第二章 異世界篇(棄てられた町)

第35話 不快な増殖

 栄介達の視点から離れても、世界は常に動いている。地平線の向こう側から上がった太陽が、地上の世界を照らして、また地平線の向こうへと沈んで行くように。見えない日時計が、昼の時間を明瞭に刻んでいた。彼らの住んでいた町も同じ……とまでは行かなかったが、夜明けと共に雄鶏が鳴き出す光景や、それを聞いた農奴達が寝床から飛び起き、簡単な朝食を済ませて、共有地の畑に行き、そこで農作業を始める光景からは、その空気と似た雰囲気が感じられた。「自分達は今の世界に怯えこそしていたが、その世界自体を否んでいるわけではない」と、そんな雰囲気が明瞭に感じられたのである。


 いつ死んでもおかしくない世界なら、今この時を必死に生きてやるぞ。


 彼らは(無意識ではあったが)、そう自分に言い聞かせて、目の前の畑を黙々と耕し続けた。だが……運命は、基本的に残酷である。彼らが善良であればある程、平和を望めば望む程、それとは正反対の悪夢を与えるのだ。封土の人々が寝静まった夜に「こんばんは」と訪れて、町の防壁を易々と打ち破り、彼らの安眠を脅かすのである。


「な、なんだ? 今の音は?」


 彼らは慌てて、ベッドの上から起き上がった。今の轟音に叩き起こされた事もあったが、外から聞こえて来た化け物達の声に恐怖を覚えてしまったからである。


 彼らは自分の家に備えて置いた武器を握り、家庭のある者は妻子を、恋人と居た者は家の奥に恋人を隠したが、友人らと居た青年達は全員で、男性的な防衛本能から家の外に飛び出した。家の外には、最悪の光景が広がっていた。自分達の町が壊されているだけではなく、その風景自体が侵されていたのである。彼らが守って来た世界も、その世界に住まう生き物達も、今は忌々しい怪物達に侵されていた。


 男達は、その光景に震え上がった。「恐怖が無かった」と言えば嘘になるが、それ以上に自分達の尊厳が踏みにじられた感覚が一気に湧上がったからである。

 

 コイツは、正真正銘の悪魔だ。人間の世界を汚し、好き勝手に暴れ回る存在。そんな奴らは、生かして置いてはならない。「人間が地上の支配者だ」とは思わないが、それでも納得出来ないモノ、「うん」と肯けないモノはある。奴らの行為は、どう見ても「うん」と肯けない行為だ。奴らをこれ以上、暴れされるわけには行かない。

 

 男達は恐怖半分、憤怒半分で、一人、また一人と、怪物達の所に突っ込んで行った。

 

 怪物達は、その動きに振り返った。町の破壊に夢中であった彼らではあるが、人間達の反撃には流石に反応せざるを得ない。すぐさま、彼らの事を迎え撃った。男達に向けられる怪物達の爪と、それにぶつかる男達の武器。彼らの武器は(それぞれに攻撃可能範囲はあったが)、それらがぶつかる時宜や、互いの位置などがなって、その距離感はほとんど関わりなく、ほぼ同時にぶつかり合った。

 

 だが、「くっ!」

 

 そこはやはり、人間と怪物の差である。怪物自体はとても美しい女性モンスターだったが、それでも怪物である事には変わりなかったので、その腕力にも決定的な差があった。次々と壊される男達の武器。「一番の業物わざもの」と呼ばれた剣も、怪物の前では呆気なく折られてしまった。


 「なっ! くっ」

 

 男達は悔しげな顔で、手持ちの武器を投げ捨てた。手持ちの武器を壊されてしまった以上、それらを持っていても仕方ない。不本意ではあるが、己の拳や蹴りで怪物と戦うしかなかった。彼らは心の何処かで死を覚悟しながらも、僅かな可能性に賭けて、目の前の怪物に殴り掛かった。その結果は……残念ながら、想像の通りである。武器を持たない普通の人間が、人間を超えた存在に敵う筈がない。

 

 彼らは自分達の攻撃が躱されただけではなく、怪物達にその首元やら腕やらを噛み付かれて、絶叫の声を上げてしまった。


「ぐわぁあああ!」


 女性達は、その声に震え上がった。その近くに居た子ども達も、同じように震えている。彼らは外の光景を見ない事で、その恐怖をより一層に感じてしまった。


「神様、お願いします。私達をどうか」


 お救い下さい。そう祈る気持ちも分かるが、現実は往々にして残忍である。慈悲なんてモノは、余程の事がない限り与えない。現実は、基本的に不条理なのだ。


 女性達は外の音が急に静まった事、その静寂に思わず身構えてしまった。この静けさは、一体? 外では一体、何が起こっているのだろう? 不安に擬した好奇心が湧いたが、「子どもを守らなければ」と言う意思や、本能的な恐怖心が相まって、子どもの身体を抱き締めたり、遠くに見える家の窓をチラチラと眺めたりする事しか出来なかった。


 彼女達は不安な顔で、「今の状況が少しでも良くなるように」と祈った。


 だが……「フフフ」


 彼女達の祈りは、天にはやはり届かなかったらしい。最初は「男達が帰って来た」と思ったが、家の玄関が叩き壊された事や、そこから入って来た者が床の上を歩く足音を聞いて、その淡い期待がすぐに裏切られた事を知った。家の中に入って来たのは、外の男達を殺した怪物達だった。男達の身体を引き裂き、その肉塊をたんと味わって、次なる獲物を求めに来たのである。まるで飢えた狼のように、床の上にも口元から漏れた鮮血がポタポタと落ちていた。


 女性達(特に母親達)は慌てて、自分の子ども達を隠した。自分の夫が殺されてしまった(かも知れない)今、自分の子どもを守れるのは自分しか居ない。彼女達は自分が囮なる覚悟で、今の隠れ場所から出ては、怪物達にあえて見つかりやすそうな場所に行き、余裕のある者は台所から刃物を取って来て、怪物達が現れるのをじっと待ち始めた。


 怪物達は、すぐに現れた。彼女達の匂いを感じ取ったのか、見つかりにくい場所に隠れていた女性の事はもちろん、恐怖のあまり子どもと一緒に居た母親でさえも、すぐに見つけてしまったのである。


「みぃつけたぁ」


 怪物達は「ニヤリ」と笑って、女性達の前に歩み寄った。


 女性達は、その雰囲気に縮み上がった。怪物達の雰囲気は柔らかい、寧ろ、一種の好感すら覚える程なのに。怪物達が一歩一歩、床の上を進むのに連れて、原始的な恐怖が湧いて来たのだ。肉食獣に狙われた草食獣の抱く恐怖が、神が人間に抱かせる畏怖が、心の中を一気に侵し始めたのである。


「う、うううっ。たすけ」


 て、の言葉すら言えない。「キャァー」の悲鳴を上げる事も。普段は強気で知られる女性ですら、この時ばかりは「う、ううう」と泣きじゃくって、床の上に座り込んでいた。


「くっ、ひっ、はっ」


 嗚咽、嗚咽、嗚咽。家々の何処を見渡しても、その声で溢れかえっている。一人として、笑顔を浮かべている者は居ない。皆、目の前の光景に絶望を抱いている。「ああもう、自分は助からないのだ」と、涙にならない涙を流して、床の上を静かに湿らせていた。


 

 彼女達は、怪物達の顔に目をやった。最初は俯いていた者も、その声を始点にして、それぞれの顔をゆっくりと上げたのである。


「どうせ、私達も殺すんでしょう?」


 怪物達は、その質問にしばらく答えなかった。


「いいえ。貴女達の事は、殺さないわ」


 予想外の答えだった。男達の事は平気で、食い殺したくせに。「女性は、生かす」と言う怪物達の考えは、女性達にはどうしても理解出来なかった。


 女性達は幾分かの思考を取り戻し、不安な顔で怪物達の目を見つめ始めた。


 怪物達は、その視線に「クスッ」と笑った。


だからね。それを壊すわけには行かない」


「杯?」


 女性達は「杯」の意味を考えたが、その答えを見つける前に「うっ」と倒れてしまった。明確な原因は分からないが、怪物達から発せられた甘い匂いにやられてしまったらしい。倒れる前まで子どもの事を案じていた母親も、怪物の甘い匂いを吸い込んだ瞬間、理性の柱がポキッと折れて、子どもの顔はおろか、自分の置かれている状況すらも忘れてしまった。


 すべては、眠りの世界に。そこで待っている快楽の泉に。快楽の泉に浸った女性達は、危機感そのモノを奪われているのか、まるで幼い子どもさながらに「アハハハハ」と笑い合っていた。「ああ、なんて心地よい世界なんでしょう!」


 彼女達は各々の口元から涎を垂らし、その目から涙を流して、不気味に「アハアハ」と笑い出した。怪物達も、その光景に「フフフ」と笑い出した。


 怪物達は(どう言う方法か分からないが)町の中から女性達を次々と連れ出して行き、隠れていた子ども達も使えない者だけを殺して、残りの子ども達(特に少女達)を選び、それらも女性達と一緒に連れ出した。


 少女達は不安のあまり、仲の良い友達同士が集まったが……彼女達もやはり、あの甘い匂いにやられたのだろう。最初はお互いに「大丈夫だよ、絶対に大丈夫」と言い合っていたが、それも段々と聞こえなくて、やがては一人も喋らなくなった。


 怪物達は自分達の住処まで、少女達も含む女性達を運んだ。彼らの住処は、少女達の町よりもずっと離れた場所にあった。人間の侵入を拒むような場所、中世都市を模したような町。町の周りには防壁らしき物もあったが、人間の侵入を計算に入れていない、あるいは計算には入れていても、それが壊されるとは思ってないような造りだった。防壁の北側に設けられた橋も、それと似たような感じである。


 怪物達は「それ」を笑って、町の中に入った。町の中は、「煌びやか」と言うよりも怪しげな雰囲気だった。通りを歩いている怪物達はもちろん、飲み屋の前で立っている客引きも、全員が美女である事もあってか、妙に艶っぽく見えた。「保護者」と思わしき女性の周りで駄々をこねている少女達ですら、ゾッとする程の色気を醸し出している。まるで美女をそのまま幼くしたような、そんな雰囲気が静かに漂っていた。


 怪物達は通りの同胞達に帰還を伝えつつ、町の広場まで行って、そこに捕らえていた人間の女性達を解き放った。


 女性達は、目の前の光景に震えた。ここは一体、何処なのか? その答えを知る者は居なかったが、怪物達が自分達の周りを取り囲んでいるのを見ると、ここがどう言う場所なのか何となく察せられた。自分達はどうやら、彼らの塒に連れて来られたらしい。


 女性達は、その直感に唯々震え続けた。


 怪物達は「ニヤリ」と笑って、その場から静かに歩き出した。女性達の服が破られたのは、それからすぐの事である。怪物達は女性達を丸裸にし、自分達も身に着けている衣服を脱いだ。


 女性達は、その光景に固まった。


「え? なっ!」


 彼女達が恥じらいを感じたのは、言うまでもない。男との経験がある者でも、これは流石に驚かざるを得なかった。


 女性達は自分の急所を何とか隠そうとしたが、怪物達の腕力にはやはり敵わず、全員が誰かしらの怪物に抱かれてしまった。


「そ、そんな! 止めて!」


 怪物達は、その声を無視した。男達から充分な栄養を貰った上、「それ」をする興奮も最高潮になっていたので、理性のたががすっかり外れていたのである。怪物達に残っているのは最早、「えたい」と思う本能だけだ。


「大丈夫。この世の天国に連れて行ってあげるから」


「こ、この世の?」


 天国が、どう言う場所なのか? それはたぶん、今の彼女達には分からないだろう。怪物達との……まあいい。それを考えた所で、行く着く所は決まっている。生き物であれば決して抗えない、「死」と言う終着点だ。女性達はを味わった代償として、その決まりを守らなければならなくなったのである。


「うっ」


 最初に覚えたのは、腹部の違和感。


「いやぁあああ!」


 次に覚えたのは、身体の内部を溶かされるような痛みだった。


「助けて! 助けて!」


 彼女は身体の痛みから逃れようと必死にもがいたが、痛みは無くなるどころか、ますます強くなって行った。


「嫌だ! 死にたくない! 死にたくない!」


 死にたく、と言い掛けた時だ。女性達の身体がドロドロに溶けて、その声もすっかり聞こえなくなってしまった。後に残ったのは、スライムのような物体だけ。人間の肌と同じ色をした、丸っこい半液状生物だけである。


 スライムは「親」の遺伝情報を受け継いでいるのか、完全ではないにしろ、親と同じ性に見える状態へと姿を変えた。つまりは、全員が5~6歳程の美少女になったのである。

 

 怪物達は、その姿に微笑んだ。特に怪物達の首領と思われる少女は、14歳くらいの見掛けと相まって、子どもらしい無邪気な笑みを浮かべていた。


「今回は、当たりだね! みんな、可愛い子ばっかり!」


 どうやら、可愛い子がお好みのようだ。


「わざわざ遠くまで行った甲斐があったよ」


 少女は「ニヤリ」と笑って、新しく生まれた子ども達の前に歩み寄った。


「初めまして。クハが、みんなのママだよ!」

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