第14話 邪神との交わり
夜の町は、人間の欲で溢れていた。酒場の中で騒ぐ酔っ払いも、宿屋の前で男達を誘う娼婦達も、町の周りが防壁で守られている所為か、怪物の襲撃に脅える事もなく、己の欲を最大に解き放っている。建物の陰に隠れ、通りの様子を眺める浮浪者も、風貌こそは見窄らしいが、その目には嫌らしい目が光っていた。
栄介は自分達に絡んで来た男達(どうやら、ホヌスの事を気に入ったらしい)を何人か倒し、それで周りの注目を集めながらも、表情はあくまで冷静に、内心ではとてもワクワクしながら、ホヌスと並んで良さそうな宿を探し続けた。良さそうな店は、一時間程で見付かった。店の看板が魔力か何かで光っていた所為で、遠くからでもその店を見つけられたからである。
二人は、その店に足を進めた。店の前には、一人の女性が立っている。彼女は、ホヌスにこそ微妙な表情を見せたが(たぶん、彼女の美貌に嫉妬したのだろう)、栄介には何故か赤くなり、彼が「泊めて下さい」と頼むと、何の迷いもなく、店の中に二人を導いた。
「う、うん、良いよ。ゆっくりしていきな」
彼女もどうやら、敬語を使わない人種らしい。
「空き部屋も結構あるし、好きなだけ励んで良いよ」
励んで良いよ、の言葉が嫌らしい。
流石は、それらしい雰囲気の宿だ。
栄介はその雰囲気に赤くなったが、ホヌスの方は冷静に、店の中へと入って行った。栄介もそれから遅れて、店の中に入った。二人は店の受付に行き、そこで名前の記入やら、宿の料金やらを払うと(ここの宿は、前払いらしい)、案内役の女性に従って、今晩泊まる部屋に行った。部屋の中は、薄暗かった。必要最小の灯りが点けられているだけで、部屋の家具類はほとんど見えない。扉の入り口から差し込む光が、足下の床を僅かに照らしているだけだ。
栄介は、その光に胸を高鳴らせた。
女性は部屋の灯りを点けて、お客の二人に微笑んだ。
「浴室は、部屋の中にあるから」
「は、はい」
女性はその返事を聞き、楽しげな顔で、部屋の扉を閉めた。
栄介は、ホヌスの顔を見た。ホヌスも、二人の顔を見た。二人は互いのしばらく見合ったが、ホヌスが「クスッ」と笑った事で、その均衡が見事に崩れてしまった。後に残ったのは、何とも言えない空気。少年をウズウズさせる、奇妙な空気だけだった。
ホヌスは「クスッ」と笑い、栄介の身体を抱きしめた。
栄介は、その感触にたじろいだ。幼い頃は幼馴染に何度も抱きしめられた彼だったが、今の彼が味わっているのは、それすらも霞んでしまうような感覚、少年の劣情が一気に湧上がるような感触だった。こんなに素晴らしい感触は、今まで味わった事がない。彼女の服越しから伝わって来る感触は、衣服の障壁を捨てた、裸体の気持ち良さだった。
栄介は、その感覚に酔い痴れたが……。
「え?」
それもすぐに消えてしまった。少女の身体から次々と剥がれて行く衣。その光景は、まるでこの世の絶景を観ているようだった。人間の視覚では決して観られない、神のみだけが観られる景色。彼は人間でありながら、間近で「それ」を観られたのである。
「あ、ああ」
「フフフ」
ホヌスは彼の頬を触り、その頬を優しく撫でた。
「どう?」
無言。
「気持ちいい?」
またしても、無言。
栄介は言葉にならない言葉を発したまま、邪神の裸をただ呆然と眺め続けていた。
ホヌスはその様子に微笑み、彼の唇にそっと口付けした。
栄介は、その感触に震え上がった。これは、普通のキスではない。キスの次元を超えた、文字通りの口付けだ。彼女の唇から伝わった感触は、今まで味わって来た体験、そこから生じたどんな快楽よりも勝っていた。
「う、ううう」
「止める?」
「へ?」
「刺激が強過ぎるなら、今日はここで」
お仕舞いに? それに肯くのは、引き延ばしの強いられた主人公だけだ。物語のヒロインが決まらないように、様々な諸事情からそうやってしまうのである。彼は、その手の主人公ではない。最初は戸惑うかりの本能も、次の瞬間には「いや」と答えて、ベッドの上に彼女を押し倒していた。
「子どもの殻は、邪魔だからね。こんな物は、とっとと脱ぎ去りたい」
「そう。まあ、それが『大人になる』って事じゃないけど?」
栄介は、彼女の声を黙らせた。彼女が自分にそうしたように。
「分かっている。『大人になる』って言うのは、快楽の経験を積む事だから」
それが真実なのかは、分からない。分からないが、ホヌスは「それ」を否定しなかった。
「お風呂は、いいの?」
「いい。そんな物に入らなくたって、君は充分に綺麗だから」
「そう。なら、私もいいわ。貴方がお風呂に入らなくたって」
二人は互いの目を見合い、一方は真剣に、もう一方は愉しげな顔で、生命の儀式を味わい始めた。
朝の時間が気持ち良い。そう思ったのは、いつ以来だろう? 倫理の呪縛に悶々としていた彼には、その時間はとても清々しく、部屋の浴室から出て、自分の服を着る感覚にも、一つの大仕事をやり切った、不思議な達成感を覚えていた。
自分は、大人になった。いや、「子どもの一部を捨てた」と言った方が正しい。ある種の人にとっては最も大事なそれを、邪神との快楽ですっかり捨ててしまったのだ。溜りに溜った鬱憤を晴らすように、自分の激情を解き放ったのである。「自分はもう、あの頃の自分ではない」と。彼女の方を振り返った顔には、それを表す喜びが浮かんでいた。
栄介は、彼女の方にそっと歩み寄った。彼女はベッドの毛布で、自分の身体を隠している。
「起きていたんだ?」
「ええ。起きたのは、ついさっきの事だけど」
彼女は嬉しそうに笑い、ベッドの中から出て、部屋の浴室に向かった。
栄介は、その背中を見送った。
ホヌスは、十分程で帰って来た。身体の全体にタオルを巻いて、浴室の中から「上がったわ」と出て来たのだ。彼女は少年の目の前でタオルを取り、彼にその身体を見せる形で、自分の服をゆっくりと着た。
「お腹は、減っている?」
「もちろん。昨日は、かなり頑張ったからね」
「そう」
ホヌスは「クスッ」と笑い、部屋の扉に向かって歩き出した。
「それじゃ、宿の食堂に向かいましょうか?」
栄介も「クスッ」と笑って、彼女の言葉に肯いた。
「うん」
二人は揃って、宿の食堂に行った。食堂の中はそれなりにうるさかったが、朝食を食べるのにはまったく支障なく、その朝食を食べ終えた時は、それが一種のバックミュージックになっていた。
二人は所定の場所に食器を片付け、それから宿の受付に行って、受付の女性に「有り難う御座いました」と言った。
女性は、二人の言葉に驚いた。彼女もやはり、ここの常識に染まった人間らしい。
「珍しいわね」
「そうですか?」
「ええ、とても。貴方達、育ちが相当良いのね」
二人は彼女にもう一度頭を下げて、宿の中から出て行った。
ホヌスは、少年の横顔を見た。
「今日は、何をしましょうか?」
「それは」
もちろん、と、彼は言った。冒険者になった以上、やる事は一つしかない。
「
栄介は「ニコッ」と笑って、彼女の足を促した。
ホヌスは、その促しに従った。
二人は並んで、町の商工組合に向かった。
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