第68話 要塞落とし
魔王軍の砦、つまりは要塞。要塞の周りには堅い外壁が巡らされて、その内部には立派な町が広がっている。魔族の一団が住めるような町が、何層にも折り重なっているのだ。町の中には様々な建物が建ち並び、建物の窓には硝子が、その通りには特殊な素材が使われている。人間の攻撃などではビクともしない素材が、その見事な装飾と合わせて、彼等の町を彩っていた。アムア達が攻め入ろうとしている要塞もまた、そんな華やかな印象を受ける要塞だった。
アムアは机の上に見取り図を開いて、その内容をじっと見下ろし始めた。「この要塞をどう攻め落とそうか?」と言う風に。彼は自分の顎を摘まんで、見取り図の下側に目をやった。見取り図の下側には、要塞の城門が描かれている。
「人間潰しの城門、か」
「そう」と頷いたのは、聖獣使いの青年である。青年もとえ、モンドは、彼と同じような事を考えていたらしく、その隣に歩み寄って、見取り図の城門をじっと見下ろし始めた。「人間の侵入を阻む、鉄壁の城門。城門の全体には、特殊な細工が施されていて」
アムアは、その言葉に目を細めた。その言葉に脅えたわけではないが、彼なりの葛藤を抱えたようである。アムアは右手の人差し指で、城門の部分を何度か叩いた。
「普通の人間では、歯が立たない。それに突っ込めば、ほぼ返り討ちに遭ってしまう」
「だが、それが唯一の侵入口でもある。要塞の周りには、強力な結界が張られているし。その結界を仮に破れたとしても、要塞の対空防御がすぐに動き出してしまう。正に八方塞がりだな」
「本当に。一応の戦力は揃えたが、攻略にはかなりの日数が掛かるだろう。最悪の場合には」
「全滅は、有り得ないだろう。だが、相当の犠牲者が出る。相手は何たって、魔王軍の要塞だからな。そう簡単に落せる訳がない。軽い気持ちで攻め込んでいけば、その大敗は火を見るよりも明らかだ」
「う、ううん」
アムアはまた、自分の顎を摘まんだ。聖獣使いの思考は、尤もである。あれからの冒険で様々な冒険者に会って来たアムアだったが、今の不安はやはり拭い去れない。「自分達がもし、魔王軍が負けてしまったら?」と言う不安は。どんなに考えても、やはり捨てられなかった。戦いの前に作戦を練るのは大事だが、それが「必ずしも最善」とは限らないし、仮に「最善だ」としても、「最善の結果をもたらす」とは限らない。最悪の場合は、最悪の結果になる事すらも……。「ううん」
アムアは自分の髪を掻いて、聖獣使いの顔に目をやった。聖獣使いの顔は、彼と同じように曇っている。
「引くか?」
「え?」
「ここは一旦、体勢を立て直して」
今度は、モンドの方が押し黙った。おそらくは、今の言葉に戸惑ったのだろう。モンドは椅子の上に座って、テントの裏側を見上げた。
「それも良いが、いずれは戦わなきゃならない。今は、仮に引いたとしても」
「う、ううん」
「アムア」
「うん?」
「立ち向かおう。いや、立ち向かうべきだ。ここで引いたとしても、今の状況が良くなるわけじゃない。俺達の生きる状況が、今より改まるわけじゃないんだ」
アムアは、その言葉に押し黙った。その言葉が尤もだったからである。魔王軍とは遅かれ早かれ、戦わなければならないのだ。それこそ、人間の世界を守る為に。己の命を賭して、それと戦わなければならないのである。そんな時に脅えていては、救えるモノも救えない。もっと言えば、人間の敗北すらも招いてしまう。人間が魔王軍に負けてしまえば、その歴史がプツリと切れてしまうのだ。
今まで築いて来た歴史が、これからも続く未来が、綺麗さっぱり消え去ってしまうのである。自分達が「こうしたい」と思う夢も。だから、こんな所で脅えていられない。不安な未来に縮こまってはならない。一時の恐怖に脅えてしまった末路は、真っ暗な絶望しかないのだ。そうならない為にも、今は戦わなければならない。
アムアは両手の拳を握って、聖獣使いの目を見つめた。聖獣使いの目はやはり、驚く程に落ち着いている。
「モンド」
「ん?」
「ありがとう」
モンドは、その言葉に苦笑した。そんな事、「当り前だ」と言う風に。
「別に良いよ。俺は、お前の仲間だからな。仲間の夢は、俺の夢でもある。夢は、挑んでこそ価値があるんだ。それが『どんなに厳しい夢だ』としても。頭の中で描くだけでは、ただの妄想で終わってしまうからな。俺は、妄想の世界に行きたくない。あの人から解き放たれた以上は、自分の夢にも正直で在りたいんだ」
「そうか、そうだな。俺も、自分の夢に正直でないと」
アムアは「うん」と頷いて、要塞攻略の策をまた考え始めた。要塞攻略の策はそう難しい物ではなかったが、それでも良い線を行っていた。要塞の弱点を見つけて、そこから一気に攻め上がる。そう言えば単純極まりない内容ではあったが、その弱点を見つけるのが大変だった事もあり、それが実際に行われた時は、今までの労が報われた思い、何とも言えない高揚感を覚えてしまった。要塞落としに加わった冒険者達が叫び、そして要塞へと突っ込んで行く光景に胸が高鳴ってしまったのである。
アムアは軍団の後ろ側、敵の要塞と相対する場所に本軍を置いて、そこから味方の冒険者達に指示を与え続けた。
「敵の抵抗もあるだろうけど、脅える事はない。俺達はこれに備えて、相応の準備を整えて来たんだから。作戦通りにやれば、絶対に攻め落とせる」
そう叫ぶアムアだったが、それも強ち嘘ではなかった。要塞の内側から城門を上手く壊し、敵の魔物達をすっかり驚かせて、その防御網を見事に崩してしまったのだから。味方の冒険者達が、強気になるのも無理はない。冒険者達は波状攻撃のそれ、国の正規軍すらも真っ青な勢いで、それぞれの技術を活かし合い、ある時は要塞内の建物を、またある時は周りの魔物達を蹴散らした。
アムアは、その光景に目を細めた。その光景に胸が高鳴った訳ではないが、やはり嬉しいモノは嬉しい。冒険者達が長年の敵を蹴散らして行く光景は、自分の魂が解き放たれて行くような感覚、人間の世界に光が差し込むような希望だった。
「今までは、防戦一方だったが。でも、これからは違う。人間の方から攻めて、お前等の世界を脅かしてやる。俺達の世界を取り戻す為にも! 俺達は、断固として戦うんだ」
アムアは「うん」と頷いて、魔王軍の要塞に目をやった。要塞の中では今も、その仲間達が魔族達と戦っている。自分の信念に賭けて、あるいは、自己本位の野望に賭けて、人間の敵を次々と倒していた。アムアと一緒に旅している仲間達も、彼の補佐役であるモンドを除いて、その殆どが要塞、あるいは、要塞の外で戦っている。彼等は人数の上では五分五分でも、それぞれの連携を働かせる事で、その五分五分を優勢状態に引き上げていた。
「よし、このまま押し切れば」
勝てる。そう誰もが思っていたが、そこはやはり魔王軍。そう簡単には、行かない。「人間の側が押している」と分かれば、それ相応の反撃を見せて来る。魔王軍は要塞の守り手である魔物、つまりは守護役と連れ立って、要塞内の冒険者達に反撃を始めた。それがあまりに激しかった所為か、最初は優勢だった冒険者達も次第に押され始め、挙げ句の果てにはやはり五分と五分、一進一退の攻防まで下がってしまった。
そうなってはもう、今までのようには行けない。冒険者側の戦意が挫けた訳ではないが、それでも若干の恐怖は覚えるようになってしまった。冒険者達は「それ」から何とか逃れようと、戦闘の負傷者をできるだけ下げて、戦える者は前線に、その中でもより強い者は、もっと奥に攻め込んで行った。
「良いか、お前達。ここで負けたら、すべてが終わりだぞ!」
そう叫んだのは、熟練の冒険者か? それとも、成り上がりを求める若者か? それは誰にも分からなかったが、それが冒険者達の戦意を上げたのは確かで、冒険者の一人が「それ」に答えると、彼以外も自分の武器を掲げて、負け気味だった精神をすっかり引っ繰り返してしまった。彼等は、戦った。戦って、戦って、戦い続けた。自分の身体がたとえ傷付いても、その戦いを決して止めようとしなかった。彼等は何人もの負傷者を出したが、敵の殆ど倒して、残りの大将に挑み始めた。だが、この大将が思いの外に強い。流石は魔王軍の要塞を任されているだけあって、冒険者達の攻撃を意図も簡単に返してしまった。
冒険者達は、その強さに怯んだ。大将が大将たる強さに、それが示すに大きさに。彼等は戦いへの戦意こそ失わなかったが、身体の方はやはり痛め付けられているので、思うように動けなくなってしまった。
「くそっ!」
負けたくない、負けたくない、負けたくない。俺達は、絶対に勝つのだ。
「何があっても、絶対に!」
冒険者達は身体の痛みに耐えて、その場から何とか立ち上がった。だが、それを眺めているだけの大将ではない。「彼等にまだ戦う意思がある」と分かれば、愛用の長剣を振り上げて、彼等の方に勢いよく突っ込んだ。「その意識は、見事! だが、その程度では勝てない!」と言う風に。自分の前に立ちはだかる冒険者達を次々と倒しては、嬉しそうに「ニヤリ」と笑ったのである。それが冒険達には、悔しくてならなかった。
冒険者達は「それ」に苛立って、自身の武器を振り上げた。「ふざけるな! 俺達を舐めるな!」と。「俺達は、お前の仲間を何匹も倒して来たんだ!」
大将は、その言葉に怯んだ。その言葉に圧せられた訳ではないが、彼等の気迫にはやはり驚いてしまったらしく、先程までは悠々と振り回していた長剣も、今では沈黙を保っている。冒険者の一人が彼に斬り掛かった時も、それに寸前の所で気付はしたが、今までの感情はすっかり残っていた。大将は右手の長剣を振り回して、冒険者達の顔をぐるりと見渡した。冒険者達の顔は皆、殺気と信念に満ちている。
「小癪な、高が人間風情の癖に! 調子に乗るなよ!」
そう罵る大将であったが、最早多勢に無勢。要塞の守りは殆ど破られ、その魔物達も大半が倒されていた。辛うじて生き残っていた連中も、その身体に負っている傷が原因で、思うように動けないでいる。彼等は最初こそ溌剌としていたが、冒険者達の猛攻撃を受けて、それに押し返す事はもちろん、反撃の意思すらもすっかり失っていた。
「うっ、ううっ」
大将は、下僕達の姿に眉を寄せた。その姿を見て、「自分も殺されてしまう」と思ったのだろう。冷静な状態なら別だったが、その胸があまり昂り過ぎて、文字通りの自棄、つまりは破れかぶれの状態になってしまった。こうなっては、死ねば諸共である。大将は背中のマントを翻して、目の前の冒険者達に挑み掛かった。
「この俺が、お前等如きに負ける筈がない! 俺は、魔王様から直々に選ばれた」
最強の魔物、幹部随一の手下。それが彼の誇りだったようだが、それも残念ながら無意味だったようだ。相手との戦いには、そんな肩書き等通じない。すべては実戦を通してのみ語られ、実戦を通してのみ称えられる。それ以外の方法で語られる物は、すべて妄言。あるいは、本人の妄想に過ぎない。それがたとえ、本人の信念から来る物であっても。つまりは、結果がすべてなのである。だが、彼には「それ」が分からなかったようだ。彼は自分でも「負ける」と分かっていても尚、真っ直ぐな顔で自分の長剣を振るい続けた。
「魔王様、万歳!」
玉砕覚悟。そんな言葉が似合う、大将の突撃。それを迎え撃つ冒険者達のまた、決死の覚悟だった。「自分の命等惜しくはない」と言わんばかりに。彼等は互いの剣を交え、そして、その命を奪い合った。それが見せた光景は、この世のどんな光景よりも儚かった。
生命の灯火が消え、目の前の景色が失われる光景。すべての色が死んで、灰色一色に変わる光景。それが身体の痛みと一緒に襲い掛かり、自分が「それ」に「含まれた」と分かった瞬間にはもう、地面の上に横たえていた。冒険者達は、生命の血を流し続けた。大将の方もまた、それと同じだけの血を流し続けた。彼等は互いの命が尽きるまで、自分の武器を振るい続けた。
「覚悟!」
そう叫ばれた声。それと共に光る、一本の剣。剣は大将の胸を突きさして、その生命をすっかり奪ってしまった。「死んで行った仲間の仇!」
大将は、その言葉に応えられなかった。それが発せられた時にはもう、地面の上に倒れ込んでいたからだ。大将は頭上の空を見上げて、そこに魔王の顔を思い描いた。魔王の顔はもちろん、笑っている。そこから見下ろす大将に向かって、「良くやった」と笑っている。それがまるで、「彼への弔い」と言わんばかりに。魔王は見せない場所の、見せない要塞の地面に横たわる配下を見つめて、その働きにあらゆる称賛を与えていた。「魔王様……」
大将は、魔王の称賛に涙を流した。自分の不甲斐なさに胸を痛めたあまり、想像の主に涙が零れてしまったのである。
「申し訳ありません」
それが果たして、肝心の主に届いたのか? それは、誰にも分からなかった。大将の討伐を知らされたアムアにも、その詳細はまったく分からない。味方の冒険者達にただ、「この要塞を落とした」と言う報せを聞かされただけだった。
アムアは「それ」に喜んだが、モンドの助言もあって、それ以上に喜びはしなかった。「危険」と言うのは、こう言う時にこそ潜んでいる。自分が勝利の余韻に浸っている瞬間、その死角から突然に襲ってくるのだ。現にそんな感じで、自分の命を落としてしまった冒険者もいる。アムアは胸の鼓動を抑えながらも、表情の方はあくまで冷静に、周りの冒険者達にも「落ち着くように」と言って、その場が決して浮き足立たないように努めた。
「東方の諺に『勝って兜の緒を締めよ』って言葉もあるからな。自軍の勝利に気を緩めちゃいけない。センターへの報告も」
「分かっている」と答えたのは、彼の隣に立っているモンドである。「俺の使い魔を使えば、すぐにでも運んでくれるだろう。情報は、俺達の生命線だからな」
モンドは聖獣の一体に命じて、センターに要塞陥落の旨を伝えた。
「よし、これで」
終わった。そう誰もが思った瞬間だった。冒険者の一人が「おい、アレを見ろ!」と叫んで、本部の外から叫び始めた。彼は本部の中に入って、その外にアムア達を導いた。
「あっちの方向、ほら?」
変な土煙が見えるだろう。土煙は横一面に広がっているようで、アムア達の本部に勢いよく近づいていた。「あの感じは、尋常じゃねぇ」
冒険者は土煙の先を指差しながらも、真剣な顔でアムア達にその異常性を伝え続けた。「きっとヤバイ連中が来ているんだ!」
アムアは、その言葉に息を飲んだ。正にその通りだったから。彼が見つめる視線の先には、無数のモンスター達が見える。モンスター達は(恐らくは、要塞からの救援を受けたのだろうが)狼のようなモンスターを先頭にして、アムア達の方に迫っていた。
アムアは、その光景に眉を寄せた。あの数はどう考えても、尋常ではない。自分達が戦った相手と同じ、あるいは、それ以上の数がいる。「不味いな」
モンドは、その言葉に舌打ちした。「魔王の要塞をせっかく落とした」と言うのに。彼は悔しげな顔で、隣の相棒に目をやった。
「どうする?」
「って。それはもちろん、戦うしかないだろう。俺が殿を務めてもいいが、それでも全員は助けられない。犠牲者は、大なり小なり出てしまう。だったら」
「うん、ここで迎え撃った方がいいだろう。俺達の仲間は、幸いにも生き残っているし。相手を迎え撃つ人数は、できるだけ多い方が良い」
モンドは「うん」と頷いて、残りの下僕達に命令を出した。
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