第7話 異国情緒
「ここか」と呟いたのは、栄介。それに続いたホヌスも「見た目は、普通の建物ね。建物の壁にも、『酒場』の看板が掛かっているし」と言って、目の前の建物を見つめた。
二人は目の前の酒場をしばらく眺めていたが、真っ昼間の、しかも少年少女が酒場の前に立っているのは流石に目立つらしく、二人の考えが分からない者は、それを不思議そうに眺め、その意図を何となく察した者は、「怖い」とは思わないまでも、何処か異質な、奇妙な者でも見るような目で、二人がそこに居る様をまじまじと眺めていた。
栄介は、それらの視線に不快感を覚えた。
「気持ち悪い人達だね」
口調自体は柔らかいが、その顔は見るかに怒っていた。あんまりじろじろ見ないで欲しい。内なる悪魔を解き放ち、それを満たすための行為ならまだしも、現時点では何もない(先程のアレは、別だが)、あるいは、何もしてない状態で目立つのは、転移前の感覚を残す栄介にとって、あまり心地よいモノではなかった。
自分は、動物園の人気者ではない。愛くるしい姿で人々を楽しませるのは、「客寄せ」の名が付いたパンダだけで充分だ。
栄介は周りの視線から逃げるように、邪神の足を促して、その場からサッと歩き出した。邪神もそれに続いて、建物の前から歩き出した。二人は建物の裏側に回り、「そこある」と言う秘密の小窓を見つけて、その奥をじっと覗いた。
小窓の奥には、一人の女性が座っていた。薄暗い部屋の中に椅子を置いて、そこに座りながら机の表面をじっと見下ろしている。まるでそう……表現はアレだが、意識の方を何処かに忘れてしまったように。机の上に頬杖を突く姿にも、「人間の儚さ」と言うよりは、その嫌らしさが漂っていた。彼女は、人間の闇に笑顔を向けて来た女性。数多の欲を受けて来た受付嬢だった。
彼女は二人の気配に気づき、今までの態度を忘れて、小窓の近くにそっと歩み寄った。
「お客さん?」
敬語は、使わないらしい。
「それとも、闘士?」
栄介は一瞬だけ迷ったが、それもすぐに無くなった。「賭け」と言う以上、そこには必ず、「お客」と「賭けの対象」が居る。一般常識としての賭け事しか知らなかったが栄介だったが、今の質問から察する限り、その答えを出すのもそう時間は掛からなかった。
闘士は、賭け闘技に出る選手。
お客は、その選手に金を賭ける観客である。
自分は観客として、ここに来たのではない。
栄介は何の迷いもなく、受付嬢の質問に答えた。
「闘士、の方で」
「そう。なら、ここに名前を書いて」
と出されたのは、一枚の紙だった。参加者の名前を書き記すための用紙である。用紙の表面はとても汚くて、自分の名前を書くのに……「ハッ!」
栄介は、隣の邪神に視線を移した。
「ねぇ、ホヌス」
「なに?」
「ここの世界って」
「ああ」と肯く彼女を見る限り、どうやら彼の意図を読み取ったようだ。「日本語は、通じないんじゃ?」
彼女は「うんうん」と肯く少年の姿を、クスクス笑いながら眺めはじめた。
栄介は、その笑みに苛立った。
「言葉の方は、通じてもね。元の世界でも、そう言う事はあるでしょう?」
言葉は分かるが、字は読めない。彼の場合は「字」から入るタイプだったが、クラスの中には、「英語は、リスニングの方が得意」と言う生徒もいた。
「ここも、それと同じなんじゃない?」
ホヌスは尚も、彼の質問に笑い続けた。
「それじゃ、試しに書いてみたら?」
「うっ」と苛立つ暇もない。本当は「はぁ?」と怒りたかったが、受付嬢が訝しげに「どうしたの?」と訊いて来たので、彼女の挑発に仕方なくも「分かったよ」と肯いた。
栄介は羽ペンの先にインキを付け、用紙に自分の名前を書き入れた。「エイスケ・フカザワ」と、ここの世界観に従う形で。日本の日常ではほとんど使わない筆記体を使い、律儀にも西洋風の自分を演じて見せたのだ。
彼は元の場所に羽ペンを戻し、続いて受付嬢にも自分の名前が書かれた用紙を戻した。
受付嬢は、彼の名前をまじまじと眺めた。
「エイスケって言うの?」
「え? あ、はい。そうですけど?」
何か不味い事でもあったのか? 無表情にも等しい彼女の顔からは、何が不味いのかはもちろん、それがどう危ないのかも分からなかった。
栄介は不安な顔で、受付嬢の反応を待った。
受付嬢は、目の前の少年に微笑んだ。
「素敵な名前ね。『響きが良い』って言うのか? 何処か、異国情緒がある」
「異国情緒」
……か、なるほど。彼女からして見れば、確かにそうかも知れない。自分は遠い世界からやって来た、所謂異邦人なのだから。「嫌悪」とまでは行かなくても、何処か不思議な感覚を覚える筈である。「この人は、私達とは違う」と。世界の創世から受け継がれて来た遺伝子が、身体の五感を通して、そう脳内に印象付ける筈だ。
栄介は、その感覚に胸を高鳴らせた。
「あ、あの!」
「ん?」
「有り難う御座います」
「なにが?」と、受付嬢は笑った。「ただ、名前を褒めただけなのに?」
栄介は、その言葉に俯いた。確かにその通りだが、やはり恥ずかしいモノはある。こんな美人に褒められるのは、何だか照れ臭い。心の彼方此方が、擽ったくなる。本当は「うおぉおお!」と叫びたいのに、それが変に抑えられている感じだった。この感覚は、元の世界では決して味わえない。
元の世界にあるのは(すべてではないにしても)、大半はお世辞である。コンビニでアルバイトをする女子大生が、お客様に心から「いらっしゃいませ」と笑っているわけではないのだ。
栄介はその違いに酔い痴れつつも、表情の方はあくまで冷静な顔を保ち続けた。
「すいません」
「なに?」
「僕達は……その、ここに来たばかりで。この場所も、町の人から聞いたんですけど」
「ふうん」と肯く受付嬢。どうやら、自分の予想が当たって満足したようだ。「そうなんだ」
彼女は楽しげな顔で(先程までの態度が嘘のようだ)、少年の目を見つめた。
「それで?」
「は、はい! 賭け闘技の事って言うか。ここって、自分にもお金を賭けられるんですか?」
受付嬢の顔が変わったのはたぶん、その質問がとても可笑しかったからだろう。最初は「ポカン」としていた顔が、数秒後には「アハハハッ」と笑い出していた。
「自信があるの?」
「え?」
「自分が勝つのに。言って置くけど? ここに来るのは、滅茶苦茶危ない連中ばかりよ? 金のためなら、平気で人も殺せる。ここは、決まりの外にある場所だからね。基本的には、何でも許されるなんだ」
何でも許される。
その一言が、少年の悪魔を刺激した。
栄介は邪神の顔に目をやり、それからまた、受付嬢の顔に視線を戻した。
「構いません。僕はどうやら、最強の悪魔らしいので」
嘘は、言っていない。現に隣の邪神も微笑んでいるのだから。自分は最強の悪魔として、ここの賭けに勝つ自信がある。それに笑い転げているのは、その言葉を聞いた受付嬢だけだった。
彼女は自分の身体を何とか起して、未だに笑みが残る口元を押さえた。
「そ、そう。なら」
「はい?」
「うんう、何でもない。自分に賭ける事自体は、大丈夫よ。自分以外の誰かに『それ』を賭けて貰えば」
「そうですか」
栄介はお礼も兼ねて、目の前の女性に頭を下げた。ホヌスも、その行為に倣った。二人は受付嬢の案内で、地下の闘技場に向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます