第28話 英雄の真似事

 領主の館は、町の北側にあった。館の正面には鉄扉が設けられていて、鉄扉の向こうには見事な庭が広がっていた。庭の先には、館の玄関が見えている。玄関までの距離はそんなに遠くなかったが、館の門番達に事情を話さなければならなかったので、その鉄扉が開いた頃には、町の空はもちろん、辺りの風景もすっかり暗くなっていた。

 

 二人は鉄扉の門番達に導かれる形で、門の内側に入って行った。


 門番達は(一応は)二人の行動に目を光らせつつ、敷石の敷かれた通廊を歩かせて、館の玄関に二人を導いた。玄関の前には呼び鈴が設けられていなかったが、映画が漫画などで描かれている例のコンコンを叩くと、その鈍い音と重なって……玄関の扉を開けたのは(たぶん)、屋敷の使用人だろう。服装自体は地味だったが、人の良さそうな紳士らしく、門番達の話に「まさか!」と驚きはしたが、態度の方はやはり落ち着いていて、来訪者の顔を見渡した後は、彼らに「少し待っていて下さい」と言って、彼らの前からサッと歩き出した。「今、領主様を呼んで参りますから」


 彼は蝋燭の灯りを頼りにして、暗闇に覆われた館の廊下を進み続けた。

 

 来訪者はその背中を眺めつつも、真面目な顔で彼がここに戻って来るのを待った。彼は、数分程で戻って来た。最初は蝋燭の灯りしか見えなかったが、彼が隣の領主に事情を話す声が聞こえた事で、その姿を確かめる事が出来た。

 

 使用人は改めて領主に来訪者達を紹介し、それが終わった所で来訪者達の顔に視線を戻した。

 

 来訪者達は、それぞれに複雑な顔を浮かべている。特に青年は、(領主に一定の敬意を抱いているのか)彼に何度も頭を下げて、自分達の無礼を「申し訳御座いません」と謝った。


「こんなお時間に」


 領主は、彼の言葉に首を振った。町の「賭け闘技」に目を瞑るような人物ではあるが、一応の良識は持っているらしい。


「気にするな、緊急事態なのだろう?」


「はい……。生存者の話では、時間の問題だそうです」


「そうか」


 領主は自分の顎を摘まんで、何やら色々と考え始めた。


「ここの守備隊は……なんて、訊く意味もないな。奴らを出されるわけには、いかない。町の守りが手薄になってしまう。現時点で町に居る冒険者の数は?」


「さ、さあ。正確な数は分かりませんが、五百人くらいは居るかと」


「五百人、か。上位クラスのパーティーを含めても」


「は、はい。敵の戦力は、圧倒的です。生存者のパーティーも、彼以外全員が殺れてしてしまったようですし」


「正に万事休す、か。今からでは、国の援軍も間に合わないだろう。打てる手も、ほとんどない。我々が現時点で出来るのは」


「すぐに逃げる事、ですか?」と訊いたのは、領主の前に立った栄介である。「何の抵抗もなしに?」


 栄介は鋭い目で、領主の顔を睨み付けた。


 領主はその眼光に苛立ったが、何故か怒る気にはなれなかった。


「見慣れない顔だが、余所から来た者か?」


「はい。遠い所から来て。僕の故郷も、魔王の怪物達に襲われました」


「そうか」の声が暗い。領主はどうやら、彼の嘘を信じたようだ。「なら尚更、お前も充分に分かっている筈だ。奴らの力が、どれ程に強いのかを。自分の故郷を滅ぼされたお前なら」


 そんな事は、分かりっこない。現代社会からやって来た栄介には、彼らの事情など知った事ではないのだ。それらの話を聞いた上で、彼らの事情を推し測る事は出来ても。結局は対岸の火事、余所の世界で起きている悲惨な現状でしかないのである。


 こいつらだって、栄介の世界を知らないだろう? 栄介の世界が今、どんな事態になっているのか。想像はおろか、その存在にすら気づいていないのだ。「自分達の世界こそ、一番に不幸だ」と、そう思い込んでいるのである。少しだけ視野を広げれば……まあいい。今は、目の前の現実に意識を戻そう。

 

 栄介は、領主の目から視線を逸らした。あくまで不幸な自分を演じるために。


「分かっています。だからこそ、ここで逃げ出すわけに行きません。彼らはどんなに逃げても、必ず追い掛けて来ます。僕達の命を奪うためだったら、同胞の犠牲すらいとわない。本当に糞みたいな連中です。僕の故郷は、そんな奴らに焼かれました。僕や幼馴染の子が見ている、目の前で。あんな光景は、もう二度と……」

 

 そこで言葉を切ったのは、周りの同情をより効果的に引くためだ。「あまりの辛さに言葉を詰まらせたのだ」と。そう周りに思わせる事が出来れば、彼の言葉に「し、しかし」と言い淀む事はあっても、その言葉自体を完全には否めなくなる、ただ「う、うううっ」と唸らざるを得なくなるのだ。


 彼の過去(はもちろん、嘘だが)に対しても、また、自分達の未来に対しても。彼らの未来は「栄介」と違って、まだ焼き払われてはいない。「未来自体には暗雲が立ち籠めているが、その隙間からは光が漏れているし、その光にも僅かな希望が感じられる」と思わせられた所で、栄介が「ニヤリ」と笑いつつ、領主の目をじっと見始めた。

 

 栄介は、口元の笑みを消した。


「領主様」


「なんだ?」


「アーティファクトの軍団は、僕が止めます」


 正に英雄の一言。「不幸な人生」を生きて来た彼だからこそ言える、最高の殺し文句だった。これには、流石の領主も動揺せざるを得ない。彼のような少年にそんな事をさせるわけには。でも、「大丈夫」の言葉を聞いても分かるだろう? 


 少年の決意は、決して揺るがない。領主の「だ、ダメだ!」にも聞く耳も持たず、だ。「自分には、強力な力があります。その力を使えば、魔法人形の軍団も追っ払える」と、相手の制止を突っぱねたのである。「単純な損得勘定です。僕が奴らを追い払えれば、ここの人達は全員助かるし、仮に追い払えなくても」

 

 まあ、そんな事はないが。ここは一応、彼らの考えを取り入れる事にした。その方が、彼らも「うん」と肯き易いだろう。


「多少の時間稼ぎは、出来る。何もしないで……それこそ、むざむざと逃げるよりは、ずっとマシでしょう? 彼らの力に屈するよりは、何倍も人間らしい行為です。人間が人間としての尊厳」


 尊厳の部分に不快感を覚えたのは、当然ながらに内緒である。


「を守るためには、無抵抗じゃいけない。人間には、人間なりの意地がある筈です。『知性』と『品性』を備えた人間なら、断固として立ち向かうべきだ」


「し、しかし」


 領主はまだ、その判断に迷っているようだ。


「そのためにお前を犠牲にするなど」


 ガッカリな言葉だった。ここまで「強力な力がある」と言っているのに、その言葉をまだ信じようとしない。自分達の不安を和らげる、優しい言葉か何かに思っている。栄介の隣に立っている青年も、彼の言葉を本気にしていないのか、彼に何度も「それは、幾ら何でも無理だ」と繰り返していた。「どんなに強くたって、一人じゃどうする事も出来ない」


 彼は栄介の肩に手を乗せて、その無謀を何とか止めさせようとした。


「一緒に逃げよう。気持ちは分かるが」


「なら」


 栄介は、青年の手を退けた。


「その証を見せれば、良いんですね?」


「証を?」


「そうです。僕が一人で、そいつらを追っ払えるかどうか? それを証明出来れば」


「そんな事」


 出来っこない。そう言い掛けた青年だったが、不思議な抑止力が働いて、その言葉を否定出来なかったようだ。彼の目の前に居た領主も、彼と同じような反応を見せている。彼らは(どう言う理屈かは分からない)不思議そうな顔で、互いの顔を見合っていた。


 領主は青年の目から視線を逸らし、真面目な顔で自分の隣に視線を移した。彼の隣には、彼を先程呼んで来た使用人が立っている。


「そうか。なら、仕方ない。不本意だが、


 領主は、使用人の男に肯いた。


を取って来てくれるか?」


 使用人は、その言葉に肯いた。どうやら、「アレ」の意味を分かっていたらしい。


「畏まりました。少々お待ち下さい」


 使用人は屋敷の奥に進んで行き、自分の右手に「アレ」を持って、また元の場所に戻って来た。


 領主は、彼の右手から「アレ」を受け取った。


「こいつは」


 丸い玉のような物。材質は金属のようだが、普通の金属よりもやや黒っぽく見えた。


「確認器だ」


「確認器?」


 栄介は領主から確認器を受け取って、その球体をまじまじと眺めた。


「何の?」


「登録者の安否を伝える。今は、俺だけしか登録していないが」


 栄介は、言葉の裏に隠された真意を悟った。……なるほど。彼は善意だけで、自分に「それ」を渡したのではない。自分の話が本当かどうか、その真意を確かめようとしているのだ。悪質な自己表現アピールかどうかを確かめるために。


 栄介に話した「こいつには……これだ、形はほとんど同じだが。専用の受信器があって、登録した人間が死亡すると、その表面が赤く点滅する。夜空の星が瞬くように、死亡の有無を伝えてくれるのだ。登録者が特定の範囲から逃げ出そうとした時も、その心理を素早く読み取って、表面を青色に光らせる」と言う説明も、表面上では栄介の身を案じていたが、裏側では逃亡の危険性を疑っていた(と言うよりも、不安に思っていた?)。


「確認器を握れ」


「え?」


「そうすれば、登録が終わる」


「分かりました」


 栄介は彼の言葉に従って、確認器の全体を握った。確認器の全体は冷たかったが、触り心地の方は決して悪くなかった。「登録完了」の声もまた、心地良い。綺麗な声の声優に囁かれているような感じである。


「これで良いですか?」


「ああ、それで良い。後は、俺が登録を解除するまで」


「はい」


 栄介は「ニコッ」と笑って、領主の前から歩き出した。


 領主は、その背中を呼び止めた。


「待て」


「はい?」


「そのままで行くのか?」


?」


 今度は、青年が叫んだ。


「あるさ! 腰の剣だけで。そいつは、正気の沙汰じゃない。せめて、鎧くらいは着ないと」


 青年は不安に思ったようだが、栄介の方は至って冷静だった。「大丈夫です」の言葉にも、その冷静さが窺える。「鎧が無くても、怪我は負いませんから」


 栄介は青年の制止も聞かず、門番達の声すらも無視して、ホヌス達の居る所に戻った。


 ホヌス達は、彼の帰りを喜んだ。特にサフェリィーは余程嬉しいのか、歓喜余って思わず泣き出しそうになっていた。


「もう! 帰りが遅いから、心配していましたよ!」


 そんなに長くは居なかった筈だが、彼女の感覚としてはそうなんだろう。栄介の手を握った両手には、喜びよりも不安の色が窺えた。「周りの人達も、どうして良いのか分からない感じでしたし」


 彼女は不安な顔で、周りの人々を見渡した。周りの人々は(数こそ減ったが)、ほとんどが町の中を右往左往、互いの顔を見合っては、自分達の未来に不安を覚えているようだった。冒険者の身体を支えた男達も、暗い顔で何やら「ブツブツ」と呟いている。


「どうなっちゃうんでしょう?」


「それは」


 もちろん、今答える事ではない。後から自ずと分かる事である。


 栄介はホヌスの隣に近づいて、その耳元にそっと囁いた。


「何とかなったよ」


 ホヌスは、その言葉に微笑んだ。どうやら、彼の心を読んだらしい。


「そう。それは、良かったわね」


「うん。後は、僕がそいつらを止めるだけだ」


 栄介は「ニコッ」と笑って、剣の柄を撫でた。


「彼女の事は、任せても良い?」


「ええ、もちろん。私にも、戦う力はあるから」


 ホヌスは、妖しげに笑った。


「全滅させるの?」


「当然、そのために動いたんだから。攻めて来る方角も聞けたし。敵に近づけば、索敵の正確性も上がる」


 行ってくるよ、と、彼は言った。


「そんなに遅くならないで帰って来る」


「行ってらっしゃい」


 ホヌスは「クスッ」と笑って、彼の事を見送った。それに気づいたサフェリィーも、ホヌスから話を聞いて、彼に「行ってらっしゃい」と言った。「絶対に帰って来て下さいね?」


 サフェリィーは、「期待半分、不安半分」と言った感じに彼の背中を見つめ続けた。

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