第58話 繋がる縁(えにし)

 それは、彼女も同じだった。「こんな所にどうして、自分の同胞が居るのだろう?」と、そう内心で思ってしまったのである。ここは草原の真ん中、様々な野生動物や怪物達が住まう魔窟なのだ。魔窟の中には、魔窟特有の妖魔達が生きている。彼等はそれぞれの特性を活かして、ある時は頭上の空から、またある時は敵の真正面から、自分の獲物を虎視眈々こしたんたんと狙っているのだ。まるで獣の本能がそうさせるように……だからこそ、彼女には目の前の光景が信じられなかったのである。フカザワ・エイスケにもう一度会うため、魔王の根城から出て行った彼女だったが、自分の同胞とこんな所でまさか合うなんて、夢にも思わなかった。

 

 エリシュは内心の動揺を覚えながらも、「相手にそれを知られるのはしゃくだ」と思って、表情の方はあくまで冷静に、その態度もまた平常と同じ様子を保ち続けた。


「ワタシには、ワタシの役目がある。アナタ達にどうこう言われるつもりはない」


 フィルドは、その言葉に苛立った。彼女は魔物の中でも確かに強い部類ではあるが、それでも許せない事、思わず「何だと!」と言い返したくなる部分もある。「ふざけるな!」と怒鳴りたくなる部分もある。彼女がたとえ、どんな存在であったとしても。その言葉からは、不快な思いしか感じられなかった。


 フィルドは自分の頭を何度か掻いて、気持ちの苛立ちを何とか抑え込んだ。


「それなら、俺達も同じだ。俺達の行動に対して、お前にああだこうだ言われるつもりはない」


 エリシュは、その言葉に目を細めた。彼との関わりで感情らしい物が芽生えはじめた彼女ではあったが、それを明確に感じる術はまだ無かったらしい。彼女は自分の不完全な感情に苛立ちながらも、表情の方はあえて平静を装い続けた。


「そう。でも」


「なんだ?」


「勝手な行動を取っているのは事実。自分の持ち場を離れて。それを見逃すわけには行かない」


 フィルドは、その言葉に眉を寄せた。その言葉は、明らかな脅し。「」という意思表示である。その意思表示がなされれば、魔王様から何らかの処分が下されるだろう。それも決して、軽くない処分が。スキャラの命を脅かすような処分が。自分の命はどうなっても良いが、スキャラの事は何としても守らなければならない。スキャラは(自分にとって)、とても大切な仲間なのだ。大切な仲間の命を奪わせるわけには行かない。


 フィルドは自分の鉄槌を持って、相手にその先を向けた。


「三秒だ」


「三秒?」


「そう、三秒。三秒経っても、ここに残っていたら。コイツで、お前の身体を叩き潰す」


 エリシュは、その言葉に怯まなかった。その言葉には、殺気がもっていなかったからである。「自分の事を叩き潰そう」とする意思も。彼には威嚇の念こそ感じられたが、殺意そのものは感じられなかった。彼女は腰の鞘から剣を抜いて、相手にそのきっさきを向けた。


「同胞への威嚇は、『謀反』の兆候。兆候は、早めに叩き潰さなければならない」


 フィルド、と、彼女は言った。


「事情を話して」


「なに?」


「アナタも、魔王軍の一員。理由も無く、裏切る事はない筈」


 フィルドはその言葉に迷ったが、「スキャラに手を出したら許さない」を条件として、彼女に自分達の事情を話した。


「実は……」


 エリシュは、その話に眉を寄せた。特に「フカザワ・エイスケ」が出て来る部分には妙な親近感を覚えてしまい、フィルドが自分の鉄槌を下ろしていた事もあったが、彼女も自分の剣を下ろして、その話に耳を傾けてしまった。


「そう。アナタ達も、あの悪魔と」


「ああ。とう言うか、お前も知っていたんだな? アイツの事を」


 エリシュは、その言葉に苦笑いした。自分の同胞が彼と会っていた事も驚きだが、彼の力にも改めて驚いてしまい、フィルドの「お前って、笑えたんだな?」を聞き流して、それに思わず笑ってしまったのである。


「それで、彼女の傷を治そうと?」


「ああ」


 フィルドは後ろの蜘蛛少女を顧みて、それからまた、正面の人形少女に向き直った。


「アイツの攻撃は、唯の攻撃じゃない。何か特別な力だ。魔物の俺達でも、苦しめてしまう程の。アイツと真面に戦うためには」


「相当の力が要る?」


「お前だって、アイツにやられたんだろう?」


 エリシュはその言葉に驚いたが、何故か嫌な気持ちはしなかった。「彼の力に敗れたのは、ある意味で当然だ」と、そう何故か思ってしまったからである。自分の下僕達が倒されたのは確かに悔しいが、それすらも超える特別な感情を抱いていたせいで、その感情もあまり強くは感じていない。それどころか、ある種の嬉しさすら感じている。「彼ともう一度会いたい」と言う不可思議な嬉しさを。


 エリシュはその感情を抱きながらも、目の前の二人には「それ」をやはり見せなかった。この気持ちだけは(魔王にはもう、気づかれているかも知れないが)、他の誰にも知られたくない。


「やられた。アーティファクトの軍団を」


 今度は、スキャラが驚いた。その言葉があまりに衝撃だったようである。スキャラはフィルドの少し後ろに立って、そこから人形少女の顔をまじまじと見た。


「ま、まさか! あの凄い奴らを?」


「一体も残らず。彼はを使って、ワタシの軍団をあっと言う間に潰してしまった」

 

 スキャラは、その話に思わず座り込んでしまった。その話もまた、彼女にとっては衝撃だったらしい。


「そ、そんな! それじゃ、あたしが負けたのも」


 悔しいが、認めざるを得ない。彼女の率いていた軍団は、間違いなく強力な軍団だった。魔王軍の生産能力もあって、その力は「ほぼ無限」と言って良いだろう。どんなに倒され……いや、壊されても、それがあっと言う間に補われるのだから。恐怖以外の何モノでもない。フカザワ・エイスケは、その恐怖を見事に打ち破ってしまったのである。


「う、ううう」


 スキャラは改めて、彼の力に震え上がった。


「あいつは一体、何者なんだろう? この世界にまるで突然現れたみたいに」


 フィルドは、その言葉に押し黙った。エリシュも、同じように黙った。二人はそれぞれにフカザワ・エイスケの事をしばらく考えたが、フィルドが「ずっと考えていても仕方ない」というと、エリシュもそれに頷いて、これまでの沈黙を破った。


 フィルドは、地面の上に鉄槌を置いた。


「今は、スキャラの怪我を治さないと」


 エリシュ、と、彼は言った。


「もう一回訊くが。まだ、俺達の事を?」


 エリシュはその質問に迷ったが、やがて「いや」と笑いはじめた。彼女としては彼等に自分の仕事をまっとうしてもらいたかったが、今の状況が状況である以上、またある種の同情心を抱いてしまった事もあって、魔王への報告を考えながらも、穏やかな顔でその質問に首を振ってしまったのである。


「これはたぶん、『妨げじゃいけない事だ』と思うから。自分の同胞を守るためにも」


「エリシュ……」


 フィルドは彼女の顔をしばらく見つめたが、やがて「フッ」と笑い出した。


「お前、やっぱり変わったよ」


「え?」


 そう? と、エリシュは言った。


「変わった?」


「ああ、変わったよ。俺の知っている限りじゃ、すげぇ無愛想だったからな。『文字通りの人形』って感じに。すげぇ取っ付きにくい奴だと思っていた」


「今は、違うの?」


「ああ。今はこう、前よりも柔らかくなった気がする」


 エリシュは、その言葉に微笑んだ。フカザワ・エイスケのような好意は覚えないが、その言葉には不思議な好感を覚えたからである。


「そう」


「ああ」


 フィルドは、少年らしく笑った。エリシュも、それに少女らしく笑い返した。二人は互いの顔をしばらく見合ったが、それを「」と思ったスキャラが咳払いした所為で、数秒後にはまた互いの目から視線を逸らし合っていた。


 フィルドは、エリシュの顔に視線を戻した。


「エリシュ」


「なに?」


「一人で行くのか?」


「え?」


「また一人で、フカザワ・エイスケを追い掛けるのか?」


 彼女の答えは、「もちろん」だった。


「彼には、大きな損失を与えられた。その損失は、ワタシが取り返さなければならない。軍団の無念を晴らすためにも」


「そうか。でも」


「でも?」


「それは、かなり難しいんじゃないか?」


 エリシュは、その言葉に眉を上げた。その言葉がどうも、気に入らなかったらしい。


「どうして?」


「考えなくても分かるだろう? お前は、確かに強い。確かに強いが、それでも……。アイツは、それよりもずっと強い。その時は気まぐれで見逃してくれたかも知れないが、次はアイツに倒されるかも知れないんだ。アイツに倒されれば、その命も無くなるに等しい。たった一人でアイツを追い掛けるのは、どう考えても自殺行為だ」


 エリシュは、その言葉に押し黙った。その言葉は、間違っていない。それどころか、正論にすら思える。たった一人で強大な敵に挑むのは、文字通りの自殺行為だ。自分から自分の命を捨てに行くようなモノである。だが……。


「それでも、やっぱり」


「そう、意固地になるな」


「え?」


「困っている時には、自分の仲間を頼れば良い。俺は、お前の仲間だろう?」


「な、か、ま」


 エリシュは、スキャラの顔に視線を移した。スキャラはとても不満げだが、彼の言葉自体を否めようとはしない。ただ、「あたしの狙っている男には、何があっても手を出すなよ?」とだけ訴えている。肝心の少年は、それにまったく気づいていないが。


「仲間は、自分の仲間を助けるモノ?」


「そうだ。俺達には、俺達の意地がある。『人間には、絶対に負けたくない』って意地が。お前にも、その意地があるんだろう? 『今もアイツを追い掛けている』って事は?」


「そう、かも。うんう、そう! だから今も、彼の事を追い掛けている。彼とまた、合うために。この気持ちを落ち着けさせるために。ワタシは、彼の背中を追い求めている」


「だったら!」


 フィルドは真面目な顔で、仲間の目を見つめた。


「俺達と一緒に行こうぜ? 魔王様の許可は要るだろうが、一人よりも三人の方が心強いだろう? 俺達の敵は、アイツ以外にも居るんだからな?」


 エリシュはまた、彼の言葉に迷ってしまった。彼の言葉には、妙な説得力があったからである。このまま一人で旅を続ければ……彼とまた会えたとしても、彼との戦いは決して避けられない。必ずぶつかる事になる。そうなった場合、自分は果たして彼に勝てるだろうか? 彼にまた会いたい一心で魔王の根城から出て行った彼女だったが、自分の同胞にそう言われると、何だか不安になってしまう。本当なら感じなくて良い筈の感情を感じてしまう。自分はたぶん、自分が思う以上におかしくなっているのだ。世間の人々が「恋」と呼ぶ感情にすっかり踊らされてしまっているのである。


「う、ううう」


 エリシュは同胞達の顔を見渡して、それから地面の上に目を落とした。


「魔王様の許しを頂くにしても、一度は本拠地に戻らなければならない。アナタ達と一緒に旅するためには」


「そんなもん、事後報告で良いだろう?」


 フィルドは頭の後ろに両腕を回して、鉄槌の柄に寄り掛った。


「魔王様への言い訳なんていくらでも出来るからな? それっぽい事を言えば、魔王様も流石に分かってくれるだろう? 何たって、人間の世界に喧嘩を売るようなお方だからな。『多少の事なら許して貰える』と思うけど?」


 エリシュは、その言葉に押し黙った。そう言われれば、確かにそうかも知れないが。それでもやはり、抗えないモノがある。心の中に抵抗を感じてしまう。自分にはある種の自由が与えられているが、それもあくまで魔王が認めた範囲内の話で、実際は統制下の自由を与えられたに過ぎない。「お前の好きに動いて良い」と言う自由を、そんな自由を与えられたわけではないのである。だからフィルドの言葉にも、思いきり迷ってしまった。


「ワタシは」


「ん?」


「ワタシは自分の意思で、アナタ達の所に入って良いんだろうか?」


 相手の答えは、「当然だろう?」だった。


「お前は、唯の人形じゃない。人形の形をした、戦士じゃねぇか? 戦士には、『戦士の矜持きょうじ』ってもんがある」


「戦士の、矜持」


「エリシュ」


「なに?」


「お前の矜持は、なんだ?」


「ワタシの矜持。それは」


 既に分かっている。


「彼とまた、フカザワ・エイスケと会う事」


「だったら!」


 フィルドは「ニコッ」と笑って、鉄槌の柄から背を離した。


「やる事はもう、決まっているじゃねぇか? 何も迷う事はない」


 これが決定打になった。エリシュは心の迷いをすっかり忘れて、その言葉に「確かに」と頷いた。


「そうかも知れない。自分のやりたい事が分かっているなら」


「そう言う事!」


 フィルドは「うん」と頷いて、目の前の彼女に握手を求めた。それを不満に思うスキャラではあったが、今の空気を壊す程の無粋さは無かったらしく、エリシュが彼の握手に応えた時も、不機嫌な顔でその様子を眺めていた。


 フィルドは、彼女の手を放した。


「魔王様への報告は、折りを見てやろう」


「ええ」


 エリシュは彼に微笑み、フィルドもそれに笑い返した。二人は互いの顔をしばらく見ていたが、草原の向こう側から聞こえて来た足音、それも複数の足音に気づくと、互いの顔から視線を逸らし合って、一方は自分の後ろにスキャラを下がらせ、もう一方は同胞の隣に並び立った。


 エリシュは、草原の向こう側に目をやった。草原の向こう側から歩いて来たのは……これも何かの縁なのだろう。あの町で深澤栄介と関わった冒険者達、彼からある種の施しを受けたA級冒険者達だった。彼等はエリシュ達の存在に気づいていないのか、照明魔法の使える魔法使いを先頭にして、草原の中を歩いていた。


「彼等は」


 それに応えたのは、フィルドである。


「ああ、どう考えても敵だろうな」


 フィルドは真面目な顔で、隣の人形少女に目配せした。「アイツらを潰すぞ」と言う合図である。


「そうしなきゃ、俺達の仲間が殺られる。アイツらはたぶん、普通の人間じゃなさそうだからな。旅の邪魔者は、さっさと潰す」


「ええ」


 エリシュは腰の鞘から剣を抜き、フィルドも自分の鉄槌を持ち直した。二人は互いの顔を見合い、攻撃の時宜を見計らって、その場から勢いよく走り出した。


「先手必勝!」と叫んだのは、自分の鉄槌を振り上げたフィルドである。「殺れる前に殺れ!」


 フィルドは、先頭の魔法使いに襲い掛かった。


 相手はそれに驚いたが、例の青年が攻撃を防いでくれたお陰で、その攻撃自体を食らわずに済んだ。


「あ、ありがとう」


「そんな台詞は、要らないから。今は、目の前の戦いに」


 意識を向けろ。そう相手に言おうとした彼だったが、人形少女がそれを阻んで来た所為で、相手の攻撃を防いだ時はもちろん、頭目の指示を受けた時も、必死な顔でその言葉を飲み込んでしまった。青年は、相手の攻撃を力一杯に受け止めた。


「こ、この!」


 人形少女は、その抵抗に怯まなかった。その抵抗自体は決して弱くなかったが、と比べたらやはり弱い。衝突の際に生まれた僅かな隙を突いて、相手の剣を弾き飛ばす事ができた。彼女は自分の剣をくるくると回しつつ、真面目な顔で目の前の敵達を睨み付けた。


「ワタシの未来を邪魔させない。その前に立ちはだかる者は、誰であろうと倒す」


 彼女は「ニヤリ」と笑って、目の前の青年を斬り付けた。

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