルを通してブランシュ嬢が来たことや呪いのことを話してみたらちょっと呆れてしまった新事実を知ることになりました。

 旦那さまは自分に呪いをかけた犯人がブランシュ嬢としっていたのに問いただすことも呪いを解くこともさせずにそのままにしていたんです。

 てっきり知らなかったとばかり思っていたんですけど。どうしてわかっていて放置していたんでしょうか。

 釈然としない気持ちでチラッと見ると、ウィルはさも可笑しそうにお腹を抱えて笑っています。


「女の子に追いかけられるのが嫌だから呪いを利用していたらしいよ~。性格悪いよなぁ?」

「ずいぶんと身体を張った盾ですね……」


 拒絶反応が出て体調を崩されたり立てなくなってしまうし、酷いときは呼吸もできなかったと聞いていたんですけど。それでも放っておくほど女性を避けたかったんですね。

 世の男性が聞いたら怒ってきますよきっと。


「いつかは解かないと奥様を娶れませんよ」

「そうだよなぁ。手も繋げないんじゃかわいそうだよなぁ」


 ウィルが大袈裟に肩を竦めました。その右手がうごうごとしていて何やら抗議しています。きっと心の中では賑やかなことになっているんでしょうね。


 呪いのこともウィルのことも、いつまでそのままにしてはいけませんよね。

 それこそ聖女さまが目覚めた時には治っていて欲しいはずです。


「旦那さま、聖女さまの具合はいかがでしたか?」

「元気そうだったとよ」

「良かったです。早く目覚めるといいですね」


 その頃にはきっと旦那さまは王都にいて、ポネラにはたまにしか来ないんですよね。とっても寂しいです。この前までの数日間でも寂しくなりましたのに。この先はきっとその何倍も長い時間を寂しく思いながら過ごすんでしょうね。



 ◇



 少し雲が出てきた昼下がり。

 おやつを乗せたワゴンを押して歩く廊下はちょっと暗くなっていて、もう夕方のような雰囲気です。

 妖精祭が近いですので天気が心配になる今日この頃。

 この世界には人工衛星はないのでこれまでの勘で皆さん思いおもいに天気を予想していますが、当日は晴れるそうです。

 てるてる坊主でも作りましょうかしら。


 そんなことを考えながら執務室に入ると、ウィルは気怠げにソファに寝っ転がって本を読んでいました。


「今日はゼリーとシロップジュースですよ」


 このシロップジュースはブランベルという白くて小さなお花から作っていて、甘くて爽やかな香りがするんです。


「おっ、ゼリーじゃん。花も入ってるなんて豪華だな」


 団長さんの言う通り、妖精さんはお花が入ったゼリーが好きなようですね。

 これはもしや、新展開では?


「気に入っていただけましたか?」

「そうだな、及第点だ。じゃ、必要なものがあるから準備しろ」

「えっ?! 旦那さまの身体を返してくれるんじゃないんですか?」


 ガッツポーズをして喜びを噛み締める暇もなく突き落とされてしまった気分です。

 ウィルが気に入るお菓子を作ったら旦那さまの身体を返してもらう代わりに私が森にお邪魔するんじゃなかったんですか?!


「返すとは言っていない。考えてやると言ったんだ」


 確かにそんなニュアンスでしたが、この調子だと返してもらうのが延々と先延ばしされそうです。

 もしかして記憶を渡す以外の交渉は考えてくれていないんでしょうかだなんて考えちゃいます。


 ジト目をお見舞いしてもウィルはどこ吹く風で、微塵も考え直してくれる様子はありません。

 それどころか、しれっとゼリーを食べています。


 彼が口にした"必要なもの"は、ヴィオニフの森を模した敷物とお菓子に紅茶。

 団長さまが言っていたおもてなしに必要なものと一緒です。


「これって妖精さんへのおもてなしに必要なものですよね?」

「おっ? よく知ってるな」

「前にカヴェニャック卿から聞きました」

「あ~、エルヴェぐらいの歳のあのガキか? 俺が言ったことをよく覚えてたな」


 団長さんをガキ呼わばり……。そりゃあ、ウィルよりは年下ですけど。

 ウィルにとっては旦那さまも私も、そしてデボラさんやナタンさんもみんな等しくちびっこに見えるようです。

 それならもっと優しくしてほしいもんですよ。

 それに、目の前でゼリーをパクパクと食べている妖精王さまには年上の貫禄なんて全くないんですけど。


「4日後の妖精祭の夜、祭りの合間に時間をとろう。楽しみにしているぞ」

「ええ、よろしくお願いいたします」

 

 でも、彼は妖精さんたちに慕われている王さまで、おもてなしが上手くいったら旦那さまに身体を返すことになる。そうなるときっとヴィオニフの森に帰ってしまうんでしょうね。


 この賑やかな王さまがお屋敷にいないのは寂しくなりそうです。

 お約束した通り、毎日遊びに行かなきゃいけませんね。

 ウィルも、旦那さまも、それぞれの場所に帰ってしまう日がいつかはやってくるんですよね。


 そのことを考えるとなんだか胸が重苦しくて、溜息を吐いてみましたが治りませんでした。



 ◇



「教えてくださってありがとうございます! できるところまで進めますね」

「私も手伝うからキリのいいところで止めなさいね」


 おもてなしに使う敷物についてデボラさんに相談したところ、レースの端切れのパッチワークなら妖精祭に間に合うだろうとアドバイスをもらいました。

 婦人会の方にも相談してもらったら趣味で作っていたレースを分けてもらえることになったんです。


 今は就業後で、パッチワークの作り方がわからなかった私のためにデボラさんが先生になって教えてくれていたんです。


「はいっ! 承知しました!」

「全く、返事は良いけど本当に聞いているんだか」


 デボラさんは全く信用してくれていないようです。

 確かにこの前はレース編みに夢中になって夜更かししちゃいましたけど、スーレイロル家のメイドとして粗相のないように体調管理もしっかりやっていますよ。

 今日は本当に早めに寝るんですからね!


『社畜ダメぜったい~』

『僕たち見てるよ』


「頼みますよ。この子はきっと言われないと寝ようとしないんですから」


 デボラさんは妖精さんたちにそう言うと、使用人ホールを出ていきました。

 妖精さんたちに見守られながら作業していると、デボラさんが戻ってきました。もう家に帰ったものだと思っていたのでびっくりです。


「気分が晴れないときはこれを飲むといいわ」


 差し出されたのは、今日のおやつ用に一緒に作ったシロップジュース。

 

「……デボラさんは全てお見通しなんですね」

「おもてなしのことを話している時から、元気がなかったんですもの。お2人のことで寂しくなってきたんだってわかったわ」


 さすがはスーパーメイド。勘の鋭さが段違いです。


「おかしいですよね。前まではお2人がいないのが当たり前の日常でしたのに、あの頃はどうしていたのか全く分かりません」

「私もよ」


 デボラさんに促されるままにシロップジュースを飲みました。

 ひと口含むと爽やかな香りが鼻孔をくすぐって胸がすっきりとします。


「デボラさん、ありがとうございます」


 デボラさんの優しさにちょっと泣きそうになったのは秘密です。

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