第67話 魔物の医者

 同胞の敗北はやはり、何処か悔しい物があった。自分がそれに負けた訳でもないのに、不思議な敗北感が沸き上がって来る。その仇を討ちたくなるような、そんな感情が沸々と沸き上がって来る。フィルドが感じていたそれは、正にその感情だった。頭上の夜空は晴れ渡っていても、その気持ちはまったく晴れていない。それどころ、何とも言えない虚無感を覚えてしまった。アイツは確かに助平だったが、倒されるような奴ではない。その町に住んでいる液状生物達、それらを上手く率いて、どんな敵も捻り潰すような女だった。


「それなのに」


 負けた。フカザワ・エイスケの槍に狩られて、その仲間をすっかり倒されてしまった。そんなに強力な、「妖艶な液状生物達を従えていた」と言うのに。それらすべてを奪われてしまったのである。クハは(風の噂では)その町にしばらく留まっていたらしいが、敵の出現に恐れるあまり、自分の町をすっかり捨てて、何処かの町に逃げ込んでしまった。


「まったく」


 本当に呆れた話だ。だが、それを否める事は出来ない。クハが自分の町を捨てた理由も、ある影から「逃げよう」とする意思も。今のフィルドには、痛い程に分かっていた。フィルドは背中の鉄槌に触れて、地面の上にそれを下ろした。立っている時ならまだしも、夕食の時は流石に「邪魔だ」と思ったからである。仲間の少女達も同じような感じで、倒木の上に座っていた。


「さて」


「分かっている」と応えたのは、彼の真正面に座っていたエリシュである。「助ける仲間がまた、増えた」


 エリシュは人数分の皿にスープを注いで、フィルドから順にそれを手渡していった。


「彼女はたぶん、相当の傷を負っている。精神にも、身体にも。彼女はある意味で、とても純粋だから。それらの痛みは、計り知れない」


「確かにね」と割り込んだのは、その隣に座っていたスキャラである。「あの子は、色んな意味でヤバかったから。今頃は、人間の男共とヤリまくっているんじゃない?」


 スキャラは身体の傷こそまだ癒えていなかったが、そう言うだけの体力は既に戻っていたらしく、傷の痛みに「つぅ」と悶える時以外は、楽しげな顔で二人の会話に混じっていた。


「自分の性欲を満たすためにさ」


 フィルドは、その言葉に目を細めた。いつもは熱血少年である彼ではあったが、その言葉には妙な冷たさを覚えたようで、少女達のように「クスクス」と笑う事が出来なかったのである。彼は焚き火の方に目をやって、その上に乗せられた鍋をじっと眺め始めた。


「アイツがどんな風に生きているのかは、そんな事は大して問題じゃない。アイツが俺達と同じ、魔王様の手下である限りは」


「なら、問題は?」と、エリシュ。「貴方の思う問題」


 エリシュは真剣な顔で、彼の目を見つめた。彼の目はどこか、不安のような物を抱いている。


「そう何かがあるのでしょう?」


「ああ、まあな。本当にちょっとした事だけど。これはあくまで、俺の想像だが。魔王軍がもしかすると、負けるかも知れない」


 スキャラは、その言葉に思わず立ち上がった。その言葉に驚いた事もあったが、それ以上の衝撃を覚えたらしい。ブルブルと震える彼女の身体からは、「恐怖」よりも「困惑」の色が浮かんでいた。彼女は今、彼の考えに心から驚いている。


「そ、そんな事、起こるわけがないでしょう? 魔王軍がまさか、人間如きに負けるなんて」


「俺も、そう思う。そう思うが、この不安はやっぱり消えないんだ。魔王軍が負ける光景がさ、頭からどうも離れない。前は、こんな事なんてなかったのに」


「『彼』が、その意識を変えてしまったから」と応えたのは、自分のスープを啜っていたエリシュである。「知らず知らずの内に。ワタシも、そんな不安に襲われる時がある」


 エリシュは自分の隣に皿を置いて、フィルドの顔に向き直った。フィルドの顔はやはり、自身の不安に強ばっている。


「貴方の予想は案外、当たるかも知れない。彼がまだ、あの槍を振り続けているのなら」


 最悪の事態も有り得る。そう考えたらしいエリシュだったが、フィルドの気持ちを察して、それを言おうとはしなかった。フカザワ・エイスケの強さは、彼女自身も良く分かっている。自分の率いていたアーティファクトの軍勢が悉く倒され、自分も彼の力に平伏してしまったのだから。その力に脅えない訳がない。彼女は彼との戦いを思い返しながらも、表面上ではやはり冷静……いや、「沈着」と言った方が正しいか? その姿勢をずっと保っていた。


「何にしろ、このままではいけない。彼の侵攻を阻む為には」

 

 フィルドは、その言葉に苦笑した。その言葉はある意味で、あまりに滑稽過ぎる。今までは、「自分達が人間の世界を脅かしていた」と言うのに。それでは、自分達が彼に脅かされているようではないか? 悪魔の槍を持った少年に「死ね」と襲われて、その命を奪われているようである。フィルドは「それ」に眉を寄せたが、表情の方には「それ」を決して見せなかった。


「そうだな。だから、仲間を集めなきゃならない。アイツの封土には」


「たぶん、あと二日くらい。彼が自分の診療所に籠もっているのなら」


「フッ」


「どうしたの?」


「いやさ、よくよく考えると面白くて。魔王軍の一人がまさか、『自分専用の診療所を持っている』とか。思わず笑っちまってよ?」


「確かに。でも、そのお陰で彼女も」


 エリシュは「ニコッ」と笑って、スキャラの顔に目をやった。スキャラの顔は、彼女の言葉にキョトンとしている。


「身体の怪我を治して貰える。彼は、とても親切な人だから」


「親切な人、か。まあ、人ではねぇけど? 良い奴には、違いねぇよ」


 フィルドは「ニコッ」と笑ったが、現実の旅が終わっていない事もあって、その笑顔もすぐに消えてしまった。残りの二人も、彼と同じような反応を見せてしまった。彼等は食事と睡眠、それから前進を繰り返して、その目的地である封土に向かった。封土の前に着いたのは、それから二日後の事だった。「魔物が住んでいる」とは、思えない程に穏やかな封土。封土の前には高い壁が設けられており、その出入り口には門番が、門番の隣には役人が立っている。彼等は封土の中に入ろうとする者(特に人間のような姿をしている者)を一人ずつ止めて、その正体をじっくりと確かめていた。


 フィルドは、彼等の前に歩み寄った。彼等には自分達の事は知られているが、一応の規則だったので、その前にちゃんと歩み寄ったのである。フィルドは同胞達の確認を取った上で、彼等に「カルダは、いつもの診療所か?」と訊いた。「スキャラが、冒険者の野郎にやられちまってよ。身体の傷を治して貰いてぇんだ」


 同胞達は、その言葉に驚いた。彼等の認識から言えば、「スキャラの負傷」など予想外だったらしい。彼等はスキャラの身体を気遣って、「カルダ」の診療所に彼等を連れて行った。カルダの診療所は、町の中心部にあった。その主立った建物が建ち並んでいる場所、町の行政、商業、工業などに関わる施設が集まっている所である。そこに向かった訳だが、診療所の中に通されると、得も言われぬ香りが漂っていた。


「これは?」


 フィルドは不安な顔で、診療所の中を見渡した。診療所の中には様々な医薬品や医療道具が置かれ、その一つ一つに不思議な雰囲気が漂っている。彼が偶々見付けた医療器具の硝子瓶にも、怪しげな溶液らしき物が入っていた。彼は、その溶液に息を飲んだ。彼の隣に立っていた二人も、彼と同じような表情を浮かべている。彼等は診療所の主から「久しぶりだね」と話し掛けられるまで、その怪しげな液体をじっと眺め続けていた。


「ああうん、久し振り」と応えたのは、主の顔に視線を移したフィルドである。「魔王城の中で分かれて以来だから」


 フィルドは、主の顔をじっと見続けた。主の顔は美しい、文字通りの美少年だった。年格好も彼と同じくらいで、その身体にも爽やかな白衣を纏っている。まるでそう真っ白な天使のように、フィルド達の来訪を心から喜んでいた。フィルドは、スキャラの顔に視線を移した。


「怪我人が居てさ。悪いけど」


「分かっている、見ただけで分かったよ。『彼女が深手を負っている』って。表面上の傷は、取り敢えずに治ってはいるようだけど。これは、治療が必要だ」


 カルダは、棚の中から硝子瓶を取り出した。硝子瓶の中にはもちろん、その治療薬が入っている。スキャラの怪我を治す治療薬が、その瓶いっぱいに入っていた。ガルダは硝子瓶の蓋を取って、スキャラの前にまた戻った。


「本当は、薄めて使う物だけどね。今回は、原液の方が良いだろう。その方が治りも早いだろうし。薬の味も、甘くしてあるからさ。君でも、『無理なく飲める』と思うよ?」


 ガルダは「ニコッ」と笑って、目の前のスキャラに硝子瓶を渡した。


「さあ?」


 その返事は無かったが、反応自体はあったようだった。スキャラは硝子瓶の中をしばらく見て、その中身をゆっくりと飲み出した。「う、ううう」と唸ったのはたぶん、薬の効き目に驚いたからだろう。最初は薬の味にしか驚かなかったが、やがて身体の状態にも驚いて、最後には「す、凄い!」と飛び上がっていた。「あんなに痛かったのに?」


 スキャラは自分の身体に触れて、その状態にまた「嘘でしょう!」と驚いた。


「も、もう治っている?」


 ガルダは、その言葉に微笑んだ。その言葉がどうやら、相当に嬉しかったらしい。


「そりゃ、そうだよ。それは、特製の回復薬だからね? 普通の回復薬とは、違う。大抵の怪我なら、すぐに治っちゃうさ」


 フィルドは、その言葉に微笑んだ。だが、何やら思う所もあるらしく……ガルダが彼の顔に視線を移すと、複雑な顔で相手の顔を見返した。フィルドは、相手の顔をじっと見続けた。


「でも」


「うん?」


「アイツの力には」


 ガルダは、その言葉に眉を上げた。その言葉にどうやら、違和感を覚えたらしい。彼は相手の顔をしばらく見続けたが、やがて自分の顎を摘まみ始めた。


「なぁ、フィルド」


「なんだ?」


「その相手、『アイツ』って言うのは?」


 フィルドは、その質問に震え上がった。彼と前に別れた時はそうでもなかったが、棄てられた町の一件を聞いて以降はずっと、恐怖を覚えるようになってしまったのだ。それこそ、人間が悪魔を見たかのように。あらゆる神経が震え、自分の心が不安定になってしまったのである。フィルドは何度か深呼吸して、自分の心を何とか落ち着かせた。


使、だよ」


「槍使い?」


「そう、三つの矛が付いている槍。俺達は、その槍使いに倒されたんだ。『フカザワ・エイスケ』って言う、槍使いの少年に」


「ふうん、なるほど。つまり」


「それだけじゃない」


「それ以外にも?」


「ああ」


 フィルドの声が震えたのはやはり、先程のアレを思い出したからだろう。フィルドはまたも自分の心を落ち着かせて、目の前の少年に視線を戻した。


「そいつは、『棄てられた町』を落とした」


 今度は、ガルダの方が押し黙った。ガルダは相手の目こそ見ていたが、その言葉は中々発しようとしなかった。フィルドに「おい?」と話し掛けられても、ただ押し黙っている始末。彼は部屋の中をぐるりと見渡して、相手の目に視線をまた戻した。


「とんでもない相手だね。クハは、死んだのかい?」


「分からない。俺が聞いたのはただ、『棄てられた町が落ちた』って言う情報だけだ」


「……なるほど。それだけじゃ、クハの生死は分からないね」


 ガルダは、その言葉を遮った。相手が「でも」と発した瞬間、その真意に気づいたようである。彼は机の前に行って、その上にあるペンを持った。


「それでも、助けたい?」


「当然だろう? アイツは、俺達の仲間なんだからさ。それを助けるのは、当然だろう?」


 それに対する沈黙は、否定か? それとも、肯定か? その真意は、ガルダ自身にしか分からなかった。ガルダは右手の指でペンを回し、その眉間に皺を寄せた所で、机の上にまたペンを戻した。


「まあ、その気持ちには同意するけどね。僕だって、助けられるものなら助けたい」


「そ、それじゃ!」


「うん。でも、その前に一つ」


「な、なんだ?」


「これだけは、『言って置きたい』と思う」


「これだけは?」


 ガルダはその言葉を無視して、部屋の中をゆっくりと歩き出した。まるで何かを思い描くように、その表情をすっかり消してしまったのである。


「僕は、今の状況に危惧を覚えている。人間と魔物がずっと戦い続けている、この状況に。僕達はたぶん……これは最近になって考えた事だけど、魔王様の政治戦略に使われているんだ」


 フィルドは、その言葉に目を見開いた。その言葉に驚いただけではない。それが意味する事にも、驚いてしまったからだ。魔王様がそんな詰まらない事をするなんて、どう考えても有り得ない事である。フィルドは、相手の顔をじっと睨んだ。


「お前、言って良い事と悪い事があるぞ? 俺達の魔王様が!」


「そんな詰まらない事を? 僕もそう、最初は考えたよ? 『それは、流石に考え過ぎた』ってね? 僕達の主は、そんな風には腐っていない。でもね」


「な、何だよ?」


「そう言い切れない所もあるんだ。魔王様は……正確にはその一族だが、この世界に魔物を生み出して、人間の世界に攻め込んだ。『アイツ等は、世界の害虫だ。それ故に滅ぼさなければならない』ってね、その大義名分を振りかざした。魔物達は、『それ』に従った。それを否める理由もなかったし、人間自体がもうそんな感じだからね。魔王様がそう言うのも分かる。分かるけど、やっぱり腑に落ちない所もある。この世界の人間をもし、本当に『要らない』と思っているのなら」


「い、いるのなら?」


「とっくの昔に滅ぼしている。魔王は、人間よりもずっと強いんだ。下級のモンスターならまだしも、僕達のような存在が人間に負けるなんてまず有り得ない。普通ならすぐにでも討ち滅ぼしている筈だ。『それをやらない』と言う事は、『自分の政治戦略に人間達を使っている』と言う事。つまりは対外戦争を創り出して、余所に魔物達の不満を逸らしているんだ。今の統制が決して、崩れないように。僕達はね、魔王様の遊びに付き合わされているんだよ」


 ガルダは「ニヤリ」と笑って、相手の顔を見返した。相手の顔はやはり、その持論に凍り付いている。


「まあ良いや、『それが想像だ』としても」


「……何だ?」


「僕は一応、魔王様の事は裏切らないよ? 君達の要望にも、ちゃんと付き合ってあげる」


「俺達の、要望?」


「僕の事、仲間に入れたいんでしょう?」


 フィルドはその言葉に俯いたが、やがて自分の顔をゆっくりと上げた。視線の先では、相手の顔が笑っている。


「ああ……。お前が一緒に来てくれれば、多くの仲間を助けられる。人間の攻撃で傷付いた仲間達を」


「そうだね。それには、僕も賛成だ。自分の仲間が傷付くのはやっぱり、僕も見たくないからね? 今までは、ここでのんびりしていたけど。そろそろ動いても良い頃だろう。魔王様の目を欺く為にもね?」


 ガルダは「フッ」と笑って、旅の荷物を纏め始めた。まるでこれから起こる出来事に胸を躍らせるように、道具の一つ一つを揃え始めたのである。


「さて、これから忙しくなるぞ?」

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