第12話 三叉槍

 町の中には、色々な物があった。空想世界を思わせる建物はもちろん、その前で営んでいる市場にも、現実の世界では決して味わえない、不可思議な空気が漂っていた。仮想現実を極限まで現実的にしたら、きっとこう言う世界が出来上がるのだろう。現実社会よりはずっと遅れているが、そこに無い文化が営まれている世界。町の工場から聞こえて来る金属音は、それの完成品(見本として、隣の武器屋に並んでいる)と相まって、少年の浪漫を擽る感覚、それが与える西洋史の虚構を表していた。

 

 虚構の中にあるのは、人間達が楽しんで来た娯楽。数多の映画や小説、漫画やアニメなどが育て、その地盤を固めて来た、お約束の世界である。「魔法」と「剣」がすべてを……とまでは行かないが、それが共通認識として存在する世界だ。商工組合で見た光景も、そこから生じた副産物に過ぎない。すべては、魔法がある故に。剣が、出世の手段である故に。

 

 平民が(道行く人々の話を聞く限りでは)貴族並みの生活を送るためには、冒険者として成功を収める必要があった。会社勤めのサラリーマンが、そこから独立して成功を収めるように。単なるアルバイトだった人間が、会社の社長まで登り詰めるように。そう成れる人間はごく僅かだが、資本主義が未発達なこの世界では、平民が出世できる数少ない現実的な手段だった。

 

 商工組合から出される仕事は、その機会を与える窓口でしかない。その窓口をどう生かすかは、そこに登録した人間次第である。一介の冒険者で終わるのも人生。その人生に花を咲かせるのも人生。すべては、冒険者の自由意志に委ねられている。

 

 自分は冒険者として、どう生きるべきなのか? 


 14歳の少年には(とても)難しい問題だが、そこは最強設定の自分。周りが100努力して1進む道を、0の状態から1000の答えを導き出していた。自分はここで、自分自身を解き放つ。自分の中にある悪魔を、向こうの常識を少しずつ剥がして、ゆっくりと解き放って行くのだ。自分には、「それ」が出来る。「それ」をやれる権利がある。今まで舐めて来た辛酸は、「それ」を得るための試練でしかなかったのだ。

 

 栄介は町の中をぶらつく中、その視界に入る景色を眺めながらも、真面目な顔で自分の幸運を考えていた。

 

 ホヌスは、その横顔に頬笑んだ。


「難しい顔ね。まあ、貴方の気持ちも分かるけど。幸運は、人間の心を麻痺させるから」


 それだけではない。彼が自分の幸運を考えているのは、その幸運が妙な高揚感を与えていたからである。自分は人智を超えた力、邪神の加護に選ばれた人間だ。その加護がたとえ、彼女の気まぐれだとしても。その事実だけは、決して失われない。自分の絶対の成功を約束されながら、誰にも「それ」を覚られず、こうして町の中を歩いているのだ。商工組合のアレには、少しだけ水を差されそうになったけれど。それを除けば、ほぼ満点に近い時間を過ごしている。多くの異世界愛好家が憧れた、今時の快楽世界を味わっていた。


 その中にある武具屋も……どう言う理屈かは分からないが、その武具屋がふと気になってしまった。武具屋の正面には、その見本品が置かれている。職人達が丹精を込めて造った武具一式、その剣や盾、鎧などの作品が、客寄せの役を仰せ付かっていた。


 栄介は、その武具類に目が留まった。武具類のデザインはもちろん、それがファンタジーの王道を行っていた所為で、その一式がどうしても気になってしまったからである。


「これは」


「欲しいの?」と、ホヌスが笑い掛ける。魔力で人の心が読める彼女だが、これには魔力を使う必要もなかったらしい。「この安物が?」


 ホヌスは、この世界では高価であろうそれを「安物」と笑った。


 栄介は、その表現に眉を寄せた。無限の貯金がある彼からすれば、それは確かに安物かも知れないが、それでも……。自分が気に入った物を「安物」と言われるのは、あまり良い気持ちはしなかった。まるで自分の価値観を馬鹿にされたように、その表現に苛立ちを覚えてしまったのである。

 

 栄介は彼女の顔に視線を戻すと、不機嫌な顔でその目をじっと睨んだ。


「安物でも、別に良いじゃないか?」


 真面な反論。

 購買意欲がある者なら、当然に抱く感情である。

 安物を好んで何が悪い?


 栄介は正面の武具一式に視線を戻したが、その表情は変わらず怒り続けていた。


 ホヌスは、その横顔に目を細めた。


「最強の悪魔には」


 の後に現れたのは、間。栄介を一瞬だけ怯ませた、数秒の沈黙だった。


「それに相応しい武器がある」


「相応しい武器?」


 栄介は正面を向いたまま、気持ちだけ彼女に振り向いた。


 ホヌスはまた、その横顔に微笑んだ。


「三叉槍」


 の言葉には、流石に振り向いてしまった栄介。彼は邪神の顔を見つめる一方、内心では向こうで見たあの武器を思い出していた。


「アレが、僕に相応しい武器?」


「そう」と肯くホヌスは、どんな妖女よりも妖艶に見えた。「あの黒光りした。三叉槍は、貴方のために用意した武器だからね。アレさえあれば、どんな強敵でも倒せる」


 栄介は、その言葉に絶句した。アレは「証拠」のためだけに見せた物ではなく、彼がこれから使う武器として、彼女が用意した(あるいは、造り出した)物だったのだ。彼がこちらに来ても困らないように、最大の気遣いをしてくれたのである。


「それ、じゃ」


 栄介は、自分の意識に集中した。意識の中には、あの三叉槍が浮かんでいる。


「これさえあれば、他の武器は要らないんだね?」


 それがたとえ、この世界では「最強」と呼ばれた武器でも。この三叉槍さえ持っていれば、あらゆる武器を粉々に出来るのだ。武器と武器がぶつかった瞬間に。あるいは、三叉槍が相手の武器を傷付けた瞬間に。その武器がパキパキと割れ、ガラス細工のように砕けてしまうのだ。


 ……乾いた笑みが漏れるのは、仕方ない事だろう。


 栄介はその光景に酔い痴れたが、同時にある種の淋しさを感じてしまった。これでは、無限収納の意味がない。最強の武器を持っているなら、それ以外の武器は不要になってしまう。それこそ、最初から「それ」を持っていれば良いのだから。余計な武器は、要らない。

 最強状態の人物が、同じく最強状態の武器を使っていたら、相手は涙目、あらゆる敵に勝ってしまうのだ。何十年も修練を続けた戦士も、魔術の頂きに達した魔術師も、彼の前では赤子同然になってしまうのである。

 

 栄介は、その光景に複雑な思いを抱いた。

 

 だが、「待てよ?」

 

 そこは、内なる悪魔を宿す少年。最初は最強がもたらす弊害に唸っていたが、すぐに「どうせ、最強なら」と笑い出した。


「つい忘れそうになったけど。要は、その結果を楽しめれば良いんだ。どんな過程であれ」


 それが舐めたプレイと言うモノ。最強の者だけが許された特権である。


「僕の勝利は、決して揺るがないんだから。どう言う勝ち方をしても良い。三叉槍は……そうだな? 強敵と戦う時の切り札的な存在で、通常は『普通の武器』で良いだろう。雑魚には弱い、強敵には強い武器って感じにね。相手によって使い分ける。最大値の自分が、最小値の敵を倒し続けたら」


 流石に飽きるだろう? と、彼は言った。


「勝負の結果は、変わらない。なら」


「その過程を変えるしかない、ね?」


「そう言う事。最強の力で相手を圧倒すれば……大抵の人は、『全能感を覚える』と思う。実際、僕も『それ』を味わったしね。闘技場での勝利は、この先もずっと忘れないと思う。あれは、本物の麻薬だ。僕のような人間には、堪らない。自分に劣等感を覚えている人や、心の欲望を満たしたい人には、どんな麻薬にも勝る劇薬だと思う。僕は、その劇薬に浸りたい。それがもたらす全能感も味わいたい。僕は全知全能……とまでは行かなくても、それに近い状態で、この理想郷を味わいたいんだ」

 

 そう言う彼の本心は、やはり幼稚かも知れない。未成熟な少年が、「こうなったら良いな」と夢みるただの我侭かも知れなかった。普通の大人は、そんな我侭は許さない。我侭は、周りの和を乱す行為だから。それを聞き流す事はあっても、その要求自体を飲む事はないのである。だが……それでも、彼の気持ちは変わらない。「自分の心に従うのは、間違っていない」と。そして、「それを拒む社会は、害悪でしかない」と。絶対的な感情から、そう思っている。

 

 欲望の自由を認めない社会は、悪だ。

 自分の才能を認めない社会も、悪だ。

 自分の未来を奪った社会も、悪だ。

 

 人間が本当に平等なら、如何なる時代に生まれても、相応の待遇を受ける……いや、与える筈である。間違っても他人との間に差、「格差」なんてモノは与えない。「美」と「醜」を別けたりもしない。彼らは「平等」を謳って置きながら、その実は生まれ持った能力を使って、彼らが最も嫌う上下を付けているのだ。「お前は下、俺は上」と言う風に。

 

 その意味では、彼らの方が余程卑怯と言えよう。現実と異世界の違いこそあるが、彼らもまた、現実の卑怯な設定的技量チートスキルを使って、その人生を謳歌しているのである。「俺達は、現実の主人公である」と。だったら、自分もそれを使って何が悪い? 神の恩恵があるだけで、「彼らと自分は何が違う?」と言うのだ。自分にも、それを楽しむ権利はある。

 

 栄介は目の前の武具一式から視線を逸らして、武器屋の前からゆっくりと歩き出した。ホヌスも、彼の思考を読み取ったのか? 最初は彼の背中を眺めていたが、彼が自分の方を振り向くと、それに微笑んで、武器屋の前から歩き出した。

 

 二人は町が夕暮れに染まるまで、その中を黙々と歩き続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る