第33話 天秤
それ以外の言葉は無い。
領主は「それ」に驚いたようだが、彼の境遇やら何やらを勝手に推し量ってか、その言葉に「そうか」と肯いただけで、それ以上の言葉は発しなかった。「この少年にはたぶん、世界が違って見えているのだろう」と、普通なら「逃げ出したい」と思う筈の世界が、まるで何かの遊び場のように見せているのかも知れない。
何も無い空間の中から結晶体が無数に現れる光景を見た領主は、表面上では彼の事を称えつつも、内心ではそう思っていたらしかった。
「旅を続けるのは、良いが」
栄介は、その声に視線を戻した。領主が彼に話し掛けようとした瞬間、ホヌスが彼に「お疲れ様」と笑い掛けたからである。
「はい?」
「これからの旅は、きっと厳しくなるぞ?」
栄介はその言葉に眉を上げたが、やがて「フフフッ」と笑い出した。どうやら、領主の言わんとした事を察したらしい。
「大丈夫です。僕には、頼もしい仲間が居ますから」
「故郷の町から一緒に逃げて来た幼馴染みと、戦いには向かない料理係か?」
領主は、彼の仲間達に目をやった。彼の仲間達は(一人は「クスクス」と笑っていたが)、何も言わずに領主の顔を見返している。
「君が強い事は、充分に分かった。だがそれでも、『限界』と言うモノはある」
一瞬の沈黙は、領主の躊躇いだったのかも知れない。
「君一人で、彼女達を守れるのか?」
領主は真剣な目で、少年の目を見つめ続けた。
栄介は、その眼差しに微笑んだ。
「守れます。僕には」
たぶん、と、彼は付け加えた。
「それだけの力がありますから。二人の事も」
「そうか……」
領主は彼の顔から視線を逸らした。視線の席では、町の住人達が「ワイワイ」と騒いでいる。
「この町には、どのくらい居る?」
栄介も、彼と同じモノを見始めた。
「サフェリィーの、仲間の鎧がまだ出来ていませんから。それが出来るまでは、ここに居るつもりです」
栄介は彼の横顔に視線を戻し、穏やかな顔で「クスッ」と笑った。
領主は、その笑みに応えなかった。
「なるほど。それなら」
「はい?」
「それは、色々と助かる」
何が一体、助かるのか? その答えは結局、分からなかった。
「今日の泊まる宿は?」
栄介は、その質問に眉を上げた。
「そんな事を訊いて、どうするんです?」
領主が「フッ」と笑ったのは、彼の質問があまりに可笑しかったからだろう。
「別に深い意味はない。この町を治める領主として、『君の労に報いよう』と思っただけだ」
「なるほど。つまり、『賄ってくれる』ってわけですね? 僕達の滞在費を」
「ああ。君はたぶん、普通の物では満足しないだろう。今回の戦利品も、すぐに換金するだろうし。欲しい物は、自力で手に入れる人種だ。俺には、君の望みを叶えるだけの力は無い」
「『だからせめて、宿代だけでも賄おう』と?」
領主は、その言葉に苦笑した。
「『領主』とは言え、一個人に税金は使えないからな。俺の手持ち金にも、限りはある」
「そう、ですか」
栄介は複雑な心境でこそあったが、それでも嬉しい事には変わりなかった。彼の厚意は、素直に嬉しい。「宿代を奢ってくれる」と言うのなら、それを拒む理由は何処にもなかった。
栄介は穏やかな顔で、領主の男に頭を下げた。
「有り難う御座います」
「……いや」
の後に訪れた沈黙は、今までの空気と少し違っていた。
「話は、変わるが」
「はい?」
「君に渡した物」とはもちろん、確認器の事だろう。「それを返して貰って良いか?」
領主は真面目な顔で、栄介の目を見つめた。
栄介は、その視線に目を細めた。確認器の返却を求めるのは何もおかしくない、至って普通の事だったが、領主が一瞬見せた苦悩の表情からは、ある種の思惑、自分に対する罪悪感のようなモノが感じられたからである。
彼はその正体をしばらく考えたが、ある程度考えた所で、考える事自体を止めてしまった。領主が何を考えていようと、自分には関わりない、仮に関わりある事でも、圧倒的な力で「それ」をねじ伏せれば良いのである。ここは、あらゆる罪が許される世界なのだから。何も怖がる事はない。自分に不都合な事態が起こった時は、相応の手段で叩き潰せば良いだけだ。
「分かりました」
栄介は「ニコッ」と笑って、領主の右手に確認器を返した。
領主は、右手の確認器を眺め始めた。確認器の状態は、栄介に渡した時と同じだったが……「それ」に何かの思考を巡られているのか? 栄介が彼に向かって「領主様」と話し掛けた時も、栄介に「どうした?」と返しつつ、自分の確認器を眺め続けていた。
「何か気になる事でも?」
「いえ。ただ」
「ただ?」
栄介は、その言葉に「ニヤリ」とした。
「
領主は、その言葉に驚いた。何処の部分に驚いたのは分からないが、彼の言葉に思わず固まってしまったらしい。栄介の顔を見返す表情には、栄介でも分かる程の動揺が浮かんでいた。
「悪い事?」
「ええ、悪い事です。僕の存在を脅かすような」
「そんな恐ろしい事は、考えていない。君は、一種の天秤だからな」
「天秤?」
「ああ。世界の行く末を決める、神にも等しい天秤。君には、その天秤が備わっている。確かな証拠は何も無いが、俺にはどうしても」
「買い被り過ぎですよ。僕は、ただの人間です。普通の人間よりもちょっとだけ強い、ね? 今回の事も、その力があったらからです」
領主はその言葉に唸ったが、それ以上の反応は見せなかった。「そうか」の言葉にも、その困惑が窺える。
「そう言うなら、そう言う事にして置こう」
「はい」
二人は、互いの顔をしばらく見合った。
「宿について、だが」と言ったのは、栄介の顔から視線を逸らした領主である。「オススメの所がある。事情を話す必要もあるから、そこまで一緒について来てくれ」
領主は彼の顔に視線を戻し、続いて彼の仲間達にも目をやった。三人とも、彼の言葉に快く肯いている。
「では、行こう」
「はい」
三人は領主の後に続いて、町の道路を歩き出した。町の道路は人で溢れていたが、彼らがそこを進むと、栄介の功績を称えるか、その喜びを感じ合うだけで、誰も彼らの歩みを妨げようとはしなかった。
あの少年は、町の危機を救ってくれた英雄。その歩みを妨げるのは、同じ冒険者として、あるいは、町の住人として、「絶対にしては、ダメだ」と思ったらしい。「彼の行動を否む事は出来ない」と。だから領主贔屓の宿に着いた時も、彼らの登場に驚く者は多かったが、誰も迷惑そうに「帰れ」と罵る者は居なかった。
栄介のやった事は、それだけ偉大だったのである。宿の主も、最初は驚きしか見せなかったが、領主から詳しい話を聞き、また宿代の問題も無くなると、二つ返事で「分かりました」と肯いた。「そう言う事でしたら、拒む理由は御座いません。お客様の事は責任を持って、わたくし共が御奉仕致します」
主の女性は、嬉しそうに微笑んだ。
領主は、その表情にホッとしたらしい。女性に言った「では、頼んだぞ?」の言葉はもちろん、それから栄介の方を振り返った動きにも、安堵の色が浮かんでいた。
「朝食は、食べたのか?」
栄介は、その質問に微笑んだ。
「食べられそうな果物とか、飲めそうな水とかは飲みましたが」
「真面な物は、食べていないんだな?」
真面の基準がイマイチ分からないが、とにかく「まあ」と肯いて置いた。果物や水も、真面な食べ物だろう。怪しげな毒虫を食べたわけでもあるまいし、それは「果物」や「水」に対して「失礼」と言うモノだ。腹の中に入れば、みんな同じである。
「でも、僕としては満足しています」
「そうか……。まあ、満足しているのなら良いが。ここの宿は、飯が」
「食事が出るんですか?」
「ああ。ここの宿は、飯も出る。宿の奥に食堂があるから、食いたくなったら言ってみろ。時間帯にもよるが、大体の料理は食べられる筈だ」
領主は女主人の顔をチラッと見、彼女の微笑みに肯いて、宿の中から出て行った。
女主人は、宿の部屋に三人を導いた。部屋の内装は、落ち着いた感じだった。置かれている家具も当然だが、窓から見える景色も良好、部屋の掃除も隅々まで行き届いている。まるで旅人の労を労うように、あらゆる物が清潔に保たれていた。
栄介は、その様子に好感を覚えた。
「良いですね、この部屋。浴室も付いていますし、とても上品です」
女主人は、その言葉に微笑んだ。どうやら、「上品」の褒め言葉が嬉しかったらしい。
「有り難う御座います」
彼女の口調もまた、上品だった。
「昼食は、正午から午後二時までですが。宿の食堂は、御利用になられますか?」
栄介は二人の少女に視線を移し、それから少し考えて、また女主人に視線を戻し、穏やかな顔でその質問に答えた。
「一眠りしてから考えます。昨日はまったく寝られなかったので、流石に眠い」
「そうですか。お食事は外でも大丈夫なので、気が向かれたら食堂にいらして下さい」
「分かりました。有り難う御座います」
「いえ」
女主人は「ニコッ」と笑って、部屋の中から出て行った。
栄介はその背中を見送ったが、ホヌスに「栄介君」と話し掛けられたので、彼女の方に視線を移した。
「なに?」
「報酬のお金は、私が取って来る?」
「あっ!」
忘れていた。鑑定の方は既に終わっていたが、「その金額がとんでもない」と言う理由から、用意に時間が掛かるらしく、報酬はまだ受け取っていなかったのである。
「ここの通貨は、コインだからね。相当重くなるだろうから、僕が後で取りに行くよ」
「分かったわ。お金の方は、貴方に任せます」
「うん」
栄介は「ニコッ」と笑って、自分の服に触れたが……サフェリィーの事が気になったのだろう。最初は自分の家と同じ感覚で服を脱ぎ始めたが、顔が青ざめている彼女を見て、彼女に「ごめん」と謝りつつ、ホヌスに「彼女をお願い」と目配せした。
栄介に好意を抱いているサフェリィーだったが、男の裸にはまだ抵抗があるらしい。栄介に「ごめんなさい」と謝る声は健気だったが、部屋の中から出て行こうとする動きには、ホヌスの助けが加わっても、苦しげな雰囲気が漂っていた。
「風呂から上がったら教えるよ」
「分かったわ」と応えたのは、サフェリィーの背中に触れていたホヌスである。「その時は、教えて。私達は、部屋の外に居るから」
ホヌスは部屋の外にサフェリィーを連れ出し、彼女が床の上に座った所で、その扉をゆっくりと閉めた。
栄介は(気の緩みから来た失敗)を省みつつ、脱衣場の中に入った。脱衣所の中も綺麗だったが、浴室の中はもっと綺麗で、湯船のお湯も最高、そこから上がった時は、心身共にすっかり癒やされていた。
栄介は自分の服を着直し、部屋の出入り口に行って、その扉をゆっくりと開けた。扉の向こうでは、ホヌス達が彼の事を待っていた。
「ごめん、待たせちゃって。もう大丈夫だよ」
二人は、その言葉に肯いた。特にサフェリィーは心の緊張が解れたのか、床の上から立ち上がって、栄介にまた「ごめんなさい」と謝った。「わたしの所為で、こんな時間を」
栄介は、その謝罪に首を振った。善意の気持ちからではないが、女の子に謝られるのは、何となく面白くない。
「気にする事はないよ。誰にだって、嫌な事はあるからね。今回は、僕が無神経だった」
「で、でも!」
栄介はその続きを遮り、ホヌスの顔に視線を移した。
「二人もまだ、入っていないんでしょう?」
「ええ、まだ。貴方の事をずっと待っていたからね。本当は、朝食も食べていないわ」
「そう。それは、申し訳なかったね」
栄介は二人に頭を下げて、サフェリィーの顔に視線を移した。
「サフェリィー」
「は、はい!」
「風呂は、一人の方が良い? それとも、ホヌスと一緒に入る?」
サフェリィーはその質問に戸惑ったが、やがて「一人で入ります」と答えた。
「今は……その、一人の方がホッとするので」
「分かった。なら、ホヌスと一緒に外で待っているよ」
「あ、有り難う御座います」
彼女は栄介に頭を下げると、真面目な顔で部屋の中に入った。
栄介は、その背中を見送った。
「ホヌス」
「なに?」
「彼女の鎧が出来たら、この町から出て行こう」
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