第36話 出発
女性達の不幸も視点が変われば、至って普通の光景、出発前の挨拶に変わる。挨拶の主役はもちろん、町の領主と栄介達四人だ。彼らは各々の立場こそあれ、表面上では「お世話になりました」、「いいや」と言った普通の挨拶を交わしつつ、一方は朝の光に胸を高鳴らせていたが、もう一方はその光に何とも言えない罪悪感を覚えていた。
領主は怖い顔で、栄介の顔を見つめた。
「君の気持ちは、もう知っているが」
そこまで言った領主だったが、何かしら思う所があるのだろう。「言い淀む」とまでは行かなかったが、言葉の続きを何となく躊躇っているように見えた。
「次は、何処の町に行くのだ?」
栄介は、その質問に微笑んだ。彼がそれを知った所で一体、何になるのだろう? 彼は確かに領主かも知れないが、自分の行動まで知る権利は無い筈だ。
「今はまだ、決めていません。未来の事は、分かりませんからね。計画を立てるのは大事な事ですけど、それに捕らわれるのは不味いですから」
「なるほど。つまり、『何処までも自由』と言う事か?」
栄介は、その言葉に「ニヤリ」とした。
「まあ、そう言う事です」
領主は、その言葉に目を細めた。栄介も、その反応に目を細めた。二人は互いの目をしばらく見合ったが、領主が栄介の目から視線を逸らしてしまったので、その均衡も長くは続かなかった。相手の思惑は分からないが、腹の中に何かしらあるのはまず間違いない。通りの人々をじっと眺める領主からは、それを思わせる雰囲気のようなモノが感じられた。
領主は、栄介の顔に視線を戻した。
「これは、単なる老婆心だが」
「はい?」
「自分の仲間に女、ごほん、女性を連れて行くのなら、『棄てられた町』には近寄らない方が良い」
「棄てられた町?」
栄介は仲間の少女達に目をやり、そしてまた、目の前の領主に視線を戻した。
「そこに何かあるんですか?」
領主がその返事に困ったのは、余程の理由があるからだろう。領主は二人の少女達をしばらく見つめたが、「やはり話した方が良いだろう」と思ったらしく、最初は躊躇っていたが、やがて「うん」と頷き、栄介達にその詳細を話し始めた。
「『棄てられた町』と言うのは、国の王から見捨てられた町。
栄介は、その言葉に目を見開いた。「スライム」と言えば、異世界モノでは最早定番となっているモンスターである。奴らは雑魚モンスターとして扱われる事が多いが、物理攻撃を無効化出来たり、分裂能力を有する個体も居たりする関係で、栄介自体は「スライムは決して、弱いモンスターではない。考えようによっては、最強のモンスターではないか?」と思っていた。
どんなに強いモンスターであろうと、物理攻撃を完全に遮る事は出来ないだろう。彼らは身体の強度が著しく硬いだけで、物理攻撃がまったく効いていないわけではないのだ。自分の身体を(多少の制約はあるかも知れないが)分裂出来る能力も、戦闘では大きなアドバンテージになる。倒しても、倒しても減らない敵は、苦戦は強いられるが、一体だけしか居ない伝説級のモンスターよりもずっと厄介な相手だった。
栄介はその設定に震えたが、根幹的な恐怖は抱かなかった。自分は、最強設定の悪魔。あのアーティファクト軍団すら退けた、超人的な戦士である。分裂能力のあるスライムに多少は苦しめられるだろうが、魔法人形を倒した時と同じように戦えば、きっと大丈夫だろう。サフェリィーも、遊撃竜の素材から造った鎧を着ているし。余程の事がない限りは、彼らの事も簡単に攻め滅ぼせる筈である。
「問題ありません」
栄介は、領主の目を見返した。
「そいつらが、どんなに強かろうと。僕には」
「君の強さは、関係ない」
栄介は、その言葉に眉を上げた。
「関係ない?」
「ああ、本当に関係ないのだ。お前がどんなに強かろうと。そいつらには、無限の増殖力がある」
「無限の」
増殖力? と、栄介は言った。
「分裂力じゃなくて?」
「ああ」
領主は何やらしばらく考えたが、また意を決したように話し始めた。
「奴らは人間の女性を攫って……理屈の方は分からないが、その数をいくらでも殖やせるのだ。女性の身体を」
「なんです?」
領主は栄介を手招きして、自分の前にそっと近づけた。どうやら、少女達には聞かせにくい話らしい。
「君も男なら、大体の事は分かるだろう?」
「大体の事は?」と応える栄介だったが、大凡の察しは付いたらしい。「なるほど」
栄介は「ニコッ」と笑って、領主の目を見返した。
「
領主の顔が強ばったのはたぶん、その答えが大体合っていたからだろう。最初は「う、ううう」と俯いていていたが、栄介が「違いますか?」と訊いて来ると、苦悶の表情を消して、真面目な顔で自分の周りを見渡し、栄介の顔にまた視線を戻した。
「そうだ。奴らは様々な町から
「『スライムの赤ん坊』ってわけですね?」
「ああ。正確には、人間の姿を模した赤ん坊だが。赤ん坊の姿は、人間の子どもと同じ。見掛けは、5~6歳くらいの子どもらしいが。頭の方は、人間よりも少しマシらしい。丁度、和差積商の概念が分かるくらいだ。言葉の方も、一応は話せるらしい。難しい言葉は、使えなくても」
「『他者との意思疎通は、出来る』と?」
領主は、その質問に言い淀んだ。
「奴らはどう言う理屈か、基本的には人間の姿でいる。自分の姿を隠す事はもちろん、人間の社会に紛れる意味でも、その姿を偽っているのだ。奴らは変幻自在に化けて、必要な時は男共を食らい、残りの女性達を」
「厄介な連中ですね」
「……ああ、本当に厄介な連中だ。奴らは人間の事を食料、そして、繁殖相手としか思っていない。食料としても殺され、繁殖としても殺されたのでは」
「悔しい?」
領主は、その質問にしばらく押し黙った。
「そんな感情は、とうに超えているよ。奴らの存在を知った以上は、怒りの感情ですら忘れてしまう。奴らは、敵の討伐と味方の増加を同時にやってしまうのだからな。戦術としては、これ以上の策は無いだろう。俺達人間は、子どもを大人に育てるまで何年も掛かると言うのに。本当に困ったモノだ。化け物には、俺達の常識が通じない」
それは、ある意味で当然。そう言い掛けた栄介だったが、相手の気持ちを慮って、その言葉自体は言わなかった。ある種族(若しくは社会)で通じる常識は、別の種族や社会では非常識である。その国がどんなに優れた理想郷だったとしても、それは「そこだけにしか通じない常識」であり、所変われば、受け入れ難い概念、人々の許容を超えた悪徳になってしまのだ。悪徳は、良心の大敵である。人間が人間を保つための、最大にして最強の敵……なのだが、栄介には最高の味方であり、また最強の相棒でもあった。
悪徳は、善人気取りの悪人が決めた法理。
自分達が悪人と知られないための隠れ蓑に過ぎないのである。
「なら」
「ん?」
「相手の常識に従う必要もありませんね?」
領主は、その質問に目を細めた。
「どう言う意味だ?」
栄介も、その質問に目を細めた。
「言葉通りの意味です。相手は、人間の利用を常識にしている。人間側の常識は、一切無視して。だったらこっちも、相手の常識を無視してやれば良いんです。どうせ歩み寄れないなら、相手が参るまでぶん殴るしかない」
「そうだな。しかし、そのために」
「そのために?」
栄介は、相手の目を見つめた。領主も、相手の目を見返した。二人は真剣な顔で、互いの目をしばらく見合った。
領主は、栄介の仲間達に視線を移した。
「大切な仲間を危険に晒して良いのか?」
「それは」と言い淀んだのは、領主の言葉に動揺したからではない。その意図に呆れてしまったからだ。「確かに『ダメだ』と思いますけど」
領主は、ホヌスの顔に目をやった。ホヌスの顔は、笑っている。どうやら、彼の心を既に読んでいたらしい。
「それじゃ、何も変わりません。ただ黙って、スライムの増殖を眺めているだけです。人間の常識が壊される光景を見ながら、ね? それは、いくら何でも理不尽じゃないですか?」
「う、ううう」
領主は、両手の拳を握り締めた。栄介から言われた言葉が、余程悔しかったようである。
「確かに理不尽かも知れない。理不尽かも知れないが、それでも」
「人の命には、代えられない?」
「ああ」の返事が暗かったのは、領主なりに今の世界を憂いていたからだろうか? 「綺麗事を言う趣味はないが。それでも、人の死は辛い。俺も、大事な親友を亡くしているからな。死の悼みは、充分に分かっている。君も、死の悼みは分かっているだろう?」
領主は、自分の足下に目を落とした。たぶん、自分の目を見られたくなかったのだろう。彼の目には、憂いの色が浮かんでいた。
栄介は、その色を無視した。「分かっています」と言う嘘も加えて。「分かっているからこそ、その悼みから逃げたくありません。冒険は、『険しさを冒す』と書きますからね。楽な道を選ぶのは、『冒険』とは言えません」
領主は、その言葉に眉を寄せた。
「だが」
「僕は、道楽のために旅を続けているんじゃないんです!」
ホヌスは、その言葉に「クスリ」とした。演技もここまで来れば、「流石」としか言いようがない。彼はお得意の作り笑いと同様、(既に知ってはいたが)相当の役者であるようだ。
「願いを叶えたのは、良いけれど。もしかしたら、元の世界でも成功していたかも知れないわね」
「え?」と驚いたのは、彼女の隣に立っていたサフェリィーである。「元の世界でも成功?」
サフェリィーは、ホヌスの横顔をまじまじと見た。
「それって?」
ホヌスは横目で、彼女の顔を見た。どうやら、彼女の反応がおかしかったらしい。
「『虚構が人を幸せにする事もある』って事。現実は大抵、厳しいからね。人間を決して甘やかしたりはしない。現実が人間に味方する時は、その人の努力が実った時か、単に気まぐれを起した時だけよ」
「そんなモノ、なんでしょうか?」
「そんなモノよ」
二人は互いの顔を見合ったが、しばらくすると、栄介達の方にまた視線を戻した。
栄介達はまだ、互いの顔を見合っていた。
「棄てられた町は、何処にあるんですか?」
領主が生唾を飲み込んだのは、今の質問で緊張が最高潮に達したからである。
「やはり行くのか?」
「はい」
「ここまで言っても?」
「はい。スライムの脅威が無くなれば、それだけ人間の犠牲者も減る。自分の命が惜しいのは誰だって同じですが。でも」
「怖がってばかりはいられない、か?」
「悲しみの連鎖は、誰かが断ち切らなくちゃ?」
領主は、その言葉に溜め息をついた。
「頑固だな、君は」
「そうですか?」
「ああ、充分に頑固だよ。俺の感覚からすれば、ね?」
二人は、互いの言葉に「フッ」と笑い合った。
「地図は、持っているか?」
「もちろんです。地図は、冒険の必需品ですから」
「そうか。なら」
領主は栄介から地図を受け取ると、その地図が使えるかどうか確かめて、それが充分に使えると分かったら、やはり不安そうであったものの、地図の一部に目印を付けた。
「ここが棄てられた町のある場所だ」
栄介も、目印の所に目をやった。
「結構遠いですね。休憩地点の町があるのが幸いですが、それでも山を幾つか越えなきゃならない。野宿は、絶対に避けられませんね」
「野宿に必要な食料は、買ってあるのか?」
「はい、もちろん。食材は、ある空間に仕舞ってありますが。調理道具の方は、料理係の彼女に持って貰っています」
サフェリィーはその言葉を聞いて、領主に自分の荷物を見せた。
「重い物は……その、ご主人様に預かって貰っています」
領主は、その言葉に「なるほど」と肯いた。
「仲間思いのご主人様だな」
「はい! 本当に素敵な方です!」
サフェリィーは、嬉しそうに笑った。領主もその笑みに笑い返したが、内心の方はやはり穏やかではなかったらしく、彼らが町の中から出て行った後も、不安な顔でその城門を眺め続けた。
領主は城門の内側から視線を逸らし、自分の館に戻って、王宮の女王にまた連絡器を飛ばした。
「彼が町から出て行きました。次の目的地は、
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