第39話 女王の策

 栄介達の視点から女王に視点を変えるのは、そんなに難しい事ではない。彼らが見ている森の風景を消して、代わりに王室の中を描けば良いのである。王室の中は静かで、その窓にも朝日が差していた。朝日は、王室の中を照らしている。王室の中に置かれた家具類を、本棚の中に仕舞われた書物を、机の上に置かれた書類を、書類の脇に置かれたペン立てを、それらの表面を撫でるように照らしていた。ベッドの上で寝息を立てている女王にも、その日差しが照らしている。日差しは女王の顔をしばらく照らしていたが、女王がその日差しに目を覚ますと、彼女の美しい顔に敬意を払って、光の強さを少しだけ弱めてしまった。

 

 女王はベッドの上から起き上がり、何度か漏れ掛けたあくびを噛み殺して、枕元の呼び鈴を鳴らし、世話係の侍女(侍女は、王室の外で控えていた)を呼び出して、その侍女に「おはよう」と挨拶した。

 

 侍女は、その挨拶に微笑んだ。「お早う御座います」の声にも、女王に対する親愛感が窺える。彼女は「侍女」と言う立場ではあったが、女王と歳が同じ事もあって、何処か親友の着替えを手伝う同級生、「世話好きな幼馴染」と言う雰囲気があった。


「あなたの趣向を否めるつもりは、ありませんが」


「え?」


 侍女は服の乱れを直しつつ、その「え?」に微笑んだ。


「偶には、お洒落な服を着てみたらどうですか?」


 女王は、その言葉に苦笑した。彼女の言葉が嫌だったわけではないが、その助言には抵抗を感じてしまったのである。


「国の人達が苦しんでいるのに、私だけ華やかな服を着ているのは」


 やっぱり嫌でしょう? と、彼女は言った。


「怪物達の所為で人生を壊された人達にとっては。きっと、残酷以外の何ものでもない」


 侍女は、その言葉に暗くなった。


「すいません。浅慮な事を言ってしまい」


「いえ」


 女王は、彼女の頬に触れた。


「貴女は私の事を思って、言ってくれたんでしょう?」


 侍女の目に涙が浮かんだのは、彼女の言葉が嬉しかったからかも知れない。最初は「女王様」を驚いていたが、次の瞬間には「イルバちゃん」と言い、彼女の手に触れていた。


 侍女は彼女の手をしばらく触り、やがて嬉しそうに笑った。


「ありがとう」


 女王も、その言葉に笑い返した。


「ふふふ」


 二人はしばらく笑い合ったが、女王が侍女に「セホン」と言うと、それぞれに笑みを浮かべたままで、互いの言葉に肯き合った。


 侍女は、王室の扉に向かって歩き出した。女王も、その後ろを歩き出した。二人は侍女が王室の扉を開けると、女王から順に部屋の中から出て行った。


 女王は自分の後ろに侍女を従え、王宮の廊下を進み出した。王室の廊下には上質な石材が使われていたが、大理石よりは安価な物らしく、そこを守っている兵士達が装っている武器一式の方が高級そうに見えた。


 彼らがそれぞれの利き手に持っている槍も、腰の辺りに帯びている剣も、兵士達の頭を守っている兜も、身体の上半身を守っている鎧も、左右の脛を守っている脛当ても、兵士達の命を第一に考えていた。廊下の窓から見下ろせる兵舎にも、同じような風景が広がっている。兵舎の前に設けられた訓練所を見ても、厳つい感じの兵士達が己を鍛えていたり、隣の兵士と楽しげに話したりしていた。女王がふと目をやった、少年達も……。


 少年達は4人の集まりだったが、女王の視線にふと気づくと、頭目らしき少年に続いて、一人、また一人と、女王の方に視線を移した。


 女王は、少年達の視線に微笑んだ。


 少年達は、その微笑みに応えた。反応の方はそれぞれに違っていたが、女王に対する忠誠心は確かであるらしく、全員が一貫して、女王陛下に頭を下げた。


「お早う御座います、陛下」


 女王は、その挨拶に応えなかった。距離がそれなりにあったため、彼らの挨拶が聞こえなかったからである。彼女は少年達にまた微笑んで、自分の正面に視線を戻し、穏やかな顔で王室の廊下をまた進み出した。侍女もその後に続き、女王が王宮の食堂に着いた所で、その扉をゆっくりと開けた。


 二人は食堂の中に入り、一方は椅子の上に座って、もう一方はテーブルの上に料理を運んだ。料理の内容は、察しの通り質素だった。主食と思わしき白パンも、庶民の食べる物よりは若干高そうな野菜類も、その中央に置かれた目玉焼きも、女王の食べる物にしては、あまりに地味過ぎる。唯一マシそうな果物類も、現在社会の物と比べたら、随分と小さかった。


 女王はそれらの料理にも文句も言わず、嬉しそうな顔で今日の朝食を食べ始めた。


 侍女は、その様子をじっと見守った。女王が彼女に飲み物を頼んだり、彼女が自分に話し掛けたりする時以外は、その態度を決して崩そうとしない。あくまで、「女王」と「侍女」の関係を保ち続けた。女王が今日の朝食を食べ終えた時も、黙ってテーブルの食器類を片づける。「美味しかったですか?」や「今日の目玉焼きは、何処々々の物を使っているんですよ」とか言った言葉は、一切喋らない。すべてが、無言の内に進められた。


 侍女は、所定の場所に食器類を運んで行った。


 女王は、その後ろ姿に暗くなった。侍女の後ろ姿は、私事の終了を告げる合図だったからである。ここから先は、公事の時間だ。自分が自分から離れる時間だ。14歳の少女が、若き女王に姿を変える時である。


 彼女は椅子の上から立ち上がると、一応の身嗜みを整えて、王宮の議会場に行った。議会場の中には、既に多くの貴族達が集まっていた。王家と所縁のある者から、その有能さ(大抵は、有力貴族への根回しだったが)を買われた者まで。国の中核を担う貴族達が、議会場の中に集まっていたのである。


 女王は、彼らに頭を下げた。貴族達も、その礼に応えた。彼らは女王が椅子の上に座った所で、毎度の議題である打開策を言い合い始めた。


 だが……「打開策はなし、ですか」


 議題の結果は、議論の前から既に決まっている。我々には、何の打開策もない。魔王の命を奪う手段も、その手下共を葬る策も。我々は「防衛」と言う手段でのみ、彼らの攻撃に抗えないのだ。それがどんなに愚かな事であっても、その方法を選ぶ以外に道はないのである。


「悔しいですね」


 誰が呟いたのかは、分からない。だが、それが全員の総意だった。言葉はたとえ、発しなくても。それぞれの胸に秘めていた思いは、全員が同じだったのである。


 貴族達は椅子の上に座りつつ、肘掛けの上に頬杖を突いたり、溜め息交じりに俯いたり、自分の頭を掻いたり、議会場の天井を仰いだりした。女王も周りの様子に胸を痛めたが、この国を預かる者として、今の空気を「何とかしなければ」と思い直した。


 女王は顔を引き締め、議会場の貴族達を見渡した。


「皆さんのお気持ちは、分かります。ですが」


「なんです?」と、手前の貴族。彼は40手前の男だったが、心労の所為で、実年齢よりもずっと老けて見えた。「なにか、策でもあるのですか?」


 周りの貴族達も、女王の顔に目をやった。


 女王はその視線に怯んだが、表情には「それ」を見せなかった。


「落ち込んでばかりは、いられません。私達の行動には、国の未来が懸かっているのですから」


「それはもちろん、分かっておりますよ? しかしね」


 他の貴族達も、その言葉に肯いた。


「感情論では、どうにもならない事はある。現に我々は、負け続きだ。魔王軍の圧倒的な力に、その安寧をすっかり奪われているのです。前を向きたいお気持ちも解りますが」


「そうです!」と違う貴族の男も続いた。「我々は奇跡を信じる前に、奇跡を起さなければならない。本来なら神がお救いになられる世界を、我々の手で救わなければならないのです。たとえ、冒険者いけにえの命を使っても。貴女だって、その現実は分かっている筈だ」


 彼は女王の目を睨んだが、自分の不遜を省みたらしく、慌てて彼女に謝った。


「も、申し訳ありません」


 女王は、彼の謝罪に首を振った。


「貴方の言う事は正しい。だから、謝らないで下さい」


「し、しかし」


「国主を諫めるのも、臣下の務めです」


 貴族は、その言葉に胸を打たれらしい。……だが、「イルバ様」


 先程の気持ちは変わらないようだった。「なればこそ、我々には策が必要なのです」の言葉からも、その心情が窺える。「魔王軍の侵攻を止める手立てが」


 彼は悔しげな顔で、右手の拳を握った。


 女王は、その拳に眉を寄せた。


「『策』と言って良いのかは、分かりませんが。希望になるかも知れないモノは、あります」


 貴族達の顔が変わったのは、正にその瞬間だった。


「希望?」


「そうです。正確には、希望の名を借りた天秤ですが。それが私達の命運を別ける」


 貴族達は、その言葉に眉を寄せた。


「『鍵になる』と?」


「はい」


「鍵の正体は?」


「人間の少年です。でも、ただの人間ではありません。何か普通でない、特別な力を持った。彼は単独で遊撃竜を倒しただけでなく、町に攻め入ろうとしたアーティファクトの軍団も打ち破ってしまったようです」


 仰天、動揺、混乱、困惑。それらの感情が一気に襲い掛かって来れば、きっとこんな風景が広がるのだろう。貴族達は椅子の上から立ち上がったが、どうして良いのか分からないらしく、半分は呆然としたまま、もう半分は不安な顔で女王の事を見つめ続けた。


「その情報は、確かなのですか?」


 ようやく我に返った貴族の一人も、思考の方は別にして、表情の方はやはり驚いたままだった。彼は不安な顔で、女王の目を見た。


 女王は、彼の顔をじっと見返した。


「信頼出来る筋から聞いたので間違いありません。商工組合の記録にも」


「ちゃんと残されている?」


「直接に確かめたわけではありませんが。彼は……現時点では」


「人間の側に付いている。なるほど。だから、『天秤』と言う訳ですか?」


「はい。気まぐれの重りで、どちらにも傾く天秤。彼が人間の側に付いている以上は、魔王の討伐も夢ではないでしょう?」


 貴族達はその言葉に肯き合ったが、それも長くは続かなかった。


「その少年が、我々の希望に成り得るのは分かりました。しかし」


「はい?」


「『それ』を話して良かったのですか、我々に。我々も貴族である前に、一人の人間です。そんなに強い存在があると知れば、良からぬ事を考える者も居るでしょう? 最悪は、『それ』を独り占めしようとする者すら居るかも知れない。『魔王』と言う共通の敵が居なくなれば、今度は人間同士の争いが起こる筈ですからね。人間の歴史が、そう語っているように。人間は、貴女が思うよりも」


「ずっと醜い。それは、充分に分かっています。分かっているから、皆さんにもあえて知らせたんです。皆さんの信頼を得るために」


「我々の信頼を得るために?」


 女王は、その言葉に微笑んだ。


「国主が強大な力を独り占めしていたら? 皆さんは、そんな国主を信じられますか?」


 貴族達はその言葉に驚いたが、やがて「ふふふ」と笑い出した。


「先代の王も、面白いお方でしたが。貴女も、相当に面白いお方ですね。我々と一種の、共犯関係を結ぶとは。それなら、裏切りもし辛くなる。貴女は、


 女王が「それ」を否めなかったのは、その言葉が正解だったからに違いない。


「それで?」


「はい?」


「天秤の傾きは、誰が見張っているのですか?」


 女王は、質問者の顔に目を見つめた。


「私の方で4人程、推したい者達が居るので。監視の方は、彼らに任せたいと思います」


「それだけの人数で大丈夫なのですか?」


「相手は、いつ牙を剥くか分かりません。大量の人を使えば、それだけ犠牲者も増えてしまう。人間の命は、みな等しいですが……。国主は、こうの精神を守らなければなりません」


「イルバ様……」


 貴族達は彼女の思いに胸を痛めたが、それをあえて否めようとしなかった。「これは、彼女が出来る精一杯の国事である」と。「公に生きるのは、お辛いですな」


 女王は「クスッ」と笑っただけで、それには何も言わず、椅子の上から立ち上がった。


「少し席を外します」


 彼女は貴族達の前を通り、議会場の中から出て、王宮の兵舎に向かった。兵舎の前にある訓練所では、兵士達がいつもの訓練に勤しんでいた。


 彼女は兵士達の礼に応えつつ、あの四人組に近づいて、その頭目に話し掛けた。


「ちょっと良い? ナウル」


 ナウルは鞘の中に剣を戻して、女王の目をじっと見返した。やや不遜な態度は、彼の性分らしい。


「何か?」


「貴方達にお願いしたい事があります」

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