第57話 草原での再会

 彼等の行動がこれからどう絡んでくるのか? それは一先ず置いておくとして、今は……そうだな、栄介の方に視点を少しだけ移してみよう。彼は物語の主軸であるわけだし、それと相対する少女の視点を書き続けても、第三者からして見れば「栄介はどうなったんだ? ホヌス達は今、どこら辺を歩いているのだ?」と気になっている筈だし、あるいは、「本当は、彼女の方が主人公じゃないのか? 『ざまぁ』の要素(らしい物)も入っているし」と疑っている筈だ。


 それらの感情は、尤もである。この物語が一人称、主人公の視点で書かれていない以上、視点のぐらつきが出てくるのは仕方ない事だ。仕方ない事だが、それが「三人称」と言う物。一人称では決して描けない、「広い世界」を描ける手法なのだ。一人称で描ける世界はどうしても、主人公が見ている世界になってしまう。主人公がその世界を見て、どう感じ、どう思い、どう動いたかの記録になってしまう。それはそれで味があるが、「壮大な世界」を得意とするファンタジーにはやはり、狭い視野でしか描けない一人称よりも、広い視野で描ける三人称の方を使いたい。

 

 だから……これも、ある種の裏切りになってしまうが。栄介の視点も、すぐに流そうと思っている。彼の視点は冒険、それも変り映えのない冒険だからだ。あの山を超えても尚、道中の怪物達を倒して行く冒険。それで得た報酬を拾い、また魔王討伐の旅を続ける冒険。冒険の流れは特に変わらないが、この世界に自分と同じような人間がやって来た事実、それが原因で起るかも知れない不利益だけには、何とも言えない不安感を覚えていた。「そいつはどうして、この世界にやって来たのだろう」と、そう不安に思っていたのである。


 自分のような待遇、「異世界で好き勝手にやりたい」と言う欲望を叶えたいならば、この世界をどうして選んだのだろう? 競争相手の居る世界にわざわざ来たのだろう? それだけがまったく分からない。自分の優位性、それも絶対的な優位性を得たいのならば、独占状態の異世界を選ぶ筈だ。それこそ、自分だけが尊ばれる異世界に。周りから愛され続ける悪役令嬢や、ハーレム上等の冒険者に。「冒険」や「令嬢」の免罪符を使って、「内なる欲望を満たしたい」と思う筈だ。間違っても、「邪魔者の居る世界に来よう」とは思わない。そいつが自分の前に立ちはだかったら、己の欲望が叶わなくなるかも知れないからだ。その意味では、そいつの行動規範がまったく分からない。

 

 栄介はその存在に悩まされたが、自身の言葉もあって、ホヌスに必要以上の心配は掛けなかった。「大丈夫、心配しなくて良い」と、そう何度も言い聞かせたのである。「最強の僕が、そんな奴らに負けるわけがない」と。彼はホヌスの頬に触れては、穏やかな顔で彼女に微笑み続けた。それが彼の現状だが、邪神の恩恵を受けたお陰で、魔王の怪物自体にはそんなに苦しめられる事はなく、自分の追手が彼等だけとも知らないで、その冒険を黙々とやり続けた。

 

 栄介は、目の前の怪物を切り裂いた。怪物はその一撃に叫んだが、フィルドやスキャラ達にはもちろん、その断末魔は聞こえなかった。

 

 彼等は例の森を抜けて、草原の中を黙々と歩いている。フィルドが蜘蛛少女の様子を時折確かめていたが、彼女が「大丈夫、だから」と返すと、彼女に「そうか」と言って、正面の景色にまた視線を戻していた。

 

 二人は互いの様子を何となく気にしながらも、一方は周りの風景をじっと見渡すように、もう一方はその背中をじっと見つめるように、真面目な顔で草原の中を歩き続けた。草原の中は、静かだった。二人の姿をじろじろと見てくる野生動物、その頭上を飛び交う鳥達や、牛等の姿は見られたが、彼等と同じような存在、魔物の姿はまったく見られなかった。草原の向こう側に見える防壁も、防壁としての機能が既に死んでいるようで、そこの内側に見える廃墟と同じく、無残な姿を晒していた。

 

 フィルドは、その姿に目を細めた。その姿を憐れんだわけではなかったが、草原の空が午後に変わっていた事もあって、「今日の夜は、仕方ないが。明日か明後日の夜は、あそこで休もう」と思ったのである。


「スキャラ」


 スキャラは、その声に顔を上げた。


「なに?」


「体調の方は、どうだ?」


「変わらないよ。重たい疲れがずっと続いている」


「そうか」


 フィルドは自分の正面に向き直って、例の廃墟をすっと指差した。


「人間の住んでいた町だ。今はもう、廃れているらしいが。俺達が寝られるくらいのベッドは、あるだろう」


 スキャラも、彼の指差す廃墟に目をやった。スキャラは、その廃墟に目を細めた。


「そうね。人間の匂いは嫌いだけど、草むらで寝るよりはマシだわ。草むらのベッドは、むずむずして。森の中で寝る時は、いつも切り株の上で寝ていたわ」


「そうか。なら、丁度良かったな? 俺は地面の上でも寝られる人種だが、お前が『それは嫌だ』と言うんなら」


 スキャラは何故か、その言葉に恥ずかしくなってしまった。彼はたぶん、純粋な善意から言っているのだろうが。それが妙に突き刺さって、彼女の心はもちろん、その身体までも変にそわそわしてしまったのである。彼がまた自分の方に振り返った時も、頬の火照りを何とか誤魔化そうとして、わざと生意気な口を利き、その目から視線を逸らしてしまった。


「フィルド」


「ん?」


「あ、ありがとう」


 フィルドは、その言葉に溜め息をついた。その言葉が嫌だったわけではない。ましてや、「気持ち悪い」と思ったわけでも。彼は当然の善意から来る、当然の気持ちに従っただけで、その言葉を別に聞きたかったわけではないのである。


「そんな言葉は、要らない」


「え?」


? 仲間の事を思うのは、当然じゃないか?」


「当然、仲間の事を思うのは?」


「違うか?」


 違わない。そう返そうとしたスキャラだったが、心の奥が何故かチクリとしてしまって、彼に「うんう」と返せても、「違わない」とは返せなかった。彼はやはり、自分の事を大事に思っている。その態度にも荒っぽい部分はあるが、それも充分に許せる範囲だったし、それが却って温かさ、彼の少年臭さを感じさせていた。彼はある部分には疎かったが、それ以外の部分は非常に鋭かったのである。


「『その通りだ』と思う、あたしも」


「だろう?」


 フィルドは「ニコッ」と笑って、自分の正面にまた向き直った。スキャラもまた、彼の背中をじっと見始めた。二人はそれぞれの距離を保ちつつ、無言で草原の中を歩き続けた。草原の中が暗くなったのは、それから数時間後の事だった。


 二人は今日の野宿に良さそうな場所を見つけたが、そこに座ったのはスキャラだけで、フィルドの方は、例の魔法で灯りを点け、彼女に「それじゃ、今日の晩飯を探して来る」と言って、彼女の前からサッと歩き出した。


「近くに羊の群れが居たからな。そこから一匹ばかし貰って来る」


「気を付けてね?」


 フィルドは、その言葉を笑った。彼女の言葉が余程に面白かったらしい。


「『気を付けて』って、お前な? 相手は、ただの羊だぞ? ただの羊に」


「それでも!」


 スキャラは切なげな目で、彼の目を見つめた。


「気を付けて欲しい」


 それは単純な、でも純粋な、彼に対する好意だった。「何があっても、自分の所に戻って来て欲しい」と言う思い。「あたしを一人にしないで」と言う願い。それらが幾重いくえにも重なって、彼にそう訴えかけたのである。「あたしには、あなたが必要なのだ」と。「だから!」


 スキャラは暗い顔で、自分の足下に目を落とした。彼女の足下では、彼の点けた灯りが光っている。


「こんな所で死んだら許さない」


 フィルドはその言葉に目を見開いたが、それを否もうとはしなかった。彼女の不安は、充分に分かる。魔物として人間に恐れられている彼女だが、その根はやはり女の子で、しかも不安定な少女なのである。そんな少女を守らないわけには行かない。


「分かったよ、お前がそこまで言うんなら。俺は、絶対に戻って来る」


 フィルドは「ニコッ」と笑って、今夜の夕食を探しに行った。


 スキャラは、その帰りを待ち続けた。彼が帰って来たのは、彼女の視界が涙で少し歪んだ時だった。彼女は地面の上から立ち上がると、自分に「おう、帰ったぞ」と笑う彼を無視して、彼の身体にサッと抱き付いた。


「良かった。本当に」


 フィルドは、その言葉に戸惑った。彼女の言葉もそうだが、これは少し大袈裟過ぎる。


「心配し過ぎだ。たかが羊の一匹を狩るくらいで。俺達は、人間よりもずっと強い魔物なんだぞ? 魔物がそこら辺の草食動物に負ける筈がない」

 

 確かにそうなのだが、それでもやはり嬉しかったらしい。スキャラは彼が地面の上に獲物を下ろした後も、嬉しそうな顔で彼の身体を抱き続けた。


「アンタは、あたしの」


「な、なんだよ?」


。仲間が無事に帰ってきたら、嬉しいでしょう?」


「ま、まあな。それは、確かに」


 フィルドは彼女の気が済むまで、彼女に自分の身体を預け続けた。


 スキャラは、彼の身体を放した。そうするのは少し名残惜しかったが、気持ちの方は既に満たされていたので、その手を自然と放してしまったのである。


「ふふふ」


 笑顔の方も、本当に嬉しそうだった。


「幸せ」


 スキャラは「クスッ」と笑って、今夜の獲物に視線を移した。


「かなりの大物ね?」


「え? ああ」


 フィルドも、今日の夕食に視線を移した。


「今日もずっと、歩いたからな。お前の体調も気になるし。『コイツで精を付けよう』と思ったんだ」

 フィルドは得意げな顔で、獲物の身体を叩いた。


「たぶん、群れの頭だぜ? あそこにも、でっかい物が付いているし。群れの頭は、大概が雄だからな。コイツを仕留めた時には、群れの羊が全部逃げて行ったよ」


「ふうん」


 スキャラは改めて今夜の獲物を見つめたが、獲物の物が目に入ると、変な気分になってしまって、その獲物から視線を思わず逸らしてしまった。


 フィルドは、その様子に首を傾げた。


「どうしたんだ?」


「え?」


「顔が真っ赤だぞ? まさか!」


 フィルドは慌てて、彼女の額に手を当てた。彼の感覚ではいつもと変わりないように見えていたが、「実は、体調不良を隠していたのでは?」と思ったからである。彼は「え! ちょ!」と赤くなる彼女を無視して、その額に手をじっと当て続けた。


「熱は、無いようだな?」


「ね、熱?」


 スキャラは彼の手が額から退けられた後も、恥ずかしげな顔で「う、ううう」と俯き続けた。


「ば、ばか」


「はっ?」


「ばか! どんかん! ぐず!」


 フィルドはその言葉にカチンと来たが、それを態度に表そうとはしなかった。どう言う理由かは分からないが、彼女が切なげな顔で自分の顔を見てきたからである。これには、流石の彼も黙らざるを得ない。フィルドは彼女の顔をじっと見たまま、しばらくは何も言えなかった。


「わ、悪かったよ。ごめん」


 そこで「あたしも、ごめん」と返さないのが、複雑な乙女心だ。スキャラは「う、うん」と頷きはしたものの、彼の鈍感さを許すつもりはなかったらしく、彼が今の空気を何とか変えようとしたり、羊の肉を捌こうとしたりするまでは、その顔をまったく見ようとしなかった。


 フィルドは、その態度に唯々戸惑った。


「ったく! 何なんだよ、一体」


 彼は不機嫌半分、戸惑い半分で、今夜の夕食を作った。今夜の夕食は、羊のスープである。スープの味はもちろん美味しくて、その中身を食べ終えた頃にはもう、スキャラの機嫌にすっかり直っていた。


 スキャラは嬉しそうな顔で、自分の足下に目を落とした。


「幸せ」


 フィルドも、同じように笑った。彼女の言葉がとても嬉しかったからである。


「そうか。それは、良かった」


 フィルドは鉄槌で羊の残りを潰し、そこに火を付けて、その肉をすべて燃やした。羊の肉が残っていれば、その匂いに釣られて、草原の肉食獣が集まってしまう。それこそ、獰猛な狼から狡猾な狐まで。己の腹を満たそうと、我先に集まってくるのだ。それらの獣を倒すのは造作もない事だが、こちらには負傷者も居る上、その戦い自体も避けたかったので、こうして食事が終わると、保存のきく部分以外は、魔法の力で焼き払っていたのである。


「獲って来た甲斐があったよ」


 フィルドは、嬉しそうに笑った。


「お前にそう、喜んで貰えてさ」


 スキャラは、その言葉に胸が締めつけられた。罪悪感ではないが、彼の厚意に「やっぱり申し訳ないな」と思ってしまったのである。自分はいつも、彼に助けられてばかりで。


「それじゃ、ダメだ」


「ん?」


「ねぇ、フィルド」


「なんだ?」


「あたしの傷が治ったらね? 今度は、あたしがアンタに料理を作ってあげるよ。今までのお礼を込めて」


 フィルドは、その言葉に眉を寄せた。


「別に良いよ」


「え?」


 どうして? と、スキャラは訊いた。


「あたしの作った料理が」


「『食べたくない』って事じゃない。そう言うのは……何かこう、『違う』と思うんだ。『相手にこうして貰ったから、相手にもそう返さなきゃならない』って。それじゃ」


「どうすれば良いの?」


「え?」


「どうすれば、アンタへの気持ちを伝えられるの?」


「それは……」


 フィルドは何やら考えたが、やがて「なら」と笑い出した。


「早く元気になろう」


「え?」


「早く元気になって、あの野郎を一緒にぶっ倒そう。アイツは、俺達の存在を脅かす悪魔だ。魔王様の世界を壊す破壊神。そんな化け物を放って置いたら、俺達の存在が危うくなっちまう。俺が大事に思っている存在も。俺は、自分の大事な者を守りたい。お前も含めた、自分の仲間を守りたいんだ」


 スキャラはその言葉に胸が熱くなったが、「お前も含めた」の部分にだけは「そう」と落ち込んでしまった。その思いが「自分のワガママだ」と分かっていても、そこだけは「お前の居る世界」と言って欲しかったのである。


 

 スキャラは、相手の目を見た。フィルドも、相手の目を見返した。二人は互いの目をしばらく見合ったが、暗闇の中から足音が聞こえて来ると、その方向に視線を移して、地面の上からサッと立ち上がった。

 

 フィルドは、彼女の前に立った。正体不明の相手から彼女を守るためである。


「誰だ!」


 返事はない、なんて事はなかった。最初はやはり足音しか聞こえなかったが、それが目の前まで近づくと、向こうから「どうして、こんな所に居るの?」と話し掛けて来た。「アナタは、荒野の壁を守っていた筈なのに?」


 それは不思議そうな顔で、自分の同胞達を見渡した。


 フィルドは、その少女に目を見開いた。彼女とはほとんど話した事はなかったが、それでも自分の同胞である事には違いなかったからである。彼は不安半分、好奇心半分の顔で、相手の顔をじっと見返した。


「お前こそ、どうしてこんな所に居るんだ? 

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