第21話 新人娼婦の少女

 ホッとしたのが先か、それとも、「え?」と驚いたのが先か? その順番は分からないが、とにかく「うっ、ううう」と震えていたのは確かだった。少年の厚意( らしきモノ)が、自分を助け……いや、正確には「ただそうしょう」と思っただけだろう。自分の後ろに彼女を導いた動きは、「厚意」と言うよりも、彼の単なる気まぐれ、偶然巻き込まれた出来事から最善と思われる解決策を導き出し、その答えにただ従っただけのように思えた。

 

 彼は善意から、自分の事を救ったわけではない。追手の男達を次々と倒し、その背中を蹴り飛ばしたり、相手の拳を払って、逆に反撃を加えたりする光景は、表面上では困っている人を助けているように見えるが、「ニヤリ」と笑った顔を見る限りは、とてもそんな風には見えない、(ある意味で)今の状況を楽しんでいるようにしか見えなかった。


「うっ、ううう」


 少女は少年の笑顔に震えたが……何故だろう? 彼の事を嫌いには、なれなかった。頭の中では「怖い」と思っているのに、心の中では「それ」を「格好いい」と思っている。「彼は、自分のために戦ってくれているのだ」と、自分の中にいる乙女がそう囁いているのだ。まるで自分の乙女心がくすぐられるように、あらゆる感情が「恋」に入れ替わって、少女の血潮をたぎらせているのである。


 彼女はその鼓動に驚いたが、少年が自分の手を引いて「こっちだ」と言うと、不安ながらもそれに肯き、彼の相棒を最後尾にして(彼女には何故か、嫉妬心を抱いてしまった)、今の場所から勢いよく走り出した。


 男達は、その光景に悔しがった。気持ちの方は追い掛けたくて仕方ないのに、身体の方が言う事を聞いてくれない。身体のすべてが、痛みに覆われている。地面の上から何とか立ち上がれた男も、そこから二、三歩程歩けただけで、左右の足が動かなくなった後は、自分の腹を押さえつつ、自分達から遠ざかって行く三人の後ろ姿を眺める事しかできなかった。


 男達は、目の前の現実に打ちひしがれた。


 栄介は少女の手を握ったまま、町の中を走って、三人が隠れられる場所を探した。隠れられる場所は、すぐに見付かった。周りの人々には少々変な目で見られたものの、町の東側に良さそうな空き家を見付けたので、そこに隠れられる事ができたのである。彼は空き家の奥に二人を導いて、外からは見えにくそうな場所に二人を座らせてから、自分も椅子の上に腰を下ろした。


「それで?」の対象はもちろん、目の前の少女である。「どうして、追われていたの?」


 彼は真面目な顔で、少女の目を見つめた。


 少女は、その眼差しに戸惑った。彼の眼差しにドキッとした事もあったが、「それ」に答えるのは色々と辛いモノがあるらしく、最初は「ポッ」としていただけの彼女も、彼が「クスッ」と笑い掛けて来た時には、暗い顔で「うっ、うううっ」と俯いてしまった。


「ごめんな、さい」の謝罪も、途切れ途切れ。その後に訪れた沈黙も、「その質問だけは、勘弁して欲しい」と庶幾こいねがっているように見えた。アナタの気まぐれにはもちろん感謝しているが、これ以上は踏み込んで欲しくない。彼女が握り締めた両手の拳は、その言葉を代弁する仕草、「無言」を使った叫びのように思えた。


 彼女は両目の涙を必死に堪えながらも、恥ずかしげな顔で床の上を見下ろし続けた。


 栄介は、その様子に目を細めた。彼女は何か、人には言い辛い事情を抱えている。彼女が着ている衣服は、彼女の趣味とはとても思えない。明らかに着せられている。彼女の趣向(もっと言えば、人格)を無視した誰かに「これを着なさい」と命じられているのだ。


 彼女が元々持っていた服を脱がし……元々の服はたぶん、これよりも地味な感じだろう。服の具体的な形は分からないが、彼女のオドオドした態度や、不安げな表情から推し測って、無地の服、味も素っ気もない素朴な形に違いない。彼女が服の乱れ(特に肩の部分)を何度も直すのは、「自分の肩を見られるのが恥ずかしい」と言うよりも、その羞恥心から必死に逃れようとする、ある種の防衛本能のように思えた。


 栄介は、その防衛本能に眼光を強めた。


「まあいい」


「え?」


「答えたくなかったら、答えなくても良いよ」


 他人の事情に深入りするのは、趣味ではない。そう訴える彼の眼差しは、少女に一瞬の安堵を与えたが、それも長くは続かず、彼が「クスッ」と笑い掛けた時には、言葉では言い合わせない、不思議な感覚を覚えていた。彼はたぶん……いやきっと、自分の事情を聞きたがっている。「答えたくなかったら、答えなくても良いよ」と言う言葉は、自分の気持ちを慮っているようで、その実は「親切」を隠れ蓑にしつつ、彼女の言葉を促しているように見えた。


 彼女はその狡猾さに震えたが、不思議と嫌な感じはしなかった。彼が自分に見せる態度は、至って普通の事。善意の擬態を使った駆け引きは、自分のような人間に対してはごく一般的な事と思えたのである。


「う、うううっ」


 彼女は両手の拳を握って、自分の気持ちと戦い始めた。彼に自分の事情を話すべきか? 「秘密」にしたい防衛本能と、「そこから脱したい」と思う別の防衛本能が、彼女の中で「ああだ、こうだ」と言い合い始めたのである。「自分の事情を知られるのは恥ずかしいが、自分の中で悶々としているよりはマシ」と。

 合理的な考えが少々苦手な彼女ではあったが、そこは根が純粋な彼女らしく、最初はかなり戸惑っていたが、外から聞こえて来る人々の笑い声や、窓から差し込む太陽の光などを見て、ある程度の落ち着きを取り戻し、彼の顔に視線を戻した時には、(僅かではあるが)勇気の欠片を取り戻していた。


 この勇気を振り絞れば、自分の気持ちもきっと楽になる。

 そうなる確証は何も無かったが、少なくても「今のままでいるよりは、ずっとマシだ」と思った。

 

 彼女は不安な顔で、少年の目を見返した。


「実は……」


 栄介は、その話に目を細めた。彼女の話は……まあ、良くある不幸話だ。貧しい家に生まれたのも、封土の農地を耕したのも、弟や妹達の面倒を見たのも、別に驚く事ではない。領主に払う税金の穴埋めとして、親に身売りを頼まれたのも……この世界の状況を考えれば、特に不思議な事ではなかった。長男や長女などは貴重な労働力だが、真ん中辺りに生まれた彼女は、労働の面から言っても、また、経済の面から言っても、絶対に必要な人間ではなかったのである。


 不要な人間をいつまでも置いておくわけには行かない。彼女の親がどう言う心境だったのかは分からないが、手放す時に「申し訳ない」と謝り、彼女に頭を下げた様子から察すれば、少なくても真面な人達、自分達の行いに罪悪感を抱く人間ではあったようだ。自分達の娘がどうなるか、その現実を重々分かっていたくせに。彼らは娘の手を握って、その幸せを心から願っていたのである。たとえ、自分の娘が娼婦に落ちようとも。

 

 彼らは……なんて、善人のフリは止めにしよう。今までは彼らの事を擁護する風に語っていたが、栄介の感覚からすれば、彼らは文字通りのクソである。娼婦になった娘が、(余程の幸運でもない限り)幸せになれる筈がない。彼女は自分の人生すべてを「性春」に変えられ、抱きたくもない男に抱かれては、己の内部に本能を注がれるか、その身体に白濁を浴びせられるのだ。彼女が「もう止めて」と叫ぶ中で、男の劣情を「これでもか」とぶつけられるのである。それを想像した栄介が、思わずゾッとしてしまう程に。


 彼女にもたらされた運命は、ある意味で最も辛い運命だった。彼女は最早、人間として扱われていない。町の中で男達に追われていた理由も、初めて味わった性の恐怖に脅えるあまり、周りの目を盗んで、娼婦宿の中から必死に逃げ出して来た結果だった。


「凄く痛かった」


 彼女は両手で、自分の顔を覆った。どうやら、昨日の初体験を思い出してしまったらしい。


「男の人が、無理矢理に突っ込んで来て。わたしは……」


 たぶん、抗えなかったのだろう。相手の勢いに脅えるあまり、「ブルブル」と震える事はできたが、それに悲鳴を上げる事は出来なかったのだ。か弱い小動物が、強い天敵に脅えるように。彼女もまた、相手のされるままに、宿から与えられた服を次々と脱がされ、その身体がすべて露わになった所で、ベッドの上に押し倒されたのである。


「う、うううっ」


 彼女は、自分の記憶に青ざめてしまった。


 栄介は、その光景に押し黙った。彼女に対して同情を抱いたわけではない。ましてや、憐れみを感じたわけでも。彼女は「不幸」と言う点、「新人娼婦」と言う職業を除けば、そこら辺にいる普通の少女なのだ。今更になって泣き始めたのも、その普通を示す立派な証拠である。彼女は身体こそ汚れているかも知れないが、その本質自体は汚れていない。

 未だに初心なままなのだ。栄介に向けられた眼差しを見ても分かるように、身体に刻まれた残酷な記憶から何とか逃げ出そうとしているのである。「自分は、まだ子どもでいたい」と、心の底からそう叫んでいるのだ。「家に帰りたい」と呟いたのも、それを明瞭に表した結果だったが、無慈悲な現実は、「それ」を許さない。たとえ家に帰れても、待っているのは……。


「たぶん、世間の冷たさだね」


 栄介は、少女の目を睨んだ。


「名前は?」


「え?」


「君の名前。まだ聞いていなかったら」


 少女は近くのホヌスに目をやり、それからまた、栄介の顔に視線を戻した。


「サフェリィー、です」


「サフェリィーさん……」


 これは、ちょっと言い辛い事だけど、と、栄介は言った。


「家の人達はもう、君の事を受け入れないんじゃないからな?」


 残酷な言葉だが、それは紛れもない真実だった。「同じ身分の奴隷同士」と言っても、そこにはハッキリとした差がある。特に彼女のような娼婦は、(一部の高級娼婦を除いて)世間の評価もあまりよろしくない。自分の身体を売り物にする行為は、それがどんなに尊く、また立派な行為であっても、陳腐な優越感や、浅慮な思考の所為で、「下劣なモノ」と見下されてしまうのである。本当は、「そう思う方が下劣だ」と言うのに。人間は道徳から外れたモノ、背徳に染まった者を見ると、己の感情を剥き出して、その相手を嘲笑う生き物なのだ。


 栄介は本能から、その真理を知っている。ここがたとえ、元居た世界とは違う場所だとしても。人間が人間をやっているのなら、その根幹にあるモノもほとんど変わらない筈だ。


 人間は、醜い者に容赦しない。彼女は地味な顔立ちであるものの、充分に美少女ではあったが、その真理に当てはめてみると、やはり醜い人間には違いなかった。


 栄介は椅子の上から立ち上がって、彼女の前に歩み寄った。


「サフェリィーさん」


「は、はい!」の返事が大きい。栄介の雰囲気にかなり脅えているようだ。「な、なんですか?」


 彼女は不安な顔で、栄介の目を見つめた。


 栄介は、その視線に微笑んだ。


「君を買った娼婦宿は、何処にあるの?」

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