第59話 借りを返したい相手

 僕の行為が悔しいと思うなら、それを何万倍にも返して下さいよ? あの少年に「それ」を言われてから言うもの、気持ちの方がどうしても落ち着けなかった。自分がA級の冒険であるのも関わらず、ある時には弱い怪物に驚き、またある時には可愛らしい獣に飛び上がる。正に「情緒不安定」とも言える状態だった。頭目との関係だって、前よりも悪くなっている気もするし。


 この草原を歩いている時ですら……周りの人間に気を使える魔法使いが居なければ、気持ちの火薬に火が付いて、それが爆ぜる所だった。本当に一触触発の空気、いつぶつかってもおかしくない空気である。そんな中で出会ってしまった敵はたぶん、魔王軍の幹部達だろう。確たる証拠は何もなかったが、自分の攻撃を簡単に止めてしまった動きはもちろん、そこからすぐに押し返してきた動きからも、相手が只者ではないのが窺えた。


 青年は、その動きに生唾を飲んだ。「天と地程の差」とは言わないまでも、それを思わせる程の差は感じられる。自分が相手の剣を何とか捌いて、「そこから反撃に転じよう」と思った時も、魔法使いの悲鳴が聞こえた事もあって、必要以上の恐怖を感じてしまった。


「くっ!」


 青年は目の前の敵から必死に離れて、魔法使いの所に駆け寄った。どうやら、「彼女だけは守らねば」と思ったらしい。それが頭目には許せなかったようだが、彼との「主従」よりも自分の「純情」が勝っていた彼には、そうするのが最も自然だった。彼は魔法使いへの攻撃を防ぐと、今度は相手の鉄槌を捌いて、彼女の安全を何とか図ろうとした。


「大丈夫か?」


「う、うん、大丈夫。でも?」


「分かっている」


 そんな事は! と、青年は言った。


「このままじゃ、確かに不味い」


 相手はたったの三人だが、その二人が異常な程に強過ぎる。特に自分と戦っていた相手、人形のような少女は、あの少年とそう変わらないにも関わらず、剣の腕は自分よりも上、身体の動きもずっと速かった。「相手の身体にようやく当てられた」と思ったら、それはただの残像で……。次の瞬間には、自分の背後を取られている。それが本当に恐ろしい。魔法使いへの思いがなければ、一瞬に葬られる所だった。


「あの子への借りも返せていないし。ここは、取り敢えず」


「ダメだ」と遮ったのは、彼等の前に立った頭目である。「敵を前にして、逃げる事は」


 頭目は鋭い目つきで、自分の仲間達を見渡した。


「許されない。いや、許さない。俺達は、そんじょそこらの冒険者とは違うんだ」


 青年は、その言葉に目を見開いた。その言葉があまりに無慈悲だったからである。報酬の事でぶつかった時もそうだが、彼には一種の傲慢さがあるようだった。


「くっ!」


 青年は悔しげな顔で、頭目の男を睨み返した。


「アンタの命令にはもう、従えない。アンタは、悪鬼だ。自分の誇りを満たすためなら、その仲間も平気で切り捨てる。俺や、コイツらの事も全部。アンタは、人間の皮を被った悪魔なんだ。そんな奴と組んでいたら、命がいくつもあっても足りない」


 男はその言葉にしばらく黙ったが、魔族達への反撃は忘れなかった。自分が青年の言葉に押し黙っている間はもちろん、魔族達がその沈黙に違和感を覚えたらしい時も、鋭い顔で相手の攻撃を弾き返し続けたのである。


「そうか。なら」


「な、何だよ?」


「お前はもう、要らない。他の連中も好きにして良いが、それでもしついて来ないのなら」


 頭目は「ニヤリ」と笑って、自分の仲間達に攻撃を放った。


「俺の盾になって貰おう」


 仲間達は、その言葉に呆然とした。特に魔法使いはあまりに衝撃だったらしく、青年が彼女に「大丈夫か?」と話し掛けても、その言葉に応えるどころか、彼の方に視線を向ける事すら出来なかった。彼等は自分達の頭目がここまで非情な事、救い難い程の冷血漢である事を思い知らされてしまった。


「ふざ、ける、な!」と言ったのは、筋骨隆々の武闘家である。「俺の盾になれ、だなんて?」


 武闘家は怖い顔で、頭目の横顔を睨んだ。頭目の横顔は尚も、そう言われても平然としている。


「俺はアンタを慕って、ここまでついてきた。『アンタになら、自分の夢を託せる』と思ってね? 多少の理不尽にも目を瞑って来た。その傲慢さにも意識を逸らして来た。『特別な才能を持った人間になら、そう言う部分にも多少は折れなければならない』と。だが!」


「何だ?」


「これは、あまりに理不尽だ。自分の仲間を駒、それも捨て駒に使うなんて。冒険者のやる事じゃない。アンタは、確かに一流かも知れないが」


 そこから先は、別に聞かなくても分かっていた。それを聞いていた青年達はもちろん、部外者である筈のエリシュ達も、言葉の内容から推して、その内容を何となく察してしまったのである。彼等は武闘家が自分の拳を握り締めた時も、無言でその光景を眺め続けていた。


 武闘家は、頭目の横顔から視線を逸らした。


「頭の中は、三流だ。自分の部下を思いやれないような奴は、どんなに強くても三流以下なんだよ。他の奴等は知らないが、俺自身はそう思っている。アンタは、俺達パーティーの恥だ!」


 周りの仲間達も、その言葉に頷いた。彼等は言葉にこそ出さなかったものの、内心では彼と同じような思いを抱いていたようであり、「確かにそうだ」と頷く者は居たが、「いいや、違う」と言い返す者は居なかった。


「どうして、こんなパーティーに入ったんだろう?」


 挙げ句の果てには、この台詞。彼等は不満げな顔で、自分達の頭目を睨み付けた。「これは、一生で一度の大恥だ」と言わんばかりに、頭目の顔を睨み続けたのである。


「ああもう、やっていられない! こんなの」


 頭目は、その言葉に応えなかった。「それに応えても無意味だ」と思ったらしい。彼は自分の仲間達が怒っている中でも、無感動な顔で目の前の敵を見つめ続けた。


「お前達の気持ちは、良く分かった。頭目の俺に対して、どう思っているのかも。俺は、自分に従わない奴は」


「捨てるの?」と訊いたのは、彼と相対していたエリシュである。「そんなに簡単に? 彼等は、貴方の事をずっと支えて来た仲間ではないの?」


 エリシュは真面目な顔で、目の前の男を見つめた。彼女の近くに立っていたフィルドも、その後ろに立っていたスキャラも、それぞれに表情の違いこそあったが、同じような思いで敵の頭目を見つめている。彼等は気持ちの緊張を解かないまま、真面目な顔で自分達の武器を構え続けていた。


「ワタシには、信じられない」


 頭目は、その言葉を嘲笑った。その言葉があまりにおかしかったからである。


「人の世界を乱している魔物が、人間の情を説くのか? ふん!」


 馬鹿馬鹿しい、と、彼は言った。


「お前達には、そんな権利など無い筈だ。他人の世界を勝手に乱して置いて、人情の糞もない。お前達は、偽善者だ。その口では『仲間、仲間』と言いながら、内心では周りの事を見下している。『お前達は、愚かだ』とほくそえんでいる。お前達は悪の力を得た事で、『自分達こそが地上の支配者だ』と思い上がっているんだ。地上の支配者は、お前達ではない。いにしえの昔から命を繋いで来た、我々人間だ。その地位は、これからも変わらない。その地位がたとえ、どんなに奪われても! 俺は後の最後まで、この戦を戦い抜く」


「だったら! どうして、自分の味方を捨てるんだ?」と訊いたのは、自分の鉄槌を振り上げたフィルドである。「そんなにご立派な志があるのに? たった一人でそんな夢を叶えるのは、どう考えても不可能だ!」


 フィルドは真剣な顔で、自分の鉄槌を振り回した。相手に自分の怒りを示すためである。


「それも、ただの」


「『それがお前達の驕りだ』と言うのだ! 魔族の力に踏ん反り返って!」


 頭目は、目の前の敵に剣を向けた。


「自分の優位を示す。俺は弱い人間も嫌いだが、強い気でいる魔族はもっと嫌いなんだ」


「なるほど。だから、アンタは」


「ん?」


「戦うのか? 『自分こそが最強だ』と思い上がって」


 頭目は、その言葉に目を見開いた。その言葉だけは、どうしても許せない。特に「思い上がって」の部分には、腸が煮えくり返ってしまったようだ。「ふざけるな!」の言葉からも、その怒りが明瞭に感じられる。彼は自分の剣をブンブンと振り回して、それがどれだけの怒りか、周りの全員に「黙れ!」と分からせた。


「どいつもこいつも、本当に腹が立つ! 役に立たない奴を罵って何が悪い? 不遜な連中を叩き潰して何が悪い? ええ? それらはすべて、悪ではないか? 人間の価値を下げる害悪。人類の歴史を貶める汚物。それらを潰す事が、正当なる人間の務めではないか? それなのに」


「そうかな?」


「何?」


「俺には、そうは思えないよ」


 フィルドは、地面の上に鉄球を下ろした。これには、流石の頭目も驚かざるを得ない。少年の後ろに立っていたスキャラも、それには思わず驚いてしまった。フィルドはそれらの反応を無視して、目の前の男をじっと睨み付けた。


「どんなに汚い奴だって、一生懸命に生きている。一生懸命に生きているから、それと戦う時も命懸けになる。俺達のやっている事は……人間側からすれば迷惑極まりないんだろうが、それだって別に遊んでいるわけじゃない。魔王様にとっては、ただの遊びであったとしても。俺達にとっては」


「『遊びではない』と?」


「ああ、命懸けの戦いだ。それこそ、自分の生死に関わる」


「滑稽だな」


「そうかい?」


「ああ、滑稽だよ。滑稽以外の何モノでもない。たった一人のお遊びに付き合うなんて」


「それは、アンタも同じじゃないのか?」


 フィルドは、エリシュの横顔に視線を移した。エリシュも、その眼差しに視線を移した。二人は互いの顔をしばらく見合ったが、エリシュが彼の視線から何かを感じ取ると、フィルドもそれに合わせて彼女の目から視線を逸らした。フィルドはまた、目の前の男に視線を戻した。


「自分の名誉のためなら、平気でその仲間を切り捨てる。まるで子供が自分の玩具を捨てるように、アンタも」


「うるさい」


 頭目はまた、自分の剣を構えた。どうやら、彼の言葉にかなり苛立ったようである。


「魔物風情が! 一丁前の事を言って」


「これを一丁前なんて言うなら、アンタも高が知れているね」


 周りのエリシュ達も、その言葉に頷いた。彼の言っている事は、至極当然の事である。何もおかしな所はない。それを聞いた相手が、「一丁前」なんて言う所も。彼は今までの経験、自分が見て来た事や聞いて来た事、学んで来た事や知って来た事を話しただけだった。偉い哲学者が説いたような、そんな話はまったく話していなかったのである。


「人間の深さが、さ。魔物の俺が言うのも変かも知れないけど。


 頭目は、その言葉に怒った。いや、「怒った」なんて言葉では生温い。周りの仲間達が驚く程に怒り狂ってしまった。彼は自分の剣を振り回すと、その理性を忘れて、目の前の敵に斬り掛かった。


「うるさい! 黙れ! だまれ! ダマレ!」


 最後の方は最早、言葉にすらなっていなかった。彼は自分の得意とする技、それらすべてを解き放ってしまった。最初の突進から始まり、相手の目の前でスッと消える妙技。文字通りの高速移動。その速さには、流石の魔族達も驚いてしまった。「冒険者」とは言え、普通の人間がここまで動けるなんて。「驚くな」と言う方が、無理な話だった。


「ちくしょう! 相手の動きがほとんど見えねぇ」


 頭目は、その言葉にほくそえんだ。彼等に今まで色々と言われた分、その言葉が余程に嬉しかったらしい。相手の背後に回って、その背中に「ふふふ、どうした? 俺にアレだけの事を言えたなら当然、この動きにもついて来られるだろう?」と言った時も、敵の「舐めるな!」を聞いただけで、それに攻撃を加えようとはしなかった。


「何処を見ている? 俺は、こっちだぞ?」


「ちっ!」


 フィルドは敵の動きに苛立ちながらも、冷静な顔でその残像を追い掛け続けた。


「どんなに速くたって!」


「落ち着いて見れば、きっと捕らえられる」と続いたのは、彼の隣に歩み寄ったエリシュである。「相手は、自分の速さに甘えているから」


 エリシュは敵の残滓をチラチラ見て、その隙を何とか見つけようとした。だが、相手もそう甘くない。彼女の視線がそれに追い着くと、そこから急いで逃げてしまった。


「くっ」


「ふん!」


 頭目は「ニヤリ」と笑って、彼女の背後に回った。相手はまだ、その気配に気付いていない。


「貰った!」


 頭目は、相手の背中に斬り掛かろうとした。


 だが、「何?」


 彼女もまた、甘くない。相手が自分の背後に回った時は気づかなかったが、その攻撃が襲って来た時は流石に気づいたようだった。エリシュは相手の剣をふわりと躱して、その鋼を見事に弾き飛ばした。


「甘い」


 今度は、彼女の反撃だ。エリシュは相手の攻撃を読みつつ、その一撃一撃を上手く受け流しては、冷静な顔で相手に自分の剣を振るい続けた。


「魔物の剣は、人間の物とは違う」


 確かにその通りだった。魔物の剣は、人間の剣とまるで違っていた。人間の剣が「剛」とすれば、魔物の剣は「柔」と言う感じに。そのすべてに不思議な雰囲気が漂っていたのである。それも、青年がその光景に息を飲んでしまう程に。彼等は「魔」の種族に相応しく、摩訶不思議な力を持っていた。


 青年は、その力に呆然とし続けた。


「凄い」


 隣の魔法使いも、その言葉に頷いた。


「う、うん」


 魔法使いは真剣な顔で、青年の横顔に目をやった。


「アムア」


「うん?」


「あの人はやっぱり、凄い人だったんだね?」


「そうだな。でも」


「でも?」


「カティ」


 青年も、彼女の顔に目をやった。


「俺は、もう」


 青年もとえ、アムアは真剣な顔で、腰の鞘に剣を戻した。それが「自分の本音」と言わんばかりに、戦意のすべてを失ってしまったのである。


「あの人の下では」


 彼がそこから先を言い掛けた時だった。魔物達と戦っていた頭目が、相手の攻撃を食らって、地面の上に倒れてしまった。頭目は相手の攻撃に抗おうとしたが、エリシュの剣ならまだしも、フィルドの鉄槌には流石に敵わなかったらしく、その威力に力負けして、自分の剣諸共に右手を押し潰されてしまったのである。


「ぐわぁああ!」


 頭目は、右手の激痛に悶えた。


「カティ、何をぼうっとしている? お前の治癒魔法で、俺の右手をさっさと治せ!」


 カティは、その言葉に戸惑った。その言葉は、紛う事なき命令。それも、火急の命令である。「俺の右手をすぐに治せ」と。だが……。


「うっ」


 カティは不安な顔で、アムアの顔を見つめた。


「ごめんなさい」


「何?」


「私も同じです。貴方の命令にはもう、従えません。平気で自分の仲間を捨てられるような、そんな人の命令にはもう」


「くっ!」



 アムアは、その言葉に目を見開いた。


「カティ」


 それに彼女が笑い返したのは、決して偶然ではないだろう。彼女は青年の顔をしばらく見ていたが、頭目がフィルドの鉄槌で命を落とすと、今までの空気を忘れて、魔物達の方に視線を移した。魔物達の方も(彼等の意思を読み取るためか)、彼等の方に視線を向けた。彼等は、相手の動きをしばらく窺い続けた。


 フィルドは自分の仲間達を下がらせて、彼等の前にゆっくりと歩み寄った。


「まだ、やるか?」


 アムアはその質問には答えず、反対に「そっちは?」と訊き返した。


「まだ、戦うつもりか?」


 その答えはもちろん、「まさか」だった。


「こっちには、怪我人も居るからね。出来る事ならもう、戦いたくない」


「そうか。そう言う事なら、こっちも」


「良いのか?」


「何が?」


?」


「そうだな。でも、戦うつもりはないんだろう?」


「ああ、ない」


「なら、こっちも同じだ。お前達が襲って来ない以上。それに」


「ん?」


「俺には、借りを返さなきゃならない奴が居るから」


「ふうん、奇遇だな。俺達にも丁度、そう言う奴が居てね。どうしても、再戦を挑みたい」


「そっか。ちなみに」


「ん?」


「そいつの名前は?」


 フィルドは、その質問に「ニヤリ」とした。


「『フカザワ・エイスケ』とか言う、槍使いの人間さ」


 アムアは、その少年に目を見開いた。その少年とは、自分が借りをどうしても返したい相手だったからである。

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