第29話 無双への序曲

 彼の背中に闇が這い寄って来たのは、町の明りから遠ざかったからに違いない。町の明りは「不安と恐怖」を抱きながらも、最初は栄介の背中を照らしていたが、その防壁を越えてしばらく歩いた頃には、本来の役割を忘れるどころか、夜空の月に「それ」を丸投げし、周りの星々にも「後は、頼んだ」と言って、自分だけが(現時点では)安全な場所に戻ってしまった。

 

 夜空の月は、その態度にガッカリした。その周りで煌めく星々も(月程ではないにしろ)、恒星の宿命に肩を落としたのか、栄介が夜道を迷わないように「こっちだよ」と指差しつつ、彼の進む道を照らしていた。

 

 栄介は、その厚意に……感謝するわけがない。彼の性格から考えれば、月の光にホッとしたり、星の瞬きに見惚れたりはするだろうが、舗装も何もされていない、田舎の農道のような道を照らした所で、それがどんなに役立っていようと、「真っ暗よりは、マシ」と言う程度にしか思われないのだ。「夜道を歩く分には、困らない程度の明るさだ」と、そう内心で思うだけなのである。


 彼らには、何の敬意も払わない。自分の周りを取り巻く世界にも、周りの木々が風で揺れ、その動きが妖しく見える事には関心が向くが、それを揺らす風が急に止んで、辺りがしんと静まった後は、元の気分を取り戻して、森の一本道をまた黙々と歩き始めた。

 

 栄介は、一本道の先を注意深く見た。一本道の先には暗闇が広がっているが、森の木々が僅かに少なくなっている所を見ると、どうやら開けた場所になっているらしい。普通なら木々の枝に遮られている月明かりが、そこだけは地面の上に降り注いでいた。地面の上には、現代社会にも生えていそうな草花が生えている。見るからに「草」を思わせる雑草から、月明かりと似た檸檬色の花まで。花の近くには……「自分も負けていない」と言い張りたいのか、夜の蒼に似た植物も生えていた。

 

 栄介はその光景に微笑んだが、気持ちの方は決して緩めていなかった。その場所がどんなに美しくても、ここが危ない場所には変わりはない。ほんの少しでも気を緩めれば、茂みの中から飛び出して来た野生動物(デスラビットではない、普通の野ウサギだ)に驚く事になる。自分の頭上を飛び交う野鳥にも、腰の鞘から剣を抜く程ではないが、それを抜き掛ける程度には驚いてしまった。

 

 栄介は、自分の慢心に首を振った。これでは、いけない。魔法人形の全滅に意識を向け過ぎて、周りへの注意力が落ち気味になっている。「森の中には、雑魚しか居ない」と、心の何処かで高を括っているのだ。それは、ちょっと不味いかも知れない。「最強」と言う設定上、自分は決して負ける事はないが、それでも敵と出会えば、多少の足止めは食らってしまう。

 

 最悪は「連続戦闘」と言う罠に嵌まって、作戦の時宜を失ってしまうかも知れないのだ。そうなったら、すべてが水の泡である。町の人々はアーティファクトに襲われ、領主の信頼(あるいは、思惑)も裏切ってしまうのだ。その悲劇だけは、何としても避けたい。

 

 栄介は(この森では元々、使う筈ではなかった)索敵の力を使って、周りの敵を注意深く確かめた。周りの敵は、思ったよりも多かった。敵の位置はバラバラで、規則性自体はあまり無かったが、ある場所には複数のモンスターが集まっており(どうやら、冒険者の女性を襲っているようだ)、そこに誤って入り込めば、時間の損失はまず避けられない。冒険者の女性には悪いが、今は彼女の事を見捨てて、自分一人森の中を進むしかなかった。

 

 森の中に響く、女性の悲鳴。彼女は怪物達に自分の鎧を壊された上、その衣服もビリビリに破かれたようで、ほとんど裸にされながら自分の身体を「バリバリ」と食べられているようだ。


「や、やめて! いやっ!」


 助けて! と、彼女は叫んだ。


「だれ」


 か、の声は、無かった。恐らくは、怪物に自分の喉を噛まれたのだろう。彼女が悲鳴を上げようとした瞬間、怪物の一匹、あるいは、二匹以上が、彼女の首を噛み切ったのだ。彼女は「それ」が原因で、「うっ」と事切れたに違いない。先程から聞こえていた怪物達の声は、その獲物を倒した喜びに震える咆哮だったが、彼女を倒した後に聞こえて来た声は、「怪物の声」と言うよりも、彼女の血潮を啜る音、人間の骨を噛み砕く音だった。人間の骨が噛み砕かれる音は、途轍もなく気持ち悪い。聞いているだけで、目眩がする。現代社会で肉料理を食べる時には何も思わなかったが、こうやって自然の摂理に(不本意ではあるが)触れてしまうと、人間の傲慢さはもちろん、その残虐性も感じずにはいられなかった。


「人間は、本当に最低な生き物だ」


 自然の生き物は狩りで、自分の食料を捕らえるのに。人間はその動物を飼って、必要以上の命を奪っているのだ。経済活動を名目にしつつも、生き物の命を金銭に換えて、その経済を回しているのである。


「人間は、別に神でも何でもないくせにさ」


 社会なんて物を作って、善悪の概念も勝手に決めている。善悪の概念は……くっ! 自然の中には、無いのに。「その方が人間には、都合が良いから」と、神の手引き書には無い概念を作っているのだ。これを「傲慢」と言わずして、何と言えよう? 人間は自分が生きるために、他の動植物達を食べているのだ。相手の気持ちも聞かずに、平気でその命を奪っているのである。だったら、人間の側が「それ」をされても文句は言えない。


 人間の視点では、怪物達は確かに悪かも知れないが。怪物達の視点から見れば、人間は捕食の対象、生きて行くための大事な獲物である。本能の赴くままに人を殺すのは論外だが、今回の場合はどうしても責める気になれなかった。彼らの行為は、悪ではない。悪に見える無だ。無は無視の対象でこそあれ、嫌悪の対象ではない。


 先程覚えた不快感は、栄介が人間である所以、同族の死がもたらす嫌悪感に眉を潜めた結果だった。彼女の骨が砕けた音自体に気持ち悪くなったわけではない。彼女は(怪物達に「新陳代謝」と言う概念があるのなら)怪物の胃液に溶かされると、細胞の一つ一つにまで別けられ、捕食者の一部として、その体内に仕舞われ、必要な時に古い細胞と取り替えられるのだ。「彼女の目だった物が、怪物の皮膚に。脚だった物が、怪物の尻尾に」と言う風に。彼女はその命が食べられた後も、怪物の細胞として、部品の一生を全うするのである。


「その意味じゃ」


 彼女は決して、死んではいない。生命体としては死んでいても、循環の中ではしっかりと生きているのだ。彼女を食らった怪物達も、いずれは何らかの理由で死を迎える。怪物達しか罹らない病気に患ったり、強力な冒険者に倒されたり、怪物自身の寿命を迎えたり、魔王の気まぐれに殺されたり。それ以外の理由であったとしても、最期は結局土に還ってしまうのだ。土に還った怪物の身体は周りの植物を育て、「それ」を食べる動物も生かし、最終的には人間の命でさえも保ってしまう。正に食物連鎖だ。強い者が弱い者を食べるのではなく、その全員が食べ合う事で、全体の調和が保たれる。


「なのに……」


 人間は……人間だけが、その調和を破っている。自分達の善を正当化して。


「だから」


 栄介は、人間の善を許さない。善が生み出す悲劇を許さない。善はそれ以外の答えを認めず、悪の多様性を受け入れないのだ。その多様性がどんなに尊いかも知れず、画一的な思想を押し付けて来るのである。「そうしていれば、全員が幸せになれる」と、何の根拠もない……まあいいか。そんな事に苛々しても仕方ない。今は、自分のやるべき事だけを考えよう。


 栄介は思考の電源を切って、正面の景色に意識を戻したが……物事はそう、上手くは行かない。彼の気配に気づいたのか、それとも、彼女の肉だけではまだ満たされていなかったのか、怪物達が栄介の居る所を目掛けて、その場から一斉に走り出したのである。


「チッ」と、栄介が舌打ちした気持ちも分からなくはない。こんな時にそんな事をされたら、誰だって苛つく。落ち着いた気持ちでいる方が驚きだ。


 栄介は索敵の力を使いながらも、脚の速力も上げて、怪物達から何とか離れようとした。


 だが、「くっ!」


 敵は何も、彼らだけとは限らない。森の中には、栄介の敵がごまんと居る。開けた場所まで走った栄介の前に現れたのは、木々の間から出て来た巨大な熊だった。


 熊は栄介の姿を見つけると、嬉しそうな顔でその前に駈け寄った。


 栄介は、その動きに苛立った。動き自体はそんなに速くないが、状況が状況だけあって、どうしても苛つかずにはいられない。それこそ、「ふざけるな!」と叫びたい気持ちだった。


「お前の相手をしている暇はない!」


 熊は、その怒声に怯まなかった。怒声の勢いがどんなに凄くても、それが通じなかったら無意味である。熊には、彼の怒鳴る理由が分からなかったようだ。


「グルルルッ」


 熊は右腕を振り上げて、栄介にそれを振り下ろした。


 栄介は、その攻撃を躱した。こんな攻撃に当たっていられない。腰の鞘から剣を抜かなかったのも、相手の身体を切るよりは、「逃げた方が早い」と思ったからだ。


 彼はその場に熊を置き去りにして、正面の景色に視線を戻した。視線の先には、また森の一本道がある。一本道の先は暗くて良く見えないが、今はそこを進むしかない以上、そこに入った後も、全力で森の一本道を走り続けるしかなかった。


 栄介は、自分の後ろを振り返った。あの怪物達はまだ、自分の事を追い掛けている。


「本当にしつこい連中だ!」


 熊の悲鳴が聞こえて来たのは、正にその瞬間である。彼らはどうやら、あの熊にも襲い掛かったらしい。何匹かの怪物がそこに残って、熊の身体に「がぶっ」と噛み付いたようだ。


「食欲旺盛にも程がある。アイツらは、大食いのモンスターか?」


 索敵の力で分かるのは、敵の大まかな位置と大体の数だけだ。具体的な個体数や、その形状までは分からない。


「腹が減っているんなら、

 

 その通りになっていたのなら、こんな事態にはなっていなかっただろう。栄介が「チッ」と舌打ちして、森の一本道を走り続ける事態には。


「まあいい」


 アイツらもたぶん、馬鹿ではない筈だ。複数体で獲物を狩る以上、一定の集団性はあるだろう。集団の中には、統率者が必ず居る。そいつが追跡を諦めさえすれば、この状況もいくらかはマシになる筈だ。


 栄介は「それ」を信じて、森の一本道を走り続けた。……彼らの気配が消えたのは、一本道の端まで行った時だった。意識の中に入って来た情報も、彼らが諦めた事を伝えている。彼は様々な場所から栄介の事を追い掛けたが、何かの気配を感じたらしく、統率者の指示に従って、森の奥に戻って行ったようだ。


 栄介は、その情報に溜め息をついた。


「まったく、違う意味で冷や冷やしたよ」


 別に怖がるような相手でもないのに。地平線の向こうから登って来た太陽が、その感情を何倍も膨らませていた。「はぁ」


 栄介は真面目な顔で、正面の平地に目をやった。平地の向こうには……地平線ではない、一列に並んだ鉄の兵士達が薄らと見えていた。


「アレが、か」

 

 彼は腰の剣を消して、代わりに意識の中から三叉槍を取り出した。

 

 

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