第三章 異世界篇(要塞落とし)

第65話 魔王と邪神

 棄てられ町の陥落は、それだけで大きな話題になった。その脅威に悩まされていた人間達はもちろん、「それ」を置いていた魔王軍にも大きな衝撃を与えたのである。彼等は、その情報に震え上がった。人間の側は歓喜に、そして、魔王の側は困惑に。両陣営がそれぞれの反応を見せて、今後の事を話し始めた。つまりは守護神、あるいは破壊神の処遇について。彼等はそのどちらに傾くか分からない天秤、天秤の皿に重りをいくつ乗せるか話し続けた。「重りの数をもし、間違えたら?」と、いくつもの論議を続けたのである。

 

 彼は……フカザワ・エイスケは、我々の未来を決める天秤。それがどう傾くかで、今後の未来もまた変わって来る。以前に貴族達の前で「それ」を話したイルバ女王も、魔王城の魔王様と同じように唸り、そして、同じように考えていた。「彼の存在を改めて考えなければならない」と言う風に。一方は部屋の椅子に座って、もう一つは王室の玉座に座って、見えない未来をじっと見つめていたのである。「頼長亜紀の事は信じられる、気がする。でも、彼女にだけ彼の事を任せて良いのか?」と、そして、「今よりもさらに良い手は無いのか?」と。


 二人は「白」とも「黒」とも付かない駒を睨んでは、それに対する対策、つまりは防衛策を練っていた。事物の表面だけを見れば、高い確率で痛い目に遭う。彼は(表面上でこそ)人間の味方をしているが、それはあくまで表面上の事であり、いつ心変わりするとも限らない。最悪の場合は、その両方を潰しに掛かるかも知れないのだ。今までの情報を鑑みる限り、それは抗えない事実なのである。彼はきっと……いや、間違いなく最強。


「なら」


 魔王は右手の人差し指で、玉座の手摺りを叩いた。手摺りの上は、綺麗に磨かれている。


「そろそろ本気を出さなきゃならないか?」


 今までの遊び状態から本気状態に、あらゆる戦術を用いた本気の戦争に。下級種族の人間を滅ぼして、彼との総力戦に臨まなければならないのか? 魔王軍の兵士達を守るために。魔王は手摺りの上を何度も叩きつつ、真面目な顔で自分の正面を見続けた。


「まったく、本当に困った獲物だ」


 獲物なら黙って狩られてはいれば良いのに。そう彼女が思った瞬間、王室の奥から不思議な声が聞こえて来た。今まで聞いた事のないような、でも何処か安らかな声。安らかさの中に怪しさがある声。声の主は「フッ」と笑って、彼女の前にスッと現れた。


「お前は?」


 魔王は、目の前の相手をマジマジと見た。目の前の相手は、どう見ても少年。それも、(見掛け上では)自分と同い年くらいの美少年だった。身長は、自分よりも高い感じ。着ている衣服も不思議な感じだったが、粗末な服ではなかったので、驚きこそはあっても、「それ」に対する不快感は抱かなかった。


「一体?」


 魔王は、王室の中を見渡した。王室の中には近衛兵達が立っていたが、侵入者が王室の中に現れたのにも関わらず、そこから一歩も動こうとしなかった。まるで催眠術にでも掛けられたかのように、意識と現実との間に強固な壁を作っていたのである。


「これは?」


 魔王はまた、目の前の少年に視線を戻した。目の前の少年はまだ、楽しそうに笑っている。


さ」


「空間変更?」

 

不思議な言葉だ。そんな言葉は、今まで聞いた事がない。周りの空間をすっかり換えてしまう魔法なんて。魔王の心の動揺を抑えつつ、尚も目の前の少年を見つめ続けた。


「もう一度訊く。お前は一体、何者だ?」


 その答えは、即答だった。何の迷いもなく、「邪神」と。


 少年は「ニヤリ」と笑って、玉座の魔王を見上げた。


「つまりは、『邪なる神』って奴だね」


「神、か。それは」


 確かに厄介な相手だが、一つで腑に落ちない事がある。


「その神が、この魔王に何の用か?」


 少年はまた、「ニヤリ」と笑った。その質問がどうやら、相当に面白かったらしい。


「用? そんなモノは、簡単に推し測れるでしょう?」


 それに対する沈黙は、相手から答えを聞き出すための布石だった。


「なるほど。君は、そう言うタイプか。良いだろう。僕が君の前に現れた理由は」


「理由は?」


「君の欲に興味を抱いたからだ」


「あたしの欲に興味を抱いた?」


 そう繰り返す中で思った事は一つ、それは「そんな陳腐な理由で?」だった。たった一人の魔王、その欲に興味を抱いたなんて。彼が偽物ではない、「本物の邪神だ」としても、その理由にだけはやはり呆れてしまった。「『神』と言う者は、暇人しか居ないのか」と。だから彼に対する態度も、いくらか不遜になってしまった。敬えない相手には、敬意はやはり払えない。魔王は玉座の上に座って、自分の足を組み始めた。


「お前が仮に神だとして」


「なに?」


「何か利益はあるのか?」


「利益?」


「そうだ。心有る者は、常に利益を。そこにある快楽を求める。あたしの欲望を叶える事が、『お前の利益になる』とは思えない。お前はどう見ても、奉仕者には見えないからな」


 少年は、その言葉に微笑んだ。「奉仕者」の部分がどうやら、余程におかしかったらしい。


「確かにそうだ。僕は、奉仕者じゃない」


「だろう?」


「だが」


「ん?」


「それが、僕の糧だからね。人間の、あるいは、それに類する者の願いを叶える。自分の願いが叶えば、その人間は大いに満たされるからね。彼または彼女の中にある心が」


「なるほど。つまりは、まあいい。とにかくそう言う事なんだな?」


 少年は、その言葉に目を細めた。それから生じる恐ろしい妖気と共に。


「流石は、魔王。察しが良いね」


「伊達に魔王はやっていないからな。そのくらいは、出来る。相手の意図を推しはかる事くらいは」


「ふふふ、そう。なら」


「待て」


「ん?」


「大事な願い事だ。お前の正体が何であれ、ここはじっくり考える。自分の願いを言った後に『実は、偽物でした』と言われたら堪らないからな」


「疑い深いね。でも、そうでなきゃ魔王なんてやっていられない」


「そう言う事だ」

 

 魔王は「フッ」と笑って、自分の思考と向き合った。自分の思考は無言ではないものの、最初は一言も喋らず、目の前の事象をじっと眺めていた。己の願いが何でも叶う。それは大変魅力的な、そして、暴力的な権利だった。「己の願いが叶う」とは、自身の心が満たされるわけではない。それに至るまでの過程が、もっと言えば浪漫が、その瞬間に否まれる事でもあった。過程と浪漫を欠いた願いは、ただの妄想でしかない。自分では何一つ動かず、他者から与えられるただの副産物でしかないのだ。副産物の内容が陳腐であるなら、それを叶える価値はない。そこまで考えると、やはり「ううん」と唸らざるを得なかった。


 自分は今、己の願いを充分に叶えている。それに助け船が出されるのは、文字通りの野暮であり、また余計なお世話でもあった。「フカザワ・エイスケ」と言う未知の敵こそ現れたものの、「それが自分に脅威を与える」とは、今の彼女にはどうしても思えなかった。アーティファクトの軍団を倒した事はもちろん、棄てられた町を堕とした事も、それに驚きこそするが、怖がりはしない。一瞬のお祭りのように思えた。遊びは自分が優位な状態で進めつつ、そこにある程度の問題もあった方が良い。その意味では、フカザワ・エイスケは彼女にとって最高の問題だった。「彼と遊んでいれば、最高の暇潰しが出来る」と。だが……そんな彼女の浪漫は、次の一言で見事に砕かれてしまった。



「え?」


 勝てない? まさか? 彼は確かに強いかも知れないが、それでもまだ自分の方が……。


「強いだろう? 『どんなに強い』と言ったって、そいつは」


「ただの人間じゃない」


「え?」


「言葉通りの悪魔だ。元は人間だったが、邪神との契りで」


「ま、待て!」


 思考が追い着かない。特に「契り」の部分には、想像以上に揺れ動いてしまった。彼は何らかの方法で邪神と出会い、その契りと経て、大いなる力を手に入れた。それこそ、魔王軍の幹部達に深手を与える程の。彼は自身の才能、生まれながらの才覚でのし上がったわけではなかったのである。魔王は、その事実に震え上がってしまった。


「卑怯な奴だ」


「そうだね。だから、君も卑怯になろう」


 魔王は、その言葉に眉を上げた。それが意味する所を察したからである。


「面白い冗談だな」


「冗談じゃないよ? 今のままでは、君は彼に勝てない。彼は、最強の悪魔だからね。君が『自分の全力を出した』としてもね? 返り討ちは、必至。互角に近い勝負は出来ても、最後の所で競り負けてしまう。君は言わば、この世界で彼と」


「御託は良い!」


 魔王は、玉座の上から立ち上がった。手摺りの部分を叩き、床の上を踏み付けて。彼女は少年の前に歩み寄ると、不機嫌な顔で相手の目を睨んだ。


「消せ」


「消す?」


「そうだ。あたしの力で勝てない以上、そんな奴を野放しにはして置けない。不安要素は、すぐに抹消」


「したいのは、山々なんだけどね? その願いは、ちょっと無理かな?」


「なぜ? お前は、どんな願いでも叶えられるのだろう?」


「ああうん、まあ。でも、そこに」


「なんだ?」


「同じ力があると難しい。彼には僕の同族が、つまりは邪神が付いているからね。ついでにもう一人の人間、これは彼の幼馴染らしいけど。その子にも邪神が付いている。元の世界から異世界に移って来た彼を取り戻すために」


 魔王は、その言葉に目を見開いた。特に「邪神が二人居る事、元の世界から」の部分には、今までにない程の興味を引かれてしまった。その少年はどうやら、余所の世界から来た異邦人らしい。それを確かめる術はなかったが、彼の話が「真実だ」とすると、それにどうしても驚かざるを得なかった。魔王は不安半分、興奮半分で、相手の目をじっと見返した。


「異邦人が二人も居るのは驚きだが、それ以上に」


「なに?」


「片方の目的は、分かる。だが、もう片方の目的は何だ? 異邦人がこんな所にわざわざ来て」


「娯楽だよ」


「娯楽?」


「そう、娯楽。彼は自分の欲望を解き放つために……まあ、君等にとっては迷惑だろうけどね。ここを最高の遊び場に決めた。自分は決して負けない状態、最強の悪魔にして貰う事で。彼は、自分の快楽を満たしている。君達は言わば、その犠牲者だね」


「ふざけた話だ。この世界に生まれてすらいない者が、好き勝手に暴れるなんて」


「でしょう? だからね、僕の提案としては」


 少年は「ニヤリ」と笑って、その声を潜めた。彼もまた、彼なりに楽しんでいるらしい。


「その不均等を無くそう? それが無くなれば、彼の優位性も無くなる。優位性の無くなった彼は、そこら辺の冒険者と同じだ。そこら辺の冒険者よりは、ちょっと強いだけの。まあ、君が彼と互角になるだけどさ。邪神の力は、種族の違いを問わない。人間も、魔族も、同じような事になる」


「なるほど。なら」


 魔王は「ニコッ」と笑って、彼の目を見つめた。彼の目はやはり、笑っている。それがとても楽しかったが、まだ残っていた疑問、その内容だけはどうしても話したかった。彼女は、少年に「それ」を話した。


「契りは、結ぶ」


「そう」


「ただ」


「なに?」


「その前に一つ、訊いても良いか?」


「なに?」


「お前は、何処から来た?」


 魔王は「フッ」と笑って、自分の思考と向き合った。「なに?」


「お前は、何処から来た?」


 それは、愚問だったのかも知れない。そう訊いた当人は真剣だったが、訊かれた方は何処か楽しげだった。彼女の周りを歩き、王室の床を鳴らす動きからも、子どもの悪戯を思わせる余裕が感じられた。彼は、今の質問自体を楽しんでいる。彼女の前で止まり、その目をじっと見返す視線は、その感情を如実に表していた。少年は王室の天井を指差して、それから目の前の少女に微笑んだ。


「神の世界」


「神の、世界? それは?」


「簡単に言えば、すべての起点となる世界。その上にある世界だ」


 魔王は、その言葉に眉を寄せた。そんな説明では、ますます分からなくなる。「起点」と言う言葉が出て来た時点でも、既に分からないのに。彼は、「簡単」の意味を履き違えているのはないか? 魔王は真面目な顔で、相手の顔を見返した。相手の顔はやはり、笑っている。


「衒学を語るな。もっと分かり易く言え」


 少年は、その言葉に溜め息をついた。今の言葉にたぶん、呆れてしまったのだろう。

「君は、『ここが世界の中心だ』と思う? あらゆる物事の起点となる、つまりは『中心の世界だ』と?」


「そんな事は、考えた事もない。あたしの世界は、一つだけだ。それに中心も端もない。その隣にたとえ、『別の世界があった』としても。それは、ただの異世界だ。この世界とは、違う」


「その認識も、間違ってはいないけれどね。でも、それだけではいけない。あらゆる世界には中心が、『現実世界』と呼ばれる原点があるんだ。その原点から発って、ある世界では魔法が、またある世界では科学が、ゆっくりと育って行く。この世界は数ある世界の中でも、『魔法』の力が育った世界なんだ。君には、その自覚が無いかも」


「知れないが。それだって、どうでも良い。肝心なのは、その現実世界が厄介かどうかだ? あたし達、魔族にとって?」


「『厄介』と言う点では、確かに厄介かも知れない。そこは、世界の生産地だからね。人々の想像が、その僅かな願いが、無限の世界を生み出してしまう。ここは『平行世界』ではなく、異世界だからそんなに心配はないけど。SFのような科学空想は、その現実と隣り合わせだから厄介だ。少しの間違いが、多くの問題を起す。その意味では、ここは世界の過疎地なんだよ」


 魔王はまた、彼の言葉に眉を寄せた。言葉の意味を分かろうとする、その努力が馬鹿馬鹿しくなったからである。この理論が分かった所で、自分には何の利益も無い。ただ、自分の頭が痛くなるだけだった。魔王は彼の言葉を遮って、その内容を勝手に纏めた。


「とにかく」


「うん?」


「お前があたし達にとって、有益なのは分かった」


「……そう。まあ、そう思うのなら良いや。僕としても、その方が話を進め易いしね?」


 少年は「ニコッ」と笑って、魔王と例の契りを結んだ。


「うん、これで君も最強だ。彼がいつ攻めて来ても」


「大丈夫。それは、良いが」


「うん?」


「お前の事は、そいつらに気付かれていないのか? お前が『同胞の気配を感じられる』と言う事は、『同胞もまたお前の気配に気付いている』と言う事。敵対する相手に強力な味方が付けば、それだけで何らかの行動を起すだろう? 『同胞の命を奪わなければ』とか?」


「ああ、それ? それなら大丈夫。僕は、自分の気配を消せるからね。ここに来たのは、仲間の誰にも気付かれていないよ? 僕は、何処にも属さない個だからね。個は、何処までも一人だ」


「そ、そうか。それなら良いが」


「うん」


 少年は「クスッ」と笑って、踊りように一回転した。


「僕の名前は、ラビス。その意味は、『欲を楽しむ者』」


「ラビス、欲を楽しむ者」


「君の事は、なんて呼べば良い?」


 魔王は、その質問に微笑んだ。質問の内容自体は陳腐だったが、彼女としては愉快だったらしい。魔王は彼の手を取って、その身体を踊らせ始めた。


「魔王で良いよ。それが一番、しっくり来る」


「分かった」


 少年は「ニコッ」と笑って、彼女のダンスに応えた。彼女と同じ、十四歳の身体を動かして。

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