第24話 常識を破る悪行

 町の道路を歩いている時はもちろん、商業組合の中に入った時もそれなりに目立っていたが、その受付嬢に「奴隷登録」を頼んだ時は、冒険者達の「え?」を聞いても分かるように異様な響めきが起こっていた。商業組合の制度としては一応あるものの、まさか、「奴隷登録」を頼む冒険者が居るなんて。


 彼らの反応を見る限りでは、かなり珍しい光景、流石の受付嬢に驚かざるを得ない光景だったらしい。「彼女は本気で、奴隷労録を行うつもりなのか?」と。それを言葉にする冒険者は居なかったが、サフェリィーを見つめる受付嬢の目には、その驚きがありありと浮かんでいた。


 受付嬢は彼女の顔をしばらく見、それからまた、栄介の顔に視線を戻した。


「あ、あの?」


「はい?」


「本当に良いんですか?」


 受付嬢の顔が強ばったのは、周りの空気もあったが、栄介の「はい?」があまりに陽気だったからかも知れない。「旅のお供」として奴隷を登録する冒険者も居るには居るが、そう言うのは大抵物好きで、冒険者達のヒソヒソ声から聞き取れる話も、「冒険者達の慰み者になる」、「不満の捌け口になるのがオチ」と言った、奴隷には残酷な内容ばかりだった。栄介の近くで仲間に耳打ちしている冒険者も、サフェリィーの事をチラチラと見ては、仲間のビーストテイマーに「風貌こそ地味だが、顔は結構良いからな。今夜辺りに食われるじゃねぇ?」と言っていた。


 受付嬢は「それら」の声を無視して、栄介の答えを待った。


 栄介の答えは変わらず、「はい」だった。


「彼女には、『専属の調理師』になって貰おうと思って」


「ちょ、調理師!」と驚いたのは、受付嬢だけではない。それを聞いていた冒険者達も、椅子の上から立ち上がったり、利き手に持っている飲み物の容器を落としながら「え?」と驚いたりしていた。「ど、奴隷の女を調理師に? それも専属の?」


 彼らは栄介の価値観が理解できないらしく、今の場所から栄介を呆然と眺めていた。


 栄介は、その視線を無視した。


「いけませんか?」


 受付嬢は、その声に「ハッ」とした。どうやら、それで幾らか思考を取り戻したらしい。


「い、いえ! 別に悪くは、ありませんが……」


 それでも、と言いたげな目。事実、サフェリィーを見つめた目には、困惑の色が浮かんでいた。


「貴女は」


「は、はい!」


「この名簿に登録したら」


 一生ただ働き。それはサフェリィーも不安に思っていたらしいが、栄介が「ふふっ」と笑い掛けた事で、その不安を一瞬だけ忘れてしまった。


 栄介は彼女の顔から視線を逸らし、受付嬢の顔にまた視線を戻した。


「二人の不安も分かりますが、大丈夫です。ただ働きなんかさせない。彼女には、相応の報酬を払うつもりです」


「え?」の声を漏らしたのは、誰か? それは、その声を発した本人しか分からなかった。彼の答えに固まってしまった受付嬢はもちろん、当のサフェリィーですら、その誰かに気づく事が出来ない。すべてが、沈黙と衝撃とに溢れている。そんな中で辛うじて聞こえて来た声も「なっ、なっ、なっ」と驚き声、彼の価値観に「嘘だろう?」と震える声だけだった。


 受付嬢は周りの声を無視し、真面目な顔で栄介の目を見返した。


「あ、あの?」


「はい?」


「本気で言っていますか?」


 栄介は、その質問に「ニヤリ」とした。


「もちろん、本気で言っています。彼女を専属の調理師として雇う以上は」


「それが分からねぇんだ」と言ったのは、テーブルの椅子に座って、遠くから彼を眺めていた冒険者の男だった。彼は椅子の上から立ち上がると、周りの冒険者達を押し退けて、彼の前に堂々と歩み寄った。「『奴隷に報酬を払う』ってのが、よ。普通なら」


 栄介は彼の顔を見つつも、真面目な顔でその続きを推し測った。


「『そんな事は、しない』ですか?」


「ああ、真面な感覚の奴だったらな。奴隷なんかに報酬なんか払わねぇよ。アイツらは、人間の形をした肉塊だからな。『労働力』としては、一応は役に立つが」


 サフェリィーは、その言葉に暗くなった。娼婦の職からは脱せたものの、彼女の中にはまだ、奴隷としての劣等感があるらしい。


「う、うううう」


 栄介はその声から、彼女の気持ちを推し測った。


「金を払う価値は、無い。まあ、貴方達の価値観ならそうなんでしょうけど?」


「お前の価値観では、違うのか?」


 栄介の答えは、「違います」だった。「少なくても、僕の価値観では」

 

 栄介は彼の目から視線を逸らして、周りの冒険者達を満遍なく見渡した。


「労働者の報酬は、きちんと払う。そうでないと、色んな不満が出て来ますからね? この間の『アレ』を見ても分かるように。報酬は、労使の関係を保つ基礎です。滅私奉公を強いるのは、どんな悪行……いや、独善にも勝る行為ですよ?」


 悪行は彼が最も好む行為だが、独善は最も嫌う行為。言葉の途中でそう言い替えたのは、その意識があったからである。独善は「善」を土台にしている分、ある意味では「悪」よりもたちが悪い。悪は「自分が悪だ」と分かっているが、独善は「自分が独善だ」と分かっていないからだ。


 栄介は「それ」を知っている上で、男の「しかし」にも「じゃありません」と答えた。


「そもそも、『奴隷』って言うのは、何ですか?」


 奴隷とは(冒険者の男も言っていたが)、人間に使われる肉塊。それが彼らの共通認識らしいが、彼の質問を聞いた結果、その認識が微妙に揺らいでしまったようだ。自分達が思っているそれは、本当に奴隷なのだろうか?」と、その疑問に奇妙な違和感を覚えたようである。だから……。


「なら?」


「はい?」


 今度は、彼らの方から問い掛けた。


「お前は、どう思っているんだ? 『奴隷』の事を」


 彼らは不安な顔で、栄介の答えを待った。


 栄介の答えは単純明快、「『同じ人間だ』と思いますよ?」の一言だった。


「それぞれの境遇は、別にしても。身体の中には、みなさんと同じ血が流れている。見る者をゾッとさせる赤い血が、生命の神秘を彩る鮮血が、血管の中を何度も巡っているんです。そこに奴隷も王族もありません。僕達が『大切だ』と思う生命いのちは」


「い、生命いのちは?」


「闇の世界から生まれた物。最初は何も無かった所から、一つの命が芽吹いて、それが周りに広がった産物です。僕達は、その種子でしかありません。貴方達が勝手に格付けした奴隷達も」


 サフェリィーは、その言葉に目を見開いた。言葉の表現は小難しかったが、それに(感覚的であるが)感銘を受けたらしい。


「わたしも、みんなと同じ種子?」


 栄介は、その言葉に微笑んだ。


「そう、君も同じ種子。周りが勝手にそう決めただけで、本当は僕らと同じ人間なんだ。君の中にある感情も」


 同じ、と、彼は言った。


「『怒り』や『悲しみ』は、君の中にもある筈だよ?」


 サフェリィーは、その言葉に打ち震えた。「そうだ」と。自分の中にもちゃんと、それらの感情はある。今までは「自分は奴隷だ」と諦めていていたが、彼の言葉を聞いて、その事実を「ハッ」と思い出した。自分はそう言う身分に生まれただけで、本来は冒険者達と同じ「怒り」も「悲しみ」もある人間なのだ。


「同じ人間なら、報酬を貰うのも当然?」


「そう言う事。じゃなきゃ、信頼関係が崩れちゃうからね。怠るわけには、行かないよ。『身分』を理由に、相手の報酬を踏み倒そうとする人は、使用者に値しない。僕から言わせれば、悪以下の下衆野郎だね」


 下衆野郎の部分が少し言い過ぎだったのか、何人かの冒険者達が「それ」に反感を抱いたが、その反感を抱いた瞬間と重なって、言い様のない罪悪感を覚えたらしい。「彼の価値観に逆らってはいけない」と、(理由は不明だが)彼らの思考が締めつけられてしまったようである。


「うっ、ううう」


 彼らは栄介の顔を見つめたが、それも長くは続かなかった。彼を見つめるのは……何故だろう? 今に限っては、何となく辛いようだ。冒険者達の顔を見渡してみても、その感情が何となく伝わって来る。彼と話していた受付嬢も、最初は彼の価値観にポカンとしていたが、今は不思議な好感を覚えていたようだ。「彼はやはり、私達とは違う」と、感動に似た感情を抱いていたらしい。彼が自分の顔に視線を戻した時も、その表情に(理由は不明だが)一瞬ドキッとしてしまったが、その感情を忘れる事はなかったようだ。


 受付嬢は穏やかな顔で、彼の顔を見返した。


「貴方は、凄い人ですね」


 周りの冒険者達も、彼女の言葉に肯いた。


「確かに。お前は、本当に凄い奴だよ」


 それは、どんな風に? そう訊くのはたぶん、「野暮」と言うモノだ。彼らは栄介の行いを、これまでの慣習から逸れた非常識を、ある種の偉業として受け取ったようである。本当は「偉業でも何でもない」のに、周りが勝手に思い込んでいる彼の境遇(境遇の内容は、ご存じの通り嘘っぱちだが)や不幸など加わって、「それが様々な形に変わり、そして、混じり合った結果、そう言う思考に行き着いた」と考え付いたようだ。「彼は、普通の環境で育っていない。だからこそ、今のような慈悲を抱くようになったのだ」と。個々の正確な感情までは分からないが、全員の表情を見る限り、大体は「それ」と同じか、「それ」に近い感情を抱いていたようである。


「将来は、きっと大物になる」


 何を根拠にそう言うのかは分からないが、栄介としては悪い気はしなかった。彼らは栄介の非常識を、心の底から「凄い」と称えている。彼が本当はどう思っているのかも知らないで、向こうの席から口笛を吹いたり、彼の事をニコニコしながら眺めたりしていた。


「魔王ですらも、倒しちまうかも知れねぇ」


 彼らはまた、勝手な想像に胸を躍らせたようだ。


 栄介は、その光景にほくそ笑んだ。「愚か」とまでは行かないが、それでも「滑稽」なのは変わらない。大人が子どもの悪徳を称える声は、どんな称賛にも勝る褒め言葉だった。真面な感覚を持つ者なら(たぶん)、こうは言わないだろう。彼らは子どもの悪徳にこそ敏感だが、美徳の方には極めて鈍感なのだ。


 良い子にしているのは、当り前。

 

 現在社会のような世界では、亜紀のような人間が尊ばれるが、栄介のような人間は、普段は普通に思っていても、その本質を(様々な偶然から)知った途端、今までの態度が嘘のように「この糞野郎が!」、「今までよくも騙してくれたな!」と罵り始めるのである。騙された方も(「観察力が無かった」と言う点では)人の事は言え……まあいい。とにかく、そう言う事なのだ。都合の良い現実だけを見る生き物。

 

 彼らは人生の経験こそ積んでいるが、中身は子どもの本能と変わらないのだ。他人に自分の優位性を認めさせ、その優位性から様々な利益を得ようとする。世間話の延長で「恋人は、居るの?」と訊いて来る態度は、一見すると無害に見えるが、その実は「自分は凄い」と言いたい、「生物として優秀な個体である」と偉ぶりたいだけなのだ。恋人が居るのは、それだけでステータス。昨今の恋愛至上主義は、人間の退化が生み出した悲しい副産物かも知れない。「他に誇れる物が無いから、せめて恋愛だけは」と、だが……。


「それに縋っても、仕方ない」


 恋愛は、エゴの究極だから。人が人を縛ろうとする、究極の呪縛だから。恋愛が生み出す思いやりは尊いのかも知れないが、そこから生じる傲慢は醜い、もっと言えば、人の醜悪そのモノだった。私は、あなたの事が好き。だから、あなたも同じくらいに愛して。彼らは互いの事を大事にしながら、その相手を何としても配しようとしているのだ。相手を自分の所有物にするために。栄介が調理師として彼女を雇い入れた理由も、「異世界の常識を打ち破る」と言う悪行をやりたかった意味もあるが、最も単純な理由は、単に下心があっただけだった。


 栄介は、少女達の足を促した。登録も終わらせたし、「ここに居ても仕方ない」と思ったのである。彼は冒険者の歓声や、受付嬢の称賛を受けながらも、その喜びを決して見せようとはせず、得意の作り笑いを浮かべたまま、周りの人々に「それじゃ」と言って、商工組合の中から出て行った。


「さて、登録も済ませたし。次は、武具屋に行かなくちゃ」


「武具屋に?」と訊いたのは、彼の隣を歩いていたサフェリィーである。「どうして?」


 彼女は不思議そうな顔で、彼の顔を見返した。


 栄介は、その表情に微笑んだ。


「丸腰のままで旅させるわけには、行かないでしょう?」

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