第42話 荒野を統べる者

 罠の突破口を見つけるのは、そう簡単な事ではなかった。自分の目の前に敵、それも実体のある敵でも現れれば、その敵を手掛かりにして、突破の糸口も見つけられるだろうが、この罠は場所自体が怪物であり、また、その広さ自体が攻撃手段であったため、敵の身体を壊そうにも、それを行う事すら出来なかったのである。

 

 ここは、荒野に似せた蟻地獄だ。そこに一度入ったら、まず出られない落とし穴。獲物の気力と体力を奪う、底引き網である。魔王はただ、そこに入った獲物を掬い上げるだけだ。熟練の漁師が、船の甲板から網を引き上げるように。網の中に捕らわれた魚達をそっくり頂いてしまうのだ。自分の意思でそこに入った大物はもちろん、そこに偶々入ってしまった雑魚も、例外なく巻き上げてしまうのである。


「本当に嫌らしい方法だ」


 魔王はたぶん、この手の罠をそこら中に仕掛けている。世界についての情報、地理についての細かい情報はほとんど調べていなかったが(すべての情報を知っているよりも、「推理小説のように少しずつ分かって行った方が面白い」と思ったからだ)、今の状況から推し測る限り、そう考えても、決して不自然ではなかった。魔王はこの世界の侵略者……いや、一種の遊戯的支配者として、あらゆる面から自分の立場を楽しんでいるようである。


「それの一つが、この罠か」


 栄介は鋭い目で、仲間達の周りを歩き始めた。


 仲間達は、その様子を見守った。彼が今、何を考え、何を思っているのかは分からないが、荒野の上をゆっくりと歩く様は、「その感触を味わう」と言うよりも、そこから伝わる感触を頼りにして、何かしらの手掛かりを得ようとする感じだった。時折「ううん」と唸る声からも、その雰囲気が感じられる。彼は、歪んだ荒野の空間に見事な花畑を咲かせようとしているのだ。


 仲間達は、その様子をじっと見守り続けた。


 ホヌスは、目の前の栄介に話し掛けた。


「栄介君」


「なに?」


「目の前の光景に惑わされているのなら」


「惑わされているのなら?」


「自分の目を瞑ってみれば良い」


 栄介は、その助言に目を見開いた。助言自体はとても曖昧なモノだったが、それが(ある意味では)「答え以上の答えだ」と思ったからである。


「なるほど」


 栄介は、両目の瞼を瞑った。瞼の裏にはもちろん、真っ暗な世界が広がっている。外界との繋がりを絶つ暗黒が、彼自身が作り出した闇が、あらゆる方向感覚を棄てて、四方八方に広がっているのだ。それこそ、今の状況を表すかのように。視覚のまやかしを打ち消す事で、本来の姿を映し出しているのである。


「う、ううう」


 栄介は、目の前の闇に苛立った。目の前の闇は、文字通りの闇。あらゆる人間が自分の内側と向き合った時に見える、問題集の闇である。闇の先に待っているのは答え、あるいは、諦めだ。「これが正解だったのだ」と言う答え、「これは不正解だったのか」と言う諦めである。


 その両者を見極めるのは、きっと難しいだろう。正解は時として不正解にもなるし、不正解もまた時として正解になる。正に表裏一体なのだ。闇の先に見えた光明が、必ずしも最善策とは限らない。それが思わぬ誤算、大きな間違いに繋がる時もある。

 

 栄介は眉間の間に皺を寄せて、闇の先をずっと見つめ続けた。……だが、「くそっ」と呟いたのは、それが徒労に終わったからかも知れない。腰の鞘から剣を引き抜き、地面の上にそれを突き刺した動きも、その苛立ちを表す意思表示かも知れなかった。

 

 栄介は地面の上から剣を引き抜いて、両目の瞼を勢いよく開いた。瞼の蓋が取り払われた先に待っていたのは、見るのも腹立たしい荒野である。最強の彼を苛立たせる荒野、荒野の姿を借りた忌々しい怪物だ。怪物の先には、黒々とした山々がそびえ立っている。


「あそこから来た人達も、この荒野に」


 迷い込む、と言いかけた時だ。彼の中で、何かが弾けた。


「もしかして?」


 栄介は意識の中に剣を戻し、代わりに切り札の三叉槍を取り出した。三叉槍は、相変わらず黒光りしている。彼は「それ」をくるくると回し、いつものように構えると、真面目な顔で地面の上に三叉槍を突き刺した。


 ……何も起こらない。三つに分かれた槍先が、地面の中にグサリと突き刺さっただけだ。それを地面の中から引き抜いた時も、槍先に僅かな土が付いていただけで、変化らしい変化かは、まったく見られない。地面の上にただ、三つの穴を作っただけだった。


 栄介は、その穴に「なるほど、なるほど」と頷いた。


「地面の方を攻めても、ダメなのか」


 サフェリィーは、その言葉に瞬いた。彼が一体、何を考えているのか? と言うより、そもそも何をしようとしているのか? 普通一般の頭しかない彼女には、彼の意図がまったく以て分からなかったらしい。だからホヌスが「クスクス」と笑った時も、その笑みに驚きはしたが、笑みの理由自体を訊こうとはしなかった。


 サフェリィーは不思議そうな顔で、主人の動きをただじっと眺め続けた。


 ホヌスは、栄介の行為に目を細めた。人間のサフェリィーとは違い、彼女には人の心を読む力がある。彼が一体、何を思っているのか? それを一瞬に読み取っていたのである。


「貴方は、やっぱり面白い」


 彼女は「クスッ」と笑って、栄介の行為を楽しげに眺め続けた。


 栄介は、二人の視線を無視した。二人の視線自体には気づいていたが、そこに意識を向けるだけの余裕がなかったからだ。三叉槍で後ろの空間を突き刺す(仲間の二人にはもちろん、当たらないにしたが)動きにも、その感情がヒシヒシと伝わって来る。彼は自分の予想が正しいのかどうか、それをどうしても試したいようだった。


「後ろは、ダメか。なら、横は?」


 横もダメ。左を突いても、右を突いても、空気の振動が聞こえるだけである。


「なら」


 残った場所は、一つしかない。


 栄介は、自分の正面に向かって槍を突き刺した。その結果は、ホヌス達の反応を見れば分かるだろう。最初は空気を裂く音しか聞こえなかったが、それが段々と変わって行き、最後は空間が裂けるような音、ガラス細工の砕け散るような音が聞こえて来た。


 栄介は、その音に「ニヤリ」とした。ホヌスも、同じように笑った。二人は困惑するサフェリィーを余所にして、目の前の光景に笑い続けた。


「発想としては、悪くないけど。まあ、所詮は魔王の浅知恵だね」


 サフェリィーは、その言葉に瞬いた。一体、どこら辺が浅知恵なのだろう?


「あ、あの?」


「ん?」と応えたのは、彼女の方を振り返った栄介である。「なに?」


 栄介は右手に持った三叉槍を二、三度回し、楽しげな顔で地面の上に槍を立たせた。


 サフェリィーは、その光景に息を飲んだ。


「これは一体、魔王の浅知恵って」


「ああ」


 栄介は正面の景色に向き直って尚、後ろの彼女に話し続けた。


「簡単な仕掛けだよ。これなら、この空間からもすぐに抜け出せる。魔王はと、を仕掛けたんだ」

 

 と言う説明だが、サフェリィーにはやはり分からないらしい。栄介の言葉を「動く地面? 動かない風景?」と何度も繰り返している。彼女は不安な顔で、栄介の背中を見つめ続けた。


「エイスケ様」


「ん?」


「申し訳ありません。わたしには、まったく」


「そっか」


 栄介はまた、彼女の方を振り返った。


「分かり易く言うとね? 


「え?」


 ずっと同じ所? と、サフェリィーは言った。


「それは?」


「うん、とても単純な理屈。この荒野はね、本当はそんなに広くないんだ。それをまるで広いように見せ掛けている。僕達が地面の上を進むのに合わせて……例えば、『前に進もうとすれば前に、後ろに進もうとすれば後ろに』って感じにさ。感覚としては進んでいるつもりでも、実際はその場でただ足踏みをしている状態なんだ。だからいつまで経っても、荒野の中から抜け出せない。同じ場所でただ歩く真似をしているだけだからね」


「な、なるほど。でも、景色の方は?」


「景色の方も同じだよ。僕達の歩みに合わせて、その姿を変えているだけなんだ。川の上流から流れて来た果実が、見る人の前を通って、下流へと流れて行くようにね。自然の循環を使い、同じ所をぐるぐると回っている。液晶テレビの映像を」


「ゴホン」と咳払いするホヌス。どうやら、彼の言葉を遮ろうとしたらしい。「

 

 ホヌスは、現代社会の科学で例えようとする栄介をたしなめた。

 

 栄介は、その意図を感じ取った。


「と、とにかく! それがここの仕掛けだよ。動く地面と、動かない風景。遠くの方に山を見せているのも、見る人に『ここがそれだけ広い』と思わせるための手だ」


「な、なるほど」


 今度は、流石のサフェリィーも分かったらしい。


「分かりました。それじゃ、今の場所が?」


「そう、本当の姿。荒野が荒野の中に隠していた、偽りなき姿だ」


 栄介は目の前の空洞を切り口にして、そこから周りの景色を次々と壊して行った。荒野の中に生えていた木々も、まばらにあった小さな池達も。仕舞いには荒野の中を這い回っていた動物達ですら、粉々に砕け散ってしまった。まるで古い陶器が次々と割られて行くように、本来の姿をすっかり奪われてしまったのである。


「これで、最後」


 栄介は、最後の欠片を砕いた。


 ホヌスは、その欠片から視線を逸らした。欠片の表面に不可思議なモノが映っていたからである。彼女は嫌悪感半分、好奇心半分で、その本体に目をやった。


「人間」


 だが、普通の人間には見えない。歳の頃は栄介と然程に変わらないが、その身に纏っている怪しげな鎧や、背中に装っている鉄槌、両肩が露わになっている服や、細身ながらも引き締まっている体格からは、不快な程の殺気が感じられた。端正でありながら鋭い顔付きからも、その攻撃性が窺える。彼は(おそらくは、魔王の手下だろうが)怪物の上位種らしく、不敵な態度で自分達の事を見つめていた。


 ホヌスは、その視線に目を細めた。


「貴方は?」


 誰かなんて訊く必要はなかった。彼が敵であるのは、明確な事実である。


「まあいい。貴方がこの荒野を統べているのね?」


「『そうだ』と言ったら?」


 口調の方もやはり、自信に溢れている。


「俺を?」


「もちろん」と、栄介が応えた。彼もまた、少年の殺気を感じ取っていたらしい。「倒すさ。そうでないと、先に進めないからね」


 栄介はホヌスにサフェリィーの事を任せて、少年の前にゆっくりと歩み寄った。


 少年は、栄介の顔を睨んだ。


「お前」


「ん?」


「只者じゃないな? ここの仕掛けをぶっ壊すなんて。俺が知る限りじゃ」


「君の記憶なんてどうでも良いよ」


 殺気のぶつかり合いとは、正にこの事だろう。

 二人は口調こそ落ち着いていたが、その眼光には鋭い刃が光っていた。


「ふん」


 先に笑ったのは、少年の方だった。


「そうだな、俺の記憶なんてどうでも良い。お前もどうせ、記憶の中に消されるんだからな」


「随分な自信だね。知っている? あんまり自信過剰だと」


「それは、お前も同じじゃないのか?」


 二人はまた、見えない火花をぶつけ合った。


 少年は、栄介の眼光に「ニヤリ」とした。


「口喧嘩していても仕方ない。ここの罠は、二段構えだ。一段目の荒野を何とか出来ても、二段目の俺が叩き潰してしまう。魔王は、そう言う遊びも大好きなんでね」


「性格の悪い魔王だ」


 少年はまた、「ニヤリ」と笑った。たぶん、栄介の言葉を嘲笑ったのだろう。


「お前は、その魔王に勝てない」


「なぜ?」


「ふん、考えなくても分かる事だ。お前はおそらく冒険者、下らない正義感に魂を賭けている……まあ、自称救世主って所だろう? 『自分がやれば、世界が救われる』ってさ」


「そんな気持ちは、持っていない」


「持っていなくても、やっている事はそうだ。魔王を倒せば、一応は世界にも平和が戻って来る。それは、紛れもない事実だろう?」


「まあ、そうだね。だから、君にも死んで貰う」


「はっ」


 少年は、背中の鉄槌に手を伸ばした。


「荒野の罠を解いたくらいで、この俺を倒せるわけがないだろう?」


 栄介も、自分の三叉槍をくるくると回した。


「それは、どうかな?」


 二人は互いの動きを探り合い、そして、ある瞬間に動き出した。ぶつかり合う槌と槍。その攻撃方法はかなり違っていたが、初動に持ち手の力を使う点では、まったくの同じだった。


「はっ」


 二人はそれぞれの武器を捌くと、次の攻撃が取りやすい距離まで下がった。


 栄介は、目の前の少年にほくそ笑んだ。「こいつは、なかなかに良い暇つぶしが出来た」と。

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