第56話 進むべき道
「それで?」と言ったのは、ヘウスの顔に視線を移したナウルである。「それなりに戦える俺達は、これからどうすれば良いんだ?」
ナウルは真剣な顔で、ヘウスの顔を見つめた。女王陛下から二人の監視を任され、加えて旅の段取りも頼まれた立場ではあったが、彼としても色々と思う所があるらしく、隊長としての役割こそ分かっていたものの、一応は目の前の邪神にも確かめたかったようである。
「魔王の下僕を地道に潰して行くとしても、いつかはフカザワ・エイスケと合わなければならない。そいつの願いを叶えるためにも」
「ああ。だから、今は」
「今は?」
「その時を待つ。さっきも言っただろう? 『魔王への止めは、フカザワ・エイスケに任せる』と。フカザワ・エイスケは最強の力を有する悪魔、ある意味で魔王よりも厄介な存在だ。邪神の力を使って、己の欲望を満たそうとする存在。文字通りの破壊者。そんな奴が、この世界を歩き回っているとすれば」
ヘウスは自分の顎を摘まんで、地面の上に目を落とした。どうやら、色々と考えているらしい。眉間の間に皺を寄せる表情からは、その雰囲気が明瞭に感じられた。
「今現在の情報で良い。フカザワ・エイスケがこれから向かおうとしている場所、あるいは、攻め落とそうとしている場所は分かるか?」
ナウルは、その質問に眉を寄せた。その質問が意図する所を何となく察したらしい。
「
「棄てられた町?」
「ああ、
「女の人達を攫って来て?」と言ったのは、ヘウスの隣に並んでいた亜紀である。「何のために? 攫って来た女の人達を奴隷か何かにしているんですか?」
亜紀は嫌な予感を覚えつつも、真面目な顔でナウルの前に歩み寄った。
ナウルは、その顔に表情を曇らせた。
「それならまだ良い。
亜紀の顔が強張ったのは、その言葉に脅えてしまったからだろう。そうでなければ、「え?」と震えたりはしない筈だ。彼女は胸の動揺を何とか抑えて、一度は彼から逸らしてしまった視線をまた、彼の顔に戻した。
「それよりも酷い扱いを受けているんですか?」
彼の返事は、とても歯切れが悪かった。「あ、ああ」
ナウルは自分の部下達を見渡したが、その部下達が、特にスールが「仕方ないよ、いつかは分かる事なんだから」とうなずいたので、彼もそれに頷き返し、改めて正面の亜紀にまた視線を戻した。
「ああ、もっと酷い扱いを受けている」
「ど、どんな風に?」
沈黙は一瞬だったが、その答えはすぐに聞けた。
「繁殖の材料にされているんだ」
亜紀は、その言葉に固まった。
「繁殖の、材料?」
「ああ」
「それって」
どういう? そう訊こうとした亜紀だったが、スールがナウルに代わって「言葉通りの意味だよ」と答えてくれたお陰で、その答えをすぐに聞く事ができた。「そいつは人間の女性を使って、自分達の子どもを作っているんだ。人間の女性達と淫らな行為に及んでね。自分達の子ども次々と殖やしている」
亜紀はまた、彼らの話に固まってしまった。
「そ、そんな事」
「信じられねぇかもしれねぇが」と言ったのは、スールの隣に立ったガタハである。「それは、紛れもねぇ事実だ。人間の女は、そいつらの……くっ! 考えただけでも、苛々する。増えるための生贄にしているんだ。人間の女を無理矢理に」
犯して、の部分を省いたのは、ガタハなりの配慮だろう。この話を聞いているのは、自分と同じくらいの少女なのだから。年齢の意味では自分と同じでも、それを受け取る心は、自分よりもずっと繊細な筈である。ガタハは自分の頭をポリポリと掻いて、彼女が不快にならないであろう言葉を一つ一つ探しはじめた。だが……いくら探しても、そんな言葉は見つからない。情報の真実をどんなに薄めようとしても、その根幹だけはどうしても薄められなかった。これを伝えなければ、町の惨状も伝えられない。それがどんなに悲惨であるのかも。
ガタハは悔しげな顔で、自分の頭から手を退けた。
「スライムと交わった女は、それが終わった後に」
「お、終わった後に?」
「ドロドロに溶かされる。俺も
「ろ、蝋燭みたいに」
「ああ。そして最後は、跡形も無くなっちまうんだ。スライムとの間にできた子どもだけを残してよ? 肌色の液体になっちまう。それを見た奴が思わず吐いちまう程の液体に。俺はその話を聞いて、自分の背筋が凍っちまった。『世の中には、そんなにおっかねぇ事があんのか!』ってよ? 三日は、剣の稽古に身が入らなかった」
亜紀も、その話に押し黙ってしまった。亜紀は心の動揺を何とか抑えようとしたが、騎士団達から聞かされた話があまりに衝撃だったので、自分の口を動かそうと思っても、その口自体が上手く動いてくれなかった。「くっ、ううう」の声からも、その動揺が窺える。彼女は自分の心が落ち着くまで、何度も深呼吸を繰り返した。
「酷い」
「ええ」と頷いたのは、ガタハの後ろに立っていたヘウセである。「本当に酷いです」
ヘウセは彼女の事を慮ってか、彼女に対しても敬語を使うつもりらしい。
「人間の女性をそんな風に扱うなんて、ボクには信じられません。自分達が増えるために他の種族を使うなんて。普通の生き物なら有り得ない事です。人間の男性も……たぶん、繁殖の栄養源なんでしょうが、そいつらに食い殺されていますし」
「そ、そうなんですか。それは、本当に酷いです。人間も同じ仲間を」
亜紀は、その続きを飲み込んだ。そこから先は、同族への冒涜になってしまう。人間も利権のために自然を侵しているが、それとは違う意味で、「これは、絶対に許せない事」と思ってしまった。どんな理由があろうと、他の種族に勝手な欲望をぶつけてはならない。
「絶対に」
亜紀は真剣な顔で、騎士団達の顔を見渡した。
「ふうちゃんは、その町に向かっているんですか?」
騎士団達は、その質問に頷いた。彼女の顔を見て、「これは、誤魔化しても無駄だ」と思ったらしい。隊長のナウルも「いや」と言って、仲間達の反応を否めなかった。
ナウルはまた、彼女の目を見つめ始めた。
「女王の情報が正しければ。フカザワ・エイスケはその仲間も連れて、棄てられた町に向かっている。おそらくは、そこの液状生物達を
「そ、そんなに稼げるんですか?」
「ああ。だから、この世界には冒険者が居る。冒険者の作る組織もある。組織の大きさは、冒険者の力量に寄って異なるが。それでも、『冒険者』と言う商売がある事に変わりはない。奴らは、自分の商売に命を賭けているんだ」
亜紀は何故か、その言葉に胸を打たれてしまった。
「凄い人達ですね。私ならたぶん」
「いや、出来なくはないだろう」
「え?」
「お前は、愛する者を取り戻すためにここまで来た。それも、最低最悪な糞野郎のために、な。そいつの事がどんなに好きでも、普通はそこまでは出来ない。自分の命を賭けてまで、未知の世界に挑もうとする事は。お前には、それだけの勇気がある」
亜紀はまた、彼の言葉に胸を打たれてしまった。彼の言葉にはヘウスとは違う温かさ、無愛想の中に秘められた優しさがある。ヘウスの方は、無表情の中に優しさがあるが。二人は所々に似た部分こそあったものの、一方は人間の情から来る優しさを、もう一方は神の慈悲から来る優しさを持っていた。
亜紀はそれらの優しさに驚きながらも、一方では何とも言えない安らぎを覚えていた。この安らぎは、栄介の物とは違う。それとは真逆の……いや、本質の部分はまったく同じだった。その思想がただ正反対なだけで、亜紀を思う気持ちはまったく同じだったのである。二人はそれぞれの立場から、「頼長亜紀」という人間を自分なりに敬っていた。
亜紀は、二人の敬意に頭を下げた。
「そんな事は、ないよ? 私の世界にヘウスが現れなければ、うんう! ヘウスが私の願いを叶えてくれなかったら! 私は、この世界に辿り着く事さえ出来なかった。貴方達が私達の話を信じて」
ナウルは、その言葉に首を振った。
「それは、俺達にとっても大事な話だったからだ。それこそ、俺達の未来に関わる。俺達はただ、人間の未来を守ろうとしただけだ。これ以上、人間の未来が沈まないように」
「それでも!」
「ん?」
「貴方達は、私のワガママに」
「それも、この世界のためだ。この世界に生きる、人間達のために。お前達の監視を引き受けたのは、俺達の役目を果たしたいからだ。この国を守る、特殊騎士の一員として」
残りの三人も、その言葉に頷いた。三人はガタハから「俺も同じだ。訳も分からねぇ化け物なんかに好き勝手されちゃ堪らない。俺達の世界は、俺達の手で守るんだ!」と言い、続いてスールも「自分も同じだよ? この世界は、確かに『綺麗』とは言えないけどね? それでも、自分達の育った世界には違いない。『自分』と言う者が作られた世界には。それを脅かそうとする者が居るならば、全力で以てそれを叩き潰すよ?」、最後にヘウセも「ボ、ボクも同じです! この世界を壊そうと言うのなら、何があっても食い止める。ボクはあまり、戦うのは好きじゃないけれど。それでも、戦わなきゃならない時はあるから!」と言って、互いの顔をじっと見合った。
亜紀は、彼らの言葉に涙を流した。彼らの言葉があまり純粋だったからである。
「みんな、すご」
それの続きを遮ったのは、彼女の前に歩み寄ったスールだった。スールは「ニコッ」と笑うと、優しげな顔で目の前の彼女に握手を求めた。
「この挨拶は、向こうも同じ?」
亜紀は、その言葉に「うん」と頷いた。
「まったく一緒。私の住んでいた国では、大人とかしかやらないけどね? 世界の人達はみんな、これで仲良くなっている」
彼女は「ニコッ」と笑って、彼の握手に応えた。
スールはまた、彼女の手に「ニコッ」と笑った。
「スール」
「え?」
「僕の名前」
「そう、スール君って言うんだ」
「うん、ちょっと変な名前かも知れないけどね?」
「そんな事は、ない。貴方の水、『魔法』って言うのかな? それも、凄く綺麗だったし。私は、とても素敵な名前だと思う」
スールは、その言葉に赤くなった。そう言う諸々は女性から良く言われているようだが、彼女のそれは特別に嬉しく感じたらしい。
「そう?」
「うん」
「そっか。なら、僕も」
「え?」
「君の事は、『アキさん』って呼ぶ。『ヨリナガさん』よりも、『アキさん』の方が素敵に思えるからね」
「分かった。なら私も、貴方の事は『スール君』って呼ぶよ。男の子を呼び捨てにするのは、ちょっと苦手だからね。『スール君』って響きも素敵だし」
「そっか」
「うん!」
亜紀は彼の手を放し、スールも彼女の手を放した。二人は美男美女の組み合わせらしく、互いの顔をしばらく見合っていたが、美人好きのガタハが黙っているわけもなく、「なっ!」と驚くスールを押し退けて、亜紀の前に「よぉっ!」と現れた。
ガタハは彼女の許しも得ないまま、嬉しそうな顔でその手を握り締めた。
「俺の名前は、ガタハ!」
「ガタハ、君?」
「そうそう! 特殊騎士の一員で、火魔法の使い手だ!」
俺の火は、熱いぜぇ! と、ガタハは言った。
「大抵の奴は、こいつで黒焦げになる」
「そ、そうなんだ。凄いね」
「ああ、凄ぇよ? でも、俺の火を防いだテメェは」
「な、なに?」
「もっと凄ぇ。俺の火を防げる奴は、うちの隊長くれぇだ」
ナウルはその言葉に応えず、無愛想な顔でヘウセの方に視線を移した。
ヘウセはその視線にオドオドしたが、亜紀との握手にはまったく臆しなかった。
「ボ、ボクは、『ヘウセ』と言います。ボクも見た通り、特殊騎士の一員で。得意な魔法は、土魔法です。土魔法はその、地味ですけど」
「そうは、思わない。土が無かったら、何の作物も育たないから。『火』とか『水』とかも素敵だけど、土もそれらと同じくらいに素敵だと思う。『この世界を支えている』と言う意味では」
ヘウセはその言葉に「ハッ」としたが、やがて「う、ううう」と赤くなってしまった。
「そ、そんな事」
ない。そう言い掛けたヘウセだったが、ナウルが亜紀に握手を求めた所為で、自分の喉から言い掛けたそれをすぐに引っ込めてしまった。ヘウセは彼女の手を放し、ちょっと名残惜しそうな顔で、隊長に彼女の手を譲った。
「ご、ごめん、ナウル」
ナウルはその謝罪に首を振って、亜紀の手をスッと握った。
「ナウルだ、こいつらの隊長をやっている。得意の魔法は、風。大気のある場所はもちろん、大気の無い場所でも、自分の思うままに風を起こせる」
「す、凄いね」
ナウルは、その言葉に首を振った。
「お前の方が凄い。スール達の魔法をすべて防いでしまうなんて、普通の人間には出来ない。普通の人間なら、その一つでも当たった時点で木っ端微塵になる。それこそ、跡形も無いくらいに」
「うそっ!」
亜紀は改めて、自分の魔法に驚いた。自分の魔法は、それ程までに凄い物らしい。
「ア、ハハハハ」
ヘウスは、その苦笑に目を細めた。
「当然だ。亜紀の魔法は、神の力。邪神の俺から与えられた、最強の魔法なんだ。そんな魔法が、人間風情の魔力に負ける筈がない。亜紀は今、異世界最強の魔法使いになっているんだ」
「最強の魔法使いに」と言ったのは、ヘウスの顔に視線を移したナウルである。「その魔法使いは、これから何処に向かうんだ。今までの流れから察する限り、棄てられた町に行くわけじゃないんだろう?」
ナウルは真剣な顔で、ヘウスの目を睨んだ。
ヘウスは、その眼光に怯まなかった。
「
ナウルも含め、残りの騎士団達も黙ったのは、その質問があまりに予想外だったからだろう。彼らは互いの顔を思わず見合ってしまったが、ナウルがヘウスの方に視線を戻すと、残りの三人もそれに倣って、隊長が質問に答えるのをじっと待ち続けた。
ナウルは、町の東側を向いた。
「棄てられた町程でもないが、あっちの方にも危険な町がある。魔王の怪物達にやられた町が」
「そうか。なら、その町に行こう。棄てられた町の方はたぶん、フカザワ・エイスケが何とかする。奴には、悪魔の槍があるからな。そいつを使えば、スライムなどすぐに倒せるだろう。自分の三叉槍を振り回すだけで。だから」
「俺達はあえて、別の道を行く?」
「そうだ、フカザワ・エイスケの道と出来るだけ被らないように。フカザワ・エイスケを倒すのは、そいつが魔王を討ち滅ぼした時だ。魔王を討ち滅ぼして、その悦に浸っている時に。最強の悪魔に正面から挑んでも、余計な犠牲が増えるだけだからな」
ナウルは、その言葉に頷いた。「余計な犠牲」の部分にだけは苛立ったようだが、「それも、邪神なりの配慮だろう」と思い直して、彼の案に「なるほど」と頷いたようである。
「分かった。なら俺達も、その作戦に付き合う。そうした方が、色々と良さそうだからな」
彼は「うん」と頷いて、自分の仲間達を見渡した。
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