第64話 町の終焉

 強者の特権は、狩りを遊びに出来る事だ。本来なら命懸けである筈の狩りを子供の遊びにしてしまう。この町を統べていた少女、液状生物のクハもそう思っていた。自分達は魔王からこの町を直々に任され、ついでに「増えても良いぞ」とも言われて、その命令通りに生きて来たが、今回のこれはあまりに唐突だった。いつものように生きていたら、突然に聞こえて来た悲鳴。悲鳴のすべては味方で、相手の恐怖に脅える声はあっても、戦いの勝利に打ち震える声はなかった。

 

 つまりは、阿鼻叫喚の地獄絵図。自分の姿を見つけて「クハちゃん!」と喜ぶ仲間達は、その大半が傷を負っているか、傷は負っていなくても、その目に涙を浮かべていた。彼等は、自分に助けを求めている。自分の横を次々と通り過ぎて行くそれは、今まで人間に猛威を振るって来た液状生物ではなく、その人間から逃げ惑う哀れなスライム達だった。スライム達は一人、また一人と、彼女の横を通り過ぎて行った。

 

 クハは、その光景に苛立った。「自分の味方がまさか、こうも逃げ惑うなんて」と、そう内心で思ったようである。「自分達は、敵に脅えるような存在ではないのに?」と。だから、彼女は呼び止めた。逃げ惑う同胞達の行為こそは止めなかったものの、「町の中からは、決して出ないように」と命じたのである。これ以上の恥を晒さないように。彼女は無邪気で純粋だったが、それと同時に残虐で傲慢でもあった。


「クハ達の町は、クハ達で守らなきゃ駄目じゃない!」


 同胞達は、その言葉に立ち止まった。それに反抗心がなかったわけではないようだが、頭目の命令にはやはり逆らえないらしい。彼女達は敵との距離を出来るだけ取りつつも、彼女が怒らなそうな距離、「ここなら大丈夫だろう」と言う位置を見付けては、不安げな顔で自分達の頭目をじっと見始めた。


「クハちゃん……」


 クハは、その言葉に応えなかった。それ自体は彼女の耳に入っていたが、自分の目の前に敵が立っていた所為で、その声に応える余裕がなかったからである。目の前の敵は黒い槍を構えて、自分の事(たぶん、首辺り)をじっと狙っていた。


「くっ!」


 初めての舌打ち。舌打ちの音は嫌らしく、そうした彼女自身も不機嫌になってしまった。


「よくも、殺ってくれたね!」


 その口調も子供らしいが、そこには怒りが混じっている。目の前の敵に対する、確かな怒りが。彼女はその怒りに任せて、目の前の敵をじっと睨み付けた。


「許さない」


 相手は、その言葉に「許さない?」と言い返した。それも、かなり挑んだような口調で。彼女が「そうだよ!」と言い返した時も、その言葉に溜め息こそついたが、それ以外の反応はまったく見せなかった。


「それは、どの口が言っているの?」


「どの口が?」


 意味が分からない。だが、それに負けたくもない。相手は訳の分からない事を言って、自分の頭を惑わせるつもりかも知れないからだ。


「クハは、自分の思った事を言っているだけだよ? それなのに?」


「だからだよ」


「え?」


「だから、文句を言っている。君達は、人間を殺し過ぎた」


 クハは、その言葉に眉を上げた。その言葉に思わず驚いてしまったからである。彼もまた、そこら辺の冒険者と同じようだった。


「なぁんだ」


 その返事は、ない。彼女の目をじっと見ているだけだ。


「つまんない」


 また、無言。


「きみも、普通の人間なんだ」


 相手は、その言葉に眉を寄せた。今の言葉が相当に苛立ったのだろう。表情の方はあくまで冷静だったが、両手に持った槍をくるくると回す動きからは、彼の心情がしっかりと見て取れた。彼は、明らかに怒っている。無言の内に構え直した槍からも、その殺気が感じられた。彼は少女に槍先を向けて、その目をじっと睨んだ。


「元はね」


「元は?」


「そう。でも、今は違う」


「どんな風に?」


「こんな風に」


 そう言った彼の姿が消えたのは、少女との距離を一気に詰めたからである。彼は少女の胸元に槍先を向けて、勝ち誇ったように「フフッ」と笑った。


「君をすぐに殺せる。今のこれは」


 そこから先は、聞かなくても分かっていた。つまりは、彼のお情け。「お前の命は、いつでも奪える」と言う無言の比喩だった。「お前では、この僕に敵わない」と言う。今もなお笑っている顔からは、その殺気がしっかりと感じられた。


 クハは、その殺気に驚いた。いや、「驚いた」なんてモノではない。その目を見開いて、明らかに戦いてしまった。彼と戦ったら十中八九、助からない。絶対に殺される。今はジワジワと攻められているが、それが「嬲り」に変わってしまえば、その槍先が牙を向いて、彼女の喉を見事に貫いてしまうだろう。あるいは、その身体を粉々に砕いてしまうか。そのどちらであれ、彼女の前には「死」と言う世界が待っていた。


「くっ!」


 クハは、彼の前から離れた。彼女の本能が「そうしろ」と命じたからである。彼の近くにいたら、その命がいくつあっても足りない。「破壊」と「再生」を繰り返す事になる。液状生物である自分が、そこら辺の雑魚と同じように殺されてしまうのだ。それこそ、熱せられた水が爆ぜるように。その身体を溶かされてしまうのである。


「そんなのは、嫌!」


 絶対に。


「クハはもっと、交わりたいの!」


 クハは半狂乱となって、目の前の敵に攻撃を放った。攻撃は、相手に当たった。当たったが、その槍に防がれてしまった。相手が両手で回す槍に防がれて、その攻撃自体を見事に防がれてしまったのである。その反動でよろけたのも、相手の槍が予想以上に強かったからだろう。彼女としては半信半疑だったが、溶解液がすべて防がれた光景は、衝撃以外の何モノでもなかった。彼はやはり、普通の冒険者ではない。


 クハは冷静な顔で、相手の顔をじっと見始めた。


「あなたは、一体?」


 相手は、その質問に「ニヤリ」とした。質問の内容自体は別におかしくはなかったが、彼の表情を見る限り、彼にとっては文字通りの愚問であるらしかった。相手は右手の槍を巧みに操って、彼女にその槍先を向けた。


「深澤栄介」


「フカザワ・エイスケ?」


 それが、彼の名前らしい。


「不思議な名前」


 この世界には、無いような感じの。それを本人に言うのは変な感じだったが、「彼が自分の敵である事」を思い出すと、それまでの表情を忘れて、相手の顔をじっと見返した。相手の顔はやはり、落ち着いている。いや、「楽しんでいる」と言った方が正しいかも知れない。普通の冒険者なら戦くような状況にも戦かず、それを寧ろ喜ぶような雰囲気で、ある時には笑顔を、またある時には殺意を向けつつ、その場に堂々と立ち続けた。


 クハは、その姿に息を飲んだ。彼の姿が美しかったわけではないが、そこにある種の畏怖を感じたからである。だから、その渾名も勝手に決めてしまった。


「フカちゃん」


「フカちゃん?」


「そう。フカザワ・エイスケだから、フカちゃん」


「なるほど。で、なに?」


「取り引きしない?」


「取引?」


「そう! クハとフカちゃん、そのどっちにも良い。この取引に応じれば」


「君達の命が助かる?」


「え?」


「だって、そうじゃない?」


 少年は、地面の上に槍を突き刺した。まるで相手の言葉を嘲笑うかのように、自分からその槍先を封じてしまったのである。それには、流石のクハも驚いてしまった。


「今の状況は、君達の方がどう見ても不利なんだからさ? 不利な状況で出す取引は、取引じゃない。取引に見せ掛けた命乞いだ。『自分達の事はどうか、見逃して欲しい』ってね。現に」


「げ、現に?」


「君達は、負け掛けている。たった一人の冒険者にね? 自分達の本命にすら手も出せずに」


 クハは、その言葉に眉を寄せた。彼の言葉は、尤もだった。自分達の本命は、彼の後ろに控えているのに。それを阻む壁があまりに高過ぎて、それに触れるどころか、登る事すら出来なかった。普通なら簡単に壊せる筈なのに、それが……。


「クッ」


 クハは、両手の拳を握った。そうしなければ、自身の精神を保てなかったからである。今にも壊れそうな、自分の精神が。クハは両手の拳を解いて、相手の顔をまた見返した。


「なら、命乞いで良い」


「うん。それで、その内容は?」


「この町から出て行く」


 そうするしかない。この町に留まれば、いつかまた襲われる。目の前の少年が、その真っ黒な槍を持って。自分の仲間達を一匹残らず、そのすべてを滅ぼしてしまうだろう。彼には(たぶん)、それだけの力がある。魔王様の命に背く事にはなるが、それと天秤にかけても、「これは最善の策」と思えた。死んでしまったら、命令も糞もない。ただ、無明の世界に墜ちるだけである。「増殖」と「快楽」、「命令」と「使命」がすべての彼女ではあったが、その恐怖だけはどうしても避けたかった。死は、最大の回避事項である。


 クハは不安な顔で、相手の目を見つめた。「そうすれば、自分の願いが叶う」と信じて。


「どうかな?」


 その事は、数秒後。


「ううん」


 いや、数分後の事だった。


「却下だね」


 クハは、その答えに目を見開いた。そんな? まさか?


「どうして?」


 相手は、その言葉を繰り返した。


「どうして? そんなの決まっているじゃないか? そうしても、同じ結果になるかだよ」


「同じ結果に?」


「そう、同じ結果に。考えてもみえてよ? ここでもし、僕達が君達を見逃したとして。君達は、その心を改めるのか? 自分の本能を抑えて、人間社会の秩序に従うのか?」


 応えられなかった。そんな事は、有り得ないから。自分達はどこまでも魔王様の手下であり、人間社会の秩序とは相容れない。自分達の本能を阻むのであれば、どんな敵でも打ち倒す存在だった。人間の社会に下るなんて、死んでも御免である。だから、その質問にも「うっ」と押し黙ってしまった。クハは悔しげな顔で、両手の拳をまた握り締めた。


「殺すしか、ないの?」


「あるいは、殺されるしかない。僕達は、ずっと曲がらない平行線なんだ。平行線が交わる事はない。そのどちらかが、折れない限りはね? 終わらない戦いがずっと続く」


「クハは……」


「ん?」


「クハは、死にたくない。クハのお友達にも、死んで欲しくない」


 少年は、その言葉に眉を寄せた。その言葉にどうやら、色々と考えているようである。


「勝手だ」


「え?」


「自分達の時は、助けて欲しいなんて。あまりに勝手過ぎる。君達は、悪鬼だよ。捕食の相手にするならまだしも、繁殖の相手に人間を選ぶなんて。普通の神経じゃない。流石の寄生虫も真っ青だ。寄生虫の中にもそう言う奴が居るらしいけど、君達程酷い奴等は居ない。寄生虫は、純粋に生きているだけだからね? 自分の命を保つために、そして、次の世代に命を託すために。命懸けで戦っているんだ。君達にその覚悟があるかい?」


 またも、応えられなかった。彼の言葉は、正しく正論だったから。自然の生き物は皆、快楽の為に生きているのではない。自分自身が生きるため、未来のために生きているのだ。液状生物のように生きる、己が快楽の為に生きているのではない。彼は、分かっているのだ。非情な現実の中にある現実を、現実の中にある平等を。平等は死ぬか生きるかの戦い、食うか食われるかの死闘だ。液状生物達は、その真理を弄んでいる。自分達の快楽を第一に考えて、自然の法則を壊している。「魔王」と言う絶対の王を頂きにして、それを文字通りの免罪符にしていた。


 クハは、その現実に涙を流した。


「クハ達は、許されないの?」


「逆に『許される』と思っているの? 人間達の世界をこんなに」


「止めて」


「壊して置いて」


「嫌」


「僕だったら、絶対に許せないね。自分の命に代えても、復讐しようとする。自然の摂理で仲間が殺されたんならまだしもね? 君達のそれは」


「許して!」


「許さない」


「許して!」


「絶対に許さない」


「お願いします!」


 クハは、その場に泣き崩れた。それしかもう、彼女には考えられなかったから。「自分が絶対に負ける」と分かっている状況では、そうする事以外の選択肢しか浮かばないのである。生殺与奪の権利が相手にあるのなら、どうやってもこうするしかない。彼女は恥も外聞も捨てて、目の前の敵にただ願い続けた。


「こんな事は、もう二度としないから!」


「『それを素直に信じる』と思う?」


 クハは、その言葉にうつむいた。もう駄目だ。彼には、何を言っても通じない。ただ、「許さない」の一言が返って来るだけだ。「ここに居る全員を殺す」と言う意味も込めて、あらゆる殺意を向けて来るだけである。自分達がこれまで殺して来た人間達、それらの魂や怨念を含めて。彼は今、その代弁者になっていたのである。


「う、うううっ」


 少年は、その声を無視した。「それを聞いても無意味だ」と、そう内心で思ったようである。彼は自分の槍を巧みに回して、彼女にその槍先を向けた。


「言い残す事は?」


 クハは、その質問に押し黙った。言い残す事など何もない。


「刺して」


「分かった」


 そう相手が言った瞬間だ。今まで逃げていた彼女の仲間が、その周りに音もなく戻って来た。ある者は涙を浮かべて、またある者は足の震えを抑えて。彼女の前に立った女性も、自分の両腕を横に伸ばして、彼女の事を必死に守ろうとしていた。


 少年は、その光景に驚いた。クハも、その光景に驚いた。二人は目の前の状況が分からないまま、不安げな顔で少女達の事を眺めていた。


 少年は、槍の柄を握り締めた。たぶん、彼等の強襲に備えたのだろう。調理師の事は邪神が守ってくれるが、戦いの方は彼がやらなければならない。少年は鋭い目付きで、敵の動きをじっと窺い続けた。


「なんだ?」


「お願い! 私達の命は、どうなっても良いから! この子の命だけは、どうか助けて!」


 クハは、その言葉に目を見開いた。そんなのはいけない。自分の為に彼女達が犠牲になるなんて、どう考えても間違っている。犠牲になるべきは自分だ。彼女達を助かる為に死ななければならないのは、自分の方である。己の使命を果たす為にも。クハは仲間の行為を遮ろうとしたが、仲間達の方は「それ」を完全に無視してしまった。


 液状生物達は、目の前の少年をじっと見続けた。


「彼女は、大切な仲間なの」


「仲間、か」


 少年はまた、何やら考えはじめた。まるで彼女達の命を品定めするように。彼女達がまた「お願い」と叫んだ時も、楽しげな顔でその様子を眺めていた。


「良いよ」


「え?」


「彼女の命を助けても。ただし!」


「な、なに?」


「相応の約束と報酬は、払って貰う」


 液状生物達は、その言葉にうなずいた。あらゆる恐怖を覚悟して。


「構わない。それで、その約束と報酬は?」


「彼女がもし、この先も人間を襲うような事があったら。その時は、容赦なく殺す。今回は、君達の嘆願があったから許すけどね。次は、そうは行かない。僕も一応、冒険者の端くれだからね」


「な、なるほど。それが」


「いや、まだある」


「まだ?」


「彼女以外の命を今すぐに差し出す事」


「……分かった、それじゃ」


「待って」


 少年は「ニヤリ」と笑って、槍の表面を撫でた。見る者が思わずゾッとするような手付きと共に。


「自害は、許さない。処刑は、僕の手で行う」


「分かった。お前の好きにして良い」


 液状生物達は互いの顔を見合って、彼の言葉に従った。そこから先は、文字通りの地獄絵図。悪魔の槍を持った少年が、周りの液状生物達を嬲り殺して行った。


「キャア」


 今のが、最後の悲鳴。


「クハ、ちゃん」


 クハは、その言葉に呆然とした。気持ちの方にも力が入らず、少年が地面の結晶体を拾う光景も、ただぼうっと眺め続けていた。


「みんな……」


「さて」


 少年は、自分の後ろを振り返った。彼の後ろにはもちろん、その仲間達が立っている。


「次は、何処に行こうか?」


「そうね」と応えたのは、彼の顔を見ていたホヌスである。「でも、その前に」


 ホヌスは楽しげな顔で、自分の足下を指差した。


「今まで拾って来た戦利品をお金に換えましょう。ギルドにも、今回の事を報せなきゃならないだろうし。『棄てられ町が墜ちました』って」


「なるほど、確かにその方が良いかも知れない。これからの事を考えても」


 少年は「ニコッ」と笑って、少女達の足を促した。


 少女達は「それ」に従ったが、クハは「それ」を呆然と眺めていた。自分から遠ざかって行く少年の背中に、自分の町が壊された現実に。彼女はその両方を感じつつも、改めて「棄てられた町」が墜ちた事に打ち拉がれた。

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