第71話 第三の道

 要塞落としの段取りは、通常ならとても難しい作業だった。要塞の中に人間を何とか送り込んで、その情報をしっかりと集める。どこにどんな敵が居て、どんな武器が置かれているのか? 武器の数は、どれくらい有るか? 武器以外にも、何らかの罠は仕掛けられていないか? 敵の大将は、どんな魔物か? その魔物は、どれくらいに強いか? それらの情報を纏めては、そこから策を練らなければならないのである。創作物のそれと違って、一騎当千の英雄物語は書けないのだ。


 が、今回の場合は違う。彼等の元に邪神と、そして、最強の魔法使いが居る以上、その心配も杞憂に等しかった。最強の二人を揃えている以上は、彼等に「負け」の二文字は無い。それどこか、彼等だけで勝てる可能性もある。普通の感覚ではまず有り得ない事だが、それが彼等の戦力、つまりは邪神の力だった。

 

 邪神の力は、文字通りの最強。力のすべてを見た訳ではないが、あの遊撃竜を倒してしまった力、それ程までの力を彼女に与えた神秘、それらの諸々を考えれば、邪神の力に「最強」と名付けても、何ら不思議ではないように思えた。「彼等が居れば、絶対に大丈夫である」と、そんな風に思えてしまったが……それはあくまで騎士達の視点、彼等が従える亜紀達の視点でしかなかった。魔物の要塞を落とす、人間側の視点。魔族とは、真逆の視点である。

 

 魔族の視点は、それの反対方向を向いていた。「今までは落とされなかった」とは言え、要塞の一つが落とされてしまった現実。それも、只の冒険者達に落とされてしまった屈辱。彼等は自身の油断はもちろん、その傲慢にも苛立ちを覚えてしまった。「このままでは、不味いですね?」

 

 大将は、その言葉に押し黙った。彼として見れば、そんな事など既に分かっていた事だからである。今までのようにのんびりと、どっしりと構えているだけでは、冒険者達の侵攻を阻めない。それどころか、すぐに負けてしまう事すら考えられる。「魔王のお墨付き」に喜んでいた彼だが、その栄華にも朽ちる兆しが見えていた。彼は椅子の上に座って、書斎の中をゆっくりと見渡した。書斎の中には数人、彼の部下らしき少年、少女達が立っている。彼等は年こそ十四歳くらいにしか見えないが、流石は「要塞の幹部級」と言う事もあって、今の事態に危機感こそ覚えていたが、それに「大変だ!」と狼狽えてはいなかった。


「本当に由々しき事態だ。我等がこんな、苦しい立場に立たされるなんて。魔族の歴史が始まって以来」


「初めてではないでしょうが」と言ったのは、書斎の隅に立っていた少年である。彼は知的な印象もあって、その目にも眼鏡を掛けていた。「でも、数少ない事です。これでは防戦一方、本当の意味でジリ貧だ。『人間が相当に強くなっている』とすれば、この要塞も決して安全ではないでしょう。下手すれば」


 大将は、その言葉を遮った。そんな事は、彼に言われないでも分かっている。「ここは、大丈夫だ」と思っていたら、ここもあっと言う間に落とされてしまうだろう。今の状況は、そう思わせる程に追い込まれていた。大将は不機嫌な顔で、机の上に頬杖を突いた。


「本当に不快な連中だ。我等に黙ってやられていればいいものの、それに敢えて抗おうとする。魔物は、人間よりも遙かに優れた」


「種族かも知れません。ですが、邪魔者である事に変わりはない。俺達がこの地上を支配、なんて事にはならないでしょうけどね?」


 大将は、その言葉に眉を上げた。その言葉に含まれていた事、特に「支配」と言う部分に興味をとても引かれたからである。魔族が人間の世界に攻め入ったのは、それを配する為であるのに。目の前の部下は、それに疑問符を抱いていたのである。大将は「それ」が不思議で、部下の顔をまじまじと見てしまった。


「そうならないのであれば、何が一体目的なのだ? 人間の世界に態々攻め入って」


「それはもちろん……これは友人の考えですが、政治利用の為です。魔王様が魔族を治める為の。僕達はその駒として、この要塞に押し込まれているんですよ。僕達が人間と戦っている限りは、魔王様もその部下から襲われる事はない。政治の理想は主体的な自由意志と協力意思ですが、そこに様々な業が絡む以上は、種族全体の敵を作り出すしかないんです。その意味では、魔王様の優れた統治者かも知れません」


 大将はまた、部下の言葉に眉を上げた。今度は「それ」に驚いたからではなく、普通に呆れてしまったからである。彼は真面目な顔で、部下の顔をじっと見続けた。


「今の不遜は、忘れるとしても。お前の友人は、相当の詩人だな。証拠も何も無い所に壮大な想像を作り上げる。魔王様が人間の世界に攻め入ったのは、この世界を正そうとしたからだ。人間の欲、業、我に溢れた、この世界を。魔王様はその内面から言っても、本当に優れた統治者だ」


 部下は、その言葉に眉を潜めた。その言葉から伝わる熱意、情熱、忠誠心には驚かされるが、それがある種の滑稽にも見えたからである。優れた当主の下に居れば、自分もそれと同じになれる訳ではない。魔王軍全体にも言える事だが、魔族はどうも盲目的な気がする。魔王の絶対的なカリスマ性を信じ、それが「真理」と疑わず、その命に「分かりました」と従い続ける。「組織」と言う仕組みではそれで良いかも知れないが、「個人」と言う枠では「少々危な過ぎる」とも思えた。


 彼等は「組織」と言う拠り所が無くなれば、あっと言う間に倒れてしまうだろう。自分がどう生きて良いのか分からず、次なる依存相手を探し始めるだろう。幼い子供が、母親の乳を求めるように。彼等には自己を肯ける相手、完全自己肯定の相手が必要なのだ。その意味では、「魔王こそが最高の依存相手」と言える。


「魔王様が居なくなれば、そこは群雄割拠の戦国時代になる」


 魔王様の後継者を決める、血生臭い戦国時代に。それは、愚か以外の何物でもなかった。個々の連携に基づかない統治は、いずれの後に滅びる。友人の少年が彼に言った言葉は、それを暗に示したモノだった。そう考えるとやはり、その友人は「優秀」と言える。魔族の中に生まれながら、「その外側に目を向けられる」とは。感動以外の何物でもない。友人は楽しげな顔で、魔族の未来を読んでいたのである。「お前は、本当に凄いよ。ガルダ」


 部下は「ニヤリ」と笑って、大将の顔を見返した。大将の顔は、その笑みに驚いている。


「何でもありません、只のです」


「そ、そうか。なら、良いのだが。今は、兎に角大変な時期だ。あの愚かなる傍観者達によって、この要塞もいつ襲われるか分からない。俺としては『そんな事などない』と思っているが、ここは一応の備えを設けて置こう。今まで以上の備えを、な?」


「そうですね。それは、『賢明な判断だ』と思います。何の手も考えないで置くのは、文字通りの自殺行為だ。それで?」


「うん?」


「それは一体、どんな手で?」


 その答えは至って単純、誰にでも思い付くような事だった。要塞の要所に罠を巡らせる。その上で、そこの兵も増やして置く。本当に極有り触れた手段だが、大将としては「それが最も有効な手段」と思っていた。下手な作戦、奇抜な作戦を考えても、それが却って逆効果になる。「最も有効な手段」とは誰でも考えられる上で、「誰もが足止めを食らうような作戦である」と。彼は長年の経験からか、それとも単に「こうしたい」と思っただけなのか、得意げな顔で自分の部下達に「それ」を語り続けた。


「奇抜は凡庸、凡庸は奇才。普通の事を普通にやるのが、一周回って優秀なのだ。凡人は必ず、奇抜な手段で『それ』を行おうとする。それが却って、間違いの基とも知らずに。俺は自分が凡人だからこそ、あえて凡庸な手を打って置くのだ。そうすれば、相手の方が勝手に深読みする。『これだけ大きな要塞ならば、その中身も厳しかろう』と。勝手な想像で、勝手に滅びるのだ。俺は、そう言う奴を沢山見ている」


「なるほど。『単純は、精緻せいちを超える』ですか?」


「そう言う事だ。お前は、実に物分かりが良い」

 

 少年は、その言葉に呆れた。表面上では相手に「有り難う御座います」と応えても、その内面では「愚かな」と嘲笑っていた。彼は、「自分が他人よりも利口、他人は自分よりも馬鹿」と思う相手が「最も愚かだ」と思っていたのである。


「ならば、そう言う手筈で?」


「無論だ、相手の裏の裏を突く。俺達は、じっと構えていれば良い。勝手に滅びる相手の事を嘲笑ってね?」


 大将は、自分の部下達に目配せした。どうやら、「下がれ」との事らしい。「自分の用件はこれで、終わった」と。大将は自身の右手に羽ペンを持って、魔王宛の手紙を認め始めた。


「また用が出来れば、ここに呼ぶ」


「分かりました。では」


 少年は、目の前の上司に頭を下げた。残りの少年や少女達も、その動きに倣った。彼等は揃って執務室の中から出ると、いつもの並びになって、要塞の通路を歩き始めた。

「さて」と言ったのは、例の少年である。「また、ややこしい事になったね?」


 彼は何処か楽しげな顔で、仲間達の顔を見渡した。仲間達の顔は複雑、その一歩手前のような表情を浮かべている。


「ここが攻め落とされるかも知れないのに……まあ、呑気なモノだ。僕だったらたぶん、もっと良い手を考えるよ? あの人は、自分の力を信じ過ぎている。自信過剰の上司について行くのは、どんな無謀よりも無謀だ。それは、自分から命を捨てるのと等しい」


 周りの仲間達は、その言葉に押し黙った。その言葉が事実だった事もあったが、それ以上に彼の態度があまりに大胆過ぎたからである。それがいくら事実だったとしても、これは少し言い過ぎかも知れない。頭の方も決して馬鹿ではなかった彼等だが、この発言だけにはどうしても臆してしまった。彼等は不安な顔で、自分達の頭目を見続けた。


「ま、まあ、お前の言う事も分かるけど?」と言ったのは、彼の隣を歩いていた少年である。「俺達は一応、アイツの部下であるんだし。あんまりそう言う事を言うのは、良くないんじゃないか? 俺達の周りで誰か、今の事を聞いている奴が居るかも知れないし?」


 少年は荒っぽそうな見掛けでこそあったが、その内面は意外と常識人らしい。不安な目で彼を見詰める視線からは、その雰囲気が感じられた。少年は自分の逆立った髪を撫でて、少年の顔から視線を逸らした。「一応の警戒心は、持っていた方が良い」


 相手は、その言葉に微笑んだ。特に「警戒心」の部分には、思わず吹き出してしまったらしい。彼は口元の笑みを消して、自分の正面の景色に向き直った。


「そうかもね? だが、心配ご無用。今の時間帯なら、ほとんど誰も居ないし。みんな、外の守りで忙しい。僕達に気を回す余裕なんて無いよ。何たって、要塞落としが迫っているんだから。そんな無駄な事に時間なんて使う筈がない」


「そ、そうかも知れないけど。だが」


「ダガラ」


 少年の名は、「ダガラ」と言うらしい。


「僕達は、他の連中とは違う。ガルダの言葉じゃないけど、今の体制に捕らわれちゃいけないんだ。人間と魔物が争い合う世界に。僕達は、そこに新しい道を作らなきゃならないんだ」


「人間と魔物の融和、か。そんな事、本当に出来るのか?」


「さあね、僕にも分からない。だがガルダは、結構本気らしいよ? 僕達が魔王様の統制に逆らって、人間との融和を進めれば……」


「う、ううん。でもやっぱり、そいつは夢物語な気がするよ」


「どうして?」


「そ、それは……。そんなの誰も求めていないじゃないか? 現に今も」


「そうかい? 僕は、そうは思わないね? ガルダは少なくても、そう考えているようだし。僕も、その考えには賛成だ。魔王様が決めた相手と、その命が尽きるまで戦う。表現自体はとても美しいが、やっている事は只の使い走りだ。更に言えば、駒。差し手の指示に従う、只の駒に過ぎない。僕は魔王様に生み出されたが、『だから』と言って駒に成りたかった訳じゃないよ? してや、捨て駒に生まれた訳でもない。僕は僕として、僕の生を生きる為に生まれたんだ。魔王様の意思とは、関わりなく。ガダラも内心では、そう思っているんだろう?」

 

 ガダラは、その言葉に言い淀んだ。その言葉、親友であるノンリの言葉に揺さ振られただけではなく、それ自体に「うん」と頷き掛けたからである。ここでもし、その言葉に「うん」と肯いてしまったら? 自分は、文字通りの逆賊になってしまうだろう。魔王様の意思に逆らう、悪徳不遜な魔物になってしまうだろう。魔王への忠誠心が強かった彼には、親友の思想にどうしても「うん」と頷けなかった。彼は申し訳なさそうな顔で、自分の正面に向き直った。


「悪い」


「何が?」


「お前の考えに頷けなくて。お前は、ガルダと同じくらいに」


「頭が良い訳じゃない。ただ自分で、『考えよう』としているだけだ。今の状況から推し量って、最善の策を練ろうとする。僕は僕として無駄死にもしたくないし、犬死にもしたくないんだ。その意味で」


「その意味で?」


「もしもの時は、迷わずに逃げる。こんな穴だらけの要塞なんて、遅かれ早かれ落とされる。その司令官も、正にあんな感じだしね? 僕は、要塞と心中だなんて御免だ。危なくなったら、すぐにトンズラだね」


 ダガラは、その言葉に驚いた。いや、「呆れた」と言った方が正しいかも知れない。表面上では司令官に「分かりました」と従っている親友がまさか、そんな事を言うなんて。驚きよりも呆れの方が勝ってしまった。親友は、彼が思っている以上に知能犯であるらしい。ダガラは複雑な顔で、親友の顔をまじまじと見た。



「うん?」


「本当に」と言ったのは、彼等の隣を歩いていた少女である。「昔から思っていたけれど。アンタって、本当に怖い魔物だわ」


 少女は釣り目の両目を細めて、頭目の顔をじっと見始めた。頭目の顔は何処か、楽しげな笑みを浮かべている。


「表と裏が違い過ぎる。アンタとの付き合いが短かったら、私もアンタの嘘に騙されちゃうわ。こんな詐欺師みたいな事。アンタには、『忠誠心』って物が無いの?」


 ノンリは、その言葉に微笑んだ。「そんな物など最初から無い」と言わんばかりに。


「コウナには、その忠誠心が有るの? 魔王様に自分の命を捧げる、そんな感情が?」


「もちろん、有るわよ」


「わ、わたしも」と続いたのは、彼女の隣を歩いていた少女である。「魔王様は、わたし達の主だし。それに忠誠を誓うのは!」


 少女は「気弱さ」と「頑固さ」を併せ持っているようで、少年の嘲笑にもまったく怯んでいなかった、一方の少年もまた、その反論に怯んでいなかったけれど。


「『と、当然だ』と思う。ノンリ君は、違うんだろうけど」


 ノンリはまた、相手の言葉に微笑んだ。やはりまた、「その通りだよ」と言わんばかりに。

「まあね。僕にはその、『忠誠心』って物が薄いらしい。て言うか、『忠誠心』って言うのは何だろう? 自分が自分である事を捨てて、他者に自分の生き方を託す。それはある意味、無責任じゃないかな? 統制国家には必要な資質かも知れないけど。個人の生き方としては、あまりよろしくない。更に言えば、最悪だ。そんな生き方をしていればきっと、いずれ訪れる危機に……」


 仲間達は、その言葉に押し黙った。その言葉はある意味で真実、魔物達の現実を語っていたからである。一纏めにされた国家は、思わぬ攻撃に弱い。今はまだ、それが表面には出ていないが。今までは「難攻不落」とされた要塞の一つが「落とされた」となれば、そうどうしても考えてしまった。終わらない戦いを続ければ、互いにいずれも力尽きる。


 ノンリは「それ」をあえて言わなかったが、離れた地で要塞落としの事を考えていたナウル達には、それが薄らと分かっているようだった。ナウル達は自分達と同じような要塞落としを目的とした冒険者達に混じって、彼等の居る要塞に意識を移し始めた。

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