第72話 亜紀の要塞落とし

 その移動に意味がある事は分かっていたが、それでも亜紀には躊躇いがあった。自分が最強の魔術師であるならば、何も普通の冒険者達に交わる事もない。特殊騎士達の指示に従って、自身の正体を隠す事もない。自分が戦場の最前線に出れば、それだけで多くの命が救われる。「悪魔に自分の活躍を知られない為」とは言え、この考えはどうしても愚策のようにしか思えなかった。たった一人で相手の要塞を落とせるのならば、こんな回りくどい作戦を取る必要もない。唯々、特攻を噛ますだけで良い筈である。

 

 亜紀は不満げな顔で、風使いの騎士を見つめた。騎士の顔はやはり、その表情を保っている。


「やっぱりその、『考え直した方が良い』と思います。私が二人で戦えば、この人達も」


 そう彼女が見渡した周りには、この要塞落としに加わる同士達が居た。彼等は亜紀の正体など知らず、その人懐っこさを見せて、彼女の事を「仲間の一人だ」と考えていた。「死ななくて済む。私に最強の力があるんだったら、それを良いように使うべきです!」


 ナウルは、その言葉に溜め息をついた。その言葉が意味する事は分かるが、そんな感情論に付き合う気はない。彼が亜紀の顔を睨んだのは、それを表す意思表示だった。ナウルは馬の身体を撫でて、亜紀の顔に視線を戻した。


「倫理的には、確かにそうかも知れない。だが俺達は、あくまで隠密部隊だ。今の事態を知っている、数少ない当事者なんだ。隠密部隊の俺達が、周りにその存在を知られてはならない」


「僕達がたとえ、『国の特殊騎士団だ』と気付かれても」と言ったのは、ナイルの言葉に続いたスールである。「その目的自体を知られてはいけない。僕達はあくまで、国の仕事で動いている冒険者達。周りにそう思わせなければ、あらぬ疑いを持たれる事もある」


 スールはナウル程に冷たくはないが、その口調はやはり何処か冷たかった。それを聞いていた亜紀が、思わず黙ってしまう程に。彼は温厚と冷淡の中間に立って、亜紀の目をじっと見返した。「冒険の敵は、少ない方が良い」


 亜紀は、その言葉に顔を歪めた。その言葉は、きっと正しい。正しいが、それに「うん」とは頷けない。「自分の力を使えば助かる、その犠牲も抑えられるだろう」と分かっている一方で、それに力を使えないのは、彼女としてもやはり気持ちよくなかった。


 どうせ戦うのならば、この力を行かした方が良い。自分は最強の、彼以外は負ける事のない魔術師なのだから。彼女は不満げな顔で、騎士達の顔を見渡した。騎士達の顔は皆、スールと同じような表情を浮かべている。


「皆の考えは、分かります。私一人の考えで、周りのみんなに迷惑を掛けられないから。私としては嫌でも、それが皆の正義なんでしょう」


「ヨリナガさん……」と呟いたのは、彼女の近くに立っていたヘウセである。「ごめんなさい」


 ヘウセは、目の前の彼女に頭を下げた。「それが自分達の贖罪だ」と言わんばかりに。


「でも、分かって欲しいんです。ボク達だって、『こんな事はしたくないんだ』って事を。ボク達は……」


「ヘウセ君」


「ヨリナガさんの考えは、真面です。真面だけど、真面なだけじゃ駄目なんです。この世界を救う為には、嫌な事もやらなきゃならない。ボク達も、その覚悟で戦っています」


 亜紀は、その言葉に押し黙った。その言葉はたぶん、正しい。今の状況から考えれば、それが最善の策だろう。一部の例外は別だが、それ以外は誰も自分達の目的に気付いていないのだから。自分からその状況を壊す必要はない。「自分が余所の世界から来た人間で、悪魔の正体もまたそれと同じである」と、そう周りに言い触らす必要はないのである。「隠密」と「特権」の両方が与えられているのであれば、その両方を上手く活かした方が良い。亜紀は自分でも呆れるような計算力で、自身の内心に打算を入れた。


「ごめんなさい。その、余計な事を言いました」


「別に大丈夫だよ」と笑ったのは、彼女の肩に手を乗せたガタハである。「お前の気持ちも……まあ、分かるからな? それに色々と言う積もりはねぇ」


 ガタハは「ニコッ」と笑って、亜紀の顔を見詰めた。亜紀の顔は驚き半分、喜び半分になっている。

「だが、これだけは覚えて置けよ? お前がすべての責任を負う必要はねぇ。今回の戦いで犠牲者が出ても、それに胸を痛める必要もねぇ。『戦い』って言うのは、お前の世界にあるスポーツとは違うんだ。殺り合えば必ず、その犠牲者が出る。戦いに戦術や戦法はあっても、それに人道主義はねぇんだよ。だから」


 亜紀はまた、騎士の言葉に押し黙った。騎士の言葉はやはり、何処までも辛い。辛い上に現実的だ。今の状況では仕方ない、一種の諦めが表れている。「『戦い』って言うのは、こう言うモノだ」と言う諦めが、それに倫理だの道徳だのを求めるのは、現代人の持つ傲慢な感情だろう。ここは異世界であって、現実世界ではないのだから。異世界には異世界の事情が、そして、そのやむを得ない事情がある。自分はそれに頼っている以上、その決まりに従うしかないのだ。亜紀は寂しげな顔で、騎士達の思想に頷いた。


「ごめんなさい。私がとても」


「いや」と言ったのは、彼女の隣に立っていたヘウスである。「その甘さは、間違っていない。人間が人間である以上は、そう思うのが当然だろう。お前は只、人間の光を言っただけだ」


 ヘウスは真面目な顔で、彼女の顔を見詰めた。彼女の顔はやはり、今の言葉に驚いている。「だから何も、気に病む必要はない。元々の原因は、こんな状況を生み出した魔王。更に言えば、お前の想い人なのだから。お前がお前の精神を苦しめる必要はないんだ」


 亜紀は、その言葉に胸を打たれた。その言葉は彼女にとって、本当に救いの言葉だったからである。彼からそう言われた事で、自分の正当性は証せなくても、その精神性には「うん」と頷く事ができた。亜紀は嬉しさ半分、悲しさ半分の顔で、邪神の顔を見返した。邪神の顔はやはり、何処までも穏やかである。


「有り難う、ヘウス君」


「いや、別に。それよりも」


 ヘウスは、騎士団の頭目に視線を移した。騎士団の頭目は、その視線にじっと応えている。


「話の方は、済んでいるのか?」


 その答えは言わずもがな、「もとろん」だった。


「前にも言ったが、騎士団の名前は便利だからな。相手は、『それ』を聞いただけで喜ぶ。こちらの要求にも、二つ返事で頷いた。『是非とも加わって欲しい』と。奴等は、一人でも多くの同胞を欲しがっているんだ。要塞落としを行う為の」


「そうか。それで、敵の兵力は?」


「『こちらの数倍』と言った所だろう。要塞の中には、多種多様な怪物共が潜んでいるし。それを纏める連中や、敵の侵攻を阻む罠も張り巡らされている。国が軍の組織を諦め、その個人個人に依頼を頼んでいる理由も……まあ、察しが付くだろう。大体の理由が、これだ。要塞の概要を集めるのは良い。罠の特性を調べて、それを擦り抜けるのも良い。軍隊のそれは決して無能ではないが、魔王軍と戦うにはどうしても」


「犠牲が多過ぎる?」


「そう言う事だ。お前達の世界で言う軍隊と、ここの軍隊は違う。戦場での戦死は、どこまでも兵士の自己責任なんだ。それに何の保証が為されるわけじゃない。無事に生き残り、相応の戦果を上げなければ、文字通りの犬死にとなる。ここの兵士達が戦に消極的なのも、その理由から来ている。誰も無意味な死は遂げたくない」


 亜紀は、その言葉に暗くなった。それが意味する所の真実、異世界の恐怖に震えたからである。異世界の恐怖は、現実のそれより恐ろしい。文明社会の感覚がまだ抜け切れていない亜紀にとっては、その恐怖は何よりも恐ろしい現実だった。そんな現実の中で生きていればきっと、その精神も狂ってしまうだろう。人間が魔物よりも恐ろしくなるように。その倫理観もまた、「常軌を逸した物」となるに違いない。亜紀は「それ」に震え上がったが、周りの少年達にはそれを決して見せようとしなかった。


「私は、悪い人になるんですね。私の勝手な我が儘」


「かも知れない。だが、それを否める事も出来ない。お前がそもそもそうなったのは、お前の幼馴染みが原因なんだから。お前が『それ』に胸を痛めても」


「ナウル君……」


「ヨリナガ」


「は、はい」


「お前は、俺達の希望だ。お前の悪魔に唯一抗える。俺は、お前の心を信じている」


 ナウルは無愛想な顔で、魔術師の少女に微笑んだ。それが少女の、初心な気持ちを擽るとも知らずに。彼は創作の美少年が良くやる物、彼女に無意識の美を見せてしまった。


「さて」


「ああ」と応えたのは、亜紀の隣に歩み寄ったヘウスである。「行こう」


 ヘウスは相手の顔を見て、それから亜紀の顔に視線を移した。亜紀の顔は、少女らしい桃色に染まっている。


「亜紀」


「は、はい!」


「行くぞ」


「はい!」


 亜紀は「ニコッ」と笑って、要塞落としの軍勢に加わった。軍勢の数は、凄まじかった。「数の上では敵に劣っている」とは言え、その光景は流石に「凄い」としか言いようがない。素直に「こんなに集まったの?」と思ってしまった。一人一人の顔は違っても、そこには共通の想いが感じられる。彼等は「打倒、魔王」を掲げて、それぞれに自分の士気を高めていた。亜紀は、その光景に息を飲んだ。「これから、私は」


 そう、彼等と戦う。彼等と戦って、魔王軍の要塞を落とす。自分の命に賭けて、その異形を成し遂げるのだ。彼女の近くに立っていた少年達も皆、その偉大なる興奮に包まれている。彼等はきっと、平気で自分の命を捨てられるだろう。彼等が浮かべる表情、その両手に握られた武器、鋭く光った眼光からは、そんな雰囲気が明瞭に感じられた。亜紀はまた、その雰囲気に息を飲んだ。「やらなきゃ」


 ヘウスは、その言葉に目を細めた。その言葉を聞いて、彼女の心情を推し量ったらしい。ヘウスは冷静な顔で、彼女の肩に手を乗せた。


「大丈夫」


「え?」


「怯える事はない」


「うん」


 そう言って、一呼吸。それが彼女にとって、一種の鎮静剤になった。


「ありがとう」


「いや」


 ヘウスは、ナイルの方に視線を移した。ナウルは軍勢の頭目と何やら話していたが、「一応の確認が終わった」と見えて、彼の方にまた視線を戻して来た。


「どうだ?」


 ナウルは、その言葉を無視した。恐らくは、「その言葉に応えるのは、お前の前に戻ってからだ」と思ったのだろう。現にそうするまで、彼の質問に答えなかった。ナイルはヘウスの前に歩み寄って、その耳元にそっと囁いた。


「上々だ。要塞落としは、明後日。太陽が昇る前に行うそうだ。『その時間帯なら、相手も油断しているだろう』と。俺達は、その攻略に加わる」


「分かった、それなら良い。あまりにも遅いと、相手にも隙を作ってしまう」


 そんな会話が為された明後日は、朝からとても晴れていた。地平線の向こうから昇った太陽はもちろん、その光を受けている地面もまた、冒険者達に希望の世界を見せている。「この戦いに勝てば、素晴らしい世界が見られる」と言う希望が、そこら中に散りばめられていた。冒険者達は「それ」に胸を踊らせて、魔王軍の要塞に突き進んだ。


 要塞の前には怪物達が、その守りに徹しているモンスター達が居たが、彼等の進撃に驚いて、ほとんど者が混乱状態に陥り、辛うじて落ち着いていたモンスター達も、要塞の中に「それ」を伝えるので精一杯だった。「敵が我が要塞に攻めて来ました」と、そう大将に伝えるので精一杯だったのである。彼等は対象の命令に従って、そのほとんどが本来在るべき持ち場に戻って行った。


 冒険者達は、その僅かな隙を見のがさなかった。数の上では劣っていても、それが敵との戦力差を上手い具合に埋めてくれる。数ある戦場を駆け抜けた戦士達には、それが感覚として既に備わっていた。この隙を逃せば、文字通りの苦戦を強いられる。


 戦いでは、常に相手よりも有利な立場でいなければならない。彼等は要塞の守備隊を破って、その中に勢い良く流れこんだ。「要塞の中には間違いなく、敵の罠が仕掛けられている。要塞の下から上、左から右まで、あらゆる場所に注意を払うんだ!」

 

 それは、確かに的確な指示。頭目が部下達に伝える、正しい指示だった。冒険者達は「それ」を否める事もなく、逆に「了解だ!」と頷いて、要塞の中を慎重且つ大胆に突き進んで行った。だがそれでも、死ぬ時は死ぬ。相手の罠や攻撃にやられて、その命が奪われる時もある。彼等は敵の罠に嵌まって、その命を綺麗に散らせてしまった。


「ちくしょう」


 それが誰の台詞かは分からないが、罠に嵌まった多くの犠牲者は死ぬ間際にそう叫んでいた。彼等は仲間の死に胸を痛めながらも、それに「こんな所で落ち込んではいられない」と思い直して、ある者は両目の涙を拭い、またある者は死んでしまった戦友の武器を拾い上げた。


「お前の仇は、俺が討ってやる」


 彼等は、要塞の中を駆け巡った。その途中で敵と出会ったり、あるいは、敵の罠にまた嵌まったりしたが、自分達の足は決して止めようとしなかった。ここでもし、自分達が止まってしまったら? この戦いで死んでしまった仲間が報われない。


 ここ戦いより前に死んでしまった仲間も、それと同じくらいに報われない。死んだ仲間が本当の意味で報われるには、この戦いに何としても勝たなければならなかった。彼等は「自分の命など最初から無い」と言う気迫で、目の前の怪物を薙ぎ払ったり、壊せる罠を取り払ったりした。「どうした? こんなモノかよ?」


 怪物達は、その声に怯んだ。数の上では「自分達が勝っている」とは言え、その声に何故か恐怖を覚えてしまったらしい。普段は冷静且つ獰猛なモンスター達も、この時ばかりは混乱状態に陥っていた。彼等は「自分の敵が尋常ではない事、自分の命が危険に晒されている事」に震えて、一体、また一体と、要塞の中次々と逃げ出してしまった。「退却、退却!」


 冒険者達は、その声に喜んだ。特に要塞の中心辺りで「それ」を聞いた時には、近くの者と嬉しそうに喜び合った。敵は確かに恐ろしい怪物達だが、こうして集団となれば、それも大して恐ろしいモノでもなかった。戦いの勝敗を決するのは何も、その兵力差だけで決まるモノではない。


 そこに至るまでの計画、戦術、戦法、それらが上手く噛み合ってこそ、その戦果もまた最大にまで上げられるである。冒険者の側は、その努力を決して怠っていなかった。彼等は事前の打ち合わせ通り、多少の犠牲こそあったが、要塞の中を次々と制して行った。


「よし! このまま行けば」


 勝てるぞ。そう思ったのは、何も冒険者達だけではない。その中に混じっていた亜紀達、つまりは特殊騎士達も同じだった。彼等は冒険者達の作戦に隠れて、そこに亜紀の力をこっそりと忍ばせていた。彼等への被害が何か抑えられるように、そして、その被害が決して不自然にならないように。細心の注意を払っては、その影で冒険者達をしっかりと支えていたのである。「侵攻の具合は、上々だが」

 

 ナウルは訝しげな顔で、その両目を細めた。亜紀の力が上手く活かされているのは分かるが、それでも何だか引っ掛かる。冒険者側の有利は変わらなくても、そこに裏があるようで堪らなかった。ナウルは要塞の中を慎重且つ大胆に突き進んで行ったが、その目の前に大きな怪物、恐らくは要塞の大将が現れた瞬間、自分の予想が改めて間違っていなかった事に頷いた。


「やはりな。そうでなければ、こうも簡単に攻め込める訳がない。コイツは、ここの主が仕掛けた罠だ」


 大将は「それ」に重なって、冒険者達の前に立ち塞がった。

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