第10話 冒険者登録

 ここまで読んだ人の中には(たぶん)、こんな疑問を抱いた方も居るだろう? 彼が「何でも許される存在」になったのなら、服屋の服も(金を払わずに)盗めば良かったし、先程の賭け闘技だって(自分の力を試す意味では、やる意味もあったかも知れないが)、対戦相手を瀕死の状態にし、その上で観客達から金銭を頂けば、「優越感と金銭欲を同時に満たせたのではないか?」と。

 

 確かにその通りだ。「何でも許される存在になった」と言う事は、既成の概念はもちろん、ここの決まりにも捕らわれず、「好き勝手にやっても良い」と言う事である。元居た世界の常識にわざわざ従って、商法または民法上の売買契約を結ぶ必要はない。欲しい物があったら、好きなだけ奪えば良いのだ。

 

 冒険者登録に関しても、「それ」をわざわざ登録しなくたって、彼には無限の自由が与えられている。許可証程度の縛りでは、その自由は決して防げない。各地の検問所で「許可証は?」と聞かれたら、「そんな物は、無い!」と突っ張り、挙げ句は「それ」を納得させれば良いのだ。「申し訳ありません! 貴方には、そんな物は必要ありませんでしたよね?」と。さも当然のように、彼らの常識をねじ曲げれば良いのである。

 

 今の彼には、それだけの力があるのだから。それを使わない手はない。「すべては、彼の望むまま」である。だが……「人間」とは、不思議な生き物。それをふと思い出しながらも、その非合理を楽しめる生き物である。人間は、合理的な利益だけでは満たされない。非合理的な行為……つまりは、「無駄な遊び」にも快楽を感じられる生き物である。

 

 冒険者登録は、こう言う物語の定番。主人公が話の序盤で済ませる、言わば「お約束」である。そこから主人公の身分が定められ、物語が大きく動いて行くのだ。栄介もまた、そのお約束に従っただけに過ぎない。これまで架空の世界、若しくは、電子ゲームの中でしか味わえなかった手続きを、快楽的な浪漫から済ませようとしただけである。

 

 最強設定の主人公が初心者環境を楽しむには、(「ここぞ」と言う場面を除いて)ある程度の縛りプレイ……言い替えれば、舐めたプレイが必要なのだ。人間は一定の制限があるからこそ、その抜け道に胸を躍らせるのである。

 

 栄介は女性を先頭に、ホヌスと並んで商工組合の建物に入った。建物の中は、お察しの通り。数多の創作家達が生み出して来た、ほぼ共通の雛形で溢れていた。建物の中を覆う内壁も、その壁に寄り掛かる冒険者達も、すべてがロールプレーイングの世界観、西洋の中世を模した世界に彩られている。異世界モノを愛する人にとっては、正に最高の理想郷だろう。受付嬢が冒険者の女性と陽気に話し、その声が周りに響く光景は、女性の装備品が心地よい金属音を奏でるのと相まって、栄介に極上の快楽を与えていた。

 

 ……僕はずっと、こう言う場所に行きたかった。

 

 彼は自分の理想が現実になった事、その現実が自分にとって正しく理想郷であった事に、改めて幸せを感じた。

 

 女性は同僚の一人に話し掛けて、彼の方を振り返りながら、その同僚にそっと話し続けた。


「少し不思議な子達だけど。困っているみたいだから、どうか力になってあげて?」


 同僚は、それに快く肯いた。普通なら怪しく思う筈のそれを、不思議な力が働いて、同僚を「うん」と肯かせてしまったのである。「分かったわ。任せて」


 同僚は「クスッ」と笑って、彼女が少年の所に戻る光景を眺めた。


 女性は、同僚の所まで栄介を連れて行った。ホヌスもそれに続いて、受付嬢の所に向かった。二人は受付嬢の前に止まり、「それじゃあね」と笑う女性の姿を見送って、正面の受付嬢に視線を戻し、栄介から順に「どうも」、「こんにちは」と挨拶した。


 受付嬢は、二人の挨拶に好感を覚えた(ようである)。


「偉いわね」


「え?」


 なにが? と言い掛けたが栄介だが、その疑問もすぐに引っ込んだ。


 目の前の受付嬢が、その答えをすぐに話してくれたからである。


「ちゃんと挨拶できる。最近の子は、そう言うのが嫌いらしくてね。大人には、ほとんど挨拶しないわ」


「へ、へぇ。それは」


 嫌な世界だ。現代社会にも(どちらかと言えば)そう言う傾向は見られたが、小学生の子どもは大体八割、中学生でも五割くらいは、大人にもちゃんと挨拶する。高校生くらいになると少し怪しいが、少なくても同じ部活の先輩やバイト先の店主などにはちゃんと挨拶するし、大学生にもなれば、挨拶なんて当り前、社会人になれば(一部を除いて)、「お早う御座います」や「お疲れ様でした」は、息を吐くように簡単な事だった。それがまるで、「常識」とばかりに。


 不完全ながらも法と道徳がしっかりした国は、それが未発達な国よりもずっと平和なのである。危ない犯罪者が、そこら辺をうろうろしている事もない。挨拶がきちんとできるかどうかは、国の教育度合いを示す一つの指標でもあった。その意味では、ここは現代社会よりもずっと荒んだ世界であるらしい。


 栄介はその世界観に戦いたが、同時に思わず喜んでしまった。


 挨拶なんて糞くらいだ。そう言うのが、習慣になっているのならまだしも。教育でそれを教えるのは……ある意味では、「挨拶」を貶している。その存在意義を侵している。自然な感情で発せられた言葉以外は、その本心を隠す虚言でしかない。現代社会のモラルに縛られていた栄介にとっては、その虚言が腹立たしかったが、それがもたらす利益には、一応の敬意は払っていた。


 周りと同じ言葉、一般的な挨拶を使えさえすれば、誰も自分の異常性には気づかない。彼らは表層のコミュ力にこそ惹かれるが、それが隠す本音にはまるで無関心なのだ。だから平気で、他人を見下せる。周りと違う人間をハブける。「人間の本性を知っている」と言う点では、「コミュニケーションが苦手」と言う人の方がずっと優秀に見えた。


 栄介は現代社会の闇に呆れながらも、表情はあくまで冷静に、年相応の態度を見せ続けた。


 ……まあ良い、人との意思疎通がどんなに上手くても。

 大いなる力の前では、まったくの無力なのだ。


 栄介は「ニコッ」と笑って、受付嬢の称賛に頬を掻いた。


「家の親が……その、厳しい人だったんで。自然にできてしまうんです」


「ふうん」と笑う受付嬢は、彼の嘘をすっかり信じて切っていた。「素晴らしいご両親ね」


 ホヌスは一人、その言葉にほくそ笑んだ。


 栄介は、右の頬から指を抜けた。


「あの?」


「ん?」


「登録は、どうやるんですか?」


「そうね。登録自体は、そう難しくはないけど」


 受付嬢は、机の右側に目をやった。机の右側には、一個の水晶玉が置かれている。


「本当は、飛ばしてあげたいけど」


 まあ、規則だからね? と、彼女は笑った。


「試しは、受けて貰うわ」


 試し? の疑問は、すぐに説明して貰えた。


「貴方の素性を調べるために。あの子を疑うわけじゃないけど」


 彼女は、少し言い淀んだ。


「君が危ない人かも知れないし。冒険者は……まあ、犯罪の防止や、労働力の流出を防ぐ意味もあるんだけどね? 平民以上の人しかなれないの。町で商いをする商人とか、金物を作る職人とか。それ以外の人は……言わなくても分かるわよね? 今の社会を害する者、危険人物を冒険者にするわけにはいかないの」


 危険人物、に思わず震えてしまった栄介。彼は心の動揺を抑えつつ、この水晶が普通の水晶ではない事、相手の素性を暴いてしまう魔水晶であるのを覚った。


「う、うううっ」


「どうしたの?」


 に、答えられる精神状態ではない。


 栄介は不安な顔で、隣の邪神に目をやった。


 邪神は、彼の不安を笑っている。笑っているが、一応の考えはあるようで、彼の耳元に顔を近づけると(受付嬢には決して聞こえないように)、その耳元にそっと囁いた。


「不安なら強行突破する?」


「強行突破?」


「そう、目の前の水晶を叩き割るの。『僕の事を疑っているのか?』ってね。そうすれば」


「相手は慌てて、僕の登録を認める?」


 ええ、の代わりに返って来たのは、無言。彼の予想を全肯定する、魔性の沈黙だった。


 栄介は、その沈黙に打ち震えた。どうしよう? ここで水晶を壊せば……。不安に思ったのは、そこまでだった。ホヌスが女性の案内を拒まなかった以上、こう言う事態も当然に考えていた筈だし、何よりこんな事で彼女が躓くとも思えなかった。すべては、彼女の思惑通り。「強行突破」の一言も、「それをしなくても大丈夫」と言う彼女なりの助言のように思えた。

 

 栄介はその助言を信じて、水晶玉の上に手を乗せた。水晶玉は……え? 原理の方はもちろん、分からない。分からないが、彼が水晶玉の上に手を乗せた瞬間、その表面が青色に輝いたのだ。青色の光は美しく、彼の不安を一瞬だけ忘れさせた。


「あ、あああ」


「うむ」


 受付嬢は、嬉しそうに笑った。


「どうやら、大丈夫の様ね」


 その言葉にホッとした。表情には、決して見せなかったけれど。自分の正体を見破られるのは、たとえ悪魔になっても、あまり気持ち良いモノではなかった。


 栄介は隣の邪神に微笑み、そしてまた、受付嬢の顔に視線を戻した。


 受付嬢は、水晶玉に視線を移した。どうやら、栄介の素性(当然偽りの)を読み取っているらしい。


「ふむふむ、なるほど。これは、随分と遠くから来たわね? 出身地は、〇〇(上手く聞き取れない)。身分は、平民ね。特技は、色々とあるようだけど。うーん、階級としては、Cかな?」


「C、ですか?」


「うん、冒険者の最低階級。普通の冒険者は、そこから始まるの」


 栄介は、その言葉に眉を寄せた。相手の言葉に不満を抱いたからではなく、自分の力を知っている彼には、その評価が少々物足りなかったからだ。自分は、この世界で最強の悪魔。異世界モノでは、最早標準仕様とも言える最強設定なのだ。最強設定の自分が「最低階級」と評されるのは、それが「こう言う話のお決まりだ」としても、やはり悔しい物がある。水晶玉に映る自分の顔を見た時は、その水晶玉を思わず叩き割りそうになった。


 栄介はその衝動を抑えつつ、彼女の話に納得する振りをした。


「分かりました」


 受付嬢はその返事に微笑み、彼に冒険者の証を渡した。冒険者の証は、一枚の紙。読める読めない文字で書かれた奇妙な身分証明書だった。


「商工組合で仕事を請け負う時は、その紙を見せて。他の町に移る時にも。それを見せれば、余程の事がない限り、すぐに通してくれるわ」


「そう、ですか。有り難う御座います」


 栄介は(不満ながらも)、目の前の受付嬢に頭を下げた。ホヌスもそれに倣って、彼女に頭を下げた。彼女は栄介と入れ替わり、邪神の力を使って、自分も冒険者の登録を済ませた。


「有り難う御座います。私も、Cですね?」


「はい。水晶玉から読み取る限りは。若干、淀みのような物は見えますけど」


 淀み、と言う表現は、彼女にとって至上の褒め言葉だったらしい。それを聞いていた栄介は何とも言えない感じだったが、彼女はとても嬉しそうに笑っていた。


「それが、私の自慢です」


 彼女は口元の笑みを消して、隣の栄介に視線を戻した。


 栄介は、その視線に怯んだ。視線の奥に潜む、彼女の思考を読み取ったからである。彼はその思考に震えながらも、真面目な顔で彼女の目を見返した。


 ホヌスは、その視線に微笑んだ。


「夜まではまだ、時間があるわね?」


「あ、うん」と肯く栄介だが、その顔は見るからに緩んでいた「そう、だね。確かに」


 まだ、時間はある。新しい服を買い、賭け闘技の試合に勝って、冒険者の登録を済ませはしたが、夜の時間を楽しむには、まだまだ時間が有り余っていた。


「うーん」


 栄介は自分の顎を摘まんで、何か暇つぶしになりそうなモノを探しはじめた。


「どうしよう? 今からクエストを請け負うにしても」


 それだと逆に時間が掛かってしまう。「午後の三時過ぎ」と言うのは、何をするにも中途半端な時間なのだ。


 彼は不満げな顔で、自分の周りを見渡した。


 ……異変が起きたのは、それからすぐの事。彼があるパーティーに目をやった時だった。

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