第51話 人との争いが終わったら

 二人が門の通路をどう通ったかは、ひとまず置いておくとしよう。彼らの行動はあくまで遊び、これから起こるかも知れない備えでしかないのだ。備えの描写をイチイチ書いていたら、肝心な物語の進行が遅れてしまう。それは文字通りの本末転倒なので、ここは栄介達にまた……いや、この描写も少しだけ省くかも知れない。彼らは山の中を変わらず歩いていたが、ホヌスが二人の存在をふと感じたらしく、最初は「気のせいか?」とだけ思っていた感覚も、亜紀が目の前の世界に驚いていた頃には、栄介の足を止めて、先頭の彼に「栄介君」と話し掛けていた。「気分良く歩いている時に申し訳ないけど」

 

 ホヌスは、自分の足を止めた。


「ちょっと良いかしら?」


 栄介は、その声に振り返った。


「どうしたの?」



「嫌な気配?」


「そう、凄く嫌な気配。貴方と私の存在を脅かすような、とても……。これは、同族の気配だわ」


 栄介は、その言葉に眉を潜めた。彼女の言う「同族」とはつまり、彼女と同じ存在の「邪神」である。この世界に栄介を送り、その欲望を叶えてくれた神。その神が(どういう経緯かは分からないが)ホヌス以外にも、この世界に現れたらしいのだ。例の通路をおそらくは潜り、栄介の行ったような中世都市風な町や、何処かの封土に現れたらしいのである。不安な顔で栄介を見つめるホヌスの顔は、その危機感を如実に表していた。


 栄介は、その眼差しに表情を緩めた。


「その同族には、同伴者は居るの?」


「おそらくは。彼が同伴者の人間に結界らしい物を張っている所為で、詳しい情報は何も分からないけど。彼らは、町の中を歩き出して」


 どうする? と、ホヌスは言った。


「その人間に邪神が付いている以上、彼あるいは彼女にも、何らかの力が与えられている可能性もある。それこそ、貴方の力と並び立つ程の。『最強』の力を持つ人間が、二人も居たら」


「ぶつかるのは、避けられないかも知れない?」


「ええ。私は貴方の欲望を満たすために、この世界に貴方を連れて来たんだから。その人間も、貴方と同じ理由で」


「そうだとしても」


 栄介は、意識の中から三叉槍を取り出した。


「僕は、絶対に負けない。余所の世界に移ったって、そういう危険性からは避けられないんでしょう?」


「ええ……。私は誰もまだ行っていない世界、現代人の未開拓地を選んだんだけど。『それを選んだ人間が、私の同族にそこを奨められた人間が居る』って事は、貴方にとって大きな脅威、貴方の冒険を妨げる障壁になるかも知れない。栄介君の求める欲望を潰されてしまう可能性も」


「それなら、尚の事負けられないね。ここに来たのは、僕の方が先なのに。それを妨げられちゃ、堪ったものじゃないよ? そう言う運命から逃れられないのなら、その邪魔者を迷わずに潰すだけだ」


 栄介は、楽しげに笑った。ここは、自分にとっての理想郷。現代社会の呪縛が解かれた、文字通りの楽園なのだ。その楽園を壊そうとする者が居るならば、有りっ丈の力でそいつを潰す。全身全霊を以て叩き潰す。現代社会に居た頃の自分は様々な制約に縛られていたが、ここの制約はかなり緩く、また制約を課そうとする者が現れても、免罪能力でその罪を無しに、あるいは、軽く出来る事もあって、ほとんど自由に近い扱いを受けていた。


 自由は、彼が求める最大の欲望。あらゆる物に捕らわれず、自分の欲望を解き放てる特権である。その特権は、何があっても手放したくない。彼は自分がここに導かれた特権、ある種の優越感を失いたくなかっただけではなく、現代社会の鎖に繋がれていた自分自体も、過去の遺物として葬りたかったのだ。今の彼が前よりも伸び伸びと、その気持ちすら大きくなっていた理由も、そこから来る全能感に他ならなかったのである。

 

 栄介は口元の笑みを消して、ホヌスの目をじっと見つめた。


「放って置こう」


「え?」


「今は、ね。でもいつかは、そいつの事も叩き潰す」


 ホヌスはその言葉に戸惑ったが、やがて「分かったわ」と微笑んだ。


「貴方がそう望むなら、それで良い。私は、貴方の欲望に従うわ」


「ありがとう」


 二人は「ニコッ」と笑い合い、栄介がサフェリィーの足を促した事で、また山の中を歩き始めた。の場面で、彼らの描写を止める事にしよう。亜紀達の視点もそうだが、彼らの描写もまた、変り映えのない光景を淡々と描く作業、ただの状況説明でしかないのだから。そんなモノをイチイチ書いていたらつまらない。ここは小説における三人称、その特性を最大に活かした方が得策だろう。彼らの場面から視点を変えて、別の対象に視点を当てる行為。栄介達に倒された魔王の怪物達、特に鉄槌少年に視点を当てる行為である。


 少年は栄介から教えられた情報を元にして、蜘蛛少女が倒れているらしい(あるいは、既に死んでいるかも知れない)森の中を歩いていた。森の中には様々な声、小鳥達の可愛らしい囀りや、虫達の美しい声が響いていたが、少年が地面の上を踏み付ける音は、そこに落ちている木々の枝が痩せ細っていた事もあって、あまり心地よいモノではなかった。その周りに落ちている葉っぱも、朝露の湿りをまだ残している事もあり、「乾いた音」と言うよりも何処かジメジメした陰鬱な印象を与えていた。


 少年はその印象を無視して、森の中を進み続けた。彼が同胞の蜘蛛少女を見つけたのは、太陽が空の真ん中辺りまで登った時だった。彼は、少女の前に駈け寄った。少女は深手こそ負っていたが、生来のしぶとさを見せていたらしく、意識自体は身体の痛みで朦朧としていたものの、自分の命を何とか繋ぎ止めていた。


「こんな所に居やがったのか」


 少女は、その声に顔を上げた。どうやら、それで意識の八割方を引っ張り戻したらしい。


「どう、して、あんた、が?」


 少年はその言葉に苦笑して、彼女の前にしゃがんだ。


が教えてくれたのさ。『お前が森の中に倒れている』って」


「そう」と言い掛けた蜘蛛少女だったが、「親切な敵」の部分に「ハッ」として、人間形態の身体を何とか起しつつ、不安な顔で少年の苦笑に目をやった。「まさか、そんな!」


 彼女は、自分の脇腹を押さえた。


「あり、えない。アイツが、そんな事をするなんて。これは、きっと」


「『アイツの罠だ』って、言いたいのか?」


「そう、よ」


 そうとしか考えられない! と、彼女は言った。


「アイツは、あたしをわざと生かしたんだから。ここにあんたを寄越した理由だって!」


 少年は地面の上に鉄槌を置いて、彼女の身体をすぐに支え始めた。彼女がそう叫んだ瞬間、彼女の身体が倒れそうになったからである。彼女はそれが余程に恥ずかしかったのか、少年が「やれやれ」と呆れる一方で、その頬に灯った赤みを必死に隠し続けた。


「まったく。傷も浅くないって言うのに、そんなに叫んだら」


「う、うるさい!」


 彼女は彼に抱き締められながら、その中で何度も暴れ続けたが、流石に疲れてしまったらしく、ある程度暴れ続けた所で、彼の腕にまた身体を預けてしまった。


 少年は、その光景に溜め息をついた。


「俺も魔法じゃ、お前の傷も完璧には治せないかな。今は、歩けるだけの治療を」


「う、ううう」


 少女は、彼の治療魔法を受けた。彼の治療魔法は、温かかった。魔法自体の専門性は高くはなったが、彼が自分の傷を一つ一つ、しかも丁寧に治してくれたお陰で、最初は苦しさだけがあった呼吸も段々と楽になって行き、最後は普段と変わらないくらいにまで戻った。自分の全身を覆っていた痛みも、脇腹の奥や右胸の上当たり鈍痛らしいモノが残っているだけで、激しい戦闘はまだ無理だが、普通に歩く分ならまったく問題なかった。


 少女はその事に喜びつつも、態度の方はあくまで不機嫌に、感謝の言葉も素っ気なく返した。


「あ、ありがとう……」


「いいや」


 少年は右手で自分の鉄槌を、左手で彼女の手を握った。


「俺の魔法はあくまで、応急処置だからな。専門の治療は、に任せた方が良い」


「治療種のアイツに?」


「その方が確実だろう? 俺は、見た通りの戦闘種だからな。治療の事は、治療の専門家に任せた方が良い」

 

 蜘蛛少女は、その言葉に躊躇った。


「そう、だけど。でも」


「でも?」


「アンタは……その、持ち場を離れて良いの? 魔王様から任された」


 少年はその言葉に眉を寄せたが、やがて穏やかに笑い出した。


「自分の持ち場には当然、戻る。そこを守るのが、俺の役目だからな。可愛い女の子の期待は、裏切りたくねぇし」


 可愛い女の子。その部分が「チクリ」としてしまったのか、蜘蛛少女が一瞬だけ暗くなったように見えた。少年が魔王様の姿を思い浮かべ、その姿に「えへへ」と喜んだ時も、言いようのない不快感、少女特有の不安感を覚えたらしく、少年が「どうしたんだ?」と話し掛けるまでは、両手の拳を強く握り締めていた。


 少女は暗い顔で、少年の目を見つめた。


「何でもないわ」


「ふうん」


 少年は少女の顔をしばらく見ていたが、その表情が優れないのを「具合が悪いから」と思ったようで、無理矢理にとまでは行かないものの、彼女の足をそっと促した。彼女も「それ」には逆らわず、淋しげな顔で彼の横顔をチラチラと見はしたが、彼の歩調に合わせて、その場かからゆっくりと歩き出した。二人は普段なら決して恐れない森の中を、ある時は不安げに見ながら、またある時は注意深く眺めながら、一歩一歩地道に歩き続けた。


 少年は、ある森の一角に目を留めた。視線の先には、大木の切り株が見えている。


「結構歩いたからな。お空の太陽も、そろそろ沈む頃だし。今日は、ここらで休むとするか?」


 蜘蛛少女はまた、その言葉に逆らわなかった。


「うん」


 彼女は少年の手に引かれて、切り株の前に歩み寄った。


 少年は、その上に彼女を座らせた。


「晩飯は、俺が見つけてくるから。お前は、そこで休んでいろ」


「分かった、ありがとう」


「んじゃあな。一応、切り株の周りに結界を張って置くが。何かあったら、すぐに叫べよ」


 少女は、その言葉に頷いた。


「うん、分かった。ありがとう」


「明りの魔法も、ついでに使って置く」


 少年は、少女の前に明りを灯した。遠くの空に沈み行く夕陽と似た、温かな光が空中にふわふわと浮いている明りを。


「これで、夜も困らないだろう? 俺も、戻る時の目印になるし」


「ねぇ?」


「ああん?」


「すぐに戻って来るわよね?」


 少年は、その言葉に首を傾げた。不安な気持ちは分からないでもないが、彼女がそこまで不安に思う理由が、彼にはどうも分からなかったからである。


「それりゃ、すぐに戻って来るよ。何たって、怪我人が居るんだからな。森の下っ端共は、俺達を襲わねぇけど。怪我人の事をずっと放って置くのは、俺としても気分が悪いからな」


「そう、なら」


 良い。そう応えた彼女だったが、内心ではやはり違う事を思っていたらしく、彼が右手に鉄槌を持って自分の前から歩き出した時はもちろん、その背中が見えなくなった後も、暗い顔で地面の上に目を落とし続けていた。


 彼女は、自分の唇を静かに噛み締めた。少年が彼女の所に戻って来たのは、それから小一時間程経った時だった。彼女は切り株の上から立ち上がって、彼の所にサッと歩み寄り、彼が抱えている今夜の獲物に目をやった。今夜の獲物は、小ぶりな猪だった。


「美味しそうな猪ね」


「だろう? 力加減がちっと面倒だったが、捕まえるのは簡単だった」


 少年は「ニコッ」と笑って、その猪を捌いた。魔法の力を使って、豪快に料理する調理法。それで作った今夜の夕食は、男子特有の味付けが効いたのか、蜘蛛少女にはとても魅力的な味だったようだ。「ごちそうさま」の声にも、穏やかな空気が漂っている。「今まで食べたどんな料理よりも美味しかったわ」


 少年は、その言葉に呆れた。


「そいつは、ちと言い過ぎだぜ。でも」


「でも?」


「ありがとう」


 少女は、その言葉に赤くなった。身体の方も妙に熱くなってしまったようで、今夜の獲物を食べる態度自体は変わらなかったが、彼の顔を何度も見ては、その笑みに幾度も俯いてしまった。彼女は彼に自分の気持ちが悟らぬよう、今夜の獲物を黙々と食べ続けた。


 少年は、今夜の夕食を食べ終えた。それに続いて、少女も自分の分を食べ終えた。二人は今夜の寝る場所を決めようとしたが、少女がその勇気を振り絞り、少年に「一緒に寝て」と言った事で、ある種の混乱状態に陥ってしまった。


 蜘蛛少女は、少年の目をじっと見た。


「お願い。アンタと離れると、あの光景がまた蘇るの」


 人間のアイツにやられた光景が、と、少女は言った。


「だから、お願い!」


 少年はその答えをしばらく考えたが、数秒程考えると、優しげな顔で「それ」に頷いた。


「分かった。お前が嫌じゃなければ、ずっと一緒に寝てやるよ」


 少女は、その言葉にホッとした。


「ありがとう」


 二人は、切り株の上に寝そべった。その感触は決して良くはなかったが、そこから見上げる星空は海に浮かぶ真珠を眺めているようで、不思議と嫌な気持ちはしなかった。


 少女はその星空を見上げながら、隣の少年にそっと問い掛けた。


「ねぇ?」


「ん?」


「アンタはこの戦いが終わったら、、どうするの?」


「そう、だな。たぶん」


 少年は、星空の方に左手を伸ばした。

「魔王様の傍に居ると思うね」

 

 蜘蛛少女がそれに黙ったのは、その言葉があまりに切なかったからか? 彼女は右腕で自分の両目を覆い、やはり素っ気なく「そう」と応えた。


「なら」


「ああん?」


「その隣にあたしも居て良い?」


 今度は少年が押し黙ったが、それも長くは続かなかった。


「別に良いよ。俺らは、同じ魔族の仲間だからな」


 少年は「ニコッ」と笑って、少女の手を握った。


「おやすみ、スキャラ」


 少女は悲しげな顔で、その声に応えた。


「おやすみ、フィルド」


 二人は虫達が歌う森の中で、その瞼をゆっくりと閉じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る