第37話 真紅の目

 これがもし、仮想現実の世界だったら? 運営が造ってくれた道具で、目的の場所にも苦労なく行けたかも知れない。A地点とB地点を結ぶ装置、あるいは、魔方陣などがあって、一瞬の内に移れたかも知れなかったが、そう言う気の利いた物はなく、仮にそう言う物があったとしても、「冒険」を楽しみたい栄介にとっては、今の気分を壊す余計な物でしかなかった。

 

 冒険には、ある程度の危険が必要。自分の命が奪われる程ではなくても、それを感じさせる程度の緊張感は必要だった。パーティーの先頭に自分、その真ん中にサフェリーを歩かせ、最後尾にホヌスを歩かせているのも、サフェリーの身を案じる意味だけでなく、「唯一の人間、パーティーの弱点」と言う意味も含めて、自分自身に一種の制限を設けたかったのである。

 

 このままサクサク進んでもつまらない。「棄てられた町」に辿り着くまでの道程、その中で描かれる過程もまた、冒険を楽しむ上で大事な要素なのだ。それが欠けた冒険は最早、「冒険」とは言わない。冒険の名を借りた、単なる接待だ。あらゆる快楽が次から次へと沸いて来る、ただのサービスである。栄介の望む冒険は、それだけを求める冒険ではない。

 

 栄介は自分の後ろを何度か振り返り、サフェリーに労いの言葉を掛けては、彼女があまり疲れなそうな道を選んで、森の中をゆっくりと進み続けた。


「そろそろ休もうか?」


 栄介はまた、自分の後ろを振り返った。彼の後ろでは、サフェリィーが明らかに疲れた様子で歩いていたが、主人の質問には「だ、大丈夫です」と答え、主人が「本当に?」と訊いてきた時もまた、「大丈夫です」と答えた。


 彼にはたぶん、「余計な心配を掛けたくない」と思ったのだろう。故郷での肉体労働で一応は鍛えていたサフェリィーだったが、森の雰囲気にはもちろん、動物の行き来で揺れる草むらや、突然の風に揺れる木々が影響して、肉体よりも精神的な疲れを感じていた一方、そこには主人思いの彼女らしく、背中の鞄を背負い直しては、そう栄介に笑い返した。


 栄介は、その笑みに眉を寄せた。


「いや、やっぱり休もう。目的地までは、まだまだあるし。それに急ぐ旅でもないからね。別に焦る必要はない。周りの風景が怖いなら、それに慣れるまで、じっと眺めていれば良いんだ」


 そう言う栄介は笑っていたが、サフェリィーの方はやはり複雑な顔だった。栄介が自分に「ね?」と微笑んだ時も、申し訳なさそうな顔で「は、はい」と返してしまった。


 サフェリーは目の前の主人に頭を下げ、後ろのホヌスにも「ごめんなさい」と謝って、栄介が見つけた岩の上に座り、自分の背中から鞄を下ろして、その足下に鞄を置いた。栄介やホヌスも、近くの岩や、座れそうな地面の上に腰掛けた。


 彼らは水筒の水をゆっくりと飲んだり、木々の間から見られる木漏れ日を眺めたり、遠くから聞こえる鳥の声に耳を傾けたりしていたが、サフェリィーが(僅かではあるが)元気になったようなので、それぞれの場所から立ち上がり、栄介の「行こうか?」を聞いて、森の中をまた歩き始めた。


 森の中は、変わらず静かだった。栄介が安全そうな場所を選んでいる事もあったが、周りの木々が標準的な感じもあって、目の前を横切る野ウサギや、頭上の空を飛び交う鳥達、小川の中を泳いでいる魚達も、特に変わった所はなく、偶々聞こえて来た猛獣の雄叫びに脅えただけで、それ以外には、何の異変も見られなかった。太陽がいつもの軌道を描いて、正午の位置に落ち着いた時も同じ。それぞれの腹から聞こえて来た、あの音にただ笑い合っただけだった。


 三人は適当な場所を見つけると、穏やかな顔で「お昼は、ここで食べよう」と言い合った。

 栄介は、意識の中から必要な道具類を取り出した。サフェリィーには持たせていない調理道具や、料理に必要な食材など引っ張り出し、地面の上にそれらを置いたのである。


「水の消費は、抑えた方が良いからね。近くに良さそうな川も流れていたし。水は、そこから持って来るよ」


「分かったわ」と肯いたのは、栄介の左隣に立っていたホヌスである。「私達は、火に使う枝を拾って置くから」


 ホヌスは「クスッ」と笑って、調理の献立を考え始めた。


 栄介はその場に二人を残し、近くの小川に行って、容器の中に水を汲み、二人の居る場所に戻った。


 二人は、楽しげに「そうしましょう」と肯いていた。どうやら、昼食のメニューを決めたらしい。


「それなら、作るのも簡単だから」


「はい!」


 二人は互いの笑顔をしばらく見合っていたが、栄介の気配に気づくと、一方は「クスッ」と笑い、もう一方は「お帰りなさい!」と喜んだ。栄介も、彼らの声に「ただいま」と返した。


 彼らは栄介の汲んで来た水を使いつつ、それぞれに役割を決めて、食材を適当な大きさに切ったり、鍋の中にそれを入れたりして、今日の昼食を作り続けた。今日の昼食は……名前は分からないが、この世界では割と一般的な料理らしい。


 料理の主食はパン、それも黒パンだ。黒パンは保存が利き、また栄養素も高いらしく、庶民の間ではよく食べられている。それに添えられた野菜スープも、現代社会の人間には若干薄味だったが、この世界に移って以降、舌の感覚が鋭くなった栄介には、程良い塩加減だった。素材と調味料の味を美味く味わうのには、絶妙な配合具合である。


「こう言うのを食べていたら、病気にも」


 罹りにくそうだね。そう言い掛けた瞬間に栄介が押し黙ったのは、サフェリィーの境遇を(無意識ではあるが)慮って、彼なりの気遣いを見せたからである。ここは、文字通りの異世界。科学の水準はもちろん、それを「良くしよう」とする意識も。現在社会の常識とは、まったく異なっているのだ。科学的には「常識」、あるいは、「普遍」と呼ばれる物でも、この世界では不可思議な現象、「神がもたらす厄災」と見做されるだろう。神の厄災を恐れぬ者は、居ない。彼らは「魔法」と言う超常的な現象は信じているが、科学に対してはほとんど無知だった。


 科学の力をもし、今よりも高める事が出来たら? 魔王の軍にも、余裕で勝てるかも知れない。魔王達がアーティファクトの軍団を揃えている裏で、「それ」を一発で葬れる兵器、「爆弾」や「ミサイル」などを造れれば、最小の労力で、最大の効果を生み出せるかも知れないのだ。ここの人間達には、それを造り出そうとする発想が無い。「科学が魔法に勝るかも知れない」と言う発想も。彼らはある意味で旧態依然、今風のファンタジーを守っている事で、その可能性をまったく考えていないのである。


「勿体ないな」


「え?」と驚いたのは、彼の隣に座っていたサフェリィーである。「なにが、ですか?」


 彼女は不思議そうな顔で、栄介の横顔をまじまじと見た。


 栄介は、その視線に応えなかった。


「何かが発展していると、別の何かが発展しなくなる」


「別の何かが……」


 サフェリィーはその意味を考えたようだが、やがて「う、うううう」と唸りだしてしまった。どうやら結局、その意味は分からなかったらしい。


「何だか分かりませんが、凄く難しいですね」


 栄介は、その言葉に微笑んだ。彼女の言葉が何故か、愛らしく思えたからである。


「確かに。でも、そう言うのがロマンだと思うんだ。普通に考えるだけでは、まず分からない。人間はたぶん、本能だけじゃ生きて行かない……と思う。毎日、毎日、食う、寝る、交わるだけの生活じゃ。何処かできっと、自分の人生にガッカリする。『自分は一体、何のために生まれて来たんだろう?』ってさ。息絶える瞬間にふと、そう思うんだ。それこそ、走馬灯のように。自分の人生が」


「一気に蘇る?」


「回想は、面白い方が良いでしょう? つまらない物が淡々と流れるより、楽しい方が何倍も良い。僕は、自分の人生を豊かにしたいのさ」


 サフェリィーは、その言葉に顔を輝かせた。


「わたしも、自分の人生を豊かにしたいです」


「同じく」と、ホヌスも続いた。「私の場合は、『人生』ではないけれど」


 ホヌスは二人の顔を交互に見、嬉しそうに笑って、残りのスープを静かに飲み干した。


「ご馳走様」


 栄介も、食器の上に匙を乗せた。


「ご馳走様でした。とても美味しかったよ」


 栄介は、嬉しそうに笑った。


 サフェリィーは、その顔に赤くなった。


「あ、ありがとう、ございます」


 言葉がぎこちないのは、彼の言葉に感激したからだろう。本人は無意識だったようだが、その目には光る物が見えていた。「家族以外にそんな事を言われたのは、初めてだったので」


 サフェリィーは何度か笑って、また「う、うううう」と泣き出してしまった。


 栄介は、その光景に微笑んだ。ホヌスも、嬉しそうに笑った。二人は、彼女の純粋さに胸を打たれつつ、自分の食器を片付けようとしたが、サフェリィーに「後片付けは、わたしが!」と言われたので、その言葉に「分かった」、「任せます」と肯いた。


 サフェリィーは栄介から小川の場所を聞き、両手に三人分の食器を持って、今の場所から歩き出した。栄介も重い調理道具を持ちつつ、その後に続いた。ホヌスは大丈夫(だ、と思うが)、彼女の場合は、そうは行かない。パーティーの非戦闘員には、それを守る護衛役が必要である。大事な仲間を失わないためにも、だから……。


 栄介はサフェリィーと連れ立って、先程の小川に行った。小川の周りは、先程と変わらなかった。水面から見える川の水草が揺れる光景も、水辺に生えている草の上から虫が飛び立つ光景も、時折吹いて来る風が水面を揺らす光景も、すべてが一定に保たれている。まるで景色の映像を何度も繰り返すように、穏やかな空気を醸し出していた。


 栄介は、サフェリィーから少し離れた場所に立った。その場所に立てば、周りの風景をすべて見渡せたからである。


「怪物の姿は、見えないけど。何か見つけたら、すぐに教えるから」


「分かりました」


 サフェリィーは「ニコッ」と笑って、三人分の食器を洗い始めた。


 栄介は周りの様子を窺いつつも、彼女の方に何度か視線を戻しては、その安全をじっと見守り続けた。


 サフェリィーは、栄介の方を振り返った。


「終わりました」


「了解」


 栄介は彼女と連れ立って、ホヌスの所に戻った。


 ホヌスは、二人の帰りに喜んだ。


「お帰りなさい」


「ただいま」と返したのは、栄介。それに続いて、サフェリィーも「お待たせしました」と返した。


 二人は、それぞれに自分の荷物を背負った。


 ホヌスは、二人に微笑んだ。


「行きましょうか?」


 二人は、彼女の言葉に肯いた。


「うん」


「はい!」


 三人は栄介を先頭にして、今の場所から歩き出した。


 栄介はまた、周りの景色を見渡した。索敵の力を常に使う事も出来るが、それだと様々な現象、意識の中で感じる情報が増えてしまう。だから明らかに危ない状況を除いては、その力を出来るだけ使わないようにしていた。周りの景色は正常、異常らしい異常は何も見られなかった。花の周りを飛んでいた蝶も……蝶も? 


 蝶は何者かに襲われて、その身体を引き裂かれてしまった。


 ホヌスは直感から、その気配を感じ取った。


「栄介君」


「なに?」


を感じるわ」


 栄介は、その言葉に立ち止まった。


「嫌な気配?」


 彼はサフェリィーの近くまで下がり、真面目な顔で索敵の力を使った。索敵の力は、一体の敵を捕らえた。周りの生物とは、明らかに違う。たった一匹で、森の中を動いていた。


「こいつは?」


 栄介は、その敵に目を細めた。敵は(「自分が気づかれていない」と思っているのか)、栄介達の後からゆっくりと近づいて来る。


「ホヌス、サフェリィーの前に。こいつは、僕が迎え撃つよ」


「分かったわ」


 ホヌスは栄介と自分の位置を変えて、自分はサフェリィーの前に立った。


 サフェリィーは、二人の態度に緊張感を覚えた。


 栄介は、敵の出現をじっと待った。敵は、すぐに現れた。森の木々を薙ぎ払って、栄介達の前に現れた怪物。その正体は、を持つ巨大な蜘蛛だった。

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