18.迎花の日

 朝の爽やかな光が差し込む廊下を歩いていると、浮足立った使用人仲間たちが通り過ぎていきます。弾んだ声を聞いていると私もワクワクしてきました。


 今日は迎花の日。

 家族と一緒に春の陽に咲く花々を愛でて、暖かい季節の訪れを楽しむ日です。


 季節の行事が好きなポネラの住民たちは昨日から準備に勤しんでましたよ。

 街の広場には色とりどりの花が飾られていて、妖精さんたちが手伝ってくれて毎年豪華なんですって。デボラさんのお家にお邪魔する時に見てみようかしら。


 今日はデボラさん宅にお食事にお招きしてもらったので、手土産にマドレーヌを焼きました。シェフにこっそり頼んでみたら教えてもらえたんです。


 気に入ってもらえますように。


「おはようございます。今日は旦那さまですね」

「ああ、よろしくね」


 執務室に入ると、彼は窓辺に立っていました。今日は髪を結っているので、旦那さまなのだとすぐにわかりました。

 振り返った旦那さまは朝イチだというのにビッシリと決まっています。同じ身体だというのに、ウィルの時とはやはり雰囲気が違うから不思議です。

 ウィルの時はとぉっても眠そうなんですよね。欠伸を噛み殺そうともしないで大きな口を開けているのでデボラさんから説教をされていました。


「はい。それと、ウィルもおはようございます。ゆっくり休んでくださいね」

「相変わらず律儀だね」


 聞こえているのに話しかけられないのは寂しいですもの。もしかしたらウィルはまだ寝ているから聞いていないかもしれないですけど。


「旦那さまにお出しするなら、おやつのプリンはカラメルソースを苦めにしておきますね」


 ありつけないウィルには聞かせられませんが、今日のおやつはプリンです。


 昨日のうちにデボラさん直伝のプリンを作っていたんですが、旦那さまにお出しするとなると少し甘すぎかもしれません。

 ちなみにプリンはプリンでも、固めプリンです。苦めのカラメルソースに生クリームを合わせたら最高ですねぇ。あの食感が好きなんです。


「朝からもうおやつの話をするなんてユーリィらしい」


 旦那さまがクスクスと笑いました。なんだか楽しそうです。肩を震わせて笑うと、艶やかな黒髪がサラサラと揺れています。

 最近はよく笑いますね。笑うのは身体に良いですし、もっと笑わせた方がいいのかしら。

 そんなことをぼんやり考えていたら、旦那さまから思いもしない言葉が零れてきて私の思考が一瞬固まりました。


「可愛らしいな」


 私ったら、聞き間違いしてしまったのでしょうかと思いました。あまりにも唐突だったので聞き返してしまいました。

 きっと旦那さまから見たら私の目は点になっていたことでしょう。


「か、可愛い……?」

「ああ、楽しそうにおやつの話をしてるのを見ると、毒気を抜かれるよ」

「え? 可愛いって、わ、私のことですか?」

「そうだけど?」


 キョトンって顔してます。


 先ほどの言葉にはきっと深い意味なんて無いんです……よね。犬猫見て思わず口走っちゃったのと一緒なのかと。

 そうなると、旦那さまにとって私は犬猫なんですか。それはそれで複雑なんですが。


 旦那さまは女性が苦手なお方なんで、可愛いとか口にすることがないと思ってたんで意外でした。完全に先入観ですけど。


 あなたがこんなことを言うと心臓に悪いですよ。そのお顔で言うと大罪なんですからね。

 顔が熱いです。



 ◇



 使用人ホールでお昼を食べていると、デボラさんとナタンさんが遅れてやって来ました。手には大きなカゴを持っており、カゴいっぱいに花が入ってます。


「旦那さまからの贈り物です。後でお礼を言いに行ってくださいね」


 旦那さまは毎年、迎花の日に花を配ってくれるそうです。粋ですねぇ。


 迎花の日の楽しみ方は人それぞれなんです。

 家族と花を眺めるのがスタンダードですが、大切な人に花を送る人もいるんですって。旦那さまは私たち使用人を大切に想ってくれているんですね。


 みんなお花をいただくと、髪につけてみたりポケットから覗かせて迎花の日仕様の装いになりました。いつもと違う装いになるとふわふわとした気持ちになっちゃいます。


 ちなみに今日のおやつ時間も迎花の日仕様で、ちょっとした企みがあるんです。

 特別な日だから旦那さまに楽しんで欲しくって、妖精さんたちと打ち合わせをしました。


 上手くいきますように。

 旦那さま、喜んでくれるでしょうか。



 ◇

 


 おやつの準備を終えて、執務室にいる旦那さまに声をかけました。


「旦那さま、今日のおやつはお庭で召し上がりませんか? お花が綺麗ですので、迎花の日らしく眺めてみるのも良いですよ」

「そうさせてもらおう」


 お庭にテーブルセットを用意して座ってもらうと、準備完了です。


 ポンっと音を立てて妖精さんたちが現れて、色とりどりの花びらを降らせてくれました。魔法でそうしてくれるように妖精さんたちにお願いしたんです。一緒に花を見たら旦那さまも迎花の日を楽しめるかなと思って。

 

 もちろん、メレンゲのお菓子を対価にしました。


『エルヴェ〜!』

『プリンおいしい?』

『お腹いっぱいならもらうよ?』

 

 甘い物に目がない彼らは旦那さまにべったりくっついてプリンしか見ていません。これには旦那さまも苦笑してしまいました。


「旦那さまにもポネラの迎花の日を楽しんで頂きたかったんですけど、妖精さんたちに見つめられるとおやつを楽しめないですね」

「以前の約束を覚えていてくれたんだね。お返しに私も花を贈ろう」


 呪文を唱えると、透き通った氷の花が現れました。宙に浮かんでいて幻想的です。

 旦那さまって強いだけじゃなくて、こんな綺麗な魔法が使えるんですね。


「素敵です! 氷の花を眺められるなんて、特別な迎花の日になりました」


 目の前に降りてきた氷の花はきらきらと光っていて本当に綺麗で、思わず手を伸ばして触れると冷たくて指がヒリヒリとしてしまいました。


 手を擦り会わせて冷たさを紛らわせていると、旦那さまがハンカチを貸してくれました。なんてことでしょう。またもや主人に気を遣わせてしまいました。


「ユーリィは相変わらず好奇心旺盛だから怪我をしてしまわないか心配だよ」

「記憶を失う前の私も旦那さまにご迷惑をおかけしてたんですか?」


 主人に心配をかけさせるだなんて、過去の私にお仕置きしないといけませんね。今の私が言えたことではありませんが。


「逆だよ。むしろ助けられていた。今も君には助けられている」

「え、そ、そんなことは……ないです」


 迷子になっているところを主人に探し出してもらったり、主人に守ってもらったり、主人のハンカチを汚してしまったり……。


 むしろ迷惑をかけてばかりだと思うのですが?

 

「ひたむきなのは良いが、どうか無茶はしないと約束してくれ」


 そう仰る旦那さまはどこか悲しそうで、どうやらたいそう心配させるようなことをやらかしてしまっていたんじゃないかと思います。

 優しい旦那さまは咎めないでくださっているだけで。

 

「承知しました。旦那さまは本当に使用人に優しすぎます」


 この人に見つけてもらえて良かった。仕事も生活も与えてもらって、その上こんなにも気にかかてくれる主人なんてきっとそうそういない。

 私はこの先もずっと旦那さまに恩返ししていきたいです。


「今年はユーリィのおかげで迎花の日を堪能できてよかった。他の行事も期待していいか?」


 柔らかく微笑む旦那さまにそんなことを言われると「ぜひ!」としか言えなくなってしまいます。


「張り切るので、お仕事をお休みしてポネラに来てくださいね。旦那さまも無茶してお仕事ばかりしていてはいけませんよ」


 王都に住む旦那さまとはあまり季節の行事を一緒に過ごすことはできませんが、ポネラに帰ってこられる時は楽しめるように精いっぱい準備したいです。それが私なりの恩返しですね。


 私の大切な恩人で主人。

 迎花の日を大切なお方と過ごせて良かったです。

 

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