第8話 悪魔の力

 地下の闘技場は、嫌な空気で溢れていた。人間の汚い(それも陳腐な)部分が押し詰められ、それが至る所に満ち溢れていたのである。観客席から聞こえる怒号も、その一つ。観客達は自分の賭けた闘士が優勢だと称え上げ、逆に不利だと汚い言葉で罵った。

 

 栄介はその光景に怯んだが、内心ではとてもワクワクしてしまった。こいつを驚かせたら、どんなに気持ち良いだろう? 己の勝利が許された(と思う)彼にとっては、その期待はどんな愉悦よりも甘美だった。チート系の主人公達は、(それが無自覚であれ)こんな感覚を味わっているのである。その力がたとえ、「」としても。神様が彼なり彼女なりを選んだ時点で、それは紛う事なきなのだ。


 神様から絶対的な幸運を与えられる事。それを「卑怯だ」と言う者も居るが……あなたも、それに選ばれたら分かる。こいつは、とんでもない魔力だ。一度嵌まったら、まず抜け出せない。それこそ、底なし沼のような快楽。彼または彼女らが、その力に選ばれるのは、それに値する存在だからである。「」と。その意味では、彼らはやはりなのだ。

 

 栄介は自分の幸運に酔い痴れつつ、例の術で貯金を下ろし、ホヌスにそれを渡して、闘技場の控え所に向かった。控え所の前には、それ専門の受付嬢が立っていた。入り口から通された闘士を受け付け、その経歴から計算して、相当な倍率を割り出す係である。

 

 栄介はそこで……。


「初回特典?」


「はい!」と、元気の良い返事。この受付嬢は、かなり明るい性格の娘であるようだ。「初めて参加される方限定の。倍率が」


 これも、ご都合主義と思ってはいけない。


「嘘だ!」


 すべては、この世界がそう言う場所だからである。


「そんなに貰えるの?」


「え?」


 受付嬢は、目の前の少年をまじまじと見た。どうやら、今の発言に違和感を覚えたらしい。


「あ、あの?」


「はい?」


「勝てる、と思っているんですか?」


 至って、真面な質問。

 彼の素性を知らない人間にとっては、当然の疑問だった。

 こんなパッとしない……パッとしない? 


 彼女は慌てて、彼の顔から視線を逸らした。理由の方は、分からない。分からないが、その顔が真っ赤に染まってしまったからだ。栄介が見ても分かるように。彼女は何故か、目の前の少年にときめいてしまったようである。


 栄介はその感情を何となく察して、(本当はとても喜んでいたが)彼女の興奮を何とか抑えようとした。


「勝てるよ。僕には」


 の続きを遮ったのは、彼の対戦相手。見るからに柄の悪そうな男だった。


「何だって?」


 男は対戦前から早々、栄介にいちゃもんを付けた。それを楽しげに見る周り。例の受付嬢も興奮気味な顔で、二人の絡みを見ている。彼らは「最強」の男(あくまで、この闘技場に限ってだが)と、それに相対する少年の姿をニコニコしながら眺めていた。


「フッ」と、男の笑み。


 男は、栄介の胸倉を掴んだ。


「イキるのも大概にしろよ? テメェなんざ、すぐにぶっ殺せるんだからな?」

 

 何とも品の無い言葉。正に噛ませ犬には相応しい。栄介の胸倉から手を放し、その前から意気揚々と離れて行く姿は、栄介が何度も見た光景……正確には、何度も読んだ光景だった。その微細な違いこそあっても。彼はどうやら、称賛への生贄であるようだ。

 

 栄介は、その生贄にほくそ笑んだ。


「それは、どうかな?」


 の声はもちろん、男には届かない。


 男は自分の勝利をまったく疑わず、控え所のど真ん中にまた腰を下ろした。


 それから数分……いや、正確な時間は分からない。一つ一つの試合が血生臭く、また、暴力に満ち溢れていたので、時間の感覚がすっかり失われていたのだ。それを眺めていた栄介すら、その感覚に飲み込まれていた程に。闘技場の中で繰り広げられていたのは、正にルール無用の殺し合いだったのである。


 負けた闘士は、戦闘不能。

 最悪は死体となって、外の何処か(観客達は、「死体処理場」と言っている)に捨てられていた。

 

 栄介は、その光景に打ち震えた。単に興奮しただけはなく、それと同じくらいある恐怖心が彼を震えさせたのである。


 戦いに勝つのは良い。

 でも、相手を殺してしまったらどうしよう? 

 

 「何でも許される」と言う設定に内なる悪魔を解き放ちつつある彼だったが、転移前の価値観がやはり見え隠れする所為で、完全なる悪魔にはまだ成り切れないでいた。

 

 今ならまだ、引き返せる。

 邪神との契りで異世界に行けたのなら、それでまた元の世界に戻れば良いのだ。

 あの忌々しい幼馴染の居る現代社会に。

 あそこは法の縛りが厄介だが、それでもここよりは健全な世界だ。

 

 栄介は不満げな顔で、隣の邪神に目をやった。

 

 邪神の目は、自分の事を見ていた。そうなるのがまるで分かっていたかのように。


「怖じ気づいた?」


 何も言い返せない。ただ、「ううっ」と唸るだけだ。


「ふふふ。まあ、無理もないかもね? たとえ、異世界の人でも」


「くっ」


「それを殺したら、になっちゃうから」

 

 止めの一撃……と見せ掛けて、更なる質問が浴びせられた。


「人殺しは、嫌?」


 嫌、だと思う。少なくても、今は。


「そう。なら、別に殺さなくても良いんじゃない?」


「え?」


 栄介は、ホヌスの目を見つめた。


「殺さなくても良い?」


「そう。ここの決まりは単純、相手をただ倒せば良いんだから。倒し方は、貴方の自由」


「そ、っか」


 冷静な思考、と言うべきか。それに近い感覚が戻った。


「そうだよね?」


 ここの戦いが、あまりに惨くて忘れていたけれど。


「要は、好きなように勝てば良いんだ」


 栄介はある種の自信を取り戻し、嬉しそうな顔で笑った。


 ……彼の名前が呼ばれたのは、それからすぐの事だった。湧き上がる歓声。その対象は「彼」ではなかったが、本来の目的を思い出した栄介にとっては、それも称賛への序章のように感じられた。

 

 栄介は、相手の顔を見上げた。相手も、栄介の顔を見下ろした。二人は多種多様な歓声を背景にして、互いの目をじっと睨みつづけた。

 

 男は、嬉しそうに笑った。


「よく逃げなかったな?」


「金が掛かっていますからね。逃げるわけには、行きません」


 謙虚のフリをした、勝利宣言。


 それが、男の勘に障ったらしい。


「舐めた小僧だ。もう勝った気でいやがる」


「フッ」


 二人はまた、互いの顔を睨み合った。そして、「はじめ!」の声と共に動き出した。二人はそれぞれが得意とする戦法……とは言っても、栄介の方は逃げるばかりで、反撃らしい反撃はまたくしなかった。これには、流石の男も呆れ顔。観客達も不満げな顔で、栄介に野次を飛ばしている。「何をやっている!」、「真剣にやれ!」など。例の受付嬢は不安げな顔で彼を見ていたが、それ以外は文句を垂れるか、溜め息交じりで彼の動きを眺めていた。


 あの時感じた感覚は、錯覚だったのだろうか? と。

 

 彼らは無意識の中で……なるほど。これも悪魔の力なのか、彼に対し期待を抱いていたようである。だから、男との勝負にも期待した。「何かとんでもない事をやってくれるのでは?」と熱くなったのだ。あの少年はたぶん、ここの空気をがらりと変えてしまう。

 

 彼らはその期待に胸を踊らせたまま、二人の戦いを怒号混じりで眺め続けた。

 

 栄介はそれらの声を無視し、ホヌスから聞いた自分の力をもう一度思い返した。


 自分の力は、意識の力。更に言えば、そこから生まれる欲望の力だ。欲望は、意識と対にあり。だから、自分の力を確かめる術……つまりは「ステータス」と言うモノも無い。それを記した事物も皆無。彼の力は(彼がそれを望んだ時)、例の奇妙な文字が現れて、意識の中に必要な情報を書き記すのだ。自分が今、どう言う状態であるのかを。周りの誰にも覚られず、彼にだけそっと教えてくれる。言うなれば、「意識の情報開示」と言う感じだ。情報を開示するためには、彼の精神防壁を破らなければならない。


 それと同じ要領で、意識の中に様々な物体を仕舞ったり、あるいは、取り出したりもできる。町で買った衣服も、これから買うかも知れない武器類も、「無限」とも言える意識の中に管理保存ができるのだ。正に「無限収納」と言った具合に。彼が手ぶらに近い状況で戦えるのは、ひとえにこの力があるお陰だった。「武器が無限(収納した分だけ)に取り出せる」と言う事は、「それだけ攻撃の種類も増える」と言う事。あらゆる状況に応じて、「自由な戦法が使える」と言うわけだが……人間相手にその必要はない。敵がどんなに強かろうと、それはあくまで人間の範囲であるからだ。人間の範囲なら(余程の手練れでも無い限り)、素手だけで充分。拳一発だけでも、相手に相当な打撃を与えられる。

 

 栄介は(これまで喧嘩などした事もないのに)、相手の攻撃を軽々と避けつつ、その隙をすぐに見つけては、意識の底から流れて来る戦闘思考に従って、男の腹に拳を思いきり叩き込んだ。

 

 男は、その一撃によろけた。相手は、どう見ても普通の少年なのに。彼の繰り出した一撃は、今まで戦って来たどんな相手の拳よりも重かった。


「ぐっ、あっ、ぐっ」


 彼は腹の痛みに耐えながらも、少年の力に何とか抗おうとした。


 だが、「無駄です」


 所詮は、雑魚。名前すら不明な使い捨ての人物に過ぎない。人物としての掘り下げもなければ、今後の活躍も(たぶん)期待できないだろう。すべては、主人公のために。主人公が求める満足のために。彼は、それを満たすだけの道化でしかないのだ。


「く、そう」


 男は悔しげな顔で、地面の上に倒れ込んだ。


 栄介は、その姿を見下ろした。何の言葉もなく……ただ内から湧き上がる感情にだけ従って、観客達の歓声すらも聞き流していたのである。彼は静かな興奮を抱いたまま、地面に横たわる男の姿をぼうっと眺め続けていた。

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