第43話 好きなように生き、好きなように死ぬ
栄介はまた、自分の槍を構え直した。暇つぶしの意味では「荒野」も充分な暇つぶしだったが、「良い」と意味では今の方が数段に勝っている。空間や土地、特定の有物体に付けられた魔法は、「罠」としての意味が強い一方、「相手とのやり取り」、「その相手と戦う高揚感」が弱い意味で、どうしても悶々とした思いを抱えがちになっていた。
最強の力がせっかく有るのだから、「それ」を思う存分にぶつけられる相手と戦いたい。今まで栄介の行く手を阻んでいた荒野は、頭脳の面では楽しませる相手であっても、情緒の面では楽しませる相手ではなかった。
「強い相手をねじ伏せる。それが最強の醍醐味だからね」
栄介は地面の上を素早く蹴って、今の場所からサッと動き出した。
相手は、その速さに驚いた。最初の動きは明瞭に見えていたが、相手の足が音も無く動いた瞬間、その残像だけを残して、次の瞬間には、自分の間合いまで一気に攻め込んでいたからだ。栄介の振り下ろした槍にあと1秒でも反応が遅れていたら、鉄槌の一番脆い部分を狙われて、それもろとも槍の餌食になっていただろう。栄介の操る槍には、それをやれるだけの破壊力、そして、使い手の技量に応える性能があった。
少年は、その感覚に生唾を飲んだ。
「くっ、『ただの人間だ』と思っていたが。お前」
「ん?」
「
少年の声が震えているのは、単に驚いているだけではないらしい。今の攻防で感じた感覚、そこから生じた畏怖に戦いてしまったらしかった。
こんな人間とは、(少年の覚えている限り)一度も戦った事はない。
少年は、未知なる敵に顔を強張らせてしまった。
「野郎」
栄介は、その言葉に「ニヤリ」とした。相手の悔しさが手に取るように分かったからである。
「苛々していたら、勝てるものも勝てないよ?」
それが少年への挑発になった。
少年はそれに怒り狂うあまり、愛用の鉄槌をぶんぶんと回しては、周りの空間に強い風を起して、栄介の方にまた、その鉄槌を構え直した。
「調子に乗るんじゃねぇ! たとえ特別な人間だろうと、この俺に敵うわけがないんだ!」
少年は、両手で持った鉄槌を振り下ろした。その振動は凄まじく、地面の上が激しく揺れたが、そこから上空へと飛び上がっていた栄介には、ほとんど無意味な攻撃だった。それこそ、最初の振動に驚いただけ。足下から伝わって来た微かな揺れに振動を感じただけだったのである。上空の敵に地面の攻撃は通じない。
少年は悔しげな顔で、上空の栄介を見上げた。栄介は少年の方を見下ろし、その方向に槍先を向けて、落下の加速度を活かし、少年に向かって槍を突き刺そうとしている。
「やらせるか!」
そんな攻撃、落下位置さえ見極めれば……。簡単に躱せる。相手の攻撃を避けて、反対に自分の鉄槌を喰らわせられる。鉄槌の重さは、槍よりも遙かに重いのだ。「突く」と「潰す」の力関係は、「潰す」の方がずっと勝っている。その力関係を活かせば、槍を打ち倒すなんて造作もない事なのだ。槌が槍に負けるなど決して有り得ない。
だが、「なに?」
それを覆してしまうのが、「深澤栄介」と言う少年だった。鉄槌の先に槍先を当てて、自分の体勢を変える栄介。栄介は少年がその動きに驚いている最中、彼の後ろにサッと降り立って、彼が自分の方に振り返ってからすぐ、その眼前に槍先を向けた。
「ふっ」
少年は、その槍先に怯んだ。自分の目と槍先との距離がほとんど無かったからである。
「く、ううう」
「
それは、こっちの台詞だ。そう言いたげな少年だったが、槍先が尚も自分の目の前にあるのを恐れて、「それは」の部分は言えたが、それ以降の言葉は言えなかった。自分は、明らかに脅えている。相手の実力に震え上がっている。鉄槌を握る彼の両手からは、その恐怖が明瞭に感じられた。「こいつには、たぶん敵わない」と。だから、ほぼやけくそに振り上げられた彼の鉄槌は、「相手を仕留める」と言うよりも、「今の状況から逃れたい。自分の命を何としても守りたい」と言う逃げの姿勢に近かった。
少年は狂ったように暴れながら、その両手で持った鉄槌をブンブンと振り回し続けた。
「死ねぇ! 死ねぇ!」
言葉遣いも、より荒々しくなっている。
「お前のような奴は、この鉄槌に」
「潰されるわけがないだろう?」
栄介は槍の先で、少年の鉄槌を受け止めた。
少年はその衝撃に脅えても尚、自分の鉄槌を何とか動かそうとした。だが、どう頑張っても動かない。自分の力がただ押し返されるだけだった。相手の槍先から鉄槌を退けた時も、そこから生じる一種の脱力感を覚えただけだったようで、反撃の意思を完全に喪失。栄介と戦う意思すらも、すっかり失ってしまったようだった。
少年は地面の上に鉄槌を捨てて、自分の両腕を大きく開いた。
「
「は?」
「俺にはもう、お前と戦う意思はない。お前はどうやら、俺よりもずっと強いようだからな」
だから殺れ、と、少年は言った。
「お前も、冒険者なんだろう? 冒険者なら」
「そしゃあね。でも、そうするかどうかは」
僕の自由だ、と、栄介は言った。
「この戦いに勝ったのは、僕だからね。敗者の扱いは、勝者が自由に決める」
少年は、その言葉に苦笑した。どうやら、彼の言葉が余程におかしかったらしい。
「変な奴だよ、お前は」
栄介も、相手の言葉に笑った。
「お前にも、同じ事を言われたよ。君達の仲間から、ね」
栄介は、意識の中に槍を仕舞った。
少年は、その光景に目を見開いた。
「驚いたな。そんな事も出来るのか?」
「まあね。その力は、
「企業秘密?」
少年はその意味をしばらく考えたが、やがて「フッ」と笑い出した。
「『企業』って言うのが、何なのかは知らないが。それが『とんでもない力だ』って言うのは、分かったぜ」
少年はまた、「フッ」と笑った。栄介も、その笑みに笑い返した。二人は互いの立場をしばらく忘れたかのように、楽しげな顔で「ハハハハ」と笑い合った。
少年は、口元の笑みを消した。
「どうして?」
「ん?」
「止めを刺さないんだ? 俺は、お前の敵だぞ? それなのに」
栄介は、その質問にほくそ笑んだ。そんな質問は、文字通りの愚問である。
「気分だよ」
「気分?」
「そう、気分。今回は、そう言う気分だった。ただ、それだけの事だよ」
少年はその答えにポカンとしたが、やがてまた「フッ」と笑い出した。
「お前はやっぱり、変な奴だ。俺を生かして置けば、ここに迷い込んだ奴らを『また襲うかも知れない』って言うのに。お前は冒険者でありながら、同じ冒険者を危険に晒したんだ。魔王の手下である俺を生かした事で」
「そうかも知れない。でも、そうじゃないかも知れない」
「ん?」
「君はどうして、魔王なんかに従っているの?」
少年の表情が変わったのは、栄介の「魔王なんか」に苛立ったからかも知れない。自分の主人を「魔王」と呼ぶ彼ではあるが、一応の忠誠心はあるようだった。
彼は今までの雰囲気を忘れて、栄介の事をじっと睨み付けた。
「それりゃもちろん、
「可愛いから?」
「それ以上の理由が、要るのかよ? 男が女のために戦う理由がさ」
「確かに」と言い掛けた栄介だったが、すぐに「そうかな?」と言い直した。「僕には、そうは思えない。どんなに可愛くても、嫌いな子は居る。自分と相容れない女の子は居る。僕は相手がたとえ可愛くても、自分の自由を阻む人は好きになれない」
栄介は憎き幼馴染の顔を思い出しつつ、悔しげな顔で何度か苦笑した。
少年は、その表情に眉を上げた。
「お前、女に何か恨みでもあるのか?」
沈黙は、「答えたくない」の意思表示。そこから先は、「踏み込んで欲しくない」と言う懇願だ。
少年はその懇願に戸惑ったが、彼の思いを踏みにじろうとはしなかった。
「人間の男も、色々と大変なんだな」
「まあね。何か縛られている点では……たぶん、君達と大差ないよ」
少年はまた、栄介の言葉に眉を寄せた。
「俺は、自由だ。自由な思いで、魔王に従っている」
「荒野の幻まで作って?」
「……ああ、それが魔王の望みだからな。俺はただ、その望みに応えているだけだ」
「悲しい自由だね」
「そうか?」
「うん、僕からして見ればね。君の自由は、悲しい自由だ」
栄介は相手の目を見、少年も栄介の目を見返した。二人はそれぞれに思う所があるのか、無言で互いの目をしばらく見続けた。
少年は、栄介の目から視線を逸らした。
「お前の自由は」
「ん?」
「随分と勝手な自由なんだな?」
今度は、栄介が彼の顔から視線を逸らした。
「『自由』って言うのは元々、かなり自分勝手だよ。好きなように生き、好きなように死ぬ。自分の自由に規範を持たされたら」
「持たされたら?」
「それは最早、理性だよ」
「理性……」
少年は、自分の足下に目を落とした。
「俺は、自分の理性に縛られているのか?」
「たぶん。でも、『そうだ』とは言えない。僕も、基本的には理性で生きているからね。自由は、そこに味わいを加える調味料だ」
栄介は、自分の仲間達を見渡した。仲間達は不安な、あるいは、楽しげな顔で、彼の事を見ている。彼は仲間達の顔をしばらく見て、正面の少年にまた視線を戻した。
「ここの出口は?」
少年は一瞬、その言葉に驚いた。
「出て行くのか?」
「当然だよ。僕達は冒険者、険しさを冒すのが生業だ。いつまでも同じ場所に留まっているわけには行かない」
「そうか……」
少年は、ちょっと残念そうに笑った。
「お前とはもう少し、話したかったが」
栄介は、その言葉に微笑んだ。
「生きていれば、また話せるよ」
「そう、だな」
少年は自分の後ろを振り返って、空間のずっと先を指差した。彼が指差す先には、荒野の罠を壊す前に見た黒々とした山脈がそびえ立っている。
「あそこに向かって歩いて行けば良い。今度のアレは、罠じゃない」
「分かった」
栄介は自分の仲間達に目配せし、「行こう」と笑って、その歩みを促した。
仲間達は、その指示に従った。
彼らは栄介を先頭にして、少年の前から静かに歩き出した。
少年は、彼らの後ろ姿を眺めた。
栄介は真なる荒野の上を歩き続けたが、何かをふと思い出したらしく、ある程度歩いた所で、少年の方をそっと振り返った。
「ここに来る前」
「ん?」
「たぶん、『君の仲間だ』と思うんだけど。一人の女の子と戦ったんだ。蜘蛛の姿に化けられる」
「蜘蛛の姿に化けられる?」
それでピンと来たらしい。最初は「蜘蛛?」に首を傾げていた少年だったが、それが誰だか気づくと、急に「アイツか!」と驚いて、栄介の方をじっと見つめた。「森の中を狩り場にしていた蜘蛛女。アイツも、お前に倒されたのか?」
少年は、その情報に生唾を飲んだ。
栄介は、彼の動揺を察した。
「かなりの深手を負わせたからね。今は、どうなっているか分からないけど。助けるなら、早い方が良い」
無言の返事は、同胞の事を考えているからか? 少年は栄介が自分の正面に向き直り、地面の上を歩き出した後も、その場にしばらく立ち尽くしてしまった。
「あんな化け物みたいな奴と戦ったのなら……くっ! 深手は負っていても、あの女は頑丈だ。たとえ虫の息でも、何とか生き長らえているだろう」
彼はそう言いつつ、内心では様々な葛藤に苦しんだようだが、最終的には「助けに行くか」と結論付けたようだった。可愛い女の子を助けるのはやはり、男の性らしい。栄介から詳しい場所は聞けなかったが、そんなのは別にどうでも良い事らしかった。栄介がこの場所に迷い込んで来た方向や、周りの地理から推し測れば、「ある程度の予想は、付けられる」と思ったようである。
「まったく、世話の焼ける蜘蛛女だぜ」
少年は自分の頭をポリポリと掻いて、魔王の顔をそっと思い浮かべた。
「自分の持ち場を離れるのは、心苦しいが。……仕方ない。魔王には、あとで謝って置くか」
少年は自分の鉄槌を拾い上げて、背中にそれを背負い、その場から素早く駆け出した。
「この貸しは、高く付くぞ? 覚悟するんだな、蜘蛛女」
そう笑う彼は何処か清々しく、そして何処か、嬉しそうに見えた。「少年の直情」を持っている点では、彼もまた、人間の少年とそう変わりないようである。
彼は自分の持ち場である荒野を抜け出し、背中に鉄槌を背負っているとは思えない動きで、栄介の歩いて来たであろう道を嬉しそうに走り続けた。
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