第18話 魔王の存在
二人が町に戻った正確な時間は分からないが、太陽の位置から考えると、夕方前であるのは確かだった。道行く人々の姿に淋しさを(何となく)感じる時間帯。市場の商人達や、冒険者達の装備品に見える影が、微妙に
昼なのに夜が見え隠れしているような、不思議で曖昧な時間帯……ではあったが、商工組合の中はそんなに変わりなく、栄介の事をチラチラ見て来る冒険者達は居ても、基本的には和気藹々、クエストの失敗に嘆く者達も居たが、それ以外は非常に穏やかな時間を過ごしていた。
栄介はそれらの景色に目を細めたが、何人かの冒険者達が自分に挨拶して来た時は、得意の作り笑いを浮かべて、面倒くさそうな相手には深々と、軽そうな相手には軽い挨拶を返した。
彼らは少年の挨拶に満足したらしく、「ニコッ」と笑い返しはしたが、それに文句を言ったりはしなかった。彼らの中では、栄介はかなりの好人物になっているらしい。「帰って来られたのか?」と訊いて来る態度には、「嫌み」と言うよりは、彼に対する尊敬の念が感じられた。
栄介は、その雰囲気に震え上がった。彼らの言葉が怖かったからではなく、その念が何となく不気味に感じられたからである。彼らはあの時見せた態度を、自分が格上の相手に見せた不遜を、不快に思ってはいないのだろうか? Aの冒険者に金を渡すなんて、普通なら……。
「まあいい」
ここはうん、そう言う世界なのだ。その本質が何であれ……彼らは、栄介の悪には抗えないのである。それのもたらす結果が、たとえ「偽善だ」としても。彼らは「偽善」を「偽善」とも思わず、少年の異常性を肯定してしまうのだ。彼の悪は、絶対。だから、それに疑問を持つのは、禁忌なのである。彼の帰りを待っていた受付嬢も、ホッとこそしたが、それ以外の反応は見せなかった。
彼女は「クスッ」と笑って、彼の姿を見つめた。
「お怪我は、無いようですね?」
「はい」と笑い返す栄介。「今回は、運が良かったので」
栄介は、謙遜にしか見えない嘘を付いた。
受付嬢は、その嘘にすっかり騙されたようである。
「そうですか。それは」
良かった、と、言い終えた時だ。彼の装備品に違和感を覚えたらしく、最初は首を傾げていただけだが、彼が「どうしました?」と訊いて来た時には、訝しげな顔で彼の目を見返し、それから改めて、少年の装備品をまじまじと見始めた。
「あ、あの?」
「はい?」
「
「それで?」
の意味が分かったのは、数秒後の事である。
「ああ」
栄介は、自分の身体に目をやった。
「行く前には、ちゃんと揃えたんですけど」
鎧は駄目になっちゃいました、と、彼は言った。
「思わぬ敵が現れたので」
「思わぬ敵?」
「ええ」
栄介は自分の意識を覗いて、そこから今回の戦利品を取り出した。
周りの人々は、その光景に驚いた。何も無い空間からいくつもの結晶体が突然現れれば、驚くのも当然、呆けた顔で「それ」を眺めるしかない。奥のテーブルで仲間と談笑していた冒険者は、テーブルの上に飲み物を置いた後も、周りの仲間達を同じように、間抜けな顔で栄介の方を眺めていた。
栄介はそれらの光景に興奮したが、表情の方はあくまで冷静を装い続けた。
受付嬢は、机の結晶体に目を見開いた。
「こ、これは?」
「今回の戦利品です」
「それは! 分かっていますけど……」
訊きたい事は、それではない。そう言いたげな受付嬢だったが、受付嬢の仕事がある以上、それを今すぐに聞き出すわけにはいかなかった。これから来る(であろう)冒険者達の事を考えれば、彼一人に時間を掛けるわけにはいかないらしい。
「なんでもありません。それじゃ、早速」
お約束の計算タイムである。案件の内容と、結晶体の数を照らし合わせて、そこから正当な報酬額を決めるのだ。彼が不正を行っていないかを確かめるために。結晶体の数や質などを鑑みる受付嬢の態度は、精密な金属器を組み立てる職人のように思えた。
「う、うん、問題ありませんね。結晶体の数も」
合っている……合っている?
「いや」
デスラビットに関してはそうだが、一個だけまったく違う種類の物が混じっていた。
「これは」
受付嬢は見るからに高質そうなそれを、不思議な顔でまじまじと見つめ続けた。
「あの?」
「はい?」
「変な事を伺いますが」
受付嬢は、少年の顔を見た。少年も、彼女の顔を見返した。二人が互いの顔を見合って、一方は「クスッ」と笑い、もう一方は「まさか!」と驚いた。
受付嬢は、胸の動揺を何とか抑えた。
「この結晶体は、ドラゴンですか?」
しんと静まる商工組合。その原因はもちろん、今の一言である。冒険者達は互いの顔を見合い、「信じられない」と言う顔で、少年の偉業をただ驚き合っていた。受付嬢も、彼らと同じように「なっ、えっ?」と驚いている。彼らは自分達に起こった事、少年に起こった奇跡を、間抜けな顔でただひたすらに驚いていた。
受付嬢は、手元の結晶体に視線を戻した。
「これは、魔王の放った遊撃竜です」
遊撃竜にも驚いたが、それ以上に「魔王」の一言が衝撃だった。この手の話では、最早定番となっているけれど。この世界にもどうやら、「魔王」と呼ばれる存在が居るらしい。
「へぇ、そうなんですか」
栄介は「田舎者」の設定を上手く使って、受付嬢から魔王のあれこれを聞き出す事にした。
「ごめんなさい。僕はその、あんまり勉強できなくて。『魔王』の事とか、良く知らないんです。『危ない奴だ』って言うのは、何となく分かるんですけど」
受付嬢は、その言葉に同情したようだ。それを聞いていた周りの冒険者達も。彼らは、「栄介が勉強すら満足に出来ない、過酷な環境の中を生きて来た少年」と勝手に勘違いしたらしい。
「そう、ですか。なら、心して聞いて下さい。この世界は今、その魔王に脅かされています。世界中に突然、モンスター達が現れた原因も。すべては、魔王の仕業なんです。魔王は、人間の世界を支配するために」
怪物達を生み出した。
そう考えるのが普通だが、それには妙な違和感があった。
「なるほど。でも、『それ』っておかしくないですか?」
「え?」と驚く受付嬢に、全員が耳を傾けたようである。「どうして?」
彼女は栄介の意図が分からず、不思議な顔でテーブルの上に結晶体を置いた。
栄介は、その光景に溜め息をついた。彼らはどうやら、「悪」と言うモノを分かっていないらしい。
「想像してみて下さい。自分がもし、『魔王』になったら? 『魔王』になって、『人間の世界を征服したい』と思ったら?」
ここまで言っても、やはり分かって貰えない。
だから、ホヌスが「それ」に助け船を出したようだ。
「『一気に制圧したい』と思う。『魔王』と言うのは、人間よりも遙かに強いんでしょう?」
ホヌスは、不気味に笑った。
受付嬢は、その笑みに震えた。
「た、確かに。魔王は……聞いた話では、かなり強いようです。何人もの強者が魔王に挑んだようですが、そのどれもが返り討ちに遭って。魔王との戦いから無事に生きて帰って来た人は、今の所一人も居ません」
冒険者達は、その言葉に暗くなった。出世の手段として使われている冒険者も、元々は世界を救うために作られた職業、魔王や怪物達から平和を取り戻すために考え出された生業である。彼らは「それ」を大前提にしながら、パーティーの中で「役立たず」が居れば、報酬のために平気で仲間を追い出し、挙げ句は人格すらも否定して、彼または彼女の夢を踏みにじっているのだ。栄介が助けた(と思われている)青年との出来事を見ても分かるように。高尚であるべき志が、下劣な欲望にすり替えられているのである。
そんな事では、世界なんてどう頑張っても救えない。
彼らは、魔王を討つ前に……。
「まあ。そんな事は、どうでも良いか」
栄介は、「所詮は他人事、異世界は異世界でしかない」と思い直した。
「それが事実なら、軍隊が諦めたのも分かります」
勝てない
「卑怯も正攻法」
「え?」
「何でもありません。ただの独り言です」
栄介は、不気味に微笑んだ。
「さっきの話ですけど。魔王はたぶん、人間との戦いを楽しんでいます」
「え?」
周りの冒険者達も、その言葉に反応した。
「どう言う事だ?」
彼らは揃って、栄介の答えを待った。
栄介の答えは、「言った通りの意味です」だった。
「本当に征服する気なら、こんなに回りくどい事はしない。自分の手駒を上手く使って、人間をあっと言う間に制圧する筈です。それこそ、人間を遙かに超える力があるのなら。こんなにチマチマと攻める筈がない。遊撃用のドラゴンまで使って」
「そう、だな。俺なら迷わず」
「でしょう? 『それ』をやらないって事は、魔王は人間を舐めている。単なる遊び相手として、人間にちょっかいを出しているんです。そのちょっかいが、かなり陰湿ではあるけれど」
冒険者達は、彼の言葉に俯いた。
「悔しいな」
それが正常な反応、誰もが抱く普通の感情である。「自分達は、単なる遊び相手なのか?」と。利害の意識が根底にある彼らだが、その現実だけはやはり腹立たしいモノだった。
「本当に悔しい」
冒険者達は悲しげな顔で、己の拳を握り締めた。
栄介は、その光景にほくそ笑んだ。彼らの気持ちを察したからではなく、それが与える印象にただ笑みが零れたからである。彼らは確かに不幸だが、それを弄ぶ魔王もまた……「不幸だ」
いくら強力な力があろうと、それを享楽のために使ったら、結局は同じ
栄介はその傲慢に目を細める一方、自分の中で新しい野望を抱いた。
「
ホヌスは、その言葉に目を見開いた。
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