第31話 天災級の化け物
彼女の剣は、確かに強かった。彼女自体は、どう見ても華奢なのに。棒切れのような腕で振り下ろされた剣は、どんな強者の技よりも強力だった。普通の相手なら、間違いなくバラバラにされるだろう。二つの武器がぶつかった衝撃は、その勢いもそうだが、武器の先から伝わって来る反動が凄まじかった。
彼女がもし、その反動に落ち着いていなかったら? 彼女は間違いなく、地面の上に尻餅を付いていただろう。あらゆる力が集まった相手の槍先に吹き飛ばされて、「無様」とまでは行かないまでも、少々間抜けな姿を晒していただろうが、咄嗟に「これは、危ない」と考えたお陰で、体勢こそは崩れが、攻撃の姿勢自体は保つ事が出来た。
彼女は敵との距離を取って、相手の目をじっと睨んだ。相手の目は、笑っている。表情自体は至って真面目だったが、微妙に笑った口や、鋭く光った眼光には、自分の優位性をあえて見せようとする……有り体に言えば、余裕が浮かんでいた。「君は決して、僕には勝てない」と、そう自信満々に語っていたのである。
「くっ」
彼女は、その自信に苛々した。思考の方では「落ち着け」と言っているが、精神の方が「それ」を聞いてくれない。「馬鹿にするな!」と叫んでいる。彼女には「自尊心」と言うモノが無かったが、それでも(一応)誇りはあったらしく、「自分に任を
自分は、ただのアーティファクトではない。魔王が直々に造り出した、特注品なのだ。魔王……この場合は、「美少女」と言って良いだろう。前魔王から代替わりして、魔族の頂点に立った美少女。若干14歳ながら、先代以上の残虐性持った恐ろしい存在。その存在に魅せられた者は多く居るが、彼女にとっては……なんて事はない。単なる創造主だった。「自分」と言う者を造ってくれた、(言わば)母親のような存在。「絶対」とまでは行かないものの、忠誠を誓うには充分過ぎる程の相手であった。
あの子のためなら、どんなに汚い仕事でもやってやる。彼女が今までこんな事をやって来たのは、その思いがひとえにあったからだった。すべては、彼女のために。自分が敬う魔王のために。自分の命は、そのためだけに使われるのだ。
少女は右手の剣を握り直して、目の前の少年にまた挑み掛かった。
少年は、その剣を迎え撃った。剣と槍のぶつかり合い。その衝撃はやはり凄まじかったが、少女の方が上手い具合に捌いたお陰で、衝突時に火花こそ飛び散ったものの、先程のような感じにはならなかった。
「やるね」
少年は、相手の力量に「ニヤリ」とした。
「まさか、今の一撃を捌くなんてさ」
どうやら、今の一撃で彼女を殺そうとしたらしい。彼の思考を正確に読む事は出来ないが、彼が発した言葉からは、その手掛かりが薄らと感じられた。彼は(たぶん)、自分との一騎打ちを楽しんでいる。本当ならすぐにでも殺せる筈なのに、自分の力量に合わせて、今の時間を少しでも楽しもうとしているのだ。「ニヤリ」と笑った顔が、その証拠。両手に持った三叉槍をくるくると回す動きも、それを如実に表している。少年は彼女が思う以上に、彼女の事を舐めているのだ。
少女は、その態度に目を細めた。彼女の態度は、やはり許せない。
「切り刻む」
バラバラになるまでに。彼の原型が分からなくなるまでに。その身体を粉々にしてやるのだ。
「死ね」
少女はまた、目の前の少年に斬り掛かった。
少年は、その攻撃を躱した。恐らくは、「捌く必要はない」と思ったのだろう。先程までは槍で彼女の剣を捌いていたが、今度は何もせず、彼女の剣を避けてしまった。
「残念だけど、まだ死ねないね」
嘘だ、と思った。「まだ死ねない」ではない。元から「死ぬ気」なんてないのだ。自分は決して、彼女の攻撃では死なない。その根拠が何処から来るのかは分からなかったが、これ以降に彼女の剣を避け続ける動きはもちろん、それを紙一重で避ける余裕も、その直感へと結び付く確かな証拠になっていた。
「ふざけないで」
彼女は初めて、確かな怒りを感じた。羞恥と屈辱の混じった怒りを、
「くっ」
彼女は、自分の怒りに打ち震えた。こいつだけは、何としても殺す。いや、殺さなければならない。自分の使命に賭けても、また、魔王様の威厳に賭けても。敗北は、それらの尊厳を貶める行為だ。自分達が必死に積み重ねて来た物を壊す、汚辱以外の何ものでない。汚辱は彼女にとって、もっとも恥ずべき行為である。
彼女は鋭い目で、自分の剣を握り締めた。
「遊びは、終わり」
「遊び?」と返す少年。どうやら、彼女の言葉に驚いたらしい。「今までの戦いは、遊びだったの? とても辛そうだったのに?」
少年は彼女の目をしばらく見つめたが、やがて「フフフッ」と笑い出した。
「まあいいか。君がそう言うなら、
また、屈辱の一言。最低最悪の煽り文句である。少年は(どう言う理屈かは分からないが)、彼女の強がりを見事に暴いているようだった。「僕は、別に気にしない」
少女は、彼の言葉に「カッ」となった。特に「気にしない」の部分には、これ以上にない怒りを感じてしまった。少年は何処までも、自分の事を見下している。「こんな強がりは無意味だ」と、心の底から嘲笑っているのだ。彼女の顔へと向けられた槍先にも、その嘲笑がしっかりと窺える。
少女はその嘲笑に苛立ったが、表情の方は元に戻して、目の前の少年に斬り掛かった。
少年は、その攻撃を難なく躱した。剣を躱す瞬間が、一瞬だけ遅く見えたように。その反撃もまた、少女にとっては薄鈍な光景だった。「これは、躱せる」と思えるくらい、ゆっくりした動きだったのである。だが……。
それはあくまで、感覚の話だ。彼女の思考が、そう考えた結果だ。結果は確かに結果だが、必ずしも真実とは限らない。真実は、基本的に残酷だ。知った者の心を抉るし、その記憶にも大きな傷を付ける。彼女の記憶に刻まれたのは、少年に破れた現実、自分の胸を貫かれ、その動力源ギリギリを突かれた、信じがたい光景だった。
少女は彼の槍を引き抜く事もせず、槍の表面に視線を移しては、その表面をただ呆然と眺めていた。
「あ、あああ」
少年は、彼女の動揺に「ニヤリ」とした。
「『そこだ』と思ったんだけど。どうやら、急所は」
「ぐっ、うっ」
「外しちゃったみたいだね? 意識がまだ、残っているし」
少女は、その言葉を上手く聞き取れなかった。「意識」の部分はまだ聞き取れたが、「残っている」の言葉以降は、朦朧とする意識の所為で、少年が彼女の身体から槍を引き抜いた後も、しばらくはその場に立ち続けたが、やがては地面の上に倒れて、周りの音をほとんど聞き取れなくなった。
北側から拭いて来た風の音も、その音が頬を掠める感触も、「それがある」と確かめられるだけで、音の全体を聞き取る事は出来ない。すべてが、水中の音になっている。少年が「つまらないね」と囁いた声も、「つ、ま、ら、な」と言う風に聞こえていたし、そこから続いた「これでお仕舞いとか」の言葉も、「おしまい」の部分しか聞き取れなかった。
少女は悔しげな顔で、少年の顔を見上げた。
少年の顔は、自分の事を見下している。
「『少しは、楽しめる』と思ったのに。こんなんじゃ、ちっとも足りないね。君達は、数こそ居ても」
「な、なに?」
「所詮は、人工物の集団だ。硬い身体に甘えるだけの、単なる無能集団なんだよ。自分よりも弱い敵を虐げて、ただ悦に浸っているだけの。そんな奴らが、僕に敵うわけがない。僕は、最強の悪魔だからね」
「最強の、悪魔?」
「そう、最強の悪魔」
少年は、空間の中(少女には、そう見えていた)に三叉槍を仕舞った。
「僕には、君達を滅ぼすだけの力がある」
「それは」
自意識過剰とは、言えなかった。事実、彼にはこうして負けてしまったのだから。その言葉を否める事は出来ない。ただ、真実として受け入れるしかなかった。彼はこの先、必ずや脅威となる。自分達の存在を脅かす、それこそ、天災級の化け物となる筈だ。今までの状況を引っ繰り返し、魔族側に甚大な被害を与える存在となる筈である。
「そう、なったら」
魔族側は、文字通りの終わりだ。人間に対する優位性が失われて、最後は彼らの奴隷になってしまう。人間は自分よりも強い敵には滅茶苦茶弱いが、自分よりも弱い敵には滅法強いのだ。そこに虐げられた過去が加われば、支配欲も増強、復讐心も狂化、平気で魔族達を虐げるだろう。奴隷以下の存在として、彼らの尊厳を踏みにじるかも知れない。「彼らは人間の敵、こうされても仕方ない」と、当然のように虐げられてしまうかも知れないのだ。
「それ、だけは、絶対に防がない、と」
強いのは、ワタシ達。だから、何をしても許される。強者は弱者を虐げるモノであって、弱者に反撃を食らうモノではない。
少女は、動力源の回路に意識を向けた。動力源の回路は、彼女の身体と繋がっている。「それ」を切り離せば、自分の身体がたとえ壊されても、そこから脱して、新しい身体に乗り換える事も出来るのだ。新しい身体は、文字通りの新品。今の自分を保った状態で、新しい自分に生まれ変わる事が出来るのだ。これは、人間には出来ない芸当である。
少女はその可能性に賭けて、脱出の時宜を何とか見定めようとした。
だが、「逃げたいの?」
それは、相手にも筒抜けだったらしい。彼女としては細心の注意を払ったつもりだが、彼女が折々に見せていた態度の所為で、思考の全容は分からなかったようだが、その一部はすっかり気づかれていたようだ。彼の言葉に青くなった彼女。
彼女は「うん」とも「いいえ」とも言わないまま、その質問に沈黙を以て答えた。
少年は、その沈黙に「フッ」と笑った。
「良いよ、逃げても」
「え?」
今度は、流石に喋ってしまった。
「どうして?」
彼女は不思議そうな顔で、少年の顔を見上げ続けた。
少年はやはり、彼女の顔を見下ろし続けた。
「その方が、色々と面白そうだからね。魔王が僕の存在を知る意味でも」
「あの子が、アナタの事を、知る?」
「そう。魔王が僕の事を知れば……この戦いだって、記録はちゃんと取っているんでしょう?」
思考が止まった瞬間だった。どこの時宜で知ったのかは分からないが、彼に自分の記録行為を知られてしまったらしい。
「記録なんて」
取ってない、と、彼女は言った。
「そんな事をする必要は、ないから」
「ふーん。まあ、君がそう言うなら」
少年は、少女の顔から視線を逸らした。その態度からは分かり辛いが、彼女の言葉をやはり信じていないらしい。
「そう言う事にして置くよ」
また、同じ台詞。
彼女はその台詞から、すべてを悟った。彼には、どんな誤魔化しも通じない。
「見返りは?」
「え?」
「ワタシの事を
少年は何やら考えた風だが、やがて「フッ」と笑い、その質問に答えた。
「僕以外の冒険者を襲わない事」
予想外の答えだった。「自分以外の冒険者を襲わない事」なんて。彼は相当の善人、所謂聖人君子なのだろうか?
「そんな事で、良いの?」
「うん。そうなった方が、僕としても都合も良いからね。人間側の犠牲も減らせる」
少女は、その言葉に苦笑した。彼はどうやら、普通の人間ではないらしい。
「変な人」
二人は、その言葉にしばらく笑い合った。
少女は自分の身体から動力源を離して、身体の中から動力源を出した。彼女の動力源は、美しかった。小さな水晶玉を思わせる金色の球体。その球体が「キラリ」と光って、少年の頭上にふわりと舞い上がった。
球体は、少年の顔を見下ろした。
「名前は?」
「名前?」
「そう、アナタの名前。ワタシの名前は、エリシュ」
「エリシュ、か。僕の名前は、栄介」
「エイスケ……」
フフフッ、と、彼女は笑った。
「名前も変な人」
彼女は栄介がアーティファクトの結晶体を集め始めると、その姿に少しだけ呆れてしまったが(一人であれだけの数を集めるのは、流石に無理があるだろう)、結晶体が空間の中に吸い込まれるのを見て、思わず驚いてしまった。彼はやはり、普通の人間ではない。
「うっ、ううう」
少年は、彼女の方に振り返った。恐らくは、彼女の「うっ、ううう」に気づいたのだろう。
「またね、エリシュ」
「え?」
の間から数秒、彼女も「うん」と返した。
「何かの縁があったら」
彼女は球体の状態で、自分の故郷に戻って行った。
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