第62話 妖しい手招き
それからの出来事は特に変わりなく、その道端で出て来る怪物達も今までと同じだったが、液状生物との対決が段々と近づいて来る事も相まって、腰の剣で怪物達を斬り殺す時はもちろん、足下の怪物を踏み潰す時も、不思議な高揚感を覚えてしまった。自分は今、敵の本拠地に向かっている。本拠地の正確な場所は不明だが、それでも地面の上を一歩、一歩、周りの茂みを掻き分ける感触からは、液状生物の脅威に震えるよりも、「それと早く戦いたい」と言う願望、それが「お前の強さは分かったから、もう止めてくれ」と泣き叫ぶ声が、聞こえて来た。
奴等はたぶん、自分達が殺されるなんて夢にも思っていないだろう。人間の町を滅ぼし、そこから多くの女性達を連れ去って、自分達の子供を産ませる。「その循環がいつまでも続く」と思っているのだ。繁殖相手の女性達が悶え、叫び、死んで行く光景を見ながらそう思っているのである。だからこそ、それを潰すのが楽しい。今までの常識が壊れ、その日常が非日常に変わる光景が面白い。奴等は「自分達こそが地上の支配者だ」と思っているのだろうが、それは大きな間違いなのだ。地上の支配者は、今も昔も変わらない。彼等が「下等だ」と見下している人間、その中に潜んでいる悪魔なのだ。
悪魔は人間の中に知恵を植え付け、それに毒を注いだ張本人。本来は善い存在だった人間に悪を教えて、その欲望を諭した怪物である。「お前達は、神の分身ではない。神が己の優越感を満たすため、それと似せただけの模造品である」と言う風に、そして、「模造品と本物は、違う。模造品は本物には決して敵わないが、それに従う理由もまたないのだ」と言う風に。あらゆる権力者や悪人にそう耳打ちしては、社会の表層を塗り替えて行ったのだ。その意味では、悪魔こそが地上の支配者である。人間の内側に訴え掛ける甘言、社会の柱を染め上げる塗料、理性の油を洗い落とす洗剤。悪魔は己の姿を無くす事で、聖水よりも縦横無尽に、空気よりも傍若無人に振る舞っては、数多くの闇を作って来たのだ。栄介のやっている事もまた、それの真似事に過ぎない。「自分の欲望に従う」と言う、悪魔の真似事でしかないのである。
栄介は右手の剣をくるくると回し、楽しげな顔で自分の周りを見渡した。彼の周りには、無数の怪物達が居る。怪物の種類は様々だが、彼等は一様にして栄介の事を睨んでいた。栄介は右手の剣を構え直して、自分の後ろを振り返った。彼の後ろにはもちろん、二人の少女が会っている。少女達は邪神を前に、調理係を一番後ろにして、彼の戦闘をじっと見守っていた。
「大丈夫」
こんな奴等は、敵ですらないよ、と、栄介は言った。
「悪魔の槍を使わなくても勝てるからね?」
サフェリィーは、その言葉に頷いた。その言葉にどうやら、安心感を覚えたらしい。彼の戦いをこれまでも見て来た彼女だったが、その手の言葉を聞くと、何処かやはりホッとするらしかった。ホヌスの左腕にしがみついて、彼の言葉に「は、はい!」と答える返事からも、その安心感が伝わって来る。彼女はホヌスに自分の頭を撫でられた後も、真面目な顔で栄介の背中を見つめ続けた。
「信じています、わたし!」
「ありがとう」
栄介は「ニコッ」と笑って、自分の正面に向き直った。彼の正面では尚も、怪物達が彼の事を睨んでいる。
「そう、怖がらなくても良いよ?」
死んだらどうぜ、何も分からなくなるんだからさ。
「無理に構えなくても良い。自分の命が惜しければ、ね? その引き際をすぐに考えた方が良い」
それが怪物達に通じたかどうかは分からないが、知性の高そうな怪物は妙にそわそわし出して、周りの仲間達がまだ逃げていないのも関わらず、彼等の様子をしばらく窺っては、一匹、また一匹と、その場からすぐに逃げ出してしまった。そんな中で尚も栄介の前に残ったのは、知性の低そうな怪物や、「逃げる事」よりも「戦う事」を選んだ好戦的な怪物達だけだった。彼等は逃げ出した自分の仲間達には見向きもせず、ある者は自分の喉を鳴らし、またある者は地面の上を蹴って、栄介の所に次々と飛び掛かって行った。
栄介は、彼等の攻撃を迎え撃った。彼等の攻撃は単純だったが、斜め上から自分の爪を振り下ろしたり、大きな口で噛み付こうとしたりする動きにも一種の迫力があった所為で、怪物そのモノの力はそれ程ではなくても、それを見ていたサフェリィーには、それが一種の恐怖を煽るような映像、恐怖劇のような感覚を覚えてしまった。栄介は怪物達の攻撃を巧みに躱し、怪物が自分の身体に噛み付こうとした時には蹴りを、その反対方向から爪が襲って来た時には剣を振るって、それらの攻撃を見事に捌くだけではなく、こちらからも逆に攻め返してしまった。
「甘い」
栄介は「ニヤリ」と笑って、怪物の一体を倒した。それがあまりに鮮やか、しかも残忍だった所為か、流石の怪物達もそれには思わず震え上がってしまった。栄介はそれらの動揺を無視しつつ、怪物の身体を切り裂いたり、顎の部分を砕いたり、首の部分をへし折ったりして、目の前の怪物達を次々と倒して行った。
「どうしたの? そんな程度じゃ」
僕の事は、倒せない。そう言いたかった栄介だが、それよりも先に怪物達をほとんど倒してしまったので、その言葉をすぐに飲み込んでしまった。雑魚はやはり、雑魚である。今辛うじて残っている怪物達も、その怖さをようやく覚え始めたのか? 栄介に威嚇の目を向けたり、自分の喉を鳴らしたりはしていたが、自分の方からは決して攻め掛かろうとはしなかった。彼等は不安な顔を浮かべたまま、鋭い目つきで目の前の少年を睨み続けた。
栄介は、それらの視線に怯まなかった。彼等の視線がどんなに鋭かろうと、自分よりも弱い連中に覚える必要はない。彼は右手の剣を回して、その剣をまた構え直した。
「さて」
無言の返事。
「相手の数も減ったし。遊びも、そろそろ終わりにするか」
それに応えないのが怪物、「魔物」と呼ばれる類の生物だ。彼等は栄介に生物としての恐怖こそを覚えたが、それ以外の感情はまったく覚えなかったようで、彼が地面の上からサッと走り出した時にも、その動きに目を見開きこそすれ、彼の動き自体から逃げようとはしなかった。栄介の方もまた、そんな彼等にまったく怯まなかった。こんな場面は、「嫌」と言う程に見て来た。今更に怖がる事はない。自分の身体に振り下ろされる鉤爪、それに震え上がる事もない。すべては自ずと、自然のままに流れて行く。
栄介は敵の攻撃にまったく当たらず、逆に素早くやり返しては、怪物達の頭を一つ、また一つと、魚でも捌くように次々と落として行った。その動きは、本当に軽やかだった。無駄な動きは一切見られず、最後の一体が結晶体へと変わった頃には、腰の鞘に剣を戻して、自分の後ろをサッと振り返っていた。彼の後ろにはもちろん、その仲間達が立っている。仲間達は不安げではなかったが、それでも何処かホッとしたような顔で彼の姿を眺めていた。
「終わったよ」
「お疲れ様」と言ったのは、調理係の少女を守っていた邪神である。「今回も、早かったわね」
邪神は「ニコッ」と笑って、調理係の少女に視線を移した。調理係の少女もまた、同じような顔で笑っている。どうやら、彼の勝利にホッとしているらしい。彼女は邪神が栄介の方に視線を移した後も、邪神の腕から手を放しこそしたが、穏やかな顔で栄介の事を眺めていた。
邪神は、栄介の前に歩み寄った。
「この調子で、液状生物の事も倒してしまいましょう」
「そうだね、今みたいな感じに。スライム達の事も……」
栄介は邪神の顔から視線を逸らして、自分の顎をゆっくりと摘まみ始めた。
「彼等は一体、どれくらい居るのかな?」
「それは、索敵の力を使えば分かるじゃない?」
「ああうん、そうだけど。でも、あんまり多いのは嫌だな。戦いに負けはしなくても、それを倒すのはやっぱり面倒じゃない? 敵を片付けるなら、その数は少ない方が良いよ」
「なら、それが多くないのを祈りましょう?」
「そうだね」
栄介は少女達の足を促して、今の場所からまた歩き出した。少女達も、その後に続いた。彼等は悪魔の少年を先頭にして、草地の上をゆっくりと進み、それが途切れた後には草木の生えていない平野を、平野の先に夕陽が見え始めた頃には、栄介が周りの様子を確かめて、そこに敵の姿が見られないと、丁度良い場所に今夜の寝床を決めて、それぞれに野宿の準備を整え始めた。栄介は寝床の設営、ホヌスとサフェリィーは準備。彼等は魔物達が這い回る世界の中で、とても穏やかに「フフフッ」と笑い合っては、今夜の夕食をゆっくりと食べ始めた。
栄介は、夕食の肉を頬張った。夕食の肉は、野生の猪である。
「結構硬いね。でも、この硬さが良い。上品な牛肉も良いけれど、こう言う肉も悪くないな」
二人の少女は、その言葉を笑い合った。彼女達も同じ物を食べていたが、それでもやはり「野菜の方が美味しい」と思ったらしい。最初の一口、二口を食べただけで、残りは栄介にすっかり渡してしまった。少女達は、香ばしく焼けた野菜を美味しそうに食べ続けた。
「ううん、最高です」と言ったのは、夕食の野菜を飲み込んだサフェリィーである。「今日はずっと、歩いていましたから。夕ご飯も、いつもより美味しいです」
サフェリィーは「ニコッ」と笑って、今日の夕食をペロリと平らげた。それから遅れて栄介達も今夜の夕食を食べ終えたが、サフェリィーが(旅の疲れが溜まっていた所為か)その場に寝そべってしまうと、その寝息が聞こえて来た所で、栄介が寝床の所に彼女を連れて行き、ホヌスも全員分の食器類を片付け始めた。サフェリィーは自分の仕事も忘れたまま、穏やかな顔で「スヤスヤ」と眠り始めてしまった。
栄介は、その態度を責めなかった。ホヌスも、彼女の事を咎めなかった。二人は彼女の疲れを労いながらも、真面目な様子で互いの顔を見合った。
「まあ、仕方ないね。彼女は、普通の人間だし。疲れも溜まれば」
「ええ。でも、私達は違う。彼女のような人間とは」
「そうだね……」
ホヌスは、その言葉に目を細めた。「そこから先は、言わなくても分かる」と、そう内心で思ったようである。
「スライムの町に着いたら」
「ん?」
「もちろん、攻め入るんでしょう? 貴方一人で」
その答えもまた、「もちろん」だった。そんな事は、彼女に言われないでも分かっている。彼女達は栄介と違って、液状生物の繁殖相手にされるかも知れないからだ。そうなっては、栄介としても色々困る。邪神のホヌスは流石に大丈夫だろうが、サフェリィーは普通の人間だからだ。普通の人間が、そんな怪物達に敵う筈がない。
「だから戦う。僕、一人でね? 僕は、最強の悪魔だから」
栄介は「フフッ」と笑って、頭上の空を見上げた。頭上の空は美しかったが、栄介達がウトウトと眠り始めると、その空も色を変えて行き、数時間後には真夜中、そこから数時間後には夜も明けて、森の中からは囀りが、小鳥達の鳴き声が響き始めた。
栄介は、その音に瞼を開けた。ホヌス達も、それに続いて目を覚ました。彼等はそれぞれに朝食作りの分担を決め、その分担に基づいて、朝食の料理を作り始めた。朝食の料理はすぐに出来たが、女性陣が食休みを求めたので、30分程の休みを入れてから数秒後、野宿の道具を片付けて、森の中をまた歩き始めた。
「さて、行こうか?」
ホヌスは、その言葉に頷いた。
「ええ」
サフェリィーも、それに続いた。
「はい!」
サフェリィーはパーティーの真ん中に挟まって、彼等と一緒に黙々と歩き続けた。それが止まった原因はもちろん、森の中から出て来た怪物達である。彼女は邪神の後ろに隠れて、悪魔の動きをじっと見守り始めた。
「エイスケ様」
栄介は、その言葉に応えなかった。その言葉自体は耳に入っていたが、目の前の敵に意識が向いていた所為で、彼女の方に目をやりはしても、それ以上の動きは見せず、サフェリィーが彼に「まえ!」と叫んだ時にはもう、目の前の敵に視線を戻して、敵の胴体を見事に切り刻んでいた。
「遅い」
怪物達は、その言葉に戦いた。どうやら、彼の力に震えてしまったらしい。怪物達は身体が大きな者以外、その場から一目散に逃げてしまった。
栄介は、それらの敵を追い掛けなかった。そんな根性無し共を追い掛けるくらいなら、目の前の敵と戦った方がずっと楽しい。目の前の敵は、自分の威圧に屈しなかった奴等だ。悪魔の雰囲気に負けず、己の闘争心に従った者達。栄介との戦いに値する者達である。
「そうでなくちゃね!」
戦う意味がない。戦いは、闘志が全開でなければならないのだ。
「ハッ!」
栄介は右手の剣を巧みに操りつつ、敵の攻撃を何度も躱して、ある怪物の首を落とし、またある怪物の胴体を切り裂いた。それこそ、魔法のように。人間がまるで、風になったかのように。身体と剣が一体になって、普通の人間なら恐れる怪物達を次々と倒して行った。
「よし、これで」
終わり。栄介がそう言い終えたのは、最後の一体を倒した後だった。栄介は剣の表面についている血を払って、鞘の中に刃を戻した。
「まあ、暇潰しにはなったかな?」
「そうね」と応えたのは、その勝利を喜んでいたホヌスである。「確かに暇潰しにはなった。でも」
ホヌスは真剣な顔で、森の奥を指差した。森の奥には……いつの間に現れたのだろう? 一人の少女が立っていて、栄介達に「こっちにおいで」と手招きしていた。
「ここからは、忙しくなりそうね?」
栄介は、その言葉に目を細めた。確かにそうかも知れない。こんな森の中に少女が、しかもたった一人で居るなんて、どう考えても怪し過ぎる。これは、文字通りの罠だ。自分達を危険な場所に迷い込ませる、そう言う類の……。
栄介は、自分の後ろを振り返った。彼の後ろにはもちろん、二人の少女が立っている。
「どうしようか?」
ホヌスは、その質問に「ニヤリ」とした。彼女には、それはあまり愚問だったらしい。
「もちろん、引っ掛かりましょう。
「あえて? でも」
「別に良いじゃない、そこが棄てられた町でなくても。私達には、大した問題ではないわ。そこが魔王の支配域なら、すべて壊せば良いんだし。それも、一つの冒険でしょう?」
今度は、栄介が笑った。その言葉には、共感しかない。
「そう、だね。別に急ぐ旅でもないし、敵の力が削がれる事に変わりはない。ここは罠に引っ掛かった振りをして、逆に美味しい所を掻っ攫おう。サフェリィーも、それで大丈夫?」
サフェリィーはその返事に戸惑ったが、やがて「は、はい!」と頷いた。
「だ、大丈夫です。お二人が一緒なら、何処に行き着いても!」
「そっか。なら」
栄介はまた、自分の正面に振り返った。視線の先ではまだ、少女達が自分達に手招きしている。今度は何処か、少女達の事を惑わすように。「クスクス」と笑っては、その年齢からは考えられない程の色気を放っていた。
栄介は、その色気に目を細めた。
「そう言う罠は、もっと色狂いの相手にした方が良い。そうでないと、思わぬ反撃を食らうからね。罠を掛ける相手は慎重に、だ」
彼は「ニヤリ」と笑って、少女の方にゆっくりと近付いた。
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