第54話 天秤の同類

 そんな事が有り得るのだろうか? 自分達の捜している少年、「フカザワ・エイスケ」と関わる人間が、こんな町で出会えるなんて。にわかには、信じられない。自分達は都の門を抜けてからずっと、休憩の時間すらも削って、「棄てられた町を目指していた」と言うのに。この現実は、あまりに唐突だ。ナウルの常識を覆す、奇跡を超えた奇跡である。目の前の少女が応えた「邪神」と言う言葉にも、それを強める魔法のような雰囲気が漂っていたが……。


 そんな雰囲気も、亜紀にとっては困惑の材料でしかない。ナウルとヘウスの顔や背中を交互に見て、そこから妙な雰囲気を察する対象でしかなかった。亜紀はナウルの顔に視線を戻し、不安な顔でその顔を見つめた。


「あ、あの?」


 ナウルはその声にハッとしたが、態度の方はあくまで無愛想だった。


「なんだ?」


「い、いえ、あの、どうかしたんですか?」


 ナウルは、その質問に押し黙った。質問自体に答えるのは容易たやすかったが、「それを容易く答えて良いのか?」と迷っているらしい。彼の周りに集まり、その様子を眺め始めた仲間達も、口こそ出さなかったが、全員が怖い顔でそれの答えを待っていた。


「お前が捜している、『フカザワ・エイスケ』と言う人間」


 ナウルは、言葉の続きを引っ込めた。「ここから先は、自分だけでは決められない」と、その喉元から出掛けた言葉を飲み込んだのである。彼女の登場は、「フカザワ・エイスケ」と並ぶ程の重要案件。国の統治者にそれを伝え、その判断を求めなければならない問題である。彼女をこのままにして置くべきか? それとも、然るべき処置を行わなければならないか? 一介の兵士であるナウルには、決めかねる問題である。だから、女王陛下に連絡器を飛ばさなければならない。その速度を最大にして、イルバ女王に一刻も早く伝えなければならなかった。


 ナウルは、近くのスールに目配せした。彼に報告までの時間稼ぎをさせるためである。


「スール」


 スールはその声に応えようとしたが、ヘウスに「その必要はない」と遮られてしまった。


 ヘウスは、ナウルの顔に視線を移した。どうやらまた、相手の思考を読んだらしい。


「亜紀は、魔術師だ。


「なに?」と驚くナウルだったが、それもすぐに落ち着いた。「なるほど、魔術師なら」


 ナウルはまた、言葉の先を引っ込めた。「それを発してしまったら、頭の整理がはかどらなくなる」と思ったのだろう。最初は「出来ない事もないか」と言いそうになったが、そこから生まれた新たな疑問に口を紡いでしまったのだ。彼はヘウスの顔を何度か見つつ、自分の思考が読まれている(こいつには、そう言う力があるのだろう)事も計算に入れてか、その考えをゆっくりと、だが鮮明に話し始めた。


「お前らが普通の人間でない事は分かった。何か異常な、特別な力を持っている事も。だが」


「なんだ?」と答えたのは、亜紀の前に立っていたヘウスである。「まだ、何かあるのか?」


 ヘウスは、相手の目をじっと睨んだ。


 ナウルは、その眼差しに怯まなかった。


「ならどうして、その力を使わないんだ?」


 亜紀は、その言葉に驚いた。


「え?」


 ナウルは、その声に視線を移した。


「遠く離れた相手とも連絡が付けられるのなら、そいつをわざわざ捜さなくても良い筈だ。それこそ、お前が相手と会いやすい場所、その場所を相手に伝えれば良い。一撃で遊撃竜を倒せる程の力があるのなら、そいつを使った方がずっと早く済む。そうだろう?」


 亜紀は、その答えにきゅうした。確かにそうだ。ヘウスから言われた事はもちろん、先程の光景を思い返してみても、自分には強力な力がある。それは疑いようのない事実だが、ヘウスの反応を見る限りは、それに自信を持って「うん」とは頷けなかったし、また仮に「うん」と頷けたとしても、心の何処かではやはり不安を、その不安から来る罪悪感を抱かずにはいられなかった。自分は決して、嘘を付いているわけではない。だがそれが、一種の嘘のように思えてしまう。暗い顔でナウルの顔をチラチラと見る態度からは、その葛藤がはっきりと見て取れた。

 

 亜紀はその葛藤に耐え切れず、ついにはナイルの顔から視線を逸らしてしまった。

 

 ナウルは、その動揺を決して見逃さなかった。


「お前の行動は、まったく合理的ではない。使。さっきの光景を振り返ってみても」


「そ、それは!」


 ナウルは、相手の言葉を遮った。


「お前達は、何者だ?」


 無言。


「なぜ、『フカザワ・エイスケ』を捜している?」


 またしても、無言。


「くっ!」


 ナウルは、周りの仲間達に目配せした。今度の指示は、「時間稼ぎ」なんて生やさしいモノではない。「この怪しい奴らを捕まえろ」と言う命令だ。


「話せる口が残っていれば良い。それ以外は、ズタズタにしろ」


「言われなくたって!」と応えたのは、ガタハ。それに続いて、スールやヘウセ達も「分かりました!」や「う、うん!」と応え、亜紀の周りをぐるりと取り囲んだ。「盾の裏側を突けば、こちらにも勝機が充分にある!」


 三人は亜紀から程良い距離を取りつつ、彼女に向かって自分お得意の魔法を放った。


 亜紀は、その攻撃に怯んだ。魔法の盾で守れるのは、あくまでも正面の攻撃だけ。自分が見ている先から飛んできた一つの防御対象だけだ。それ以外の攻撃はたぶん、防げない。魔法の盾から放たれる光線も、おそらくは真っ直ぐにしか進まない筈である。そう考えれば、この状況は非常に不味いものだった。四方の逃げ道がほぼ完全に絶たれただけでなく、相手の魔法があまりに速過ぎるので、ヘウスが「方法は、同じだ。自分の周りに盾を張れ」と言ってくれなかったら、それらの攻撃をすべて受けていたに違いない。


「わ、分かった!」


 亜紀は慌てて、自分の周りに盾を張った。盾の防壁は、少年達の魔法を防いだ。少年達の魔法は(前述通りに)速かったが、防壁の速度が「それ」を遙かに上回っていた所為で、火炎は防火壁にぶつかったかのように、水流は水門に閉ざされたかのように、土砂は埋立地に埋められたかのように弾かれてしまったのである。


 少年達はその光景に驚くあまり、自分の戦意をすっかり忘れてしまった。ナウルもその光景に驚いてしまったが、そこは彼らの頭目らしく、一瞬の動揺を上手く隠して、亜紀の盾に「風」を叩き付けようとした。だが、そう上手く行かないのが現実。その現実を突き付けてしまうのが、「神」と言う者である。亜紀にはその欲望を助ける神、「ヘウス」と言う邪神が付いているのだ。「止めて置け」


 ヘウスは、彼の行動を制した。


「そんな魔法じゃ、亜紀の盾は壊せない」


 ナウルはその言葉に舌打ちしたが、態度の方は変わらず冷静だった。「……分かった」と応えた声からも、その冷静さが窺える。彼は仲間の剣を下げさせて、ヘウスの顔にまた視線を戻した。


「攻めたのは、謝る。でも、俺達には」


「分かっている。『どうしても、やらなければならない事』があるんだろう?」


 ヘウスは、その言葉に苦笑した。


?」


「読もうと思えば、な。俺達の利害は、おそらく重なっている。『深澤栄介を捜す』と言う意味では」


「なるほど。だが」


「それでもやはり、頷けないか?」


「当然だろう? 得体の知れない相手、しかも『邪神』なんて言っている相手を信じる方が無理な話だ。大抵の奴は、考える。『こいつは、危ない奴かも知れない』と」


「だが」


「ん?」


「それでも、利害の一致は明白だ。お前達は世界の天秤を捜し、俺達も彼女の大事な人を捜している。ここは、『敵対よりも協力の方が賢い』と思うが?」


 ナウルは、その言葉に目を細めた。


「『俺達と一緒に旅したい』と言うわけか?」


「そうとも言えるが。こちらとしては、『俺達と一緒に来い』と言った方が正しい。お前達の力では、深澤栄介と会えても返り討ちに遭うだろう。深澤栄介は、だ。俺の同族と契りを交わし」


「お前の同族? そいつは、まさか?」


 ヘウスは、その質問に瞳を震わせた。


「お察しの通り、俺と同じ邪神だ。深澤栄介は、己の欲望を満たすために」


「待て」


 ナウルは右手の人差し指と中指を合わせつつ、真面目な顔で自分の額にそれらの指先を何度も当て続けた。


「その話が事実だとすれば、俺達は『そいつの我侭に付き合わされている』ってわけか?」


「そういう事になる。お前達は、その我侭に付き合わされて」


「くっ!」


 ナウルは不機嫌な顔で、地面の上を踏み付けた。


「下らない。俺達は」


「お前達の気持ちは、分かる。だが、それが事実だ。お前達が『天秤』と呼ぶ少年の。深澤栄介は自分の元居た世界、それは彼女」


 ヘウスは亜紀の方に振り返り、そしてまた、ナウルの方に向き直った。


「頼長亜紀の居た世界と同じだが。その世界で出会った邪神に頼んで……願いの細かい内容は分からないが、この世界へとやって来た。今まで溜まっていた欲望の貯水池を解き放つために。深澤栄介は、邪神から与えられた武器と力を使って」


「多くの敵を倒して来た。俺達も、女王から話は聞いている。『たった一人で、魔法が放った遊撃竜やアーティファクトの軍団を倒した』と」


「それもすべて、邪神の力だ。邪神には、そう言う力がある。人間も含めた、あらゆる事物に特別な力を授ける力が」


「なるほど。ならさっき、彼女が一撃で遊撃竜を倒せた理由も?」


 ヘウスは、その疑問に頷いた。


「その理由からだ。俺は、彼女に力を与えた。深澤栄介の槍を防げる、たった一つの盾を。攻防一体の防壁を。深澤栄介の槍を防ぐには、それくらいの力が必要なんだ」

 

 ナウルは、その言葉に眉を寄せた。他の少年達も、黙ってその様子を眺めている。彼らは無言でヘウスの顔を眺めていたが、それも長くは耐えられなかったらしく、ガタハが「嫌な予感は、何となくしていたけどな? 俺達」と言うと、スールも「ええ」と言い、ヘウセも「想像以上にとんでもない人を追い掛けていたね?」と続いた。


 ナウルは、それらの声を無視した。


「そいつがどんなに危険だろうと、俺達のやるべき事は変わらない。俺達は、そいつを追い掛ける。自分の命がたとえ、無くなったとしても。俺達には、それをやるべき使命があるんだ。お前達が『これ』に関わろうが……」


 そこで黙ったのは、彼なりの葛藤だったのも知れない。彼は自分の仲間達に目配せし、それから亜紀やヘウスの顔を見て、自分の連絡器を取り出し、ヘウス達にその道具を見せた。


「邪神のお前は、もう知っていると思うが。こいつは、遠く離れた相手に情報を伝える道具だ。この道具を飛ばせば、女王の所に『こいつ』をやれば、女王にも天秤の正体が伝えられる」


「そして、『ついでに俺達の事もせられる』と?」


「そうだ。『フカザワ・エイスケ』と同じ奴が現れたとなれば、それ相応の手を打たなければならない。国の貴族達には、そいつの事しか伝えていないらしいからな。フカザワ・エイスケの同類が居ると知られれば、貴族の中にも裏切り者が出るかも知れない。奴らは立場こそ女王の臣下だが、それはあくまで契約上の事。今の立場に『利無し』と感じれば、すぐに裏切ってしまうだろう。奴らには、騎士道にかこけた損得勘定があるからな。最悪の場合は、貴族全員が国に背く時もある」


 亜紀は、その言葉に愕然とした。現代社会にも根付いている損得勘定が、ここにも変わらずある事に。


「そんな。それじゃ!」


 ナウルは、その声に目をやった。


「だから、俺達が居る。俺達のような兵士が、女王直属の兵士達が。俺達は、自分の命に」


「そうだとしても!」


 亜紀は、彼の前に歩み寄った。


「助け合う事は、出来る筈です! お互いが同じ悩みを抱えているのなら?」


 ナウルはその言葉に目を見開いたが、態度の方はやっぱり変わらなかった。


「確かにそうかも知れない。だが、今は」


「なんです?」


「お前達は言わば、余所者だ。この世界には本来、居てはならない異邦人。そんな異邦人が、俺達に『助け合おう』と言っても……。その立場までが、対等になるわけじゃない。お前達は一種の監視対象、ある種の危険分子だ。危険分子は、この世界に災いをもたらす。俺達は、その災いを見逃すわけには行かない」


「なら!」


 亜紀は、彼の目をじっと見つめた。


「私達の行動で、それを示します。『私達は、ぜんぜん危険じゃない』って。『私達は、貴方達の味方だよ』って。ふうちゃ……深澤栄介も、人間の味方をしているんでしょう?」


「今の所は、な。俺達は、その傾きを恐れている。その天秤がいつ、魔王の側に傾くか? 俺達はそれをさせないために、フカザワ・エイスケを追い掛けているんだ」


「だったら」


「それでお前達がついて来るのは勝手だが、それでも伝える事は伝えなければならない。その結果如何いかんでは、お前達の自由を奪う事になるかも知れない」


 そうなったら、その檻から逃げ出してやる。そう思った亜紀だったが、それは自分の立場を危うくさせるだけなので、「今は、その気持ちを抑えなきゃ」と思い直した。


 亜紀はまた、彼の目を見つめた。


「それでも良いです。だから」


 ナウルはその言葉にしばらく応えなかったが、やがて「分かった」とうなずいた。どうやら、彼女の気持ちに折れたらしい。


「アイツにも、そう伝える。あとは」


 ヘウスは、その言葉に応えた。彼が言わんとした事を察したからである。彼はナウルに「道具を貸せ」と言うと、彼からその道具を受け取って、亜紀の手にそれを持たせた。


「こいつの思考を読む限り、そいつには連絡相手の情報が入っている。あっちの世界で出回っている携帯端末とほぼ同じ仕組みだ。道具の中にある情報を辿れば、こいつらの言う女王にも繋がるだろう。繋がり方は、かなり原始的なようだが。お前の魔法を使えば、そいつを現代風に改められる」


 なるほど。要は、「この道具をスマホに変えられる」と言うわけか。道具の原始アナログ性を廃して、電子デジタル性を新たに組み入れる魔改造。その方法は、単に「携帯端末の機能を思い浮かべる」と言う単純シンプルなモノだった。

 

 亜紀は掌の上から連絡器を飛ばして、その連絡器が映し出す映像に息を飲んだ。その映像には、自分の歳とほとんど変わらない、何処か素朴な感じのする美少女が、突然現れた目の前の映像に驚きつつも、自分の身なりを必死に整えている姿が映っていたからである。彼女はその姿に親しみを覚えたが、彼女が少年達の主であるのと思い出すと、穏やかな顔で画面の彼女に微笑んだ。


「初めまして。私は、頼長亜紀と申します。貴女は、イルバ女王ですね?」

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