第73話 少女の怒り

 それは何処までも高い、そして、何処までも強い壁だった。今までの奴等とは等級が違う、本当に異次元の化け物。そんな相手と相対すれば、それに怯むのも当然だった。ごく一部の例外を除いて、その殆どが相手に「う、うううっ」と怖じ気付いてしまう。人間の持つ本能は、人間が思う以上に敏感なのだ。相手の強さを推し量り、そこから正しい恐怖を覚える能力。それがあるからこそ、相手の前に立ち止まり、あるいは、後退りして、「自分の身を守ろう」とするのである。


 侵攻軍(冒険者側の総称。「要塞落とし」に加わる冒険者達は総じて、「侵攻軍」と呼ばれるようになっていた)の幹部達もまた、その空気に当てられていた。「自分の立場上、そこから逃げられない」とは言え、彼等にも人間の本能が備わっている。「コイツは、危険だ。今すぐに逃げなくては」と言う本能が、彼等にもしっかりと備わっていた。


 でも、それでも、そこから逃げる訳には行かない。「アムア」の功績に当てられて、「自分達も『それ』に続かねば」と思った以上、目の前の敵から逃げる訳には行かなかった。ここは自分の命に代えても、目の前の敵に挑まなければならない。彼等は「指揮組」と「戦闘組」に分かれると、「指揮組」は軍団(※ここでは、幹部以外の冒険者を指す)に後退の指示、戦闘組は軍団の先頭に立って、大将との戦いに挑み始めた。「喰らえ!」

 

 大将は、その言葉に怯まなかった。「怯む要素がない」と思ったからである、自分にはまだ、その幹部達が付いているし。その幹部達もまた、冒険者の軍団を苦しめていたからだ。相手の指揮を挫くように、その戦力をしっかりと削っていたからである。相手の戦力も削られている以上、こちらも別に慌てる必要はない。大将は自分の剣を握って、目の前の敵を睨み付けた。


「巫山戯るな、勝手に入って来た余所者」


「五月蠅い!」


「なに?」


「余所者は、お前達だ。人間の世界に攻め込んで、それをこんな風に!」


 大将は、その言葉に溜め息を付いた。それが言わんとする意味をすぐに察したからである。大将は呆れ顔で、侵入者達の顔を見渡した。


「それの何が悪い?」


「何だと?」


「無能な害虫を殺して、何が悪い? お前達は、自然の長か? それが統べる者、森羅万象の理を統べる神か? 我々よりもずっと、弱い存在である癖に?」


 冒険者達は、その言葉に押し黙った。その言葉が正論だったからではない。その言葉を通して、自身が罵られたからでもない。彼等は自分達が魔族と戦う大義名分、それが「傷付けられた」と言う感覚に苛立ってしまったのだ。特に「自然の長」や「それを統べる者」と言う武運には、かなりの怒りを覚えてしまったのである。冒険者達は自身の躊躇いを捨てて、目の前の敵をまた睨み付けた。敵はもちろん、それにまったく怯んでいない。


「俺達は、長ではない。自然のそれを統べる神でも。俺達はただ、俺達らしく生きたい。ただ、人間らしく生きたいだけなんだ。それを!」


「『我々が潰している?』と?」


「それ以外に何がある?」


「ならば訊くが、『人間らしい』とは何だ?」


 その答えは、無言。あるいは、文字通りの戸惑いしかなかった。


「先程からずっと聞いていると。お前達の行動原理は、正しくそれにある。人間らしく生きたい。人間らしく、まあいい。兎に角、何でもかんでも人間らしく。それが一体、どう言うモノなのかも考えずに。ただ、自身の幸福と自由とだけを考えている」


「それの一体、何が悪い?」


 大将はまた、相手の言葉に溜め息を付いた。その言葉に心底呆れるような顔で。


「それは、お前達の尺度だろう? お前達が自由や幸福を欲するように、我々もまた快楽や欲望を欲しているのだ。それが我々の自由であり、幸福だからね。相容れぬ者同士がぶつかるのは、当然の事だろう? 問題は、どちらの意見が通るかだ」


 冒険者達は、その言葉に苛立った。その言葉が意味する所は一つ、「自分とお前達は決して、分り合えない」と言う事だけ。どちらかが死に、どちらかが生きるまで戦う、文字通りの「雌雄を決する」しかなかった。それが善だろうと、悪だろうと、生き残った方がすべて正しい。生き残った方の意見だけが、唯一無二の正義になるのである。


 そこから外れた正義は、どんなに正しくても正義ではない。冒険者達は自身の正義、誠実、情熱を込めて、目の前の敵に次々と挑んで行った。だが、そこはやはり大将。「いくら幹部クラス」とは言え、一筋縄ではいかなかった。大将の身体に向かって撃たれた様々な攻撃は、その威力こそ違ったが、大将の豪腕に悉く潰されてしまったのである。冒険者達はその無力さにうなだれて、大将の前から少し引っ込んだ。


「なんて奴だ、本当に!」


「ふん、この程度の攻撃とは。要塞落としが、聞いて呆れる。お前達は、戦いを舐めているのか?」


 冒険者達は、その言葉にカッとなった。どんなに冷静な冒険者でも、その言葉だけは決して許せない。怪物に舐めて掛かった事など、一度たりともなかったからだ。それ故にどうしても許せない。大将の一言も、そして、その嘲笑も。すべてがすべて、彼等の癇に触ってしまったのである。冒険者達は自身の闘争心を呼び返して、目の前の敵にまだ挑み始めた。


「喰らえ!」


 強い黒魔法。


「死ね!」


 激しい殴打。


「くたばれ!」


 鋭い剣撃。


「おらぁああ!」


 それらの合わせ技。それが連続で繰り出されれば、流石の大将も堪ったモノでは筈だ。だがそれは、あくまで冒険者達の想像。彼等が今見ている光景から推し量った、ただの推理でしかない。推理は正確なそれでなければ、反対の真実に飛んでしまうのだ。彼等の推理は言わずもがな、その反対側だったのである。大将は彼等の攻撃に怯む所か、それらを見事に弾いて、彼等に反撃を加え始めた。


「鈍い」


 そう、本当に鈍過ぎる。冒険者達も決して弱くはなかったが、それでも鈍い事には変わらなかった。次々と弾かれる、冒険者達の攻撃。大将は接近戦の敵には剣を、遠距離の相手には魔法を使って、相手の攻撃を見事に撥ね除け続けた。「はあ、詰まらん」


 冒険者達は、その言葉に苛立った。それが相手の挑発である事はもちろん、自分達への挑発でもあったからである。「お前達は、本当に弱い」と、そう暗に発しているからだった。そんな言葉を受ければもちろん、彼等の士気も高まってしまう。今までは弱腰だった冒険者も、地面の剣を拾い直して、目の前の大将にまた挑み始めた。彼等は波状攻撃、一、二、三の調子で、攻めては引き、引いては攻めを繰り出し始めた。


「どうだ、これなら?」


 流石のお前でも、無理だろう? お前の部下も冒険者達と戦っているが、そのどれもが中途半端で(やる気がどうも、ないらしい)、その支援に回っている連中は殆ど居ない。お前に精々、「こちらは、お任せ下さい」と叫んでいるだけだ。言葉だけの支援なら、何も怖くない。冒険者達は自分達の優位性を感じて、「自分達が不利である状況」にも「不利」と感じなかった。「不利」と思うのは、あくまでも見掛け。「冒険者のそれぞれが抱いた、ただの想像である」と、そう内心で思っていたのである。


 だから、実際の不利にも怯まなかった。怯む必要もなかったし、それに怯える必要もなかった。敵の要塞に入り込めた時点で、自分達はほぼ勝ったと同然だからである。冒険者達はそれぞれの得意分野、剣士や槍使いなら接近戦、魔術師や弓使いなら遠距離を活かして、目の前の大将をじわりじわりと追い詰めて行った。


「ええい、しぶとい!」


 大将は、その言葉を嘲笑った。その言葉が示す通り、本当にしぶとかったからである。冒険者側がどんなに仕掛けて来ようが、それをあっさりと返り討ちにしてしまう。あるいは多少の苦戦を強いられても、相手の僅かな隙を突いて、それをすぐに払い除けてしてしまった。大将は自分の力に酔い痴れつつも、勝ち誇ったかのような顔で冒険者達の攻撃を防ぎ続けたが……流石の彼も不振に思ったのだろう。 自分は普通に戦っているのに、その部下達はあまり乗り気でないように見られる。挙げ句は、その攻撃自体を怠っているようにさえ見えた。


 。自分が相手の攻撃にやられない程度、自軍の味方から「自分は、戦っている」と思われる程度にだけ戦っている。それが一体、何を意味するのかは分からないが。それでも大将には、「彼等がそんな風に戦っている」としか思えなかった。これはある種の謀反、あるいは、反乱の兆しかも知れない。それを裏付ける証拠は何も無かったが、彼等がやる気もなしに戦う様からは、その気配がしっかりと感じられた。大将は「それ」に苛立って、自軍の幹部達に怒鳴った。


「貴様等、ふざけているのか? この神聖なる」


「戦いにふざけている訳がないでしょう?」と応えたのは、相手の剣を払ったノンリである。「これは、由々しき事態なんですから? 相手の攻撃にただ、苦しめられているだけです」


 ノンリは冷静な顔で、大将の顔を見返した。「それに何か文句でもあるのか?」と言わんばかりに。「貴方の方こそ、早く蹴散らして下さい。それ程の力があるのなら、こんな奴等など造作もない筈です」


 大将は、その言葉に苛立った。苛立ったが、それに「言い返そう」としはしなかった。確かにこんな奴等、本気を出すまでもない。「殺せ」と言われれば、今すぐでも殺せる。今まではただ、彼の言う通り遊んでいるだけだった。


「そう、だな。確かに。遊びの時間はもう、終わりだ」


 大将は「ニヤリ」と笑って、自分の右手に魔力を溜めた。魔力の量はどう見ても多い、目の前の侵入者達を倒すには充分な量である。彼は目の前の侵入者達に向かって、右手の魔力弾を投げた。「食らえ」


 冒険者達は、その言葉に驚いた。特に「食らえ」の部分、そこから繋がる魔力弾の威力には、その陣形が崩れる程の衝撃を受けてしまった。「魔族の要塞を任された者は、こんなにも強いのか?」と言う風に。それに自分の身体を吹き飛ばされる中、そう内心で思ってしまったのである。彼等は自身の身体に深手で負いながらも、苦しげな顔で地面の上から何とか立ち上がった。


「こ、このぉ!」


 それに続く声もまた、苦しみに満ちていた。


「化け物が!」


 冒険者達は怪我人に自分の肩を貸したり、自分がそれを庇ったりして、今の陣形を何とか保ち続けた。だがそれも、やはり限界なのだろう。精神力の強い者は別だが、弱い者は要塞の中から逃げ出そうとしたし、逃げ出せない者はその場で泣き出してしまった。それを見ていた亜紀達もまた、その光景に胸を痛めている。彼等は亜紀の「止めて!」も聞かないで、自身の勇気を必死に振るい続けた。


「人間の力を舐めるじゃねぇ!」


 亜紀は、その声を無視した。その言葉に甘えていれば、この場に居る全員が死んでいる。様々な人生と様々な夢を持った人間達が、その命を散らせてしまうのだ。一度散った命は、どう頑張っても戻らない。それがたとえ、この世界では「普通だ」としても。現在社会の亜紀にはやはり、その現実がどうしても受け入れられなかった。亜紀は仲間達の制止を振り切って、大将の前に走り寄った。「こんな事をしても、皆の悲しみが増えるだけよ!」


 大将は、その言葉に驚いた。それだけではなく、彼女の登場にも驚いた。彼は今まで眼中にもなかった敵、その存在すら知らなかった敵に恐怖と困惑、そして、言い様のない不安を覚えてしまった。「なんだ、お前は?」

 

 亜紀は、その質問に答えなかった。それに答えた所で、今の状況が変わる訳ではない。多くの冒険者が殺され、その命も失われた状況が。亜紀は目の前の大将に杖を向けて、その目をじっと睨み付けた。


「許さない」


「なに?」


「貴方のような人、絶対に許さない!」


「こんなにたくさんの人を殺して! 貴方には、人の心が無いの?」


 それが愚問である事は、言うまでもないだろう。大将は、人間ではない。人間ではない以上、それと同じ感情を持っている訳がない。彼の持っている感情は、人間のそれと似通った模造品に過ぎないのである。彼は目の前の少女を笑って、その顔に刃を向けた。


「そんな物は、必要ない」


「なっ!」


「そもそも、意味がないからな? 人間と同じ感情を持った所で、それが戦いに活かされる訳でもない。俺が自分の精神に求める事は、その強靱たる力だけだ。それさえあれば、どんな敵とも戦える。お前達が考える平和、倫理、秩序は、お前達にとって都合の良い感情だ」


 大将は「ニヤリ」と笑って、自分の剣を振り上げた。「人間との会話が不毛である」と改めて分かった以上、「それを続ける意味もない」と思ったらしい。彼は周りの空気すらも引き裂く勢いで、目の前の少女に剣を振り下ろした。


 だがそれも、亜紀にはまったくの無意味である。邪神の加護を受けている彼女には、それが当たる瞬間に目を瞑ろうと、戦いの前に仕掛けて置いた結界が働いてしまうからだ。それが彼女の身体を守っている以上、大将の攻撃が彼女に通る事はない。結界は相手の剣を弾いて、その相手もついでに怯ませてしまった。


「なっ!」


 大将は、目の前の少女に怯えた。彼も彼で様々な戦闘経験があったが、こんな事は本当に初めてだったからだ。自分の攻撃が弾かれるなんて、そんな事は今までに一度もない。魔王軍の中では、自分は文字通りの最高級なのだ。友軍との戦闘訓練で相打ちはあっても、それがすっかり防がれるなんて全く無かった事なのである。それ故に恐怖、それも言い知れぬ恐怖を感じてしまった。


 目の前の少女とは多分、戦ってはいけない。仮に「戦った」としても、必要以上に挑んではいけない。彼女は自分が思っている以上に強く、そして、自分が思っている以上に恐ろしいのだ。そんな相手とずっと戦い続ければ、たとえ自分でも命はない。そう考えた所までは良かったが、その努力もどうやら徒労に終わってしまった。相手の攻撃は、彼の努力よりも遙かに速かったからである。大将は亜紀の魔法にやられて、要塞の内壁に叩き付けられてしまった。


「ぐわっ、はっ!」


 本当に痛そうな声。それと重なる、苦しげな表情。大将はフラつく身体を何とか立たせたが、彼が自分の体勢を戻した時にはもう、亜紀の放った魔法に包まれていた。


「ギィヤアアア! 嫌だ、死にたくない!」


 亜紀は、その言葉を無視した。それ自体は彼女の耳にも入っていたが、それを受け入れる事はどうしても出来なかったからである。彼は(たぶん)今まで、多くの命を奪って来た。多くの命を奪って、それを「自身の名誉」と思っていた。犠牲の上にある、名誉に。血塗られた、禍々しい名誉に。


 彼は命の尊さ、そして、その儚さも感じる事なく、こうして多くの命を奪って来たのだ。それこそ、「無慈悲」と言わんばかりに。あらゆる命を葬って来たのである。亜紀は「そんな奴に情けなど無用」と思って、大将の身体にまた魔法を放った。


「許さない」


 許さない、許さない、許さない!


「貴方のような人は、絶対に許さない!」


 亜紀は、要塞の大将に止めを刺した。それも、超特大級の魔法で。彼女は「大将の身体」と言う身体、「武器」と言う「武器」をすべて焼き払ってしまった。「はあ、はあ、はあ」


 大将の部下達は、その声に目を細めた。その声に苛立ったからではない。彼等の頭目たる少年が、その仲間達に目配せしたからでもない。彼等は純粋な恐怖と静な判断と混ぜて、要塞の中から一目散に逃げ出した。「成る程ね。アレは、中々にだ」


 亜紀は、その言葉を聞き取れなかった。彼等がそう発した瞬間、周りの冒険者達に囲まれていたからである。彼女は女の冒険者には身体を抱きしめられ、男の冒険者には握手を求められ、自分のパーティーメンバーには呆れられ、守り手の邪神には頭を撫でられた。


「亜紀」


「は、はい!」


「計画とはずれたが、まあ良い。良くやった」


 亜紀はその言葉に驚いたが、やがて「ニコッ」と笑いだした。どこか照れ臭いような、でも嬉しそうな顔で。


「有り難う」

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