第66話 次なる快楽へ

 栄介達が魔王の強化に気付く確率は、限りなく少ないだろう。邪神自身も「自分の気配を消せる」と言っていたし、ホヌスやヘウス達もまた、その気配に気付いていないようだった。彼等は彼等の旅を続け、一方は少年の欲望を満たすため、もう一方は少年との再会を果たすために歩いていた。それがまるで、「宿命」と言わんばかりに。彼等は互いに同じ最終目標を掲げながらも、その一方でまったく違う欲望を掲げていたのである。だから……この両者が相まみえるのは、ずっと先のように思えた。

 

 栄介は棄てられた町を落とした事で、その名を一層に上げていた。「アーティファクトの軍団を倒したばかりではなく、まさか、棄てられた町も落としてしまったのか!」と、そう周りの冒険者から驚かされてしまったのである。それに関わっていたギルドセンターも、その功績を称えて、彼の階級を「B」に引き上げた程だった。

 

 栄介は、その現実にほくそえんだ。表面上では落ち着きを保っていたが、その裏では大いに喜んでいたのである。「まさか、ここまで楽しいだなんて」と言う風に。ふとした偶然から理想の世界へとやって来た彼だったが、こう言う功績を幾つも積み重ねて行くと、それに思わず笑ってしまう、年相応の興奮をどうしても抑えられなかった。こんな遊びは、向こうの世界では決して味わえない。向こうの世界にも「ゲーム」と言う遊びがあるが、あれはあくまで架空の世界で、本当の世界では決してないのだ。その解像度をたとえ、「どんなに上げた」としても。実写の世界にはやはり敵わないし、現実の快楽にもまた敵わないのである。


「だから、ここは最高の世界なんだ」


 魔法が魔法としてある世界、剣が剣としてある世界。それを「RPGだ」と言ってしまえばそこまでだが、今の栄介には「それ」が現実であり、また現実以上の快楽でもあった。この快楽をずっと味わえるのであれば、現実の柵などどうでも良い。栄介は自分の新しい階級章をマジマジと見つつ、その両側に美しい少女達を立たせて、周りの目を一気に集めていた。


「ホヌス」


「なに?」


「ここに連れて来てくれて、本当にありがとう」


 ホヌスは、その言葉に微笑んだ。その言葉がどうやら、相当に嬉しかったらしい。いつもは静かに笑う彼女が、今日に限っては「クスッ」と笑っていた。


「お礼なんて要らないわ。私は、人間の欲望を糧とする邪神。貴方が喜べば、それだけで満たされるから。お礼を言いたいのは寧ろ、私の方よ?」


 栄介はその言葉に喜んだが、やがて真剣な顔付きに戻った。「棄てられた町」を落としてしまった以上、次の楽しみを見つけなければならない。棄てられた町よりも強力で、魔王よりは貧弱な楽しみを。彼は一番の楽しみを残しつつも、真剣な顔で「それ」に負けない程の楽しみを探し始めた。

その楽しみは、すぐに見付かった。自分の横を通りすぎて行った冒険者達が、「要塞落とし」の話題を偶然に話していていたからである。「要塞落としは、最高クラスのクエストである」と、そう楽しげに話していたわけだが……それが栄介の興味の引いてしまった。栄介は先程の冒険者達を追い掛けて、その冒険者達から要塞落としの詳細を聞き出した。


「なるほど。つまり、『要塞落とし』とは」


 読んで字の如く、魔王軍の要塞を落とす事。要塞の中にはかなり強力な魔物達が控えているらしいが、最強設定の栄介にはまったく問題ない。得意の三叉槍で、そのすべてを蹴散らせる。多少の抵抗は受けたとしても、最後は槍のひと突きで終わってしまうのだ。終わってしまうのなら、こんなに面白い事はない。これは、絶対に受けるべき仕事である。


 栄介は目の前の冒険者達にお礼を言って、それから町のギルドセンターに向かった。ギルドセンターの中はもちろん、冒険者の姿で溢れていた。豪華な装備品に酔い痴れている冒険者や、如何にも「初心者」と思われる冒険者まで。あらゆる階級の冒険者達が、それぞれの時間を過ごしていた。栄介は彼等の間を抜けて、センターの受付に向かった。


「こんにちは」


 受付の女性は、その言葉に微笑んだ。それが業務の一つでもあったが、彼女個人としても「それ」がどうやら好きだったらしい。彼女はただの社交辞令を超えた態度で、目の前の少年に「クスッ」と微笑み続けた。


「いらっしゃいませ。何かご相談ですか?」


「はい、『要塞落とし』と言うモノに興味があって」


 それを聞いた彼女の顔が変わったのは、決して偶然ではないだろう。彼女の周りで「それ」を偶々聞いてしまった冒険者達も、真面目な顔で栄介の事を眺めていた。受付嬢は一度咳払いし、それが落ち着いた所で、栄介の顔をまた見返した。


「魔王の要塞に攻め入る積もりなんですか?」


 その答えはもちろん、「はい」だった。


「その積もりですけど? 何か?」


 栄介は不思議そうな顔で、相手の顔を見続けた。相手の顔は、氷のように固まっている。彼の言葉にかなり驚いているらしい。


「問題でも?」


「あります」


「え?」


「有り過ぎる程にあります。貴方の事はもちろん、わたくし共も聞き及んでおりますが。それは、あまりに危険過ぎる。要塞落としは、アーティファクトの軍団を倒すよりもずっと難しいのですから。普通の冒険者は、まず」


「僕は、じゃありません」


「そ、それでも!」

 

 受付嬢は両手の拳を握ったが、それも数秒程で解いてしまった。彼の言葉に折れたのか、あるいは、落ち込んだかして。その意思をすっかり失ってしまったのである。彼女は机の書類に目を落としたが、やがて栄介の顔に視線を戻した。


「分かりました。ですが、『要塞落とし』と言うクエスト自体はありません。『魔王の要塞を落とす』と言う行動が、そう呼ばれているだけで。センターの窓口では、要塞落としを受けていないんです。それで得た諸々は、お支払い出来ますが」


「なるほど。つまりは、『自分でやるしかない』と?」


「そう、なりますね。でも」


「はい?」


「それは、容易な事ではありません。一流の冒険者でも、それなりの人数を揃えなければなりませんし。単独で落とすのは、ほぼ不可能です。わたくし共の知る限りでは、その大半が返り討ちに遭っている。それこそ、生きて帰れたのが不思議なくらいに。要塞落としは、それ程の危険が伴うモノものなのです」


「でも、誰かはやれなきゃいけない。敵の要塞が生きている以上は、人間への脅威もなくならないんですから。誰かが、『それ』を打ち崩さなきゃならない。自分の命に代えても。僕はただ、社会の役に立ちたいだけなんです」


 止めの一撃だった。特に「社会の役に立ちたい」と言う部分には、自分でも呆れる程に熱くなってしまった。栄介はそんな自分の演技に呆れつつも、表面上ではやはり真面目な態度を見せ続けた。


「いけませんか?」


「い、いえ、まったく。そのお考えは、『とっても立派だ』と思います。社会にご自分の力を役立てるなんて。普通の人間には、中々出来ない事です。それがたとえ、一流の冒険者でも」


「そんな事は」


「ありますよ? 大抵の冒険者は、自分の損得だけですから。公益の事を考えている人は、少ない。『スキル死に』が」


「スキル死に?」


「自分のスキルが突然に消えてしまう現象です。ご存じありませんでしたか?」


「はい、初めて聞きました。そんな現象があるんですね?」


「ええ、本当に極稀に。スキルの死んだ人間は、その大抵が無能になってしまう。今まで使えていたスキルが、使えなくなって。その意味では、彼はもしかすると……特別な人間かも知れません」


「特別な人間。その、『彼』とは?」


 受付嬢は、声の調子を落とした。この話はどうやら、周りの人々にあまり聞かれたくないらしい。


「『ゼルデ・ガーウィン』と言う冒険者の少年です。元々は剣士だったらしいのですが、『スキル死に』が起ったようで。今は何故か、『魔術師』になっているようです。何でも、そう言う力のある少女をパーティーに入れているようで」


 栄介はその話に驚いたが、それもすぐに消えてしまった。その話を聞いた瞬間、彼の中で新しい好奇心が生まれたからである。「その『スキル死に』が起った彼、」と言う好奇心が。栄介は「それ」に胸を踊らせながらも、表面上ではやはり落ち着きを保ち続けていた。


「へぇ、そんな人が居るんですね。世の中は、広い。この先に何処かで会ったら」


 その時は、迷わずに潰してやる。最強設定の自分が負ける事はまずないだろうが、「それ」を抜きにしても、やはり面白そうな相手に変わりはない。ここは是非、「一戦交えたい」と思った。そう言う特殊な人間、まるでもう一人の主人公のような相手は、さっさと潰すのに限る。誰が本当の主人公かを分からせる為にも、ここは完膚なきまでに叩き潰す必要があった。栄介は「それ」に胸を踊らせて、腰の剣をゆっくりと撫でた。


「元剣士なら、コイツで殺し合うのも」


 受付嬢は、その言葉に目を見開いた。特に「殺し合う」の部分には思わず震えてしまったようで、栄介が彼女に「冗談ですよ?」と言っても、その表情を決して崩そうとしなかった。彼女は何度か咳払いして、顔の緊張を何とか解きほぐした。


「そ、そうですか、それなら良いんですけど。同じ冒険者同士でも、それに相手の承諾が無ければ」


「どうなるんです?」


「罪に問われます。殺人は、列記とした犯罪ですから。犯罪者には、相応の罰が下されます」


「なるほど。それは、大変ですね。正当防衛なら仕方ないでしょうが」


「ええ、はい。だから、危ない事はしないで下さいね?」


「当然です、それ位の倫理は」


 持っている。持っているが、「それ」を使う積もりはない。自分はもう、一人の人間を殺しているのだ。一人の人間を殺している時点で、今更犯罪も糞もない。ただ面白く、ただ愉快に、自分の欲望を解き放つだけである。神の免罪符を得た人間、それこそ悪魔のように。自分の前に立った敵を突き殺し、その背中に迫った敵を斬り殺すだけだった。栄介は「それ」に微笑んで、腰の剣をまた撫でた。


「その話はまた、この位にしましょう。僕は、魔王の要塞を潰す。要塞の戦力を潰す為に、そして、人間の自由を取り戻す為に。僕は自分の槍を使って、魔王の軍を突き殺してやるんだ」


 栄介は「ニヤリ」と笑って、隣の邪神に目をやった。隣の邪神もまた、彼と同じように笑っている。


「まあ、そう言う訳なので。僕は、これから」


 戦いに行く。それさえ決まれば、あとは実行に移すだけだ。受付嬢から「そうですか」と言われても、それに「はい」と頷くだけで良い。周りの冒険者達から「お、おい、本気かよ? アイツ」と言われても、それに「フフフッ」と笑うだけで良いのだ。それら以外の反応は、要らない。


 栄介は自分の仲間を連れて、ギルドセンターの外に出た。ギルドセンターの外には町が広がっているが、その道路を進むだけで、町の風景には目をやらない。もっと言えば、空気のように流していた。これから行う偉業に比べれば、こんな景色など前座に過ぎない。それらの景色が歓喜に震える光景もまた、ただの娯楽でしかないのだ。娯楽は人間の内面を沸き立たせるが、その外面にはまったく無干渉、それに変化らしいモノは何も見られなかった。


「彼等は観客でこそあれ、その主役ではないんだ。ましてや、その主役にとやかく言うだけの」


「存在ですらない?」と訊いたのは、彼の隣を歩いていたホヌスである。「彼等は?」


 ホヌスは「ニヤリ」と笑って、彼の横顔に目をやった。彼の横顔は、「ニコリ」と笑っている。


「ただの脇役だから?」


「そう言う事。脇役には、即退場を願わなくちゃ?」


 栄介はまた、「ニヤリ」と笑った。文字通りの不敵な笑みを浮かべて。彼は腰の剣に目をやったが、やがて何度か咳払いし、それから背伸びもして、町の道路をゆっくりと歩き始めた。ホヌス達も、それに続いて歩き始めた。彼等は町の道路を歩き続けたが、道路の外れまで行くと、そこの役人に通行証を見せて、道路の外れに建っている門を潜り、門の外へと出て行った。


 門の外には、美しい景色が広がっている。人間の世界と自然、それを分ける景色がずっと広がっていた。景色の向こうには、分厚い雲も広がっている。雲は地平線の端まで落ちていたが、その境目には稲光が見えていた。その部分にはどうやら、天の稲妻が落ちているらしい。稲妻は怪しげな光を放って、大地の上に雷撃を食らわせていた。


 栄介は、その雷撃に「ニヤリ」とした。雷撃の光に胸が躍ってしまったからである。


「あそこに行ってみようか?」


「え?」と驚いたのは、彼の後ろを歩いていたサフェリィーである。「あ、あそこに、ですか?」


 サフェリィーは後ろのホヌスに振り返って、それからまた、正面の栄介に向き直った。今の言葉にかなり戸惑ってしまったらしい。


「雷が落ちている?」


「そう、雷が落ちているあそこに。要塞の場所を聞き忘れちゃったけど……まあ、かなり目立つ場所である筈だからね。そこら辺の通行人にでも訊けば分かるだろう、別に急ぐ旅でもないからね? 『要塞落とし』と言う目標がある以外、これまでと同じように進んで行こう」


「は、はい、分かりました。エイスケ様がそうおっしゃるのなら、わたしも『それ』に従います」


「ありがとう」


 栄介は「ニコッ」と笑って、自分の正面に向き直った。彼の正面には、例の景色が広がっている。彼の好奇心を満たす景色が、その欲望に微笑み掛ける風景が、無限に広がっていた。まるで人間の闇を形作るかのように、あらゆる情景を超えて、その夢を広げていたのである。彼は「それ」に頷いて、少女達の足を促した。


「さて、行こうか?」


 少女達は、その言葉に従った。その言葉を拒む理由は、何処にも無い。それとは逆の意見、「いいえ、あちらに行ってみましょう」と言う言葉も。少女達は(大抵の場合は)彼が「右」と言えば右、「左」と言えば左に進む、そう言う種類の少女達だった。だから、その返事もほぼ同じ。「ええ」や「はい!」の返事しか聞こえて来ない。「貴方の行く所なら何処にでも!」


 二人は「ニコッ」と笑って、彼の意思に従い続けた。彼の意思がどんな種類であれ、それに喜んでついて行ったのである。


「私達は、貴方の仲間だから」


 栄介は、その言葉に微笑んだ。その言葉自体が嬉しかった事もあるが、何よりも「仲間」と言う言葉が面白かったからである。この関係が果たして、「仲間」と呼べるのかも怪しいのに。彼女達は「それ」に迷う事無く、純粋な笑みを浮かべては、楽しげな顔でいつもの定位置を保っていた。


「そうだね。僕達は」


 そう……。


「掛け替えの無い仲間だ。何ものにも変えられない、本物の」


 栄介は「ニヤリ」と笑って、自分の言葉に酔い痴れた。それがたとえ、どんなに醜い事であっても。彼は自分の幸運に心から喜んで、これから起るだろう事、無数の浪漫に胸を踊らせ続けた。


「冒険は、まだまだ終わらない。その過程でどんな事が起ろうが、それをすべてねじ伏せてやる。『スキル死に』から蘇った冒険者、と戦う事になっても。僕は、この冒険を楽しみ続けてやる」

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