第23話 調理師

 周りの音が死んだのは、彼の答えがあまりに衝撃だったからだ。娼婦宿の中から逃げ出した商品をわざわざ連れ戻し、店の主から手間代や物品などを貰うのは分かるが、それに対して「彼女を買い取るため」と答えたのは、店主の価値観から言っても、また、受付嬢の感覚から言っても、到底理解できない事だった。


 普通の人間は、まずそんな事は言わない。「新品」の娼婦を買うならまだしも、「中古品」の娼婦を買おうとするなんて。(そう言う趣味の人間でもなければ)まず考えられない、正に常軌を逸した事だった。彼女はどう見ても、「買い取るだけの価値がある」とは思えないのに。

 

 目の前の少年は、その商品を買い取ろうとしている。普通なら(多少は)怯むはずの相手にも怯まずに、挙げ句は彼女の生涯賃金すらも聞いて、その人生を我が物にしようとしているのだ。これには、流石の店主も驚かざるを得ない。娼婦宿の店主になったから様々な男を見て来た彼女だが、「下劣な商品を買い取りたい」と言う男を見るのは、本当に初めての事だった。

 

 彼女は、目の前の少年に恐怖を覚えた。「どうしたんです?」の声にも、思わず震えてしまう程に。彼女は……何だろう? 確かに怖いのだが、その奥に妙な感覚を覚えていた。彼の思考を恐れていながら、一方では「それ」に好感を覚えていたのである。30代の女性がほとんど浮かべる事のない、少女のような純情を火照らせて……少年の「大丈夫ですか?」にドギマギしていたのだ。

 

 彼女は何度か咳払いし、このを落ち着かせた。


「大丈夫よ、気にしないで」


「そうですか」


 少年は彼女の顔を見つめたが、その視線はやはり真面目なままだった。


「店主さん」


「な、なんだい?」


「空気を戻しましょう。このままじゃ、いつまで経っても話が進まない」


「そ、そうだね。うん」


 何故、「すまない」と謝ったのか? それは、店主自身も分からなかった。


「空気を戻そう」


 彼女は、少年の目を見つめ返した。


「少年」


「はい?」


「どうして、この子が欲しいんだい?」


 栄介は、その質問に「ニヤリ」とした。


「別に深い意味はありません。ただ、『彼女の事が欲しい』と思っただけです。彼女は、ほら? 凄く可愛いですから。可愛い女性を欲しがるのは、男のさがでしょう?」


「た、確かに」


 その男にとって可愛い女を欲しがるのは、何もおかしな事はない。至って普通の事だろう。世の女達が、好きな男に酔い痴れるように。彼が言っている事は、至極真面な事だった。自分の好きな女性を見つけたら、その女を何としても手に入れようとする。

 奥手な男には「それ」がなかなか出来ないが……それでも、「同じ男」と言う点では、その本能はほとんど変わらない。正に人類普遍の真理だった。彼はただ、その真理に従っているだけ。少女の手を握った行為も、その感情を表した結果にすぎなかった。

 

 少年は少女の赤面を無視して、彼女の手をずっと握り続けた。「この子の値段は」の声が、怖い。表情の方は善人風だったが、その奥にはドス黒い悪が潜んでいた。「いくらですか?」

 

 栄介は鋭い眼で、店の主を睨み付けた。

 

 店主の女性は、その眼光に震え上がった。この少年を怒らせてはいけない。普段は不敵な態度で有名な彼女だったが、店の受付嬢から聞いた話(自分が雇った男達をボコボコにした)や、これまでのやり取りを鑑みて、彼の雰囲気に思わず臆してしまったようである。

 彼の要求を呑まなければ(具体的な内容は、分からないが)、色々と面倒な事になるかも知れない。損得勘定に秀でていた彼女は、様々な材料から推し測って、そう結論付けたようだった。ここは、彼の要求に応えた方が得策だろう。


「分かったよ。ちょっと待っていな」


 受付嬢は、彼女の返事に驚いた。


「なっ! 姐さん」


「良いの」


 店主は怖い顔で、受付嬢にそっと耳打ちした。


「あの子は、どうもみたいだからね。この先、あの子の客が増える見込みもないし。手放すには、良い機会だよ」

 

 だったらどうして、彼女に追手を差し向けたのか? そう言いたげな受付嬢だったが、店主の表情を見て、その言葉をすぐに飲み込んでしまった。……これは、彼女の意地だ。「自分は決して、彼に屈したわけではない」と言う、店主なりの抵抗だったのである。実際は彼女の完封負けだったが、「それ」を認めたらお仕舞い、その威厳がすっかり落ちてしまうのだ。威厳は、周りを統べるのに大切な能力。彼女は自分の傷を最小限に抑えて、その威厳を何とか保とうとしたようだ。

 

 受付嬢は、そのプライドに何とも言えない感情を覚えた。

 

 店主は受付の引き出しから計算機(現代の算盤に似ているが、造形が微妙に違う)を取り出し、受付嬢の顔を一度見てから、新人娼婦の生涯賃金を計り始めた。栄介の目をチラチラ見、あたかも(真面目に)計算するフリをして。彼女は「どうせ素人だから」と思いつつ、手元の計算機を素早く弾く事で、栄介から実際よりも多くの金をふんだくろうとした。

 

 だが、「待って下さい」

 

 そこは、チート主人公の栄介。悪魔の力こそ使わなかったが、その計算に妙な違和感を覚えたようだ。


「その計算は、本当に正確ですか?」


 店主の指が止まったのは、言うまでもない。彼女は必死の作り笑いを浮かべたが、その身体は脅え切っていた。


「せ、正確だよ。アタシは」


 嘘は、付かない。そうかたる彼女の嘘は、邪神にあっさりと見破られてしまった。


「嘘ですね」

 

 ホヌスは「クスッ」と笑って、彼女の目に歩み寄った。


「貴女の心を読みました。貴女は、実際よりも」


「『高い値段で計算した』って? くっ! そんな証拠は、何処にあるんだい?」


 もっともな反論だが、邪神のホヌスには通じない。ホヌスは彼女が計算した実際の金額を言った上で、「今の金額は、明らかに嘘です」と繰り返した。彼女が「それ」に対して反論した時も、また同じ。その時に彼女が考えていた正確な数値を言い当てて、相手の勢いを完全に封じてしまった。


「何度やっても同じです」


 思考の証拠は、誤魔化せない、と彼女は言った。


「どんなに上手く取り繕っても、頭の中には真実が残っていますから。貴女は思考の真実を隠して、虚偽の言葉を吐こうとしたんです」


「くっ、うっ」


 店主は、邪神の顔を睨んだ。こんなのは、ハッタリだ。相手の思考を読めるなんて、普通の人間には……普通の人間には? 「まさか」の予感が、当たらない事を祈る。「アンタ達って、普通の」


 邪神は、彼女の言葉に目を細めた。言葉には発しなくても、「それだけで充分だ」と思ったらしい。彼女が「クスリ」と笑った顔は、その意図を表す明確な意思表示だった。


「それは、貴女のご想像にお任せします」


 止めの一撃だ。これはもう、「その通りだ」と言っているのに等しい。店主は二人の正体こそ探らなかったが、「自分が愚かだった」と思い直しはしたようだ。


「分かったよ。アタシが悪かった」


 彼女は二人に頭を下げて、サフェリィーの正確な生涯賃金を伝えた。彼女の生涯賃金は、決して安くはなかった。関係者達の配分はもちろん、本人の取り分を考えても、「食べて行くには、充分な額」と言える。変に贅沢しなければ、一人の人間として普通に生きられる金額だった。


 でも、「まあ、娼婦に普通の人生なんて無いけどね」


 それが悲しい現実。娼婦の稼ぐ生涯賃金とは、「女性」としてお客を慰められる時間制限の事だ。その制限が過ぎれば、娼婦もただの人間に戻り……いや、人間以下の存在になってしまう。それこそ、犬畜生と同じくらいに。「男尊女卑」の思想が無い(と思われる)世界ではあったが、「性」を生業としていた人間には、やはり生き辛い世界だった。先程までは栄介達の力に脅えていた店主も、彼から新米娼婦の買い取り金(何も無い空間から大量の金が出て来た時は、流石に驚いてしまったが)を受け取った後は、何処か悔しげな顔でサフェリィーの事を眺めていた。


「アンタは、良いね」


 サフェリィーは、その言葉に驚いた。


「え?」


「こんなに良い人達に自分を買って貰ってさ」


 それは、どうか分からない。だが、その言葉を否定する事は出来なかった。二人の思惑はどうであれ、自分は(一応)娼婦の職を辞められたのである。こんなにも嫌な娼婦の職を。だから、店主の言葉にも「そうですね」と肯く事しか出来なかった。「本当に良かったです」


 彼女は複雑な顔で、店主の目を見つめた。


 店主は、その視線に微笑んだ。


「アタシは、十二の時に売られて来たけれど。初めての客は、本当に嫌な奴だった。所謂『童女趣味』ってヤツでね? 嫌がるアタシを無理矢理に……」


 彼女の言葉が途切れたのは、昔を思い出したからなのか? 


 彼女は両目の涙を拭うと、悲しげな顔で自分の胸を触りながら「ここの頭も、そう」と言ったり、下腹部の上辺りを撫でながら「ここの頭も、みんな男に汚されちゃった」と言ったりした。


「アタシの中にはもう、純粋な女の子は残っていない」


 栄介は、その言葉に眉を寄せた。彼女の悲運に憤ったわけではないが、何となく嫌な感覚を覚えたからである。


「悲しいですね」


 返事はない。ただ、「クスッ」と笑われただけだ。


「ただでさえ、この世界は怪物達で溢れているのに」


 受付嬢も、その言葉に押し黙った。彼女達は各々の境遇にしばらく俯いたが、店主が栄介に話し掛けると、その沈黙を破って、彼の目をじっと見始めた。


「アンタの職業は?」


 栄介も、店主の目を見返した。


、冒険者です」


 栄介の冗談は、場の空気を少しだけ和らげたらしい。


「ふふふ、『一応』ってなによ? 一応って?」


 店主は穏やかな顔で、栄介に「クスッ」と微笑んだ。


「その子も連れて行くの?」


「まぁ。買うだけ買って、放って置くわけにはいきませんから。彼女は、『パーティーの調理師になって貰おうか』と思っています。家の手伝いや、下の面倒を見ていたわけですから」


「『料理くらいは、出来るだろう』って?」


「はい。食事は生きる上で必要な事ですし、『戦闘要員』だけがパーティーを支えているわけじゃないですから」


 ほとんどの追放系は、この支援系を甘く見ている。モンスターとの戦闘では役に立たない構成員も、やり方次第では充分に活かせるのだ。調理師の存在もまた然り。『攻撃』や『戦闘』ばかりに重点を置くパーティーは、往々にして破滅へと向かってしまうのである。栄介は、そんな愚かな事はしない。活かせる者は、たとえ調理師でも十二分に活かす。


「彼女の料理は、きっと温かい」


 サフェリィーは、その言葉に赤くなった。


 店主はその光景に呆れたが、彼女の反応を批難しようとはしなかった。


「ふうん、そう。なら、町の商工組合に行った方が良いわ。その子の事を登録するためにもね」


「登録? 冒険者になれるのは確か、『平民以上の人だけだ』って?」


「ええ、そうよ。だから、『奴隷登録』をするの。冒険者の世話をする世話係としてね、商工組合に名前を登録する必要がある。奴隷の流失を防ぐためにね」


「なるほど。でも、それじゃ」


「ん?」


「冒険者に登録を頼む奴隷が、沢山で出てしまう。特にAの冒険者に雇われれば」


「大丈夫よ」


「え?」


「そこは、上手い具合に出来ているから。どんなに凄い冒険者に雇われても、奴隷には一切の報酬が支払われないの。だから、付いて行くだけ無駄」


「な、なるほど。仮について行っても、『一生ただ働き』って事ですね?」


「そう言う事。それなら、故郷の土地で畑を耕していた方がマシでしょう?」


 栄介は改めて異世界の厳しさを感じたが、一方では「ある事」を閃いていた。


「そうかも知れません。でも」


「でも?」


「僕は、そんな事はしない。自分で彼女を選んだ以上、彼女には相応の扱いを受けて貰います」


「相応の扱い?」


 がどんなモノかは分からないが、店主が「それは?」と呟いた時にはもう、栄介達は店の外に出てしまっていた。

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