15.思いがけない乱入者
「では、1週間後までに用意をお願いします」
「はいよー。急な収入源ができて嬉しいねぇ」
宿屋『不死鳥の巣』に泊まっている画家さんたちがジャム瓶に貼るラベルの絵を描いてくれることになりました。今日はラベル用の紙を届けに来たんです。
デザインはこの前、画家さんたちに生産者のキスケさんと主要販売先のケーニヒさんも交えて決めました。
妖精祭の特別感を出すために、妖精さんやヴィオニフの森に咲く花を描いてもらいます。ちなみに、モデルになる妖精さんはオーディションで決めました。みなさん楽しそうに審査員のキスケさんたちにアピールしていて可愛らしかったです。
ウィルが俺を描け、と言っていたんですが、旦那さまの姿をしているので叶わず、しばらく拗ねていたのであやすのが大変でした。
紅茶の茶葉の袋につけるレースは婦人会の人にお願いをしてきました。レースの図案は各々好きに選んでもらうので、仕上がりが楽しみです。
「さてと、帰りましょう」
御者が広場では待っています。お屋敷にもどればウィルのおやつの準備がありますので、急いで帰らねばなりません。
広場は街の中心にあるんですけど、『不死鳥の巣』は外れの方にあるので少し遠いです。画家たちが贔屓にするこの宿は、外れにあるため宿泊費が安いんです。
路地に入って家々の間を通ると、窓辺に咲き誇る鮮やかな花が迎えてくれます。
ポネラの家は窓辺を魅せるようにしているので、どの家も綺麗な花が咲いています。
記憶を失ってから初めてこの街の景色を見たときは、前世でテレビで見ていた外国の街並みにていて感激しました。贅沢なことに、今ではすっかり見慣れた景色です。
今や見慣れたポネルの街。そのはずなんですが……おかしいです。なぜだか何度も、同じ角をずっと曲がっている気がします。
通り過ぎても、また目の前に現れるんです。
歩いても歩いても、広場にたどり着きません。
おかしいです。前に鳥に荷物を取られた時と同じで、まるで誰かが街を迷路にしたように複雑な道になってます。
それに、人の声がしません。
不自然なほどに静かなんです。まるで、私以外は誰もいないようなほど。
狸にばかされたような心地ですが……異世界にそんな狸はいませんし、まさか、魔法でしょうか?
「あなた、エルヴェさまと一緒にいたメイドね?」
立ち尽くしていると、声をかけられました。女性の声で、聞き覚えあります。
コツコツと、曲がり角の向こうから硬い靴を履いた足音が聞こえて来ます。
建物の合間、暗い路地から出て来たのは、ブランシュ嬢です。眉を潜めて、こちらを見ています。レモンイエローの淡いドレスに、真っ赤なヒールを合わせています。とっても鮮やかです。
旦那さまもそうですが、顔立ちが整った方々が睨むと数割増して迫力があります。しかし、なんで怒っているんでしょう?
「使用人のクセに馴々しいのよ。身分を弁えなさい!」
急に表れてまさかのお叱り。まるでドロドロ愛憎劇の台詞のようです。まさか自分が言われる日が来ようとは思ってもみませんでした。
ちょっと感激です。怖いですけど。
「ちゃんと話を聞いていて?」
「は、はい……」
コツコツと、音が近づいて来ます。ブランシュ嬢の姿が近づくほど、緊張感が強まって、冷や汗が出てきました。なんでここにいるんでしょう。確か彼女もまた、普段は王都に住んでいるはずです。
また、旦那さまに会いに来たんでしょうか?
「なんで……エルヴェさまは、あなたなんかと一緒に出かけていたのです?」
「お仕事でしたので……私は使用人ですので、旦那さまのお出かけをお助けするためにご一緒していたのです」
出かけてた、というのは、ウィルと気分転換に行った時のことですよね。確かあの日、お屋敷に帰った際にブランシュ嬢たちにお会いしましたもの。
あの時の旦那さま、本当は中身が別人だったんですけどねぇ。そんなこと言っても信じてくれないですよねきっと。
厄介なことになる前に、お暇した方が良いですね。
「申し訳ございません。お屋敷の仕事がありますので失礼いたします」
「まだ話は終わっていませんわ」
簡単には帰してくれなさそうです。声に苛立ちがこもっています。
どうしましょう。今、不吉なことを思い出してしまいました。
ナタンさんが言ってました。ブランシュ嬢は、旦那さまに想いを寄せる他の令嬢たちを牽制してトラブルが起きることもあると。
牽制、されてる気がします。
私はただのメイドですのに。
「ただのメイドが隣に居座るだなんておこがましいですわ」
むしろただのメイドが災いしたんですね。なんてことでしょう。
居座ってなどいませんのに。アレルゲン物質としての自覚を持って適切な距離で接していますよ。
「私はずっと、エルヴェさまを見てきましたのに。誰よりも長い間、慕っておりますのに、誰よりもあのお方のことを考えていますのに……私を差し置いてあのお方に近づくなんて許せませんわ」
「か、勘違いです。私はメイドとして旦那さまに仕えております。仕事だからお近くにいることもあるますゆえ……!」
「しらじらしいですわ! どうせ誘惑したんでしょう?!」
コツ、と硬い音を立てて、更に近づくヒール。
視線を持ち上げてその持ち主の顔を見れば、緑色の瞳が怒りに燃えています。
「エルヴェさまは誰のものでもありませんの」
握り締められた拳に、一層力が込められて、一筋の赤い線が白魚のような手に浮かびました。
ポタリと地面に落ちたのは、ブランシュ嬢の、血です。
血が落ちたところから赤黒く不気味な澱みが広がっていきます。まるで、その血が地面に染み込んでいくかのようです。
え、なんか、怪しい雰囲気なんですけど。禍々しいんですけど。
「そうでなきゃ、いけませんの」
足元から、黒い手が幾つも伸びてきて、掴まれました。冷たくて、自分たちが出てきたあの澱みの中に引き摺り込もうと引っ張ってきます。
完全にホラーですよこれ。泣かなかった私を褒めてほしいです。お化け屋敷苦手ですのに。
あまりにも唐突過ぎて泣くのも忘れてしまったみたいです。
この真っ黒な手、全く振り払えません。これは、ブランシュ嬢が召喚したんですか?
澱みの中に入ってしまったら、どうなるんでしょう。明らかに危険な香りしかしません。
なんだか走馬灯が流れてきました。
デボラさんの家で過ごした日々、お屋敷で働き始めた時のこと、旦那さまがお屋敷に来られた日のこと、ウィルと出かけた時のこと、そして、課長(45歳/男性)がうさぎのぬいぐるみが付いたモコモコのルームスリッパを履いて通勤しちゃった日のこと――。
あ、あれっ?
前世の記憶も混ざっちゃってました。あれは衝撃的でしたもんね。間違えて娘のスリッパ履いてきちゃったって言ってましたねぇ。それにしてはメンズサイズで大きかったんで、実は可愛いもの好きなんじゃないかって噂が流れました。
意識がそれました。だ、ダメです。集中しなさい、私。
油断して澱みに引きずり込まれてはいけません。
ここで私が消えてしまえば、旦那さまが身体を返してもらえませんもの。
やられるわけにはいかないんです。
じん、と首筋に熱が宿りました。首の後ろ、確か、妖精と契約した証がある所です。もしかしてウィルが気づいてくれたり、しますかね?
その可能性に縋りたくて仕方ありません。
「旦那さま、ウィル、すみません。お約束を放棄してしまうところでした」
記憶を渡すのも、お菓子を作って毎日会いにいくのも、一緒に季節を祝うのも、守れていません。
「だ、誰か! 助けてください! 誰か……!」
「叫んだって無駄です。この空間は隔絶したんですもの。外には聞こえませんわ」
なんと複雑で難しそうな魔法。聞いてるだけで頭がパンクしそうです。
普段見ている魔法は物を浮かせたり、灯りをつけたりといたってシンプルですのに。
旦那さまやウィルならこんな魔法、難なく突破できるかもしれませんが、無魔力は太刀打ちできません。
どうしましょう。奮い立ってみたのに万事休すです。
がっくりと肩を落としたその時、遠くから妖精さんたちの声が聞こえてきました。
『やっほ~』
『ユーリィ生きてる? 息ある~?』
『エルヴェをお届けするから待っててぇ』
気が抜けるような調子の声たち。見渡してみても姿はありません。それに、ブランシュ嬢には聞こえていないようです。
旦那さまをお届けって、どういうことでしょう?
不思議に思っていると、目の前に突然、眩い光が現れました。
辺り一面が白い世界に包まれて、旦那さまが私を呼ぶ声が聞こえました。
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