第32話 最高の世界

 視点の主導権が主人公に戻る瞬間は、奇妙よりも不思議な感覚に近いかも知れない。物語の登場人物達は「それ」が変わった事にも気づかず、己の役割を演じ続けるのだから。読み手が思うよりも、ずっと恐ろしい。主人公の栄介ですら、その力には抗えないのだ。神様からどんなに強い力を与えられても、創造の世界からは決して出られないのである。


 すべては、創造者の筆次第。その筆が走らせる文字次第なのだが、虚構の存在である栄介には、「それ」を知る術がなかった。

 

 栄介は球体の光から視線を逸らして、自分の周りをゆっくりと見渡した。彼の周りには、美しい景色が広がっている。まるで先程までの戦いが嘘だったかのように、あらゆる物が太陽の光に当てられていた。アーティファクト達に踏み潰された草花も、「そんなモノには負けていられない」と言う風で、己の身体を何とか治し、自然の恩恵を必死に求めている。


「自然は、やっぱり凄いね」


 栄介は、彼らの生命力に胸を打たれた。彼らの生命力に比べれば、人間の力など無に等しい。本当の意味で、高が知れている。人間は自然に屈するか、あるいは、受け入れなければ、自分達の文明を築けないが、自然は人間に従わなくても、自分自身を治せるし、また、前以上の存在にもなれる。


 ほんの十年前までは荒野だった土地が、自然の循環が上手い具合に働く事で、豊かな土地へと変えるように。今は人形達に荒らされた土地も、いつかは元の状態に、そこからまた時間が進めば、今以上の土地に変わるのだ。栄介の頭上に見えていた鳥も、本能から「それ」を知っているのか、青空の下を悠々と飛んでいた。

 

 栄介は頭上の鳥達から視線を逸らして、今の場所からゆっくりと歩き出した。ここに来るまでは急ぐ必要があったが、今は別に急ぐ必要はない。平地の上を進む時はもちろん、森の中にまた入った時も、足取り自体は軽やかだったが、その歩調を速めようとはしなかった。帰りは、ゆっくり鈍行で。周りの風景も、じっくりと楽しむ。特急列車から見る景色も美しいが、鈍行の窓から見る景色もまた、それと同じくらいに美しいのだ。

 

 栄介は(念のために)意識の中から剣を取り出し、自分の腰に「それ」を差して、森の中を歩きつつ、同時にその景色も眺め続けた。森の景色は基本的に緑だが、そこに微妙な緩急が付く事で、ある場所では憂鬱を、またある場所では感動を覚えた。特に森の中で小川を見つけた時は、その透明さに思わず唸ってしまった。川の中には、何匹かの魚も泳いでいる。栄介の世界にも居るような魚達が、川の中を何度も行ったり来たりしていた。

 

 栄介は近くの岩に腰掛けて、そこから川の中をしばらく見続けた。川の様子が変わったのは、栄介がその水面に波紋を見た時だった。

 

 彼は、その波紋に眉を寄せた。空から雨が降って来たわけではない。木々の枝先に溜まっていた水滴が、そこにポチャンと落ちたわけでもない。地面の上を歩く何か……恐らくは巨大な何かが、その水面に波紋を作ったのである。


「なんだ?」


 彼は岩の上から立ち上がり、自分の周りを見渡しつつも、同時に索敵の力も使った。


「僕の周りには」


 何体かの敵が居る。それも四方八方、自分の周りを取り囲んでいた。彼らは栄介の匂い、または、気配に気づいたのか、ほとんどの者はすぐに逃げ出してしまったが、ある一部の者達は、それらに怯む事なく、彼の前にゆっくりと近づき始めた。


 栄介は、その接近に溜め息をついた。身体の方は疲れていなかったが、こうも連続で来られると流石に疲れて来る。腰の鞘から剣を引き抜く動きにも、若干の憂鬱を感じてしまった。


「はぁ」


 栄介は苦笑交じりで、敵の出現を待った。敵は、すぐに現れた。木々の間を素早く擦り抜け、地面の草木を踏み潰して、彼の前に現れたのである。


「こいつらは……」


 所謂、「大型の肉食モンスター」と言うヤツだろう。前に戦った遊撃竜よりは少し小さかったが、口元から見える鋭い牙や、獲物を切り裂くのに役立ちそうな爪や、相手の目をギロリと睨む目からは、肉食生物特有の空気、相手を圧するような雰囲気が感じられた。「グルルル」と唸る声からも、その雰囲気が窺える。彼らは根っからの害獣、人間に害を及ぼす怪物達なのだ。


「上等だよ、蜥蜴トカゲもどき。そんな食いたいなら」


 栄介は、周りの敵達を見渡した。


「力尽くで、食いついてみなよ?」

 

 怪物達は、その言葉で動き出した。言葉の意味は分からなくても、「それが挑発だ」とは分かったらしい。本来なら試しの一匹から襲い掛かる筈が、今回は一斉に動いて、彼に勢いよく飛び掛かった。


「ギャアアオン!」


 けたたましい声。知性の低そうな害獣には、お似合いの声だった。


 害獣達は牙の攻撃だけでなく、爪や身体なども使って、目の前の獲物に何度も襲い掛かり、獲物がそれらの攻撃を躱した後も、鋭い眼光で栄介の事を襲い続けた。


 栄介は、それらの攻撃に怯まなかった。彼らの攻撃がどんなに激しかろうと、それが当たらなければ無傷、こちらから逆にやり返せば良いのである。彼らの爪には剣を、牙も飛び上がりながら手刀で弾けば良いし、身体も右足で蹴り飛ばせば良いのだ。相手への反撃は、それで充分。強敵相手のように頑張る必要もない。こんな奴らは、通常攻撃で充分である。


「一匹目」


 の敵は、身体をバラバラに。続く二匹目は左足を切り裂き、三匹目は首を飛ばして、四匹目は胴体から尻尾を切り離した。「残りは」

 

 目の前の一匹だけ。こいつは彼らの親分らしく、最初は高みの見物を決め込んでいたが、仲間達が皆殺しにされると、流石に「不味い」と思ったようで、両手の爪を鋭く光らせた。


「グッ、ウウウッ」


 怪物の動揺は、人間の動揺よりも遙かに原始的らしい。栄介が読み取った怪物の動揺には、一切の計算的思考が感じられなかった。こいつは、純粋な恐怖を覚えている。怪物の本能だけが感じ取れる純粋な恐怖を、ありのままに感じ続けているのだ。


「フッ」と笑ったのは、相手の顔に剣を向けた栄介である。「怖いか?」


 栄介は、楽しげに笑った。


 怪物は、その笑みに震え上がった。「こいつはたぶん……いや、絶対に人間ではない」と、そう本能で感じたらしい。


「キュッ、キャア」


 今度の動揺も、原始的だった。怪物は、彼の前から逃げ出した。敵の言葉は分からなくても、その雰囲気から……なんて事はない。この場合は、単に逃げ出したかったからだ。目の前の恐怖から、自分ではどうにもならない存在から、一目散に逃げ出したかったからである。自分の力では、目の前のアイツにはどうやったって敵わない。それを人間らしく言語化出来たわけではないが、本能が思考と混じり合った彼には、その現実が痛い程に分かっていた。

 

 怪物は、少年の前から必死に逃げ続けた。


 だが、「残念」


 戦いは、何処までも非情である。大木の横を曲がった所までは良かったが、少年の投げた剣が円を描くように追い掛けて来た所為で、安心すると同時に自分の首を失ってしまった。真っ暗になる視界、僅かに感じる地面の感触。怪物は薄れ行く意識の中、自分が怪物として生まれた事を悔やんでいるように見た。

 

 栄介は、その死骸から視線を逸らした。死骸が結晶化してしまった以上、それをじっと見ていても仕方ない。周りの結晶体を集まって、意識の中にそれを仕舞う方が効率的だった。


 栄介は服の乱れを正して、森の中をまた歩き出した。森の中は……今の戦いが原因か? 生き物の気配が、すっかり感じられなくなった。枝の上に留まっていた小鳥達も、いつの間に居なくなっている。川の中を泳いでいた魚達も、怪物達が彼らを怖がらせた所為で、その姿がすべて見えなくなっていた。


「はぁ」


 栄介は、自分の頭を掻いた。どこの世界にも、空気の読めない奴は居る。空気を読み過ぎるのも問題だが、先程のような場合は、(出来るなら)そっとして置いて欲しかった。


「せっかく癒されていたのに」


 栄介は彼らの凶暴性に呆れつつ、森の果実(無害そうに見えた物だけ)で腹を満たしたり、飲めそうな水で喉を潤ませたりして、森の中を抜け出した。森の外にあるのは、整備の行き届いた道。栄介が町から戦場に辿り着く過程で、最初に通った人工の道である。道の先に見えるのはもちろん、ホヌスやサフェリィー達の待っている町だ。町の周りには(たぶん)、敵の侵入を防ぐためだろう。その中に人が残っているかは分からないが、一応の備えとして、例の防壁が上げられていた。


 栄介は、その防壁に目を細めた。防壁を活かすのも悪くはないが、今回の場合は違う。籠城戦は、どう見ても悪手だ。自分から退路を断つだけでなく、最悪は自滅に追い込まれてしまう。どんなに強固な城でも、補給路を断たれればお仕舞いだからだ。大勢の者が、飢えて死ぬ。辛うじて生き残れたとしても、町の防壁を破って来た敵兵達に……。


「くっ」


 栄介はまた、自分の頭を掻いた。


「あいつらは、本当の馬鹿なのか?」


 それとも?


「まあいい」


 ここには、ここの常識がある。それに(時と場合によるが)従うつもりはないが、一応は「うん」と肯く事にした。「あの人達が死のうと生きようと、僕には関わりのない事だからね」


 栄介は「ニヤリ」と笑って、正面の防壁に歩み寄った。防壁の前には、町の守備隊が立っている。


 彼は、守備隊の二人に笑い掛けた。


「どうも」


 守備隊の二人は、彼の帰還に驚いた。「領主から話の概要を聞いていた」とは言え、これには流石に驚かざるを得ない。たった一人の少年が、アーティファクトの戦いから生きて帰って来るなんて。「驚くな」と言う方が、無理な話だった。


 二人は内部の守備隊に言って、正面の防壁を開けさせた。防壁の向こう側には、多くの人が立っていた。栄介と同じ冒険者達はもちろん、パーティーの仲間であるホヌス達もみんな、彼の帰りを待っていたのである。


「ギリギリだったな」


「え?」


「お前の帰りが、もう少し遅ければ」


 の続きは、聞かなくても分かる。自分は……。


「無事だったのか?」の言葉に視線を向ける栄介。彼は、その主に目を細めた。「領主様」


 そう。自分は、彼に試されたのだ。

 自分の言葉が本当かどうかを、厳しい目で確かめようとしたのである。

 

 栄介は、領主の前に歩み寄った。


「お陰様で。アーティファクトの軍団は、すべて追っ払いました」


 領主はその言葉に眉を上げたが、彼の言葉を信じたかどうかは分からなかった。


「証拠は?」


「もちろん、あり」


 ます、と言い掛けた瞬間だ。サフェリィーが、彼の身体に抱き付いて来た。


「なっ!」


 サフェリィーは彼の声を無視して、その身体をぐっと抱き締め続けた。


「エイスケ様が、ちゃんと帰って来てくれた」


 栄介はその声に呆れたが、やがて「当り前だよ」と微笑み始めた。


「あんな奴らに負けるわけがない」


「なら?」と話し掛けたのは、二人の会話に割り込んだ領主である。「その証も当然、見せられるよな?」


 領主は真剣な顔で、彼の目を見つめた。


 栄介は少女の身体を離しつつ、彼の目をじっと見返した。


「ええ、もちろん。でも、その前に」


「その前に?」


「周りの皆さんも、僕の近くから離れて下さい。結構な数の証拠品が出て来ますから」


 周りの人々は、その支持に従った。


 栄介は、意識の中から証拠品を取り出した。空間の中から現れる、証拠品の結晶体。結晶体は栄介の身体を避ける形で、地面の上に次々と落ちて行った。


「これが、その証拠品です。結晶体を鑑みれば、すぐに本物かどうか分かりますよ?」


 そう言われて、鑑定が早速行われた。


 鑑定の結果は当然、「」だった。


「ここにある物はすべて、アーティファクトの結晶体です」


 周りの冒険者達は、その言葉に響めいた。それを聞いていた領主も、響めきこそしなかったが、同じような顔で栄介の事を見ている。彼らは、「こいつは、認めざるを得ない」、「彼の力は、本物だ」と言い合っていた。


 領主は、栄介に握手を求めた。


「ありがとう」


 栄介も、彼の握手に応えた。


「いえ」


 二人は、互いの手をしばらく握り合った。



「は、はい?」と驚く栄介。領主に自分の名前を呼ばれて、思わず驚いてしまったようだ。「な、何でしょう?」


 栄介は、彼の手を放した。


 領主は、彼の顔から視線を逸らした。


……」


「僕の事は?」


「何でもない。気しないでくれ」


「そうですか」


 領主はまた、彼の顔に視線を戻した。


「エイスケ」


「はい?」


「君の旅は、続くのか?」


 栄介は、その質問に「ニヤリ」とした。


「当然です。ここは、最高の世界ですから」

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