第74話 浮気心

 亜紀の功績は、大きかった。人間側には大きな希望を与え、魔族側には大きな絶望を与えたからだ。「あの人間は一体、何者なのだろう?」と、そう内心で思わせたからである。彼等は一部の連中を除いて、彼女の力に叫んでしまった。彼女の力は多分、自分達の未来を揺るがす。それが善い物であれ、悪い物であれ、自分達の存在を脅かす物には違いなかった。


 ここでもし、彼女を仕留められたら? あるいは、自分の側に彼女を付けられたら? これからの戦いも、やりやすくなる。自分達の野望や目的を果たすためには、彼女のような存在はどうしても必要不可欠だった。彼等はそれぞれの立場に応じて、自分達の側に彼女を引き込もうとするか、今ここで彼女の事を殺そうとした。


 だが、それに応じる彼女ではない。彼女は(表面上では)人間の側にこそ付いているが、その目的はあくまで奪還、「自分の愛する人」を連れ戻す事だったからだ。それが果たされさえすれば、それ以外の目的はほとんど無意味、世界の救済もあくまで「それ」についでしかない。彼女自身は「それ」に気付いていなくても……善意の裏に隠された本音は、その事実を如実に表していた。


 深澤栄介の奪還を妨げる者は、どんな相手でも許さない。

 あるいは、その相手から逃げ切ってやる。

 

 亜紀は自分の仲間達に目をやって、その少年達に「うん」と頷いた。それが少年達の合図、「ここから出よう」と言う合図だったからである。亜紀はナウルの指示もあって、周りの冒険者達にも余計な事を言わず、要塞の中から出て行く時も、その頭目に必要な事しか言わなかった。それが頭目の不満を煽ったが、亜紀達があくまで軍団の協力者でしかなかった事と、要塞の残党狩りを始めとする雑務等が残っていた事もあって、彼等の事を必要以上に引き留めようとはしなかった。


 亜紀は今回の報酬を受け取ると、冒険者達の間をゆっくりと抜けて、彼等の前からすぐに走り出した。冒険者達は、彼女の背中を見送った。彼等の死角に隠れていた魔族達も、その背中をじっと眺めている。彼等は亜紀も含めた騎士団達の背中が見えなくなるまで、その背中をじっと眺め続けた。


「全く、本当にとんでもない相手だよ」と呟いたのは、仲間と共に要塞の中から逃げ出したノンリである。「あの人をまさか、それも一撃で倒してしまうなんて。正直、今も驚いている。彼女は本当に危険な、今の魔族を脅かす存在だ」


 ノンリは「ニコッ」と笑って、仲間達の顔を見渡した。仲間達の顔は、今の言葉に怯えている。


「コイツは、使える」


「なに?」と驚いたのは、彼の顔を窺っていたガダラである。「使える? あの女が?」

 

 ガダラは半信半疑、それもかなり不快な顔で、相手の顔を見返した。相手の顔はやはり笑っているが、それがとても不気味である。あの女がとんでもない力を持つ事は分かるが、だからってそれに頼ろうとするのは正直、彼としては不安でしかなかった。「たった一撃で要塞の大将を倒せる」と言う事は、自分達もそれと同じ運命を辿るかも知れない。


 今はこうして要塞の中から出ようとしているが、あの女とまたどこかで会うかも知れなかった。あの女とまた、どこかで会ったら? その時はたぶん、自分も含めて助からないだろう。あの女には彼女も含めて、その仲間達すら居るのだ。一人でも敵わない相手があんなにも居たのでは、魔族の幹部だって返り討ちに遭ってしまう。そう考えるとやはり、親友の言葉には「うん」と頷けなかった。ガダラは不機嫌な顔で、自分の足下に目を落とした。


「止めろ」


「どうして?」


「あの女は、危険過ぎる。俺達には、手に余る存在だ。俺達から下手に近付けば、その取り巻き達にぶっ倒されるだろう。アイツはどうやら、一人じゃないらしいからな。 あの女を何とか使えたとして、その取り巻き達が『それ』を絶対に許さない。文字通りの細切れにされる。特に『アイツの従者』と思われる奴、そいつはあの女以上に危険だ」


「なぜ?」


「『なぜ?』って? お前もさっき、見ていただろう? そいつは女の魔法を見ても、全く驚かなかった。まるでそう、最初から女の力を知っていたかのように。あの女が『頭目の位置』になるのなら、その周りからも多少なりとは驚かれる筈だ。それなのに?」


「なるほど。そう考えるとまあ、君の言いたい事も分かる。彼女はなるほど、あの中でも何か特別な地位にあるようだ。それこそ、自分の仲間達から呆れられる程にね? 俺達の知らない何かを持っている。普通の常識が吹き飛ぶような、何かを」


 ガダラは、その言葉に押し黙った。それが意味する所をすぐに察したからだ。あの少女が普通ではないのなら、それに応じた備えも必要だし、備え以上に調査も必要だったからである。相手の正体も分からないままに戦えば、こちらが負ける事など目に見えている。普段は(「どちらか」と言うと)肉弾戦を好む彼ではあったが、この時ばかりは知略派に移っていた。彼女と真面に戦えばきっと、こちらも只では済まない。ガダラは親友の隣を歩きながらも、不安な顔で相手の横顔を眺め続けた。


「調べよう」


「何を?」


「『何を』って、そりゃあ! あの子の事に決まっているじゃねぇか? 彼女の周りに居る取り巻き達も。取り巻きの一部は確か、『特殊騎士団』とか言う奴等だったが。アイツ等も、人間の中では強い。そこら辺の雑魚なら、あっと言う間にやられてしまう」


「確かに。その意味では、彼等も要注意だ。でも」


「でも?」と応えたのは、彼の後ろを歩いていたユウナである。「彼女以外に?」


 ユウナは彼の思考を推し量ろうとしたが、その表情からは何も読み取れなかった。彼の表情は一定に変わらず、その不可思議な笑みを浮かべている。


「それ以上に厄介なのはやっぱり、いや」


「え?」


「それはちょっと、違うかもね。彼女も、確かに厄介だ。厄介だが、それがすべての元凶ではない……気がする」


「どう言う事?」


 ノンリは、その言葉に押し黙った。それが「キッカケ」となって、頭の情報を整えているらしい。そのギラリとした目からも、彼の思考がしっかりと感じられた。ノンリは自分の頬を描いて、仲間達の顔を一人一人見渡した。


「これは、只の推測だけどね? すべての元凶はたぶん、あの少年だ。彼女と同い年くらいに見える、あの不可思議な少年。彼女の功績を称えていた人物。彼はきっと、彼女にとって重要な人物だ」


「重要な、人物?」


「そう、重要な人物。彼女の力に大きく関わる、最重要人物。彼は彼女に何らかの力を与えて、その目標だか夢を支えている。そう証す根拠は、何も無いけどね? 僕が感じた限り、『それが真実に近い』と思う」


 ユウナは、その言葉に押し黙った。いや、「考え込んだ」と言った方が正しいかも知れない。彼の推測はあくまで予想だが、それに言い様のない真実味を覚えてしまった。彼女はきっと、彼女の言うように普通ではない。普通の領域を超えた、特殊な何かだ。自分の仲間と話す時も(彼女自身は相手に心を開いているだろうが)、己が属する世界とは違う、本当に異世界の人間と話しているような雰囲気だった。


 自分とは生まれも育ちも違う人々、そんな人々と接するような雰囲気。文字通りの異国情緒。それが、彼女から感じられたのである。ユウナは自分の想像に震え上がったが、頭目の少年に「大丈夫」と宥められてしまった。「え?」


 ノンリは、目の前の少女に微笑んだ。まるでそう、彼女の心を宥めるように。


「そう怖がる必要はないよ。彼女の正体がどうであれ、その説得を試みれば良いんだし。ボク達が怯える理由は、何もない。それどころか、寧ろ」


「む、寧ろ?」


「これは、好都合だ。僕達の目的を果たす意味でも。彼女は、色々な意味で」


「使えるかも、知れない。でも、本当に大丈夫かな? 彼女、魔族の事はあまり」


「所じゃない。恐らくは、かなり嫌っている。あの態度を見る限りは、どう見ても嫌っているよ。人間の命を脅かす存在、その最たる魔族達を」


「なら!」


「それでも良い。いや、『そうでない』といけない。彼女は、魔族への偏見を持って貰わなきゃいけないんだ。魔族は皆、『悪い奴だ』ってね。そう言う偏見を持って貰わなければならない。偏見は人間の視野を狭くし、それと同時に操りやすくする。彼女には頃合いを見て、俺達の目的を話す積もりだ。人間と魔族、その調和に先立つ考えを。彼女はきっと、その考えに乗ってくれる筈だ」


 ユウナは、その考えに俯いた。その考えに頷けない訳ではないが、どうも甘いような気がする。人間と魔族の調和、その橋渡しに使うなんて。どう考えても、不可能にしか思えなかった。あの子にましてや、「それ」を任そうだなんて。彼に信頼を寄せている彼女ではあったが、この考えにはどうしても「うん」と応えられなかった。彼女は不安とも恐怖とも言えない気持ちで、彼の後ろをずっと歩き続けた。


「ねぇ、ノンリ」


「うん?」


「あの子がもし、貴方の考えに乗ってくれなかったら?」


 ノンリは、その言葉に押し黙った。言葉の返事を考える、それも確かにあったのかも知れないが。彼にはそれ以上の事、それですら超える企みがあったようだった。彼は何やら不敵な笑みを浮かべると、自分の正面にまた向き直った。


「それはもちろん、言わずもがなだよ。邪魔者は、殺す。あるいは、消えて貰う。彼女は確かに強いようだが、冒険者としてはまだまだ甘い。文字通りの未熟さが感じられる。周りの連中が、それを補っているようだが。それにも何やら不自然さがある。あのパーティーはきっと、それが作られてから日も浅い。恐らくは、急拵えのパーティーだろう。普通のそれには含まれない、特殊騎士団も入っていたし。これには、国の力が関わっている。それも、同胞の人間達にも言えないような力が。そう考えると」


「考えると?」


「こう言う考えに行き着く。彼女はたぶん、国の御上と関わりがある。それも、只の関わりじゃない。恐らくは、裏の契約が為されている。契約の内容は、流石に分からないけどね。だけど、ある程度の予想は付く。彼女にも何かしらの利益、相手にも相応の対価がある、そんな感じの契約が。そうでなければ、彼女も国の御上に力を貸さないだろう。彼女が国の人間と何も関わりない人間であれば」


 ユウナはまた、彼の言葉に押し黙った。本当は何か言いたかったが、それを表す言葉が見つからなかったのである。ユウナは「否定」の言葉を捨てて、彼の考えにただ「分かった」と頷いた。「ノンリの考えに従う」


 ノンリは、その言葉に微笑んだ。その言葉がどうやら、相当に嬉しかったらしい。


「有り難う」


「それで?」と割り込んだのは、彼の隣を歩いていたガダラである。「これからどうするんだ? あの子に協力を仰ぐとしても、今は流石に無理だろう?」


 ガダラは少年と少女の両方を考えながらも、不安な顔で親友の横顔を見詰めた。親友の顔はやはり、その不敵な笑みを浮かべている。


「うん。今は、無理だ。無理だから、その戦力を上げる。アイツの話では、フィルドやスキャラ達も居るようだし。戦力としても、申し分ない。噂では、スライムさんも生きているようだかね。彼女の力があれば、俺達の戦力も一気に膨れ上がるだろう」


「そ、そうか。俺としてはあまり、アイツの事は入れたくないけど。今は、選り好みもしていられない。俺達はきっと、魔族の中でも少数派だからな。敵からも味方からも狙われる」


「そう言う事。だから、迷わずに突き進もう。僕達は、この世界に新しい秩序を作るんだ」


 ガダラは、その言葉に眉を寄せた。その言葉は、確かに素晴らしい。素晴らしいがやはり、何処か恐ろしかった。人間と魔族が新しい秩序を作るなんて。それを受け入れたくとも、すぐには受け入れられなかったのである。「そんな事が果たして、出来るのだろうか?」と、そんな不安すらも抱いてしまった。ダガラは憂鬱な顔で、自分の正面に向き直った。


「そいつが救いになれば、良いんだけどな?」


「きっと良くなる!」と言ったのは、その声に気付かなかった亜紀である。「私には分からないけど、たぶん」


 亜紀は真っ直ぐな顔で、仲間達の顔を見渡した。仲間達の顔も皆、彼女と同じような表情を浮かべている。「魔族の要塞も一つ、こうして落ちた事だし」


 ヘウスは、その言葉に頷いた。その言葉に安心感を覚えたからである。ヘウスは穏やかな顔で、彼女の肩に手を置いた。彼女の肩は僅かに震えているが、それも興奮から来た武者震いのように思える。現に彼女も、ホッとしたような感じだった。ヘウスは彼女の肩から手を退けて、周りの騎士団達に視線を移した。騎士団達は生き残った冒険者達に自分の周りを囲まれて、そこから身動きが取れなくなっている。


「魔王の脅威が一つ、減った。だが」


「うん。本当の目標にはまだ、達していない。ふうちゃんは今も、自分の旅を続けている筈だから。自分の旅が終わるまで、ふうちゃんの欲望も満たされない」


「ああ、そうだ。深澤栄介は、俺の同胞と契りを交わした悪魔。世界の理から外れた者。深澤栄介は、すべての存在を超えた超越者だ」


 亜紀は、その言葉に暗くなった。特に「超越者」の部分には、その響きに思わず震えてしまった。彼はあらゆる規範を超えて、己が欲望を満たす悪魔なのである。亜紀は「それ」に震える余り、自分の力をすっかり忘れてしまった。


「大丈夫かな?」


「うん?」


「私、本当にふうちゃんの事を」


「助けられるさ」


「え?」


「深澤栄介の事を。お前は自分の夢を追って、この世界に飛んで来たんだ。自分の後ろにあった世界を捨てて。お前は、自分が思っている以上に強い人間だ」


 亜紀は、その言葉に胸を打たれた。彼の言葉はいつも、自分を勇気付けてくれる。自分が自分の道に迷って、そこを彷徨っている時も。彼は、その目の前に明かりを灯してくれるのだ。彼女が決して、迷わないように。彼は無愛想の中に愛情を、冷静の中に人情を持った少年なのである。亜紀は「それ」が嬉しくて、つい赤くなってしまった。


「う、うううっ」


「どうした?」


「あ、いや、何でも! ただ」


 ヘウスは、その言葉に目を細めた。その言葉にどうやら、何かを感じたらしい。彼は悲しげな顔で、亜紀の目を見詰めた。亜紀の目は、その視線に驚いている。


「止めて置け。お前が一途なのは分かるが、それが揺らぐのはいけない。ナウルにも時折、うっとりしているようだが。浮気心は、その身を滅ぼす」


「そ、そんな事は、ないよ! 私」


「そんなに軽い女ではない。それは、良く分かっているが。それでも人間の心は、移ろい易いい物だ。一人の人間を想い続けるのは、難しい。それが例え、『自分のすべてを賭けた相手であった』としても。その気持ちが変わってしまう事もあるんだ」


「ふうちゃんにも、それがあったりするのかな?」


 ヘウスは「それ」に押し黙ったが、やがて「いや」と話し始めた。まるでそう、「そいつだけは例外」と言わんばかりに。


「それは、ないだろう。深澤栄介は邪神の俺からしても、かなり特殊な人間だ。精神の揺らぎが、殆ど感じられない。自分の欲望を常に追い掛けている。俺の同胞にゾッコンなのは変わらないが、それでも」


「そっか。それじゃ!」


「私、絶対に諦めない。ふうちゃんが例え、私の事が嫌いでも。私は、彼を絶対に取り戻すんだ!」


 亜紀は、自分の邪神に「ニコッ」と笑った。それが「自分の意思」と言わんばかりに。

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