第52話 特殊騎士
二人の目覚める順番は僅かに異なっていたが、それでも「おはよう」と言い合い、少年の捕って来た獲物を食べて、今の場所から歩き出した時間はほとんど変わりなく、少年が少女の手を繋ぐ姿もまた、昨日と同じ空気が漂っていた。すべては、少女の身体を癒すために。彼女が受けた傷をすっかり取り除くために。二人は少年の言うアイツを目指して、森の中を一歩、また一歩と、進み続けた。
それを俯瞰して見られるのは、ある意味で書き手の特権だろう。彼らは世界の平面を歩いているだけだが、こちらは立体を眺められるのだから。「面白くない」と言ったら、文字通りの嘘になる。その意味では、亜紀達への視点移動もまた、「書き手の特権」と言えるものだった。亜紀達は自分の歩いている場所、中世ヨーロッパ風の町(正確には、中世都市だろうが)にも、それのもたらす雰囲気が漂っていた。
亜紀は道の端で立ち止まり、自分の今着ている服を見ては、何とも言えない顔で、その服にまた溜め息をついてしまった。服の趣味は悪くないが、この世界の「可愛い」が、現代社会の「可愛い」と僅かにずれていたため、昨日は異世界との相違点に驚かれただけだが、今日は貴族風の衣装、それを動きやすくした感じの衣装に「う、ううう」と戸惑うだけでなく、自分の歩調に合わせてゆれる短いスカートや、自分の胸部を守る美しい鎧(分類としては魔術師だが、一応の備えとして買ったらしい)や、背中に掛けている銀色の杖や、お洒落な感じの長革靴にも、妙な感覚を覚えていた。
現代社会でも、そういう
「う、ううう」
亜紀はヘウスの影に隠れて、周りからできるだけ見えないように、あるいは、たとえ見えたとしても、相手からなるべく見られないように、暗い顔で道の端を歩き続けた。
ヘウスは、彼女の顔に目をやった。
「挙動が不審だと、かえって怪しまれるぞ?」
「そ、それは、そうかも知れないけど」
でも、やっぱり……。
「ここはその、私の居た世界じゃないから」
亜紀は彼の上着に手を伸ばし、不安な顔でその裾を摘まんだ。
「いつ、悪い人に襲われるかも知れないし」
ヘウスは溜め息こそつかなかったが、その言葉自体には若干呆れてしまったようだった。
「その時は、お前の魔術で追っ払えばいい。
「分かっているよ。『中途半端な力は、通じない』って事は」
「なら」
「それでも」
怖いの、と、亜紀は言った。
「相手に暴力を振るうのが、相手に暴力を振るわれるのが。私は、ふうちゃん程に強くないからね」
ヘウスは、その言葉に目を細めた。
「それは、違う」
「え?」
「深澤栄介は、お前が言う程に強くはない」
亜紀はその言葉に驚いて、彼の目を見つめた。彼もその視線を受け止め、彼女の目を見返した。二人は互いの目をしばらく見合ったが、通行人の何人かが二人を訝しがった事や、市場の商人が大声で話し出した事や、一台の馬車が勢いよく通り過ぎて行った事も相まって、最初は亜紀から順に、それぞれの目から視線を逸らし合った。
亜紀は、両手の拳を強く握り締めた。
「そんな事、ない」
無言の返事。
「そんな事、ないよ。ふうちゃんは、私よりもずっと強い! 周りの人達に自分を偽っていた私と違って」
「それは深澤栄介も同じ……いや、ほとんどの人間にも同じ事が言えるだろう。人間は、社会的な動物だ。自分達が生きるために文明を造り、国家を作り、法律を作る動物。今ある文化の根源は、そこから生まれた副産物でしかない。人間は、どう生きるべきなのか? それを指し示す、一つの
ヘウスは、彼女の肩に手を置いた。
「お前は、その卑怯者を追っている。自分の想いを信じて、大事な者を取り戻そうとしている。俺の助けは、あったとしても。そこには、天と地程の差があるんだ」
「だ、だけど! それでも」
「じゃない。それが、お前と深澤栄介の差だ。嫌な現実から逃げた者と、その現実から逃げなかった者。お前には、現実に立ち向かうだけの覚悟があるんだ」
「現実に立ち向かうだけの覚悟」
亜紀は、自分の足下に目を落とした。彼から言われた言葉、特に「覚悟」の部分に妙な感動を覚えてしまったからである。彼女は足下の地面をしばらく見下ろしていたが、彼が自分の手をまた握ると、それに釣られて、自分の視線をゆっくりと上げた。視線の先には、真面目な顔で自分を見つめる彼の顔があった。
「ごめんね」
「なにが、だ?」
「自分ではもう、覚悟を決めていたつもりだったけど。……ねぇ、ヘウス君」
「なんだ?」
「私の覚悟がもし、また揺らぐような事があったら」
ヘウスは、その言葉にしばらく黙った。
「分かっている。その時には、容赦なく叩き直してやる」
亜紀は、その言葉に微笑んだ。
「うん!」
彼女は、彼の手を握り返した。彼の手は(栄介とは違って意味で)温かく、その握り方もまた、同じように優しかった。相手の心を決して踏みにじらない優しさ、その感情を第一に考えてくれる温かさ。栄介はありのままの自分を見てくれたが、彼もまた、それとは違って方向で自分の本質を認めてくれたのだ。「お前の中にも当然、『弱さ』や『醜さ』はあるだろう。だが俺は、それすらも受け止める。お前がお前である事実とも向き合う。お前は、周りの美的欲求を満たす偶像ではないのだ」と、それを言葉の中に含ませてくれたのである。亜紀には、その心遣いがとても嬉しかった。
亜紀は、彼の手をゆっくりと放した。
「ありがとう。もう、大丈夫だから」
「そうか」
二人は道の端にしばらく立ち続け、そしてまた、その場からゆっくりと歩き出した。
亜紀は、邪神の隣に並んだ。
ヘウスはそれを視界に入れつつも、無言で町の道路を歩き続けた。町の道路には様々な店が出ていたが、そのどれもが簡易式で、「専門の商売人が営んでいる」と言うよりは、各地の中世都市や小さな封土などを回っている行商人達が、そこの領主に許可を貰って、「町の中に市場を開いている」と言う感じだった。亜紀が市場の特産物(おそらくは、各地の封土で採れた野菜や果物だろう)を眺めていた時に「ちょっとそこのお客さん、良い物揃っているから見ていってよ!」と話し掛けて来た行商人も、地面の上に粗末な敷物を敷いて、そこに様々な商品を並べていた。
行商人は「ヘラヘラ」と笑いつつ、目の前の亜紀を何とか呼び止めようとした。
亜紀は、その商売根性に思わずたじろいでしまった。
「あ、あの」
ごめんなさい。そう彼女が言い掛けた時だ。彼女の隣を歩いていたヘウスが、彼女に代わって、行商人の前に出た。ヘウスは後ろの彼女に「大丈夫」と振り向き、彼女が「う、うん」と頷いた所で、目の前の行商人にまた視線を戻した。
行商人は、その視線に息を飲んだ。同じ男として(彼は、ヘウスの事を『同性』と気づいたようだ)別にうっとりしたわけではないが、その整った顔立ちはもちろん、何処か神秘的な雰囲気も相まって、普段は商売第一に考えている根性が、この時ばかりは僅かばかりある節制の心に吸い込まれてしまったらしい。ヘウスから「そいつは、要らない」と言われた時も、「は、はぁ、そうですか?」と応えただけで、それ以外の感情は何も抱かなかったようだ。
行商人は、自分の商品を見渡した。
「ここにあるのは、各地の珍品、名品ばかりなんですがねぇ。アンタがそう言うなら……まあいい。見た所、旅のお方のようだが。何かお探しの品でもあるんですかい?」
「二人分の馬を。本当は魔法で、一気に飛びたい所だが」
ヘウスは後ろの亜紀に振り返り、行商人もその方に視線を移した。
行商人は、その姿に「ふむふむ」と頷いた。
「なるほど、魔術師ですか。魔術師なら」
そこで言葉を切ったのは、行商人なりに何かを察したからだろう。最初は亜紀の姿をじっと眺めているだけだったが、ヘウスの方に視線を戻して、意味ありげに「ニヤリ」と笑い出した。
「
「まあな」と応えたのは、行商人の目を睨んだヘウスである。「ある人間を捜していて。そいつには、勘の良い仲間がついている。だから、できるだけ気づかれたくない」
ヘウスは(わざと)自分の周りを見渡し、そしてまた、目の前の行商人に視線を戻した。
行商人は、その態度にニヤリとした。
「そんなに脅える必要はありません。ここには、そう言った人間が山ほど居ます。自分の素性を隠すために、多種多様な嘘を使い分ける人間がね」
「お前も、その一人と言うわけか?」
行商人はその言葉に驚いたが、すぐにまた「ニヤリ」と笑い出した。
「まさか。あっしは、ただの行商ですよ? 各地の都市やら封土やらを回っているね。あっしはこの狂った世界で、自分ができる限りの事をやっているだけです」
それは、果たして本当だろうか? その答えを確かめる術はもちろん、「ヘウス」にしかないわけだが、彼の表情を見る限り、行商人の言っている事は、紛う事なき真実であるらしかった。
ヘウスは、行商人の顔から視線を逸らした。
「そうか。でも、あまり」
行商人の言葉も、途切れた。
「なん」
二人は町の道路に目をやり、続いて亜紀もその方に視線を向けた。視線の先には、4頭の馬が見えている。馬の上にも4人、年齢は亜紀と同じくらいだろうか? その背格好は様々であるものの、全員が容姿端麗な事もあって、男達にはある種の嫉妬を、女達には歓喜の声を浴びせられている。ヘウスの前に座っていた行商人も、ヘウス程ではなかったが、嬉しそうな眼差しで4人の美少年達をじっと眺めていた。
行商人は、自分の顎を撫でた。
「こいつは、驚いた。まさか、国の
ヘウスは、その言葉に振り返った。
「特殊騎士?」
「ああ、普通の軍隊では太刀打ちできない大物……まあ、『無理難題の専門家』って所ですか? あっしも、見るのは初めてですがね。胸の鎧に描かれている紋章」
とは、美しく象られた鷲の紋章だ。
「あれが、その証です。アイツらは、そんじょそこらの冒険者よりも強いですよ?」
ヘウスはその言葉にしばらく黙ったが、やがてまた行商人の顔を見始めた。
「アイツらはああして、常に動いているのか?」
「おそらくはね。あっしら平民は、その存在こそ知っていますが、奴らが何をしているのかまでは分からない。アイツらは、不思議な軍隊なんですよ。普通の軍隊……つまりは、各地の領主様達ですね。彼らは国王と契約を結ぶ事で、己の封土を代々守っている。言わば、物の売り買いと同じような感覚なんですが。奴らの場合は、違う。奴らは、国王直属の軍隊なんです。普通の領主達とは違い、国の議会を通さなくても、国王が直々に動かせる手駒」
「なるほど、要するに
「まあ、そう言う捉え方もできますけどね。この町に立ち寄った理由も、補給か何かが目的なんでしょう。奴らの後ろには国がついていますが、荷物の中身までは補えませんからね。物が足りなくなったら、買うしかありません」
「そう、だな」
ヘウスは自分の顎を摘まんで、何やら色々と考えた。
「亜紀」
亜紀は、今の言葉に驚いた。それがあまりに突然すぎて、頭の方がややぼうっとしていたからである。
「な、なに?」
ヘウスは、彼女の耳元に口を近づけた。
「奴らの心を探る。奴らは、国王の勅命で動く特殊部隊だ。特殊部隊の主な任務は、国の大事に関わる事。つまりは、深澤栄介の情報に」
「つ、繋がっているかも知れない?」
「そうだ。深澤栄介が何かしらの目的を持って……例えば、人と敵する勢力と戦っている場合、あるいは反対に、人自体と敵している場合、そのどちらであっても、人間には脅威の存在となる、若しくは、『そうなるかも知れない存在』と言える。奴らは、深澤栄介の情報を集めているかも知れない」
「そ、そっか! その可能性も確かに」
でも……。
「どうやって、近づけば良いの? あの人達は」
「それは」
ヘウスはその案を考えようしたが、ある男性が町の空を指差しながら「何か降りて来るぞ!」と叫んだ所為で、その思考をすっかり止められてしまった。
亜紀は、町の空を見上げた。
空の上には、あの禍々しい遊撃竜が飛んでいた。
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