第63話 悪魔の報復

 少女は、彼の接近に脅えなかった。彼はどう見えも、自分の敵である筈なのに。彼から発せられる平凡な空気、そこから感じられる雰囲気が、彼女の警戒心をすっかり解いていたらしかった。「コイツは、美味そうな獲物を見つけた」と、そう内心で思っていたようである。彼女は栄介の動きを喜び、その連れ達にも「ニヤリ」と笑った。


「こっちだよ!」


 栄介は、その言葉に従った。正確には従った振りだったが、相手が態々呼んでくれた以上、それを拒む理由もまた無い。ここは素直に「分かった」と頷いて、相手の油断を誘う方が賢明だった。お前はこちらを罠に嵌めたつもりだろうが、その実はそちらが罠に嵌まっているのだ。それも、全滅必至の罠に。自分の首を絞める、猛毒のそれに。あの子は姑息な手段を使って、自らの首を絞めてしまったのである。


「こう言うのを」


「はい?」と応えたのは、彼の後ろを歩いていたサフェリィーである。「なんです?」


 サフェリィーは不思議そうな顔で、少年の背中を見始めた。少年の背中はどこか、楽しげに笑っている。


「エイスケ様?」


「僕達の世界ではね、『ミイラ取りがミイラになる』って言うんだ。目の前の敵を嵌めたつもりが、本当は自分の方が罠に嵌まっている。賢い奴が、良く引っ掛かる罠だ」


「そう、何ですか?」


「うん」


 栄介は「ニヤリ」と笑って、彼女の方を振り返った。それも、正面の敵には気づかれないように。彼は敵の様子を何度も窺いつつ、静かに「フッ」と笑っては、楽しげな顔で腰の剣に手を伸ばした。


「彼女はたぶん、誘導役だ。森の中をさまよっていた獲物や、自分がたまたま見つけた相手を誘って、自分達の巣に連れて行く役。早い話が雑魚」


 それに驚いたのかは分からないが、少女が栄介の方を突然に振り返った。少女は最初こそ無表情だったが、やがて「クスッ」と笑い、怪しげな顔で彼の顔を見つめ始めた。


「あの?」


「なに?」


「さっきから何を話しているの?」


 怖い程に無邪気な声。両目の瞳にも、その光がまるで見えなかった。正に氷のような眼。普通の人間なら一目散に逃げ出しそうな眼である。そんな眼で見られた栄介だったが、最強設定の彼にそんな物は通じない。ただ「怖がらなくても良いよ」と笑って、その眼を見かえしただけだった。「ただの世間話だから。君には、まったく関わりない」


 栄介は、相手の目をじっと見返した。それが彼なりの威嚇、「これ以上は、踏み込むな」と言う意思表示である。「君の力では、この僕は倒せない」と、そう相手に訴える意思表示だった。


「余計な好奇心は、早死にの元だよ?」


 少女は、その言葉に固まった。理由の方は分からないが、その言葉に恐怖を感じたらしい。彼に「わ、分かった」と返した言葉よりも、「相手の忠告に頷いた」と言うよりは、「彼に逆らってはいけない」と言う意味が強かった。


「気を付ける」


「ありがとう」


 栄介は「ニコッ」と笑って、自分の顎を動かした。相手の気持ちが変わらぬよう、その足を促した合図である。


「君の町は、もう少しなの?」


 少女は、その言葉に頷いた。その言葉にどうやら、「頷くしかない」と思ったらしい。


「う、うん、もうちょっと行った先にある」


「そっか。なら、そこまで頑張ろう」


 栄介は口元の笑みを消して、少女の後ろを歩き続けた。ホヌスやサフェリィー達も、その後ろを歩き続けた。彼等は少女が自分達の方を時折振り返った時も、周りの木々が不気味にざわめきだした時も、黙って少女の後ろを歩き続けた。


 栄介はまた、腰の剣を撫でた。


「さて、どんな町に連れて行ってくれるのかな?」


 実に楽しみ。そう思い掛けた栄介の前に現れたのは、不気味な城壁に囲まれた一つの町だった。町の正面には巨大な門が設けられていて、門の内側には町が、町の中には様々な建造物が建てられていたが、その住人はすべてが女性で、男性の姿はまったく見られず、少女が門の番兵らしき少女達に何やら話し掛けた時も、栄介の事はまるで眼中になく、ホヌスやサフェリィーの事ばかりを見ては、彼女達の姿に「ニヤリ」と笑って、町の門をゆっくりと開け始めた。栄介達の事を決して逃さないように。特にホヌスやサフェリィーが栄介の事を追って歩き出した時には、二人の要望もまったく聞かず、ただ二人に「これが、ここの決まりだから」と言って、彼女達が決して逃げられないようにしてしまった。「悪いけど、守ってね?」


 少女はまた、無邪気に笑った。


「この町に来た以上は」


「分かっているよ」と応えたのは、二人の前を歩いていた栄介である。「『郷に入っては郷に従う』ってね?」


 栄介は彼等の分からない言葉、元居た世界の諺を使った。


「それが、だから」


 少女は、その言葉に応えなかった。栄介が彼女に笑いかけても、また無言。彼女は彼の事を怖がっていたのか、仲間達が栄介達の周りを取り囲むまで、何の言葉も喋らなかった。


「今回の獲物は、五月蠅い」


 また、怖い声。だが今回は、そこに怒気が含まれていた。今にも怒り出しそうな、そんな感じの声。狂気が具現化したような口調。それに脅えたのは、パーティーの真ん中に立っているサフェリィーだけだった。彼女は(ほぼ無意識に)栄介の身体に触れて、周りの少女達を何度も見渡した。


「エ、エイスケ様」


「怖がらなくて良い」


 栄介は彼女の方を振り返って、自分の正面にまた向き直った。


「コイツらはきっと、これ以上の事をして来たんだから。人間の女性達を攫って」


 住人達の顔が変わったのは決して、偶然ではないだろう。この町に栄介達を連れて来た少女も、その言葉に青ざめていた。彼女達は不安半分、興奮半分で、栄介の事をじっと見始めた。


「ふうん、アタシ達の事を知っているんだ?」と言ったのは、飲食店の壁に寄り掛っていた女性である。「この町が、どう言う町なのかも?」


 女性は壁の前から背を離れて、自分の腰に手を当てた。栄介の妙な落ち着きに興味を引かれたようである。


「ねぇ?」


「はい?」


「アンタ、一体何者?」


 それは、女性達の全員が気になる質問だったらしい。彼女達は普通の人間とは違う空気、それを栄介から感じたようで、それぞれに戦いへの意欲を上げた時も、黙って栄介の事を見つづけていた。


「どう見ても、人間の子供が?」


「人を見掛けで判断してはならない」


「え?」


「狩りの基本でしょう? 一見すると弱そうな奴が、実は一番強かったりする。戦いに身を置く人なら、誰だって分かっている事だ」


 女性は、その言葉に眉を上げた。その言葉は、相当に苛立つ一言だったらしい。周りの女性達も、その言葉には殺気を漂わせていた。


「ふうん、言うね。なら、アンタは相当に強いわけ?」


「どうして、です?」


「見るからに弱そうだから」


 周りの女性達は、その言葉に笑った。確かにその通りである。彼の姿は、見るからに弱そうだった。最低限の武器しか揃えていない冒険者、無知で無謀な命知らずの少年。そんな少年に負ける筈がない。それに思わず呆れてしまった女性も、楽しげな顔で周りの笑い声に混じっていた。


 女性は、栄介の前に歩み寄った。


「覚悟は、出来ている?」


「何の?」


「それは」


 言わなくても分かるじゃない? と、彼女は言った。


「アンタには、アタシ達のになって貰う」


「『嫌だ』と言ったら?」


「ふん」


 女性は「ニヤリ」と笑って、両手の爪を光らせた。


「こうする」


 そう言って栄介に襲い掛かった女性だったが、それをあっさりと躱されてしまった。何の捻りもない攻撃では、栄介にそれを当てる事は出来ない。自分の腕を振り下ろした瞬間、彼の動きに負けて、それを見失うのがオチだった。女性はその眼を見開いたまま、怖い顔で栄介の姿を探し始めた。


「くっ! 何処に消えた?」


 周りの女性達も、彼の姿を探し始めた。彼女は仲間の中でも強い部類に入っていたらしく、その彼女が予想以上に驚いていたため、周りの少女達もまた、それに釣られてしまったようである。彼女達は栄介の姿を探し続けたが、いくら探しても、彼の姿を見つけるどころか、その気配すらも感じる事が出来なかった。


「くっ、うっ」


 女性達は、今の現実に震え始めた。目の前に最高の繁殖相手が居るのにも関わらず、それを守っていた少年が思った以上にやれた所為で、その意識すらもすっかり忘れてしまった程に。彼女達は今までにない恐怖、「」になった感覚を薄々と感じ始めた。


「じょ、冗談じゃない!」


 そう誰かが叫べば、周りの女性達も「それ」に頷く。小さな子供が「こ、怖い」と脅えれば、周りの子ども達も「それ」に震える。そんな状況がしばらく続いたが、ある一人の女性が冷静さを取り戻したお陰で、それも何とか抑える事が出来た。女性は目の前の少女達に視線を移して、その身体をじっと眺め始めた。どうやら、彼女なりに悪知恵を働かせたらしい。女性は二人の少女に歩み寄って、その二人を(正確には、その服を)引き裂こうとしたが……。


 それを黙っていないのが、「深澤栄介」と言う少年である。栄介は空気の物陰からスッと現れて、彼女の身体に勢いよく斬り掛かった。彼女の身体は、無音の内に斬られた。だが、そこは液状生物。切断の痛みはあるようだが、その身体はすぐに癒えてしまい、斬られた身体もあっと言う間に戻ってしまった。


 栄介は、その光景に目を細めた。その光景に苛立ったからではない。液状生物の回復力に驚いたからである。姿形は人間の女性でも、その本質はやはりスライムであるようだ。スライムには、通常の物理攻撃は通じない。それこそ、刃物で水を斬るような物だ。水はその形が無いからこそ、どんな攻撃も受け流してしまう。


「そうなって来ると」


 ここは、武器を変えた方が良さそうだ。遊びの剣から、本気の三叉槍に。どんな獲物も仕留める槍に。「ニヤリ」と笑った顔に隠して、それを取り出した方が良さそうだ。栄介は目の前の女性に剣を投げ付けて、その場から勢いよく走り出した。


「くらえ」


 女性は、その言葉を聞かなかった。彼が投げて来た剣に意識が向いていた事もあったが、その行為に愚かさを感じていたようで、目の前の剣を弾く事はしても、「彼の言葉に応えよう」と言う意識は起こらなかったようである。女性は「ニヤリ」と笑って、栄介の攻撃を迎え撃った。


「そんな攻撃、私達に通じる訳がないじゃない?」


 馬鹿ね……。そう内心で思った彼女だったが、それもすぐに消えてしまった。彼女が思っている程、目の前の彼は甘くはない。彼女は自分の勝利に酔い痴れた瞬間、栄介が振り回した三叉槍に身体を裂かれて、その身体を真二つにされてしまった。


「なっ!」


 最初に感じたのは、驚き。


「ぎ、やぁあああ!」


 次に感じたのは、言い様のない激痛だった。自分の理性がぶっ飛ぶような激痛。周りの女性達に恐怖を与えるような苦痛。彼女は苦しげな顔で、身体の痛みに悶え続けた。


「た、助けてぇ!」


 そう言っても無駄、誰も助けようとしない。周りの女性達はみな、目の前の光景に呆然としていた。彼女が芋虫のように悶える様に、その胴体が真二つにされた光景に、唯々脅える事しか出来なかったのである。女性達は自分の同胞が息絶えた後も、無言で彼女の死骸をただ眺め続けていた。


「う、嘘だ」


 栄介は、その言葉を遮った。彼としては別に遮るつもりはなかったが、その言葉があまりに面白くて、思わず「本当だよ」と笑ってしまったのである。


「これが現実さ。自分の仲間が、敵に殺された現実。無敵のスライムが、たった一人の人間に殺された悲劇。君達は今まで、『これ』と同じ事をして来たんだ」


 女性達は、その言葉に固まった。いや、固まらざるを得なかった。彼の言葉は、あまりに正しい。自分達は今まで自分の欲望、内から湧き出る繁殖衝動に従って、人間の男を次々と食らい、その女を孕ませて来たのである。あの甘美な、快楽の衝動に従って。今回のこれも、自分達の欲望が招いた悲劇だった。どんなに強い生物も、食物連鎖の理には逆らえない。最後は必ず、一番下の者に食われる。自分が土に還る事で、その養分にされてしまうのだ。動物はそれが「消費者」に属する以上、「生産者」の呪縛には逆らえないのである。


 彼女達は今、無言の内に「それ」を悟ったらしかった。


「くっ、ううう」


 嗚咽が一つ。


「あ、あああ」


 いや、無数。


「こ、怖い!」


 彼女達は呆然とした顔で、その場から一歩も動けなくなった。


「助けて」


 栄介は、その言葉に苛立った。その言葉は、あまりに身勝手過ぎる。彼も(ある意味では)人の事は言えないが、それでもやはり苛々せずにはいられなかった。


「助けて、ねぇ?」


 その返事は、ない。


「都合の良い言葉だ」


「え?」


「自分の時は平気で無視する癖に、相手に救いを求める時は」


「うっ」


 女性達は、両手の拳を握った。彼女達に人間のような感情があるかは分からないが、彼の言わんとする事は(一応)分かっているらしい。子供の目にすら浮かんだ涙は、その裏付ける確かな証拠になっていた。彼女達は今、心の底から悔やんでいる。自分達が今までして来た行いに、そして、これから起こるだろう悲劇に。あらゆる言語、あらゆる感覚を超えて、本能から「それ」を察していた。


「嫌だ」


 その反応は、当然だ。


「死にたくない」


 その反応も、当然だ。


「アタシ達はまだ、生きていたい」


 彼女達は本来の目的すらも忘れて、その場から一斉に逃げ出そうとした。だが、それを見逃す栄介ではない。彼女達の運命がどんなに悲惨であろうと、そんなのは身から出た錆、文字通りの自業自得だった。怪物が怪物で居られる程、世の中は甘くはない。


 栄介は「ニヤリ」と笑って、目の前の液状生物達に襲い掛かった。液状生物達はもちろん、彼の攻撃に脅え切っている。彼が自分の三叉槍を振り回す度に、自分の同胞達が次々と倒されて行く度に、人間のそれと変わらない悲鳴を上げ続けたが、それを逃さないのが三叉槍。少年が邪神から授かった、最強最悪の槍だった。


 栄介は自分の三叉槍を巧みに操って、通常なら貫けない液状生物の身体を突き破ったり、その身体自体を粉々にしたり、跡形もなく消し飛ばしたりした。


「ほらほら、どうした?」


 ここままじゃ、全滅だよ? と、彼は言った。


「俺の攻撃に無抵抗なままじゃ、さ! いつかは、必ず!」


 皆殺しにされる。そんな事はとうに分かっていたが、頭の中が恐怖でいっぱいだった液状生物達には、意識の上では分かっていても、思考の上では「それ」がまったく考えられなかった。今はとにかく、逃げる事しか考えられない。非力な人間のように逃げる様からは、その有様がはっきりと感じられた。彼女達は今、文字通りの混乱に陥っている。


「そんなの知らない! 知らないよ!」


 必死の叫びだが、それが聞き入れる訳がない。彼女達は一人、また一人と、栄介の槍に仕留められて行った。それは、見た通りの虐殺。悪魔からの報復である。彼女達は「それ」に絶望を覚えたが、そこに一人の少女が現れた。彼女達が「クハちゃん」と呼んでいる、ここの統治者が。統治者は、目の前の光景に唯々驚いている。


「クハちゃん!」


 クハは、その言葉に微笑んだ。一つは、仲間の不安を抑えるため。そしてもう一つは、目の前の敵を睨むためである。彼女は目の前の敵に目をやると、楽しげな顔で敵の顔を睨み付けた。


「許さない」


 栄介は、その言葉に応えなかった。その言葉は、こちらの台詞である。


「君は?」


 その質問は、完全に無視されてしまった。どうやら、相当に怒っているらしい。「うるさい! クハのお友達を傷付けて、絶対に許さないんだから!」の言葉からも、その怒りが窺える。クハは自分の仲間を逃がして、目の前の栄介に襲い掛かった。


 栄介は、その攻撃に怯まなかった。その攻撃自体が怖くなかった事もあるが、今の言葉からある予想が立てられたからである。「彼女はたぶん、ここの頭目である」と、そう一瞬に察してしまったからだ。頭目の彼女を倒せば、この町も滅びる。棄てられた町が、本当の棄てられた町になる。液状生物の支配から解き放たれた、正真正銘の廃墟に。


「だったら!」


 栄介は「ニヤリ」と笑って、目の前の敵を迎え撃った。


「完膚なきまでに叩き潰してやる!」

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