第75話 神域への侵略

 魔王の城は、いつも暗い。城の中には様々な仕掛けが施されているが、そのどれもが異様な形に出来ている。廊下の燭台はもちろん、燭台の上で燃えている炎も同じ。アーティファクトが作られている工場も、その規則正しい動きと相まって、とても不気味な雰囲気が漂っていた。その中でどんどん出来て行く、アーティファクト達も。そのすべてが、冷たい雰囲気を漂わせていたが……それを眺めている責任者には、それらの光景がとても面白かったらしい。彼は楽しげな顔で、アーティファクトの姿を眺め続けた。


「しかしまあ、いつ観ても」


「楽しいか?」と訊いたのは、彼の隣に立っていた魔王である。「こんな夢も無い光景を観て」


 魔王は薄暗い工場の中で、それと見合わない笑顔を浮かべた。それがかなり不気味だったが、彼女の臣下たる責任者には無問題、本当に「いつもの事」と言うような感じだった。


「あたしなら、すぐに飽きてしまうよ」


「そうですか。まあ、それも一つの感想でしょう。個性豊かな作品を作るならまだしも、同一規格の製品を作るのはやはり詰まらない。正直、『かなり詰まらない作業だ』と思います。ですが」


「お前にとっては、違う?」


「そうでなければ、この仕事は続けられません。毎日、同じ事の繰り返し。燭台の明りを消して、その明りを消すような作業。それに耐えられないのなら」


「発狂は、必然。そう考えると」


「あたしは、変人じゃありません。ちょっと変わっているだけです。周りの連中にはまあ、それが分からないようですが。あたしは、あたしの仕事を愛している」


「その仕事で生み出された作品が、たった一人の悪魔に滅ぼされても?」


 責任者は、その言葉に口を閉じた。本当は今の会話を続けたかったようだが、その言葉に何か思う所があったらしい。彼は一瞬の沈黙を経て、それからまた喋り始めた。


「彼は、深澤栄介は、どうなりました?」


「さあね、その辺を彷徨っているんじゃないか? 深澤栄介には、あたしと同じ奴がついているし。魔族はもちろん、どんな冒険者でも敵ではないだろう」


「そう、ですか。それは」


 責任者はまたも、相手の言葉に黙ってしまった。今度は相手の言葉に迷ったからではなく、自分の中に葛藤を感じて。彼はただの杞憂かも知れない考え、その中身について「う、うううっ」と唸り始めた。「本当に厄介ですね?」


 魔王は、その言葉に眉を上げた。その言葉から不思議な気配、彼の本音らしき物を察したからである。魔王は自身の体勢を低めたが、その視線はずっと一点を見詰め続けた。


「隠さなくて良い」


「え?」


「今の厄介は、そう意味ではないんだろう?」


 責任者は「それ」に驚いたが、やがて「参ったな」と笑いだした。このお方にはたぶん、「敵わない」と思ったらしい。「貴方は、本当に凄い方だ。亡きお父上以上に」


 魔王は、その言葉に微笑んだ。微笑んだが、それ以上の反応は見せなかった。「そんな事は、自分にとってはどうでも良い事だ」と、そう無言の内に表したのである。


「それで、『お前の気になっている事』とは?」


「それはもちろん、邪神の事ですよ? 貴方も契りを結んだ、あの邪神。奴等は」


 魔王は、その言葉に苦笑した。その言葉に僅かな失望を感じて。


「なんだ、そんな事か」


「じゃありません。貴方は、怖くないんですか? どんな願いも叶えてくれる邪神。そいつらが、もしかすると」


「『沢山居るかも知れない』と? そいつ等がもしかすると、『あたし達に牙を剥くかも知れない』って?」


「そうです。魔王様の話では、あたし等の欲望が邪神に力を与える。だから邪神は、『あたし等の願いを叶えるのだ』と」


「それが?」


「『不自然だ』とは、思いませんか?」


 責任者は、自分の声を潜めた。この話だけは決して、「周りの連中には聞かれたくない」と思ったらしい。彼は魔王の契約者が(今は)居ない事を確かめて、魔王の顔に視線をゆっくりと戻した。魔王の顔は一つ、彼の不安に微笑んでいる。


「邪神がそう言う手段で、自分達の力を集めている事自体。彼等がもし、それ相応の神ならば……もっと良い方法がある筈です。こんなに回りくどい手を使わなくても。『神』と言うくらいなら」


「なるほど。お前の考えも、確かに一理あるな。ただの子どもに最強の力を授けられるくらいなら、『自分達の力を集めるなど簡単な事である』と?」


「まあ、そう言う事です。奴等は、それに」


「うん?」


「これは、あたしの想像でしかありませんが。奴等が最悪、『この世界に攻めて来るかも?』と思って」


 魔王は、その言葉に吹き出した。それがただ面白かっただけではない。彼の想像力があまりに壮大で、その内容に思わず笑ってしまったのだ。彼女は自分の腹を押さえて、顔の笑いを何とか抑えよとした。


「それはちょっと、考え過ぎだな。奴等がここに攻めて来るなんて?」


「そうかも知れません。ですが、『そうならない』とは言い切れないでしょう? 彼等にはどうやら、次元を超える力があるようですから。この世界に攻め込む事だってきっと、『朝飯前だ』と思います。彼が話していた内容の中には、『平行世界たる言葉もあった』と聞き及んでいますし」


「この世界の隣にありながら、決して交わらない世界か?」


「そうです。詳しい概念はあたしも知りませんが、そこには『もしもの世界が広がっている』と。もしもの世界は、もしかするとあったかも知れない世界。あたし等が生きている世界とは、僅かに違う道を進んだ世界です。あたしは、その世界を恐れている」


「なるほどね。それは、確かに恐ろしい。同じような世界がもし、こことは違う次元にあったら? その住人が、ここに攻めて来る可能性もある訳だ?」


「そう言う事になります。邪神達の住む世界は言わば、その中心となる世界。そこからあらゆる世界を見渡せる、正に神域のような世界です」


「面白い考察だな。そう考えれば、奴等の力にも説明が付くな。奴等は、世界の中心に住んでいる。世界の中心に住んでいるから、どんな世界でも自由に行き来出来る。自分の意思でそこに行き、自分の意思でそこから」


「魔王様」


「うん?」


「『乗っ取る』と言うのは、どうでしょうか?」


 魔王は、その言葉に眉を寄せた。それに不快感を覚えたから、ではないらしい。その言葉に対して、「やれやれ」と呆れた訳でも。彼女は彼の周りを少し歩いて、その隣にまた戻った。


「神の領域を、か?」


「更に言えば、その力も、です。神の力が手に入れば、その神にもう謙る必要はない。貴方が神に変わって、すべての世界を統べるんです」


 その言葉に溜息を付く、魔王。今度は、呆れてしまったようだ。魔王は自分の頭上を仰いで、工場の天井をじっと見続けた。


「一つ、面白い話を聞かせよう」


「面白い話?」


「国の統治を謝った、ある国王の話だ。国王は自身の才を活かし、『国の歴史上では最大』と呼ばれる程、その領土を広めた人物だった。国民達はその活躍に胸を打たれ、彼に『覇王』と言う二つ名を付けて、彼の力に絶対なる信頼を寄せた。『彼が居れば、この国も安泰だ』と言う風にね。その存在にまあ、神を見てしまったんだ。現実の世界に生きる、ただ一人の人間を。彼等は見えない神を捨てて、見える神にすべての望みを賭けた。だが」


「その望みは、裏切られた?」


「才能は人間を奢らせ、努力は人間を戒める。国王は、確かに天才だった。天才だったが、それ以上に傲慢だった。国王は今の豊かさだけでは飽き足らず、周りの国々からそれ以上の富を巻き上げようとした。周りの国々は、それに怒った。そいつからは、散々痛い目に遭っていたからね。彼等が拳を上げるのも、充分に分かる事だった。彼等は自分達の侵略者に抗うべく、それぞれに力を合わせて、その憎き大国を打ち破ってしまった」


 魔王は「ニヤリ」と笑って、臣下の顔に目をやった。臣下の顔は、今の話に青ざめている。「さて、質問。この話の教訓は?」


 臣下は、その言葉に俯いた。その回答は、答える前から分かっている。


「求め過ぎれば、身の破滅。過ぎたるは及ばざるがごとし、ですか?」


「そう言う事だ、過ぎたるは及ばざるがごとし。それが魔族の指針であり、我が一族の指針でもある。統治には、『節制』と『抑制』が必要とね? その意味では、人間社会への侵攻も」


「『正義』となる?」


「そうだ、魔界の秩序を守る為の侵攻。あたしは人間の社会を襲いこそするが、『その社会を統べよう』とは思わない。奴等を統べた所で、何の利益も無いからな」


「確かに。ですが」


「うん?」


「人間の側は、そう思っていないかも知れません」


 その予感は半分当たって、半分外れていた。人間達は自分達の側から「これ」を考えていたが、その考えは「これ」とはまるで違っていたのである。特に「統べる」の部分には、魔族以上の欲望を見せていた。イルバ女王は議会場の中で貴族達と話し合っていたが、その中身に頭を抱えていたのである。


「皆さんのお気持ちは、良く分かります。今までの事を振り返って見ても、そう思うのは充分に分かる。このままではいけない事も、そして、この自体を変えなければいけない事も。皆さんは国の未来を案じて、その危惧を訴えている」


「ならば」と応えたのは、彼女の前に座っていた貴族である。「我々も、動かなければならない。今までは人間側の邪神と魔術師、その二つを頼っていましたが。そればかりに頼るのはもう、限界でしょう。彼等に付いている特殊貴族達は優秀ですが、それだけではどうにもならない。正直、力不足です。魔王と悪魔、その二つを倒す為には」


 彼は周りの貴族達を見渡して、目の前の女王にまた視線を戻した。女王は彼の言葉に怯んだのか、それに「うっ!」と押し黙っている。


「女王陛下」


「は、はい!」


「茶番はもう、止めましょう。あんな子ども達に我々の未来を託すのは。我々は我々の手で、その平和を取り戻せなければならない。今までは、世の冒険者達にそれを任せていましたが」


「『私達がそれに取って代わる』と? 彼等よりもずっと弱い私達が?」


 貴族の男は、その言葉を嘲笑った。その言葉には、ある発想がすっかり抜けていたからである。


「何故、そう言い切れる? 『我々が彼等よりも弱い』と?」


「え? そ、それは! 私達の軍が」


「確かに破れました、魔王軍の前に。だがそれは、彼等が普通の人間だったからだ」


「普通の人間、だったから?」


「そうです。何の特殊技能も無い、ただの人間。兵士としての力が強いだけの人間。そんな連中が、『人間よりも強い相手に敵う』と思いますか? 私には、思えません。どんなに強くても、『人間の域から出ていない』とならば」


「負けるのは、当然かも知れません。だからこそ!」


「『冒険者』と言う職業が栄えた。彼等には特別な力が、普通の人間には無い力がありますから。魔王の手下とも、互角以上に戦える。彼等は言わば、人間の歴史が生んだ超人だ」


「その、超人を……」


 女王はそこで、自分の言葉を切った。目の前の男が言おうとした事をすぐに察したからである。女王は自分の足下に目を落として、両手の拳を握り締めた。


「軍に入れるんですか? 私達の」


「それが一番、手っ取り早いでしょう。今までは、彼等の自由営業に任せていましたが。魔王の要塞が次々と落とされている以上、その力を放って置く手はない。彼等には、我々の手足になって貰う」


 女王は、その言葉に眉を寄せた。それは確かに妙案かも知れないが、冒険者達がそう簡単に頷く、少なくとも認めるとは思えなかったからである。彼等は(基本として)世界の平和を望んでいるだろうが、その内面には己が野望を抱いている筈だ。世間に己の名を轟かせたかったり、憎き相手への憎悪を燃やしたりして。その到着点こそ違うが、それぞれの目標は千差万別な筈である。そんな連中を手懐ける事なんて……。


「『無理だ』と思います」


「なに?」


「彼等を手懐けるなど。彼等には、彼等なりの矜持がある。自分の人生を賭ける矜持が。それをねじ曲げる事など」


「出来ようが出来まいが、そんな事はどうでも良い」


「え?」


「貴方は、女王でしょう?」


 女王は、その言葉に押し黙った。それが意味する事を察したからである。彼女は不機嫌な顔で、相手の顔を睨んだ。


「命令、ですか?」


「そうです。貴方には、その権限がある」


「馬鹿らしい。それこそ、愚策です。今更になって、そんな事を命じても」


「大丈夫です」


「え?」


「貴方の口は、飾りではない。貴方自身は気付いていないかも知れませんが、その発言力には計り知れない物があるんです。貴方が望めば、その社会も変わる。センターの連中にはそうだな、後方支援をやって貰いましょう。主に情報収集と」


「彼女の想いは?」


「なに?」


「頼長亜紀さんの想いは、どうなるんです。彼女は、自分の大切な人を」


「取り戻したければ、取り戻せば良い。だがそれは、あくまで」


「『軍の範囲内で行え』と?」


「『組織』とは、そう言う物です。個人の問題に一々応えてはいられない。彼女には、我々の指揮下に入って貰います」


「それで、彼女に拒まれたら?」


「冒険者の地位を奪えば良い。彼女にはそれすらも超える力がありますが、『制度』と言う物は恐ろしい物です。『公認』と『非公認』とでは、その扱いがまるで違う。彼女も、今までのようには動けなくなるでしょう」


「浅慮ですね」


「なに?」


「そんな程度では、彼女の想いは砕けない。恋する乙女は、無敵なんです。貴方程度の考えで止まる程、彼女も柔ではありません。彼女には、最高の相棒がついているんですから」


「どんな願いでも叶えてくれる邪神」


「そうです。彼が居る限り、貴方のそれも決して叶わない。彼は、彼女の願いを守る」


「それなら、彼も操れば良い。彼は言わば、頼長亜紀の保護者です。それが我々にどうしても逆らえない状況を作れば、その保護対象たる彼女もそれに従わざるを得ない。『敵将を討ちたければ、その馬をまず射よ』って奴です。どんな相手であっても、その段階さえ踏めば」


「甘いですね」


「甘い?」


「彼等は、そんな事では怯みません。その力が人間よりも勝っている限り。貴方の考えたそれは、言葉通りの空想。つまりは、机上の空論です」


「机上の空論。確かにそうかも知れない。だが」


「え?」


「それならもう一つ、その空論をお話ししましょう。貴方にはまた、鼻で笑われるかも知れませんけどね? 私としては、かなり真剣に考えた空論です」


 女王は、その言葉に生唾を飲んだ。それに言い様のない恐怖を感じて。


「その空論、とは?」


「侵略です」


「侵略? 『何処を攻める』と言うんですか? 私達は、自分の身を守る事で精一杯なのに?」


「本当にそうですか?」


「え?」


「我々はもう、守る側ではない。それが敵に攻める側なのです。貴方自身は、気付いていなくても。それは、揺るぎない事実です。我々は自分の意思で、好きな相手を攻められる」


「最強の悪魔と魔術師が居るからですか?」


「それもありますが、それだけではない。彼等は言わば、囮。その保護者達を動かす、只の……うっ、駒です。駒は、動かしてこそ意味がある。彼等は、神域へ攻め込む口実になってもらいます。あの邪神が住んでいるだろう、名も無き神域を攻め込む口実に」

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