第40話 美しき少年達

「お願いしたい事?」


 そう彼女に聞き返したのは、彼女の前に立っていたナウルではない。ナウルの隣に並んでいた少年、特注の鎧を身に纏うスールだった。彼は誠実な性格であるらしく、主君に対する礼儀はもちろん、その物腰や言葉遣いにも謙虚もとえ、柔らかさが感じられた。「それは」の言葉にも、彼の人柄が窺える。


 スールは昨今の男性向け異世界ファンタジーでは(たぶん)珍しく、男性の読み手よりは、女性の読み手に好かれそうな人物だった。


「一体」


 なんで御座いますか? そう言い掛けたスールの横に立ったのは、頭の後ろに両腕を回して、女王の前に歩み寄ったガタハだった。彼は(ナウルとは違って意味で)不遜な少年らしく、「女王への態度」と言うよりは、幼友達を相手にするような態度で、彼女に「まぁたメンド―な事が起きたのか?」と訊き、スールの注意を無視して、年相応に「ニコニコ」と笑った。


 女王は二人の間に入り、最初は穏やかに笑ったが、数秒後には真面目な顔で、彼らの疑問に「はい」と肯いた。


「かなり面倒……いえ、重要な事が。これから頼む仕事には、国の命運が懸かっています」

 

 それで四人の表情が変わったのは、言うまでもない。彼らは女王の言葉に顔を強ばらせる一方、内心では一種の余裕を感じていた。四人の中で一番気弱そうな少年、ヘウセも不安げではあったが、その表情は至って冷静、女王の言葉にも「国の命運?」と驚き、剣の鞘を何度も撫でている。彼らは数多の任務を熟して来た経験から、動揺らしい動揺をほとんど見せず、戦士らしい顔で女王の目を見返していた。


 彼らは、それぞれに任務の内容を推し測った。


「女王」と言ったのは、四人の中で最も無愛想なナウルである。「俺達の力を買ってくれるのは嬉しいが。少数での破壊工作には、限界がある。あまりに危険な任務なら……」


 ナウルは自身の力を冷静に見ているのが、女王にも軽はずみな返事を言わなかった。


「アンタも、馬鹿でないなら分かるだろう?」


 彼は、女王の目を見つめた。女王も、彼の目を見つめ返した。二人は互いの目をしばらく見つめ合ったが、周りの兵士達が「なんだ? なんだ?」と見て来た事や、残りの少年達が「ナウル」と話し掛けて来た事、そこに奇妙な風が吹き付け、それが自分達の髪を揺らした事で、何の合図も無しに互いの目を逸らし合った。


「分かっていますよ、勿論。兵士の損失が、決して軽いモノではない事は。でも」


「なんだ?」


「それでも……貴方達には、天秤の重りになっていて貰いたい」


「天秤の」


 ? その疑問が、彼らの好奇心をくすぐったらしい。


「それが、国の命運を分けるのか?」


「そうです。今は、人間の側に傾いている天秤を。貴方達には」


「天秤の重り……つまりは、『その傾きを見張っていろ』って言うわけか?」


「はい」


 四人はまた、彼女の言葉に押し黙った。


 ナウルは、自分の顎を摘まんだ。他の三人も阿呆ではないが、物事の本質を推し測る事、即ち「推理」の意味では、彼が頭一つ分程抜けているらしい。彼は「天秤」と「重り」、そこに「見張り」と言う役割を加えて、天秤の正体が何者かを推し測った。


「そいつは、使か?」

 

 女王は、その言葉に目を見開いた。どうやら、彼の推理に驚いたらしい。


「神の使い?」


「そうだ。人間と魔物、そのどちらにも傾く天秤。天秤は、左右の重りを公平に計る道具だからな。どちらか一方だけに属しているわけではない。そいつが人間の側に付いているのは、単なる気まぐれだろう?」


「そ、それは」


 女王は、悲しげに俯いた。あたらずといえども遠からず。彼の推理が「当たっている」とは限らないが、それでも「外れている」とは思えなかった。真実の表皮を静かに削ぎ落す。彼の推理には、「それ」を思わせる雰囲気、周りの少年達を思わず唸らせる空気があった。

 

 女王は、その空気に眉を寄せた。


「分かりません。分かりませんが、『それ』を楽しんでいる節があるのは」


「あるのか?」


「はい。彼はたぶん、この世界を遊技場か何かに思っている。私が『地獄』と呼んでいる、この場所を。彼はその圧倒的な力で、好き勝手に遊び呆けている、のです」

 

 最後の部分が言い淀んだのは、そう言い切るだけの自信が無かったからだが、それ以上に……何だろう? 言い様のない罪悪感を覚えてしまったからだった。まるで神の遊びを妨げるかのように、自分の感情をとても愚かに思ってしまったからである。


「う、ううう」


 ナウルは、女王の狼狽に眉を上げた。


「どうした?」


「い、いえ、何でもあり」


「ません、ではないだろう? 今の反応は、明らかにおかしかった」


 女王は、その言葉に苦笑した。彼にはやはり、誤魔化しは通じない。


を覚えるのです」


「罪悪感?」


「はい。私達が彼の事を悪く思ったり、あるいは、利己的に使おうとしたりすると。理由の方は分かりませんが、不可思議な罪悪感に襲われるのです。まるで無理矢理に平伏させられているような、そんな感じの罪悪感に、神への信仰を裏切るような感覚に。『それ』を実際に感じたのは、私もこれが初めてですが」


「なるほど。その意味では、俺も推理も強ち間違っていないようだな。神の使いに悪感情を持てば、それはそのまま神への冒涜になる。神が絶対の善とは思わないが、それでも不遜な事には変わりないわけか?」


「そう、かも知れません。神は、人間を超えた存在ですから。神の思し召しに逆らうのは、それだけで大罪なのでしょう。神は自身の御技で天地を造り、水を流して、草木をお造りになられたのですから。それに疑問を抱く事自体」


「不遜だとしても」


「はい?」


「『だから』と言って、それを受け入れるわけには行かない。神は、『地上の土から俺達を作った』と言うが……俺達には、俺達の命を生きる権利がある。神自身がどう思っていようと、な。俺は、神聖の書物を信じない」


「ナウル」


 女王は彼の目をしばらく見つめたが、やがてその目から視線を逸らしてしまった。


 ナウルは、目の前の少女を見つめ続けた。


「そいつは、男か?」


「はい。歳の頃は、私達と変わりません。彼は、幼馴染の少女と」


「幼馴染の少女?」


「はい。その子も、彼と同じくらいだそうです。何でも、怪物達にそうで」


「ふうん」

 

 ナウルはまた、自分の顎を摘まんだ。どうも腑に落ちない。そいつがもし、特別な力を持つ者なら……。


「なぜ、故郷の町が襲われた時に『それ』を使わなかったのか?」


「え?」


「そいつには、国の命運を分ける程の力があるんだろう? それ程の力があるのなら、町の一つくらい簡単に救える筈だ」


 女王は、その言葉に「ハッ」とした。


「た、確かに妙ですね。たった一人で遊撃竜を倒せる程の力があるなら」


「なに?」と驚いたのは、目の前のナウルだけではない。それを聞いていたスール達も、「え?」と言いながら驚いていた。「たった一人で?」


 彼らは互いの顔を見合ったが、しばらく見合った所で、女王の顔にまた視線を戻した。


 女王は、その視線に肯いた。


「遊撃竜だけでは、ありません。ある町に攻め入ろうとしていたアーティファクトの軍団も」


「そいつ一人で倒したのか?」


「はい、そのすべてを。私は、そこの領主から」


「話を聞いた?」


「はい、領主の飛ばした連絡器から。連絡器はそれ以後も、私に新しい情報を与えてくれた」


「その内容は?」


「彼が町の中から出て行った事、そして、棄てられた町に向かった事です」


「なんのために?」と訊いたナウルだったが、すぐに「愚問だった」と思い直した。「そこのスライム達を討ち滅ぼすためか?」


 ナウルは真剣な顔で、相手の答えを待った。


 相手の答えは、「おそらく」だった。「彼は自分の仲間を連れて……幼馴染の少女と奴隷の少女を連れて、棄てられた町に向かいました」


 女王は、自分の言葉に暗くなった。その行為がどんなに危険か、女性である彼女には痛い程分かっていたからである。その言葉を聞いていたナウルはもちろん、残りの三人も彼女と同意見だった。


 スールは女王から彼についての諸々を聞き、それを聞いた周りの反応と重なる形で、栄介の行為に苛立った。


「ふざけています。そんな場所に女性を連れて行くなんて、正気の沙汰じゃありません」


「だな」と、ガタハも肯いた。「そんなのスライムに女を貢ぐようなもんだぜ!」


 ガタハは不機嫌な顔で、地面の上を踏み付けた。粗暴な雰囲気が目立つ彼ではあるが、その根はやはり優しいようで、こう言う事は一番に憤る質らしい。


「女を危険に晒す奴は、最低の屑野郎だ!」


 スールも、その言葉に肯いた。彼らは(「危ない役目は、男の仕事」と言う点では)まったくの同意見だったが、ヘウセの呟いた「そうだとしても」には、それぞれに違った反応を見せた。


 ガタハは「ああん?」と言って、彼の顔を睨んだ。


 スールは「だとしても?」と言って、彼の横顔に目をやった。


 二人は互いの違いを確かめながらも、黙ってヘウセの言葉を待ち続けた。


 ヘウセは二人の顔を交互に見、それから女王の顔に視線を戻した。


「その人には、『それ』を制する気持ちが無かった。本来なら決して行かない場所に自分の仲間、それも女の子を連れて行くなんて。その人には」


「彼には?」


「『相当の自信があるんだ』と思います。『自分なら自分の仲間を守り切れる』と、じゃなかったら!」


「ヘウセ」


「そんな事は、しません。その人には危険を冒しても、冒険を取れるだけの力が有るんです」


 ヘウセは不安な目で、女王の顔を見た。


「女王様」


「はい?」


「薬は分量を間違えれば、毒になります。ボクはその人を見張るより、『殺した方が得策だ』と思いますが?」


 恐怖は時として、その人を大胆にさせる。


 ヘウセは確かに気弱そうだが、一方では現実思考な所があった。危ない物は、生かすよりも殺した方が良い。栄介の存在を「薬」に例えた比喩からは、それを醸し出す確かな雰囲気が感じられた。


「国の未来を思う意味でも。その人がもし、魔王を倒して、世界に平和をもたらしたら……。世界の人々はきっと、その人を『英雄』と称えます。自分の享楽で動いていただけの人を。英雄は、多くの人からチヤホヤされます」


 女王は、その言葉に苦笑した。どうやら、彼の言わんとする事を察したらしい。


「『私も、彼の女になるかも知れない?』と?」


「英雄は、色を好みます。ボクは色事が苦手ですが、すべての男がそうとは限りません。女性の花園を求めない男は、そんなに多くないと思います」

 

 彼の言葉は、尤もだった。どんなに美しい男でも、その腹には性なる獣を飼っている。女性の幸せを第一に、精神の充足を最高位に考える男は、虚構の創り出す産物でしかないのだ。それこそ、壁画に描かれた美男子のように。「性欲」を奪われた男は、単なる遺伝子の運び屋でしかないのだ。


「女王様には」


「はい?」


「貴女には、幸せになって貰いたい」


 情の言葉は、恋や愛よりも深い。


 女王は彼の情に胸を打たれつつ、穏やかな顔で彼に微笑んだ。


「ありがとう」


 ヘウセは、その言葉に赤くなった。


「い、いえ」


 周りの少年達は、彼の返事に溜め息をついた。


 だが、「そうならないためには」


 ナウルだけは違う。彼は自分の役目、特殊騎士の仕事に誇りを抱く少年だった。それ以外の事は(たとえ、自分に関する色恋でも)、無関心。仲間の人間関係や色恋には、多少は気を使うものの、自分のそれにはまったく無頓着だった。


「そいつの殺害も含めて、その行動を見張る必要がある」


 女王の顔が暗くなったのは、その言葉で一気に暗くなってしまったからだ。女王は少年達の顔を見渡し、申し訳なさそうな顔でその全員に頭を下げた。


「酷いお願いだというのは分かっています。でも、どうか……この国のために」


 少年達は、その言葉に逆らわなかった。


「俺達は、孤児だ。何も失うモノはない。天国の親は、喜んでくれるかも知れないが」


「ナウル」


「連絡器は、全員分。それとも。旅の費用は当然、国持ちだ」


「分かっています。それ以外の物は」


「当然、自分達で揃える。出発は、旅の準備が整い次第だ」


「はい。では、報告を待っています」


 女王は彼らにまた頭を下げて、その前から歩き出した。


 少年達は、その背中を見送った。


「とんでもない人が出て来たね」と、スール。それに続いて、ガタハも「まったく」と肯いた。「ある意味、怪物以上の化け物だぜ」


 二人は、自分自身の言葉に苛立った。


 ナウルは、彼らの足を促した。


「ここから棄てられた町に行くのは、相当の時間が掛かる。そいつがスライム達を潰す前に追い着くぞ」


 少年達はその言葉に驚いたが、やがて「ああ」と歩き出した。


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