第69話 女王の味方

 要塞落としの報せは、イルバ女王にも伝えられた。彼女は自国の中に様々な情報網を持っていたが、ギルドセンターから伝えられる情報もまた、それらの一つだった。王国が裏でその資金を助ける事で、それ相応の情報が与される関係。「報酬」と「名誉」とが、行き交う関係。それらを作り出した関係は、今も国の政治を支えていた。それの貴族達に呆れられていても、その権力を守っていたのである。彼女もまた、その恩恵を受ける一人だった。

 

 彼女は椅子の上に座って、センターの報告書を開いた。報告書の中には要塞落としをはじめ、様々な情報が書かれている。例の悪魔が今も旅を続けている事や、「スキル死に」から蘇った元剣士の少年まで。あらゆる情報が、一枚の報告書に書かれていた。

 

 彼女は「それ」をしばらく眺めていたが、彼等との連絡もあったので、その報告書もすぐに畳んでしまった。報告書の内容は、後でも読める。「『スキル死に』から蘇った元剣士」の部分には少し引っ掛かったが、それも連絡の事を考えると、特に慌てる事ではなかったし、後から読んでも別に問題ない事だった。彼女は連絡器の起動部分を押して、自分の配下達に連絡を入れた。


「おはよう、ナウル、亜紀さん」


「おはよう」と答えたのは、映像の先に立っていたナウルである。「今朝もまた、難しい顔だな」

 ナウルは彼女の苦悩を何となく察したらしく、それの詳しい内容こそは訊かなかったものの、真剣な顔で彼女の顔を見返した。彼女の顔は彼が言った通り、とても悩ましげな表情を浮かべている。


?」


「変わりません。『捨てられた町』を落とした後も、その旅をずっと続けているようです。自分の快楽を満たす、そんな冒険を」


「クソだな」


 その答えは、無言。彼女の口からは、何の答えも出なかった。


「まあいい。俺達も俺達で、魔王の戦力を削いでいるからな。俺達には、最強の二人が付いているし。コイツ等が俺達の側に付いている以上はまず、俺達も負ける事はないだろう。『魔王の軍勢を潰すのだ』って」


「その件ですが。『アムア』と言う青年の率いる軍団が、要塞の一つを落としたようです。多くの冒険者を募って、その要塞に攻め入り」


「そうか。そいつは、凄いな」


「本当に。でも」


「分かっている。奴等の要塞は、一つだけじゃない。地図上の様々な所に置かれている。それこそ、人間の侵入を阻むように。奴等は、狡い連中だ」


「私も、そう思います。ですが!」


「屈する訳には行かない、奴等には。この戦いには、俺達の存亡が掛かっている」


 女王は、その言葉に胸を打たれた。その言葉こそ、人間の願いだったから。自分達の求める、平和への道標だったから。自分では「抑えよう」と思っても、その表情にはどうしても抑えられなかった。彼女は両目の涙を拭って、向こうの少年に「ニコッ」と微笑んだ。向こうの少年はやはり、その微笑みにも無表情を保っている。


「次の行き先は?」


「まだ、決まっていない。だが」


「はい?」


「『要塞落としは、やろう』と思っている。さっきも言ったが、俺達には邪神が付いているからな。最強の魔術師も、付いているし。騎士の俺達が気を付けさえすれば、その全滅もまず避けられるだろう。この二人は言わば、一騎当千の戦士だからな。戦場での戦死はまず、有り得ない」


「そうですね。私も、それには同意見です。彼等は、私達の切り札ですから。魔王の支配はもちろん、例の悪魔にも抗える存在。唯一無二のコンビ。それに頼るのは、少し心苦しいですが。今の私達には、それに縋るしかありません。とても悔しいですが」


「そう、だな。でも今は、それが一番の手だ。俺達は、神の力を借りる」


「はい」


 女王は、両手の拳を握りしめた。自己の非力さを呪うように。


「私は……私にも、出来る事を」


「今のままで良い」


「え?」


「無理に頑張ろうとしても、却って悪い結果になるだけだ。耐える時は、じっと耐える。俺もコイツ等の力には、疑問を抱いていたが。最近は、『それと結ぶのも悪くない』と思っている。現にコイツ等も、俺達の事を受け入れてくれたようだからな。それを信じるに値する奴等だ」


 女王は、その話に微笑んだ。その話が温かかった事もあったが、彼にある種の変化を感じられたからだ。冷たい少年が、温かくなったような変化が。元々は温かかった少年が、より温かくなったような変化が。その言葉を通して、俄に感じられたからである。女王は、その変化が嬉しかった。


「はい。でも」


「うん?」


「それでも、無理はしないで下さい。貴方達は、この国の……いえ! 私にとって、大事な人達です。自分の命よりも大事な、掛け替えの無い人達。貴方達の死は、私の死でもあります。だから!」


「分かっている。俺達は決して、そう言い切れる自信は無いが。『無駄死に』も『犬死に』もしない積もりだ。動かせる手足があるなら、何があっても帰って来る」


 ナウルは女王の目を見つめて、それから自分の仲間達に視線を移した。彼の仲間達もまた、その言葉に頷いている。まるでそう、彼の言葉に心から頷いているように。


「魔王の話は、これくらいで良いだろう。次は、人間の話だ」


「人間の話?」


「貴族達の様子は、どうだ? アイツ等にも、悪魔の事は話したんだろう?」


「はい、それはもちろん。天秤の事は、彼等にも話してあります。フカザワ・エイスケの処遇について。彼の気紛れは、私達の世界を傾ける。それがたとえ、私達には良い結果であろうとも。彼は……今までの情報から推し測れば、この世界を『遊び場』と思っているようですかね。この世界への愛着なんて無い。その気になれば、躊躇い無く潰す事すら出来るでしょう。そうならったらもう、お仕舞いです。『こちらにも、邪神と魔術師が居る』とは言え」


「ああ、本当に厄介な相手だ。『そいつを仮に倒せた』としても、次は魔王が待っているし、『その魔王を倒した』としても、次は人間の軍が襲って来る。それこそ、海の波が何度も押し寄せるように。精神の欲望が消えない限りは、それがいつまでも続くんだ」


 女王は、その言葉に押し黙った、それが変えようのない事実、救いようのない真実だったからだ。人間は一つの問題を終えても、また次の問題を作ってしまう。自身の欲望や、社会の不条理に従って。奪いたくない命を奪い、奪われたくない命を奪われてしまうのだ。それがどんなに酷い事であっても、その真理からは決して逃れられないのである。


 彼女は、「それ」を知っていた。知っていたから、彼の言葉にも「そうですね」と頷いていた。彼女は平和の先に待っている絶望、絶望の先に待っている地獄を感じて、その業火に頭を抱えてしまった。


「ねぇ、ナウル」


「うん?」


「私達は一体、どうすれば良いのでしょう? 『戦い』と言う地獄を越えた先に」


「それは、たぶん」


「たぶん?」


「悪魔を倒した後に考えれば良い」


「深澤栄介を?」


「そうだ。そいつは言わば、世界の余所者。他の場所からやって来た、異邦人だ。異邦人がこの世界で好き勝手している以上、その影響も大なり小なり……。考えてみれば」


「はい?」


「フカザワ・エイスケは、事態の一部になっている。さらに言えば、悪影響の引き金になっている。アイツがこの世界にやって来た事で、様々な奴等がそいつの事を考えはじめた。そいつがまるで、『物語の主人か』とでも言う風に。あらゆる事象が、そいつの良いようになっている」


「そ、そんな事は!」


「あるだろう? 現に今も」


 そう言った彼が目をやったのは、それが元凶たる少年の幼馴染だった。彼女は自分にもある種の責任、「自分の力が足りなかった事」を感じているらしく、相棒であるヘウスの顔に視線を移しては、複雑な顔でその目をじっと見始めてしまった。ナウルは二人の姿から視線を逸らして、目の前の映像にまた視線を戻した。目の前の映像にはもちろん、彼の主人が映っている。


「それの被害者が嘆いている。悪魔と一番に近かった女が、自責の念に駆られているんだ。『自分はどうして、幼馴染の事を止められなかったのだろう?』と言う風に。彼女はたぶん、否定のヒロインだろう」


「否定のヒロイン?」


「そうだ。悪魔の行動を止めるヒロイン、唯一無二の抑止力。邪神の方は、文字通りの未知数だが。悪魔が彼女と同じ邪神を連れているのなら、それとの戦いも厳しくなるだろう。俺達の中で」


「そんな事は、させません! 貴方達の命は」


「分かっている。だから、前にも言っただろう? 魔王の相手は悪魔に任せて、俺達は『それ』のお零れ、つまりは『漁夫の利を得る』と。魔王が倒され、ついでに悪魔も消えれば、俺達の世界にも平穏が戻って来る。それに乗じて、人間のそれが戦いを起さなければ」


「はい。私も、それを望んでいます。すべての脅威が取り除かれた世界を。ただ」


「ん、なんだ?」


「最近その、妙な胸騒ぎがして。魔族の力がどうも、上がっているような?」


 ナウルは、その言葉に眉を潜めた。その言葉にどうやら、奇妙な違和感を覚えたらしい。彼女の言葉に思わず頷き掛けるような、そんな感じの違和感を。彼は「それ」を隠して、女王の目をじっと見返した。


「そう、かも知れない。俺達も今まで、その殆どはヨリナガ達が倒したが。様々な怪物達と戦って来たが、そんな気配を薄らと感じていた。『最近、怪物達の様子がおかしい』と。すべての怪物がそうではないが、一部の怪物達は確かに強くなっているようだ」


「不気味ですね?」


「ああ、本当に不気味だ。人間の視点から見れば……『悪魔が人間側に付いている』と考えれば、だが。人間側が圧倒的に有利だ。最強の力を持った人間が二人と、それと契りを交わした邪神。それがそっくり、俺達の側に居る訳だからな。然るべき時が来れば、この戦いにも終止符を打たれるだろう。だが」


「そう上手くは、行かないよな?」と言ったのは、ナイルの横に歩み寄ったガタハである。「実際、上手く行ってねぇし。魔族の討伐が進んでいねぇのも」


 ガタハは不満げな顔で、スールの顔に目をやった。スールもまた、彼と同じような表情を浮かべている。「まったく! 倒しても、倒しても」


 スールは、その言葉に苦笑した。それが彼なりの、ガタハへの相槌だったらしい。


「仕方ないよ、魔王のそれを倒さない限りはね? 彼等は、無限に現われる。人間が魔族に勝てない理由は、その圧倒的な生産力なんだから。こちらが倒した数よりも多く作られれば、戦いが長引くのも当然だろう?」


「た、確かにそうだけど」と言ったのは、スールの横に歩み寄ったヘウセである。「それにしたって、ずっと戦い続けるのはやっぱり」


 ヘウセは暗い顔で、両手の拳を握った。まるで自分の内心を物語るように。


「辛いです。この戦いが終わらない限りは、女王様が望む世界もやって来ないのだから。ボクは、女王様と平和な時代を生きたいです」


 女王は、その言葉に胸を打たれた。その言葉には真心が、少年の純粋な思いがあったから。年頃の少女が見せるそれと同じ、彼への好意を抱いたのである。恋愛のそれとは違う、人間愛のそれに近い好意を。彼女は「それ」に微笑んで、騎士の少年達に頭を下げた。


「皆さん、本当に有り難う御座います。亜紀さん達も」


 亜紀は、その言葉に首を振った。そんな言葉は、自分には勿体ない。自分は自分の意思で、自分の我侭でここに来たのだ。「心の拠り所を取り戻したい」と言う願いの為に。彼女は、女王に褒められる程の人間ではないのである。


「女王様、頭を上げて下さい。私はそんな、高尚な人間じゃありません。女王様の思うような」


「そんな事は、ありません。貴女は自分の故郷を捨てて、この世界にやって来た。『自分の大切な人を取り戻したい』と言う、たった一つの願いを思って。それは、普通の人には中々出来ない事です。それがたとえ、私のような立場であっても。大抵の人が、躊躇ってしまうでしょう。自分の生きた証を消してまで、そんな」


「女王様……」


「私は自分の立場上、王宮を離れる訳には行きません。本当は、貴方達と一緒に行きたいのですが。周りの目が、それを許してくれない。『女王』と言うのは、本当に淋しいお仕事です」


 亜紀はまた、彼女の言葉に胸を締め付けられた。特に「淋しい」の部分には、彼女が身分としての女王ではなく、仕事しての女王に苦しんでいる様がヒシヒシと感じられた。亜紀は「それ」に胸が苦しくなったが、その気持ちを決して見せようとはしなかった。女王の気持ちを思うあまりに。亜紀は「ニコッ」と笑って、目の前の女王に頭を下げた。


「女王様」


「はい」


「私、頑張ります。ふうちゃんを取り戻すために。これからも、みんなと旅を続けます。この悲しい世界にまた、美しい光が戻って来るように。私も、世界の光を信じたいですから」

亜紀は穏やかな顔で、仲間達の顔を見渡した。仲間達の顔も、彼女と同じ。穏やかの中に真面目さが感じられる。「自分達が、この世界を救う」と言う、そんな真面目さが。亜紀は「それ」に微笑んだが、女王の顔に視線を戻すと、真面目な顔で彼女の顔を見返した。


「女王様も、無理をなされないで下さい」


「有り難う御座います。皆さんのご心配を掛けないよう、無理のない程度に頑張ります」


「はい!」


「それでは」


 女王は自分の仲間達にまた頭を下げて、連絡器の電源をそっと消した。電源の部分にそっと触れるように、映像のそれをフッと消したのである。彼女は椅子の上にまた座ると、不安な顔で自分の侍女に目をやった。自分の侍女は、部屋の隅にそっと立っている。


「幸せですね、私は。こんなにも素敵な人達と」


「私も、そう思います。ですが」


「はい。それでも、不安が消えた訳ではない。気持ちの奥にはまだ、真っ暗な闇が根付いている。自分でもどうする事も出来ない、真っ暗な闇が」


「それが消える日は、来るのでしょうか?」


「それは……」


 少しの沈黙。そして、戸惑い。それが今、女王の心を侵していた。


「分かりません。私には、すべて場面が分かるだけはありませんから。人間の視点で、自分が見えるだけの範囲を見るしかありません。こうして、部屋の中に入っている以上は」


「そう、ですね。ですが」


「分かっています。私の役目は、政治。国のすべてに目を光らせる事です。それらに闇が覆わないように。私なりの最善を尽くす。今の私には、そんな事しか出来ません。彼等の冒険に援助を与える事は出来ても。自分では」


「良いんです」


「え?」


「『自分の後ろに味方が居る』と言うのは、何にも増して心強い。貴女はご自分が思っている以上にご立派な事 女王は、その言葉に涙ぐんだ。その言葉には、相手の好意が感じられたから。それに思わず嬉しくなって、両目の端に涙が浮かんでしまったのである。


 女王は両目の涙を拭って、窓の外に目をやった。窓の外には穏やかな景色が、澄んだ青空が広がっている。彼女は「それ」をしばらく眺めていたが、自分の仕事をふと思い出すと、従者の方に向き直って、今の場所からソッと歩き出した。従者も、それに続いて歩き出した。二人は国主が戦うべき場所、王宮の議会場に向かって歩き続けた。

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