第26話 悪魔の遊び

 主人の言葉は、絶対。だから今の言葉も、恐らくは本当だろう。栄介の表情を見る限りでは、特に嘘を付いているようには見えなかった。自分達はもう、主従の関係で結ばれている。サフェリィーが彼の名前を聞いて、「ご主人様」から「エイスケ様」と言い替えたのを見ても分かるように、二人には明確な上下関係が築かれていた。この上限関係は(余程の事がない限り)、決して崩れる事はない。二人の会話を眺めているホヌスも、嫉妬らしいモノは抱いていないようだが、何処か淋しげな顔でその関係性に微笑んでいた。

 

 ホヌスは会話の途切れを見計らい、二人の間に入って、その二人に「クスッ」と笑い掛けた。


「それじゃ、調理道具を見に行きましょうか?」


「うん」と肯いたのは、栄介。それに続いて、サフェリィーも「は、はい!」と肯いた。二人はその場から歩き出し、ホヌスもそれに続いて歩き出した。


 三人は町の道路を歩きながら、その左右にある様々な店を見渡して、良さそうな店がないか探した。良さそうな店は、なかなか見付からなかった。サフェリィーから聞いた話で基本的な調理道具は分かっていたが、その種類がそれなりにあった事もあり、必要な道具をすべて揃えるには、夕方の少し手前まで掛かってしまった。


 栄介は意識の中から必要な金を取り出し、それに驚く周りの反応を無視して、三人の冒険に(人数の増加も想定に入れつつ)必要な調理道具を買い、意識の中に「それら」を仕舞い入れた。


 周りの人々は、その光景に驚いた。それを見ていたサフェリィーも、(彼らよりは驚かなかったが)不思議そうな顔で「うっ、ううう」と瞬いていた。彼らは目の前の光景、特に道具の出し入れがどう言う理屈で行われるのか、その原理をずっと考えていたが、「それが神のもたらしたモノだ」と分かる者は一人も居なかったらしく、栄介達が店の中から出て行った後も、ある者は間抜けな顔で、またある者は不安な顔で、彼の残した余韻に震え続けていた。


 栄介はそれらに気配に気づきながらも、ホヌスには「ニッコリ」と、サフェリィーには「クスッ」と笑いつつ、サフェリィーの手をまた握り始めた。


 サフェリィーは、その手を拒まなかった。彼女が「あ、あの?」と言い掛けたのは、栄介から力の原理を聞き出そうとしたのかも知れない。一方では「そんな事を聞くのは、失礼だ」と思っていても、年相応の好奇心が働いてか、その言葉をどうしても抑える事ができなかったようだ。「うっ、うううう」


 彼女は自分の感情を押し殺し、真面目な顔で栄介の手を握り締めた。


「何でもありません」


「そう」で終わるのは、普通の主人公である。「何でもないなら」で終わるのは、鈍感を売りにしている少年だけだ。栄介は、そう言う類の少年ではない。ホヌスのような力は無くても、彼女の浮かべた表情から、ある程度の思考は推し測れるのだ。彼女が自分に何を聞き出そうとしたのかも、表情の微かな変化を見る事で、その概要を何となく察する事が出来る。


「力の事、だね?」


 サフェリィーの顔が強ばったのは、彼に自分の思考を見破られたからかも知れない。「え? あっ」の返事にも、その動揺がひしひしと伝わって来る。「は、はい」


 サフェリィーは不安げな顔で、主人の顔から視線を逸らした。(彼女の勝手な思い込みだが)主人の怒りを不安に思うあまり、彼の目を見ていられなくなったらしい。


「ごめん、なさい」


「どうして、謝るの?」


 君は、何も悪くないのに? と、栄介は言った。


「不思議な物を『不思議』と思うのは、何もおかしくない。人間なら普通の感情じゃないか?」


 確かにそうかも知れない。そうかも知れないが、それでも「ごめんなさい」と謝るのが人間だ。どんなに「あれ?」と思っても、訊いてはいけない事もある。それが主人に関する事なら尚の事、彼女が「ごめんなさい」と謝るのも決して不自然な事ではなかった。自分はもしかしたら、触れてはいけないモノに触れてしまったのも知れない。彼女の浮かべる不安げな顔には、その言葉が明瞭に現れていた。


「そ、それでも……」


 栄介は、その言葉に溜め息をついた。


「サフェリィー」


「は、はい! な、何でしょうか?」


「君はもう、以前の君じゃないんだよ?」


 それが意図する事は分からない。栄介が何を以て、「以前の君ではない」と言ったのかも。すべては、彼女の価値観では推し測れない事だった。


「そ、そうだとしても。やっぱり」


 栄介はまた、彼女の返事に溜め息をついた。


「個人の秘密は、出来るだけ詮索しない。誰にだって、他人に知られたくない事はあるからね」


「エ、エイスケ様にも、そう言う秘密はあるんですか?」


 その答えは、「ノーコメント」だった。


「サフェリィー」


「は、はい!」


「君は、誓ったよね? 『僕以外の男を愛さない』って」


「はい。エイスケ様は、わたしの全てです」


 そこまで愛されるのは少し怖いが、それでも悪い気はしなかった。


「君がそこまで想ってくれるなら、その想いに応えるのが礼儀でしょう? 僕は、鈍感系の主人公にはなりたくないからね。相手の好意には、素直に応えたいんだ」


「そ、それが、わたしに『秘密を話す』と言う理由ですか?」


 栄介は、その言葉に肯いた。彼女は、良くも悪くも純粋。自分の力に仰天する事はあっても、その力を決して利用しようとはしないだろう。だから、何の躊躇いもなく打ち明けられる。彼女には、悪知恵を持つだけの欲が無いのだ。


「うん」


 栄介は「ニコッ」と笑って、彼女に自分の秘密を話した。


「実はね……」


 から続く内容は、割愛しよう。サフェリィーは真面目な顔で聞いているが、今までの話を振り返りさえすれば、そんな内容は別に語らなくても良い事だ。その話を聞き終えたサフェリィーがしばらく黙っていた事も、本当なら特に書かなくても良い事である。


 彼女は複雑な顔で栄介の事を見ていたが、やがて「それじゃ」と話し始めた。


「エイスケ様は、余所の世界からいらっしゃった方なんですね?」


「うん、ホヌスの力を使ってね。この世界にやって来た、所謂異邦人……いや、『異世界人』ってヤツだよ。君達の視点から見ればね、僕は……」


 栄介は(わざと)淋しげな顔で、隣の彼女に微笑んだ。


「ガッカリした?」


 何を? と言いたげな目だった。彼の正体が何であれ、自分の主人である事には変わりはない。彼の目を見返す表情には、無言ながらも「それ」が明瞭に現れていた。


「そんな事は、ありません。あなたが何者であろうと、わたしは……」


 栄介は、その続きを推し測った。


「そっか」


 二人は、その言葉をきっかけにしばらく黙ってしまった。ホヌスはその沈黙に付き合って、栄介の右隣を歩き続けた。三人はそれぞれに町の店を眺めたり、道行く人々が自分に向けて来る視線を無視したり、会話の続きを考えたりしていたが、サフェリィーが今の沈黙を破った事で、沈黙の空気をすっかり忘れてしまった。


「エイスケ様はどうして、悪い事をしたいんですか?」


 愚問ではなかったが、栄介にとってはつまらない質問だった。


「自由のためだよ」


「自由のため?」


「そう、自分の悪魔を解き放つために。あっちの世界は……君は知らないだろうけど、凄く息苦しい世界なんだ。あらゆる人間が、あらゆる良識に縛られて。多くの人々が、苦しんでいる。本当は善なんてモノは無いのに、『それがある』と思い込んで、悪人の心をグルグルに縛っているんだ。『自分に正義がある』と信じてね。全体の正義から外れた人間を」


「エイスケ様は、その被害者だったんですか?」


 栄介は、その質問に苦笑した。


「そこまでは行かないけど、『それ』に近い状態ではあったかな? 周りの善に取り囲まれて、身動きが取れなかった。本当は、自分の悪を解き放ちたかったのに。世間の常識が、それを許してくれなかった。学校の友達……僕の世界には、『学校』ってモノがあってね? 自分と同じくらい男女が、そこで勉強を教わるんだ。『教科書』って言う本に書かれた内容を覚えたり、その問題を解いたりして、知りたくもない情報を知らされたり、学びたくもない事柄を学ばされたりする。本当につまらない世界だ。そこで学んだ学問は、『高等学校』とか『大学』とか言う学校に入るための合い言葉でしかない。学校での勉強が終わった後は、『社会』って言う大人の戦場で戦う。国に払う税金を稼ぐためにさ、朝から晩までこき使われるんだ」


「大変な世界、ですね」


「うん……。大抵の人は『恋愛』とか『娯楽』とかで、その苦痛を誤魔化しているけど。子どもの僕からすれば、それも無意味な事のように見える。一瞬の快楽は、一瞬の解放しかもたらさないから。永続的な快楽でさえも、いつかは現実に叩き潰される。美の快楽は、永遠じゃないからね。若い時は良いけれど、歳を取ったら見向きもされない。所詮は、若さの特権さ。種から育った植物が、美しい花を咲かせるのと同じ。刹那の美しさにただ、酔い痴れているだけなんだよ。僕は、その美がどうしても」


 好きか嫌いか、その答えは分からない。彼の表情を見る限りは、それに白黒を付けるのは難しかった。


「だから、この世界は面白い。環境の意味では、僕の世界よりもずっと劣悪ではあるけど。ここには、素朴な悪意が溢れているからね。『免罪』の特権も与えられているし、楽しい事この上ないよ。遊ぶには、最高の世界だ」


 サフェリィーは、その言葉に押し黙った。彼の言葉に不快を覚えたわけではないが、「遊ぶには、最高の世界」と言う部分に対して、複雑な思いを抱いたようである。


「そんな世界で」


「ん?」


「エイスケ様は、これから何を成されるつもりですか?」


 栄介は、その質問に「ニヤリ」とした。


「最終目標は、魔王の討伐だけど。とりあえずは、冒険を楽しむかな? 冒険の途中で巻き起こる様々な出来事に関わって、それらを面白おかしく……まあ、要は気分次第だよ。その時々の状況次第。明確過ぎる目標は、人間の行動を制限しちゃうからね。効率重視の遊びには、精神的な負荷を感じ易い。最短距離で問題を解決しようとするからね。周りの人も苛々だ。彼らは楽しく遊びたいだけなのに、せっかくの気分も台無しになる。僕はせっかく遊ぶなら、自分のペースでゆっくりと遊びたいんだ」


「そう、ですか」


 サフェリィーは、地面の上に目を落とした。「マイペース」の部分は少し引っ掛かるものの、最終目標が「魔王の討伐」である事には、彼女も一応はホッとしたらしい。諸悪の根源が討たれれば、この世界にも平和が戻って来る。自分の身分を完全に捨て去るのは難しいが、それでも「平和」と言う文字は、彼女に幾らかの希望を与えたようだった。


「付き合います、あなたの遊びに。あなたの遊びにはきっと、わたしたちの希望がありますから。わたしは、その希望を信じます」


 栄介は、その言葉に微笑んだ。人々に希望を与えるのは「善人的英雄」の役目だが、「善」と言う概念さえ抜き取れば、悪もまた世界を救う救世主になれるのだ。


「ありがとう」


 二人は互いの顔を見合ったが、自分達の周りがザワつき始めると、ホヌスの動きに倣って、自分達もその方に視線を移した。視線の先では、一人の冒険者が馬に乗りながらフラフラと進んでいる。ほとんどの冒険者達に心配されながら、両手の手綱を必死に握り、自分の馬を何とか歩かせていた。


「アレは?」


 栄介は、その光景に目を細めた。


 冒険者達は一人の行動をきっかけにして、彼の周りに次々と集まり、馬の上から彼を下ろして、その身体を支えたまま、彼に「何があった?」と訊いた。


 彼は苦しそうにしながらも、その質問に何とか答え始めた。


「奴らが来る……」


「奴ら?」


「魔王が遊撃用に放った軍隊。魔法人形……アーティファクトの軍勢が、この町に攻めて来るんだ」

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