第20話 浴室での情事

 今夜の夕食は、美味かった。店の雰囲気も小洒落ていて、前のような騒ぎ声も聞こえて来ない。皿の肉を丁寧に切るナイフと、サラダにフォークを突き刺す音だけが、二人の聴覚に響いていた。二人はそれらの食事を食べ終え、ついでにデザートの果物も食べ切ると、テーブルの椅子から立ち上がって、店の会計所に向かった。


 会計所の女性は、栄介から二人分の料金を受け取った。


「ありがとうねぇ」


 彼女も敬語を使わない、しかもフレンドリーに接する人種のようだ。彼女は栄介の事を気に入っているらしく、彼が店から出て行く時は、「ニコッ」と笑っていたが、その姿が見えなくなった後は、何処か淋しげな目で店の扉を眺め始めた。


 栄介はその気配に気付かず、ホヌスと並んで町の中を歩き続けた。


 二人は、先程の宿に戻った。


 宿の受付係は、二人の帰りを喜んだ。「お帰りなさいませ」の言葉も丁寧。二人のこれからに水を差すような事も言わない。ただ、「良い思い出を作って下さいね?」と微笑んだだけだ。彼女は二人の返事に肯き、二人が部屋に戻って行く姿を見送った。


 二人は、部屋の中に戻った。栄介が正面の扉を開ける形で、その中に入ったのである。二人は部屋の灯りを少しだけ点け、それが絶妙な薄暗さになると、どちらが言い出すともなく、互いの身体を抱きしめては、その背中や腰、脇腹辺りをまさぐって、相手の感触をしっかりと確かめ合い、最後はほぼ同時に相手の唇を味わい合った。


「んっ、んんん」


 ホヌスは、自分の唇を離した。その目は、とてもうっとりしている。


「素敵」


「うん……」


「ねぇ?」


「うん?」


「貴方は?」


「同じだよ」


 栄介は、彼女の唇をまた味わった。彼女の唇は、やはり甘い。甘さの中に僅かな苦みが混じっている事で、その味がより一層に引き立っている。人間相手では、決して味わえない味だ。思春期の少年なら、一度は夢みる味である。現実と理想との間に苦しむ少年なら。その味はきっと、大人へと通じる階段なのだろう。一度上ってしまったら、もう元の状態に戻れない。正に「禁忌」とも呼べる劇薬。人間はその劇薬を飲んで、次代に自分の命を託して来たのだ。


 栄介は、彼女の手を引いた。彼女は、人の心が読める。たとえ、言葉には発しなくても。その意図は、簡単に読み取れてしまう筈だ。


 栄介は「それ」を信じつつ、部屋の浴室に向かった。浴室の前には脱衣所が設けられていて、その脇には小さな籠が置かれている。恐らくは、「脱いだ服は、そこに入れろ」と言う事なのだろう。籠の近くには(当然だが)、身体の水気を取るタオルが置かれていた。


 栄介は自分の意識に集中し、そこから脱衣の方法を探した。脱衣の方法は、すぐに見付かった。彼女が前以て仕組んでいたのか、それとも単なる偶然なのか、その方法が神経を通して、頭の中に流れて来たからである。彼はその方法に従って、彼女の服を順々に脱がして行った。


 ホヌスは、ゆっくりと裸になった。薄い皮が一つ一つ剥がれて行くように。彼女の衣服もまた、栄介の手を借りて、丁寧に脱がされて行ったのである。


「フフフ」


 ホヌスは両手で、栄介の頬を挟むように触れた。彼の頬は、少年らしく火照っている。


「興奮している?」


「そりぇあ、ねぇ? 僕も一応、男だから」


 興奮しないわけがない。彼女の裸には、いつだって新鮮な興奮を覚えてしまう。


「色んな所が苦しい」


「そう。なら、早く楽にならなきゃ?」


 ホヌスは、彼の服に手を伸ばした。どうやら、彼の服を脱がそうとしているらしい。少年の動揺を無視し、その衣を剥がして行く光景は、栄介にはかなり刺激的だったが、彼女には至って普通の事、本能との会話をただ楽しんでいるだけのように見えた。


 彼女は少年の衣をすべて剥ぎ取り、籠の中にそれらを躊躇いなく放り投げた。


「さて」


 これでもう、覆い隠す物はない。普段は服の下に隠れている裸体も、今ではすべてが露わになっている。少年が最も意識する自分の分身も、少女が最も恥じらう胸部の突起も、脱衣所の灯りも手伝って、妙に生々しく見えていた。


「入りましょう」


 ホヌスは浴室の扉を開けて、その中に彼を導いた。


 栄介は、浴室の中を見渡した。浴室の中には、少し大きめの浴槽が一つ。浴槽の近くには蛇口らしき物もあり、蛇口を右に回すと水が、左に回すとお湯が出て、真ん中に戻すと止まる仕組みになっていた。


「魔法のある世界だから、こう言う仕組みもきっと」


「う、うん、あるんだろうね。じゃなきゃ、町の中があんなに綺麗なわけがない」


 二人は一瞬だけ真面目になったが、それも数秒の事で、互いの顔を見合った頃には、真っ赤になった相手の顔をじっと見つめ合っていた。


「入ろうか?」


「ええ」


 二人は既にお湯の張ってある湯船から、何杯かのお湯を汲み上げて、栄介の身体から順にそれを流し合った。


「丁度良い」


「そうね、本当に良いお湯」


 ホヌスは湯船の中に入り、栄介もその後に続いた。二人はお湯の温度を感じつつも、一方は少女の裸体を見つめ、もう一方は「それ」を楽しげに眺めていた。


「フフフ」


 ホヌスは、栄介の身体に抱き付いた。どうやら、彼の視線に興奮してしまったらしい。


「見ているだけじゃ、つまらないわよ?」


 栄介はその言葉に怯んだが、内心では別の事を考えていた。自分の胸に当たっている柔らかい感触。その心地よい肌触りが、彼の分身を激しくたけらせていたからである。


「う、うん、そうだね。見ているだけじゃ」


 何も満たせない。


 栄介は人間の自分を忘れて、に立ち戻った。


 

 彼が人間に戻ったのは、明朝。服の袖に腕を通した時だった。腕の表面には……不思議だが、彼女の感触がまだ残っている。彼に自分の身体を預け、その快楽を求め続けた感触が、彼女の残留思念として残っていた。

 

 栄介はその思念を感じながらも、真面目な顔で自分の後ろを振り返った。彼の後ろでは、ホヌスが寝息を立てている。とても気持ちよさそうな顔で、ベッドの上に身体を寝かせていた。

 

 栄介は、その寝顔から視線を逸らした。彼女の寝顔はあまりに美しく、何も考えずにぼうっと見ていると、やがては正常な判断力を失ってしまうからだ。それこそ、強力な媚薬でも飲まされたかのように。あらゆる神経が痺れて、内なる悪魔が暴れ出してしまうのである。

 

 栄介は、その感覚に異常な興奮を覚えた。「う、ううう」の声に重なったのは、「どうしたの?」と言う問い掛けだった。

 

 彼は、その声に振り返った。

 

 視線の先にはもちろん、優しく微笑む邪神の姿があった。


「そんなに震えて? 何か悪い夢でも」


「悪い夢は、見ていないよ」


「なら?」


 栄介は、その答えに若干照れ臭くなった。


「ホヌスの寝顔に見惚れていただけで」


「ふうん」


 彼女は「クスッ」と笑って、ベッドの上から起き上がり、身体の毛布を取り払って、彼の前に歩み寄り、その身体をすっと抱き締めた。


「嬉しい」


 栄介も、彼女の身体を抱き締め返した。


「う、うううん」


 二人は互いの身体をしばらく抱き合ったが、空腹には流石に勝てなかったらしく、栄介の腹が鳴り出したのと合わせて、相手の身体をそっと放し合った。


 栄介は、自分の腹に苦笑した。


 ホヌスは自分の服を着て、彼の前に戻った。


「朝ご飯、食べに行きましょうか?」


「そうだね」


 二人は栄介から順に、部屋の中から出て行った。部屋の外は静かだったが、宿屋の人々を何人か見たお陰で、物寂しさはあまり感じなかった。二人は宿屋の受付まで行くと、その受付嬢に「朝ご飯を食べて来ます」と言い、宿屋の中ら出て行った。宿屋の外も静かだったが、道行く人々の足音や、商人達の笑い声などが聞こえた所為で、宿屋の中よりは若干うるさく感じられた。


 二人はその光景に微笑んだが……問題は思わぬ所から現れる。最初は「冒険者の誰かが騒いでいるだけだ」と思っていたが、それが誰かを追い掛ける音、「複数の男が、一人の少女を追い掛けている音だ」と分かると、少年はその光景に目をやり、少女は何処か楽しげな顔で、それを眺め始めた。


「アレは?」

 

 栄介は、その少女に目を細めた。少女の年齢はたぶん、自分と同じくらい。身長は自分よりも低いようだが、彼女の見せている不安げな態度や、着ている服の特徴から(「田舎娘」の雰囲気がある一方、服や化粧が妙に都会的でイヤらしい)、何か訳ありっぽい女の子、少なくても普通の少女ないのが窺えた。


「どうしたんだろう?」


 栄介は彼女の短い茶髪に目をやりつつ、不思議な顔で少女の事を眺め続けた。


 少女は、その視線に気付いた。


「あっ!」


 の対象はもちろん、栄介である。


「ど、どいて!」


 そこに居ると、わたしは……。そう目で訴える彼女に対して同情を抱いた……のかは分からないが、彼女がすぐ傍まで来た時に「分かったよ」と肯いて、自分の後ろに彼女を促した栄介は、男達の言葉を無視したのはもちろん、その前にわざわざ立ち塞がって、武器も使わず、体術だけで、追手の男達を一人、また一人と、流れるように倒して行った。 

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